第24話 氷邑梅雪、策を弄する

 氷邑ひむら梅雪ばいせつは、現当主に指名された大名家の後継である。


 ゆえにその身柄の安全には最大限の注意が払われる。


 ……とはいえ、梅雪自身に人望はない。数値に直せば統率四。自分以外に自分のために命を懸けてくる人が三人しかいないのだ。名門大名の後継なのに。

 これの安全を普段から細心の注意で守るのは、続かない。ただ当主に後継指名された才能がなくてワガママなガキになど、よほどの努力をしなければ無事を願い続けられない。そして『よほどの努力』など継続できない。


 むしろ梅雪を嫌い、しかし梅雪の父たる現当主を慕っている多くの者……というより、現当主を慕っていない者はもう出て行ってしまっているので家中のほとんどの者……は、梅雪というがどこかで死んでくれれば、当主もとさえ思っていた。


 ゆえに梅雪が危険な行為をするのを止めない。むしろ、見て見ぬフリをする。


 加えて当主は放任である。金は出す。願いは叶える。行動を束縛せず何をしてもだいたい笑って許す。

 それは梅雪が『魔境』という場所に行きたがった時さえ、同様だった。……あるいは梅雪の父もまた、梅雪が死んでくるのを願っているのかもしれない。当主の心にもなんらかの『思いきれないもの』があって、それが梅雪のによって消え去ってくれるのを待っていると、そういう事情があるのかも、しれない。


 梅雪は父のステータスを見ることができないのだ。

 軍団長であるはずのアシュリーのステータスは見える。本編で影も形もなかった、他の梅雪の統率力内に含まれている人物のステータスも、見ることができた。

 だが、父のステータスは見えない。……父は梅雪を命懸けで守るつもりはない、のかも、しれない。


 だが、それでも梅雪は大名家の跡取りである。


 これが危機に陥って、、当主は兵を率いてこれを救いに行かねばならない。

 しかも複数人、隠密衆頭領をも含む複数人の証言から、梅雪をのは剣聖であるという話が聞こえてくる。


 領地を守る最低限を残して全兵を挙げて向かわねばならない。

 最高の速度で、向かわねばならない。


 領地は重い。当主は重い。同じように後継も重い。

 父祖伝来の地を守る。当主を守る。後継を守る。この三つは同じ価値であり、どれか一つが欠けても大名家としては敗北である。


 ゆえに梅雪は、例の浅黒い肌の天狗エルフを助けさせたあとには、父を呼び出すようにアシュリーに命じていた。


 氷邑梅雪は、大名家後継である。


 彼は

 士卒であれば一対一の腕っぷし比べで、相手が強敵であろうが逃げず、助けを求めず、その腕前のみで勝利することこそほまれ。しかし、負けたとしてその態度に士道にもとるところがなければ、誉は守られる。


 しかし

 卑怯とはいえ、畜生のようであったとして、とにかく生きねばならない。それが将帥。大名家の未来を担う人材の優先すべきことであった。


 とはいえ、梅雪は性格的に、一対一、腕っぷしのみで勝ちたかったが……


 そこに拘って敗北するのは、何よりも格好悪いという価値観もまた持ち合わせていた。

 ゆえに迷いなく援軍要請である。囲んで叩くことは勝利の前には悪ではないし、この『囲んで叩く』は、対剣聖、というか、たった一人の敵に対して、大抵の場合、必殺の戦術である。


「だが、いくらなんでも早すぎる。もう数刻遅い想定をしていたぞ」

「なんで早く任務をこなしたのに怒られてるの!?」


 アシュリーはびっくりしている。

 忠実に命令をこなし、予定外の成果を挙げたというのにこの言われようである。幼い天狗エルフの少女は主人にして旦那様である銀髪碧眼の少年のめちゃくちゃさに慣れていたつもりでいたものの、まだまだめちゃくちゃの深奥に至っていなかったことを思い知らされるばかりであった。


「私が軍を用意してそばに控えていたんだよ」


 梅雪とアシュリーの会話に割り込むのは、どこか覇気のない様子の、美しい男性であった。

 銀髪を長く伸ばした碧眼の美丈夫。身長は六尺一八〇cmほどと高く、しかし、身体のバランスがいいので、遠目にはそこまで大柄に見えない。

 まとっている物は見事だが華美ではない鎧だ。南蛮胴具足がデザインとしては近いだろう。しかし、それよりももっと西洋甲冑に近い白銀の鎧であった。


「父上!」


 梅雪は慌ててその場に膝を付きそうになりながら、一瞬、父に注意を持っていかれたことを恥じた。

 今はまだ立ち合いの最中であり、目の前には剣聖シンコウが存在する。

 ……もっとも、彼女ももはや、先ほどまでのイヤな迫力を失っていた。


 大軍に囲まれて負けを認めた、というよりは。

 水を差されてえた、という印象であったが。


 肩をすくめるシンコウから視線を外さぬまま、横からかけられる父の声を聞く。


「愛する息子が『魔境』に向かうというのに、備えもしない父などいるものか。梅雪、その腕は、彼女にやられたのかな?」

「は。しかし……」


 梅雪の左腕は今、氷の道術で創り出したものである。剣聖の奥義を受けて肩から断たれたからだ。

 だが、これは尋常なる決闘による手傷である、と主張しようとした。

 それより早く、梅雪の父、銀雪ぎんせつは、穏やかな声で、呟く。


「万死に値する」


 その声音はいつもの覇気のないものであった。

 穏やかな笑みさえたたえた顔から放たれた、そよ風のような声。


 だというのに、声には総身を震わせるほどの殺意がにじんでいた。


「者ども」


 すらりと銀雪の腰の刀が抜かれる。


 腰に帯びているのは氷邑家重代宝刀。その名もたかき『銀舞志奈津ぎんまいのしなつ』。今は失われた製法および材料によって打ち出されたこの刀は、先端が両刃の小烏こがらす造りであり、刃紋はまるで雪の結晶のよう。そしてその五尺一五〇cmある長い刀身はとしており、しばらく素手で触れていると皮が貼りつくほどであった。


 長身の銀雪。とはいえ、五尺もの刀を一気に淀みなく抜ききるには、修練と慣れがいる。

 この覇気のない男は抜刀するだけで、彼が尋常ではない、身体強化のみならず剣の術理も修めた剣士であることを周囲にわからせた。


「あの女を殺せ」


 すべての命令が穏やか極まりない声で行われた。

 聞きようによっては気が抜けるような声である。だが、その場にいる者たち……銀雪が率いてきた氷邑家家臣軍の目の色が変わる。


 梅雪は、あきれたような、そういう気持ちになっていた。


(『コレ』が弱腰の軟弱当主? 逐電した者たちの目はそろって節穴か?)


 銀雪を軟弱呼ばわりした者たちへの、あきれである。


(この男は完全に封じ込める深みを持っているだけで、その内心は怒りと殺意の権化ではないか)


 抜かれれば死をまき散らさざるを得ないので、己を固く鞘に納めている妖刀。

 梅雪から見た父、銀雪はそういう印象の男であった。


「普段であれば、するのもやぶさかではないのですが……」


 周囲から歩兵隊に迫られたシンコウは、落ち着いた様子でため息をついていた。

 その目が開かれる。

 目隠しを斬られ表れた、神の光に焼かれて視力を失ったとされるその瞳は、まるで一瞬の雲耀うんようを切り取ったかのような黄金。


「今は気分ではありませぬゆえ。……まあ無粋は許しましょう。もう少し彼が大人になってから、改めて申し込みに参ります」


 そこで照れたように刀を持った手で頬を押さえる動作は、まるで結婚でも申し込もうとしている初心なご令嬢のようであった。

 だが彼女が申し込むのは殺し合いである。それも、一対一の。


 梅雪は軍に紛れて斬りかかろうかどうしようか迷ったが、やめた。


 あのコソ泥女と同じ結論に至るのは業腹ごうばらではあるが、確かに

『勝利』という目的のために将帥しょうすいたる大名家後継として策を弄し、それはハマッたと言えるものの……

 あの女とは、剣術使いとして決着をつけたい。そう思う自分がいた。


 ……ようするに、負けず嫌いなのである。

 しかも、相手がもっとも自信を持つ基準で、相手を上回って土下座させるのが好きなタイプの負けず嫌いであり。

 誇りとか士道とかには魅力を感じないものの、シンコウには剣術で上回りたい。それが最高の土下座のための条件だと梅雪は定めた。


「……ああ、逃げられたね」


 横に立つ父が呟く。


 まだ争いは続いているように見えたが……

 ほどなくして、だんだんと、争いの勢いが弱まり、歩兵たちが不思議そうな顔で周囲をきょろきょろし始めた。


 ……シンコウの姿が、ない。


 自分を狙う兵たちに紛れ、すり抜け、この場から消え去ったらしい。


「囲んで叩くのは失敗だったか。しかしたった一人というのはやりにくいな。軍を率いてくれれば逆にやりようがあったかもしれない。……まあいい。必ず殺す」


 微笑を浮かべながら決定事項のように言い放つ父の穏やかな声音は、梅雪がはらから叫ぶ殺意よりも、ずっと心胆寒からしめるものであった。


「梅雪」

「は」


 いまだシンコウのいた方向を見る父の前に、梅雪は膝をついて頭を下げた。


 親子である。

 しかし、当主と後継、すなわち家臣である。


 ゆえに梅雪のこの態度は間違いではない。

 だというのに、膝をつく息子を見る銀雪の目には、どこか寂しさがあった。


「私はね、よく犬を殺すんだ」

「……は?」

「犬が好きなんだ。とても、好きなんだよ。かわいがっているんだ。何匹飼ったかわからない。……でも、みな、すぐに死んでしまうんだ。私が……構いすぎるせいで」

「……」

「赤ん坊は、犬より脆そうだった。子供は、子犬よりも生命力がなく、弱々しく見えた。私はね、犬が死んだ時、悲しみに暮れるんだ。とても深い悲しみさ。そのまま、悲しみのあまり死んでしまえば、犬と出会えるんじゃないかと、だったらこのまま死んでしまってもいいんじゃないかと、そう思うほどの、悲しみだ。……でもね、死にはせず、ここまで生きてきた」

「……は、はあ」

「梅雪。お前にあまり構えなかったのは、私が構ったら、弱いお前が死んでしまうのではないかと、そう恐れたからなんだよ」

「……」

「犬が死んだ時にさえ、後を追って死んでしまいたくなるような悲しみに襲われる。もしも、血を分けた、しかも愛する人の忘れ形見である子が、? その時に自分がどれほどの悲嘆に暮れるのか、私は想像もつかなかった。だから、。お前がどこに行っても、隠れて、いつでもお前を救えるように備えて、見てきた。見てきただけだ。だが……」


 梅雪はつい、父の顔を見上げていた。


 父は梅雪の前に片膝をついて、肩に手を置く。


 ぽん。と。

 ほんの軽い動作で置かれた手だというのに。

 梅雪は押しつぶされそうなほどの圧力を感じた。


 とっさに堪えて、膝をついた姿勢を維持する。


 見た父は、笑っていた。


 いつもの、大名家当主としての穏やかな微笑ではない。

 口も目も半月のようにした、心からの……

 そして不気味さを感じさせる笑みであった。


「……強くなっていたんだね、梅雪。

「……」

「少しばかり、お前に構ってもいいかもしれない。父は昔から弱い剣士だった。力の抑え方が下手でね。、そういうことをよくやるんだ。でも……今のお前なら、大丈夫だろう」


 ……シンコウの時もそうだったが。

 梅雪は、気配を感じた。


 何か厄介なモノに目をつけられる、そういう気配だ。


「明日から私直々に指導をしよう。父はやりすぎる。ゆえに、普段はなるべく何もしないようにしている。だが、お前なら、ついて来ることができるね?」


 それは最後通牒であった。

 ここでうなずけば、明日から、『やりすぎ』を自任する父からの指導が始まる。

 それはきっと、冗談ではなく、相手に殺意などないにもかかわらず、命懸けのものとなるであろうことがうかがえる。


 だが、ここで首を横に振れば、父は今までと同様、梅雪とあまりかかわらず、放任姿勢を貫くことだろう。


 なぜって、梅雪が『やりすぎ』に耐えうるほど強くないから。

 父は息子を殺さないために、かかわりを断つのだ。


 それは。


 それは──


(この俺が弱いなどと、そのようなこと……父にだって、思われてなるものか!)


 ──梅雪にとっては『煽り』に該当する。

 だから、梅雪は頭を垂れて、こう答える。


「ついて行きます。必ず」

「よろしい」


 ぽんぽん、と頭を二回ほど、軽く、叩くように撫でられる。

 それは意識が飛びそうな攻撃であった。


 父・銀雪は大柄ではある。

 だが、父からかけられる力は、見た目よりさらに十倍は巨大な巨人が、それでも相手を傷つけないように最大限の配慮をして行使するような、圧倒的なものであった。


 ……これが、伝統ある名門の剣士。

 剣士の血と剣士の血をかけ合わせた末に生まれる、完成した血統の持ち主。

 本来、梅雪に備わっていたはずの才能である。


 ……なるほど、剣士にあらずんば大名家後継とは認めないという風潮の、真の意味が理解できた。

 ほかの大名家当主との交渉や会議の場で、このぐらいの身体能力もない者は侮られる。ほんの軽い接触、小手調べのつもりさえない握手で手の骨を砕かれるようなが、大名家当主剣士という位階の違う化け物どもの中で生きていけるわけがない。


 当主の強さは重要だ。

 想像よりも、もっともっと直截的な意味で。


 梅雪が後継の資格なしと思われていた理由は、考えていたよりずっと明らかだった。

 


(……面白い。俺を弱者と侮る連中がいれば、そのすべてに、この俺の強さを認めさせ……侮ったことを土下座で詫びさせてやる)


 ゆえに、梅雪はそれを、世界から自分に対する煽りだと判断する。


 剣士優遇世界は、道士にこう言っているのだ。

『弱者め』と。


 それは梅雪の反発心を煽った。

 ……剣聖との決着。父との関係の……

 剣士、そして剣士にさえ技術のみで認められる剣聖という強敵を実感して、梅雪はまた新たなモチベーションを得るに至った。


 すなわち……


(見てろよ世界め。この俺が最強となって、貴様にさえ土下座させてやる)


 最強になるという、熱意を梅雪は手に入れた。

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