第8話 元・氷邑忍軍頭領〝阿修羅〟

 元・氷邑ひむら家機工絡繰忍軍頭領〝阿修羅あしゅら〟にとって、氷邑梅雪ばいせつという男は、『怖い人』であった。


 先代から頭領の座をゆずられたあと、氷邑家当主にあいさつをしたことがある。


 その時、当主は、まだ若い阿修羅を気遣ってくれた。

 あの温かな人は『私のことは父親と思ってくれてもいいよ』と言ってくれた。その優しい眼差し、耳触りのいい声……今でも昨日のことのように思い出せる。


 しかし世代的に、阿修羅が仕えることになるのは、どちらかと言えば次世代当主の梅雪のほうだった。


 不安はあった。阿修羅はもともと気が強い方ではなく、人と話すのも苦手で、引っ込み思案だ。

 機工絡繰に乗っていれば強気になれるのだが、降りてしまうとぜんぜんダメで、生きているのさえ申し訳なくなってしまうほどネガティブでもあった。


 でも、あの素敵な父親の息子なのだ。


 錯綜している情報はろくなものではないけれど、きっとそういう噂は間違いで、話してみたら優しくて素敵な人かもしれない……そう思って、阿修羅は梅雪にもごあさつに行った。


 その結果……


「……貴様、この俺と一度も目を合わせないとはどういうことだ?」

「え!? あ、あの、いえ、こ、これは、その……」

「やましいところがあるのか」

「……はい!?」

「この俺に目を合わせようともしない。問われれば口ごもる。俺に隠し事があるのか? 叛意があるのか?」

「そ、そんなわけ、ない、ですっ……! そん、な、こと、絶対……」

「俺の見立てが間違えていると言うのか!?」


 話にならないにもほどがあった。

 どうして怒られているのかわからないけれど、勢いよくまくし立てられ、怒鳴られるともう、阿修羅は何も言えなくなってしまう。

 この日から、氷邑梅雪は、阿修羅にとって『怖い人』になった。


 この怖い人に仕える未来は暗い。


 だが、ある日聞こえた噂では、氷邑梅雪には剣士の才能……身体強化の才能がまったくない、というらしい。


 身体強化ができる者は民までふくめて見るとさほど多くない。

 だが、大名家の血筋では、ほぼ全員が身体強化を(質はピンからキリまであるが)使える。

 身体強化の才は父祖から受け継がれるとされていて、身体強化ができることこそが大名の後継者たる第一の資格であり、確かに大名家の血筋であることを内外に示す要素であるという価値観が一般的だ。


 阿修羅個人としては、剣士でなくとも強くなれることを知っているが……


 大名家の価値観的に、後継者が剣士として無才なのは『ありえない』。


 だからきっと、無才である梅雪ではなく、別な者が氷邑家の跡継ぎになると思った。


 氷邑家の直系たる男児は確かに梅雪しかいない。だが、直系の子では、梅雪の妹のがいる。

 阿修羅ははるともあいさつをさせてもらったことがある。あちらは天真爛漫で、そして、現当主のような優しさを感じさせる人格の持ち主だった。

 しかも、はるには剣士の才能があるらしい。


 であれば後継者、あるいはその代理ははるになることだろう──阿修羅はそう思っていた。


 だが。


「後継は、梅雪とする。これは、私が死んでも変わらない決定だ」


 なぜかあの優しい当主がそんなことを言った。


 阿修羅は思ったし、口に出した。


「むり……むりです……あんな人にお仕えするの……むり……」


 ぶるぶる震えながら隠密寮の大部屋の角で体育座りをする頭領を見て、部下たる忍びたちは一考した。

 阿修羅はみんなにとってのかわいい妹であり、言ってしまえば隠密たちのアイドルである。

 加えて、確かに氷邑家の後継に指名されている梅雪にはいい噂がまったくない。人格か強さか、どっちかでもあればよかったのだが、どっちもない。

 それがイヤで、氷邑家に昔から仕えていた重臣のいくらかは出奔までしてしまっているのだ。このまま氷邑家にいても未来はないのはわかる。


 アイドルを悲しませる、未来のない家。


 出奔を迷う必要はなかった。

 隠密たちは阿修羅を慰め、出奔を勧める。


 阿修羅はみんなにそう言われると、そうするのがいいような気がしてきた。

 梅雪に仕えるのは本当に無理なのだ。怖くて無理。何を言っても怒られそうな気がする。いい人なら命懸けで最後まで仕える選択肢もあっただろうけれど、落ち目になりつつある氷邑家を、あの人に仕えて支えるのはやりたくない。


 だから阿修羅は、出奔することにした。


 静かにこっそり出て行くつもりだったのだけれど、隠密のみんなが絡繰を持ち出したり、あと、置き手紙を残したりした結果、なんだか盗む感じになり、しかも置き手紙の内容というのが……


『見る目なき者に仕えること能わず』


 めちゃくちゃ煽る感じになってしまっていた。


 これが、阿修羅の出奔した経緯である。



 ……実力もなく人望もない、名門を潰すだろう次期当主。


 氷邑梅雪への評価はそういうものだった。


 だが、それなら──


 目の前で起きていることはいったい、なんなのだろう?


「降参したければいつでも地面に額をつけて『梅雪様、雑魚の分際で逆らって申し訳ありませんでした。見る目のないわたくしが間違っておりました。以降は永遠の忠誠を誓い、決して逆らいません』と言っていいぞ!」


 金属交じりの竜巻が、梅雪を中心に吹き荒れている。


 騎兵、すなわち騎乗兵器乗りというのは、その圧倒的重量も武器の一つだ。

 それが、梅雪の起こす道術の風に乗せられて木の葉のように舞っている姿は悪夢のようだ。


 相性的にもありえない。


 この世界はゲームとよく似ているが、ここで生まれ育った人たちにとっては、もちろん、ゲームではない。


 それでも相性というのはわかる。

 道士が起こすのは神威かむいを使ったなのだ。

 そしてその威力は、剣士の一撃より強いことはありえない。


 剣士は神威を用いて身体や装備を強化し、強力な物理現象を起こす。


 道士は神威を用いて自分の体の外の物理法則に干渉し、氷の槍を振らせたり、炎を放ったりという


 神威に対する干渉力で道士は剣士の身体強化をぶち抜くことも不可能ではないが、騎兵というのの防御力も重量も、神威とはまったく関係ない、純然たる物質的防御力であり重量である。

 ゆえに、道士は騎兵に勝てない。神威がかかわらない純然たる金属塊をぶち抜く威力の道術などありえないからだ。


 だが、分厚い物理装甲をまとっているはずの、重量もかなりのものであるはずの騎兵たちが、木の葉のように舞わされている目の前の現象はなんなのか?


 そもそも……なぜ、竜巻が起こる?


 道士は世界を木火土金水の五行で捉えているはず。


「……どんなまやかしを使った、梅雪ゥ!」


 阿修羅は機械音声で叫ぶ。


 忍軍を風で巻き上げてもてあそぶ梅雪は、銀髪碧眼の幼い美貌を醜悪にゆがませて、こう応じた。


「まずは呼び方から再教育が必要か。……俺のことは『ご主人様』と呼べ、下郎ゥ!」


 竜巻をまといながら、梅雪が近寄ってくる。

 身体強化を使えない無才とは思えない速度の接近に、阿修羅は巨大な金属の両腕をとっさに交差する程度の防御しかできなかった。


 何が起こっているのか、わからない。


 部下たちがものの数にもならず、もてあそばれている。


 この圧倒的な力の差は、いったい、なんなのか?


 ……阿修羅の失敗は、生来の気の弱さに起因するものだった。

 彼女は機工絡繰に搭乗している時は男勝りで強気だが、それはどうしようもなく後天的な訓練で身に着いたものであり、本来の阿修羅は気が弱くネガティブだ。


 だから、彼女は判断を誤った。


『何が起こっているのか?』などと考えるべきではなかったのだ。

『圧倒的な実力差がある』などとひるむべきではなかったのだ。


 だって、こうして煽り散らかし、見下し散らかしている梅雪の内心は……


(頼む! 早く降参してくれー!)


 このように、必死だったのだから。

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