第6話 生存チャートの確認

 まずは十歳のころに時をさかのぼる。


『中の人』との統合を完全に済ませた氷邑ひむら梅雪ばいせつには、いくつもの変化があった。


 まず、他者への態度が軟化した。


 ……もっとも、言葉にかんしてで言えば、最初が『なんでもないことにいちいち突っかかってくる全身敏感クソガキ』だったので、『ベリーハード』が『スーパーハード』になったぐらいの軟化である。


 言葉にかんしてはこのように相変わらずだが、態度が変わった。


 煽りとみなしたものにはキレ散らかす。

 しかし、その場で怒鳴ることはなくなった。


 ほとんどゲーム知識だけとはいえ、氷邑梅雪は頭の中に大量の知識と経験を流し込まれた。

 そのお陰で、自分の行為を客観的に見る視点を得たのだ。

 結果として学んだ。『なんでもないような発言にいちいちその場で喰ってかかり、言葉の上でのみ命乞いや謝罪を求めてキレ散らかす子供』が周囲からどのように見られるか。


 ようするに、そのような態度では余計に舐め腐られて、内心で煽り散らかされるだけである。

 それは我慢ならない。ゆえに、梅雪はではなくによる煽り返しを心がけるようになった。


 野菜を避けることを煽られていると思えば、野菜を食べることによって煽り返す。

 剣術の修行を避けることを煽られれば、どのような鍛錬であろうとこなし、さらに要求量の倍をやってみせることで煽り返す。


 梅雪はこれまでずっと慢性的にイラついていたが、それは、怒鳴って言うことを聞かせても『その場のみ』であり、相手が内心で『なんやこのクソガキ……』とこちらを見下すようになる、その言葉にされない内心を感じ取ってイラついていたと、そういうことなのだった。


 ゆえに、見上げられるべく努力した。


 すると、どうなるか?

 大名屋敷で働く者たちからの見る目が変わった。


 これを感じて梅雪は、ようやく、『正しい煽り返し方』を学んだ。


 上辺だけの言葉ではダメだ。大事なのは実行力だ。

 馬鹿にされたならば、と思わせる実行力……煽り返しのために頭の中で計画を練り、練った計画を実行できる実力を持つことこそが重要だと、学んだ。


 とはいえしばらくはどうしようもない苛立ちに支配されるので、ここからさらに二年ほど経たないと、まだまだ梅雪の我慢はうまくいかない。

 それでもわがまま放題であった梅雪が、少なくとも他人からは『我慢を覚えた』とみなされるようになった影響は大きかった。


 梅雪は、


 この世界の人にはステータス閲覧ができない。だが、梅雪はできる。

 剣桜鬼譚のステータスは単純だ。


 たとえば、梅雪のステータスはこうなっている。


名前:氷邑梅雪

兵科:道士

位階レベル:二一

経験:二/一〇〇

攻撃:一二〇

防御:四〇

内政:五

統率:三

能力スキル:天才

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 ゲーム内だとレベルの最大値は下位で三〇まで。到達すると上位へのクラスチェンジができる。

 上位職は最大一〇〇レベルだが、クリアはだいたい上位三〇ぐらいでも可能だ(難易度通常の場合)。

 攻撃、防御、内政の最大値は五〇〇となっている。

 そして統率は最大で五〇〇〇だが、これは初期値から変動しない。初期値で一〇〇だと、鍛えても一〇〇だ。

 また、統率は『率いることのできる最大人数』なので、内政パートで兵数を増やせないなら最大人数まで率いることができない。


 ステータスが見えるのは中の人の影響だろうとあたりをつけているのだが、中の人も転生は初体験なのでよくわかっていないから、予想の域を出ない。


 そうして見てみたところ、自分の統率が三になっていることに梅雪は気付いた。

 ゲームだと決して上がらないはずの統率が上がっている。やはり、ゲームと、現実に生きているのとは違う、ということなのだろう。


 統率と率いることのできる兵力は同じである。

 つまり、戦闘になった時、梅雪のために命懸けで戦ってくれる、将以外のモブユニットが二人いるということになる。

 それが誰かまではわからないが、この『統率三』というのは、煽り耐性〇で統率力一男の梅雪にとって、とてつもない進歩であった。


「さて、俺の死亡とかいうふざけた未来を避けるためにするべきことは……」


 巻物に筆で生存のためのチャートを書いていく。


 まず大目標として、十歳の字で『生きる!』とでっかく書いて、ついでに丸で囲んじゃう。


 そしてその下に四つの中目標を書いていく。


 一番左には『主人公を倒す』。

 別にヤツの命は欲しくないが、とはいえ、妹の貞操を奪ったことは万死に値する。同じような苦痛を味わわせて絶望の淵に叩き落としてやりたいので、とりあえず主人公の女と、女になる予定の連中は全員奪うことにした。


 その右には『父の死を避ける』。

 甘やかされていたので当然と言えば当然だが、梅雪は父のことが好きだ。自分の破滅を避けるための氷邑家の零落を避けるという目的以上に、父の死は避けられるのであれば避けたい。それは梅雪の異常な修練を支える柱のうち一本となっている。


 さらに右に……


「んんん? なんだこれは? 俺を馬鹿にしているのか?」


 右にも中目標を書いたはずだった。

 だが、見えないのだ。その部分だけが、ぼやけて見えない。

 さらにその右に書いた中目標も見えない。


「……ふざけるなよ。この俺が書いた文字を、この俺に見せないとはどういうことだ?」


 しかも記憶にも残っていなかった。

 そこにある文字、内容を認識できないし、思い出すこともできないのだ。確かに書いたにもかかわらず!


 この不可思議な現象について、『中の人』が『世界の修正力か……』と余計な発言をする。


 ゆえに、ひとしきり部屋で一人でキレ散らかし、しばらくして少し怒りが収まってから、ハァハァと息をつき、大目標の横に荒々しい文字で追加目標を書くことになった。


『世界に報復する』


 自分の書いた情報を不当に取り上げられるのは、『煽り』に該当する。

 何一つ理不尽に奪わせないというのは、すべてを奪われる未来を知った梅雪のモチベーションとしてもっとも大きなものであった。


 ゆえに、世界を煽り返す。これがもし誰かの呪いならば、そいつに土下座させる。そう決意して、今は怒りを収めることにした。

 良くも悪くも、『報復をタイミングを見て適切に行うための我慢』を覚えたゆえの行動であった。


「……まあいい。何にせよ、直近で目指せるのは、『父の死を避ける』ことだけだ」


 自分を説得するようにつぶやき、『父の死を避ける』の下にさらにチャートを書き込んで行く。


 まず、父の死因。

 暗殺。


 これについて、『中の人』も具体的なことは知らなかった。

 ただ名門設定の氷邑家がクソ雑魚になっている理由として、『直前で人望のある当主が暗殺によって急逝した』という一文があるのみである。


 なので具体的な誰か、あるいはどこかの勢力を警戒すればいいということではなく、どこを警戒すべきかの情報収集の段階からせねばならない。


 こういう時のために、大名家、それも歴史のある大名家には隠密衆というのがある。

 氷邑家もクサナギ大陸中央近くに位置する(面積的な意味での中央ではなく、帝のいらっしゃる場所に近いという意味で中央と称する)名家である。当然のごとく隠密衆がいた。


 いた、のだ。


 、その隠密衆の当代は実力主義者であり、弱腰な父にはそれでも『あの人徳は実力の一種だ』と従っていた。

 だが、その後継者が梅雪であり、その決定が動かないとなると、『判断を誤る当主にはついて行けぬ』と抜けたのだ。


 なおこの隠密頭も進め方によっては主人公の味方につく。どれだけ寝取られれば気が済むのだろう氷邑家。


「ふざけるなよ開発……! 氷邑家は主人公が都合よく利用できるフリー素材ではない!」


 ここにいない人にキレてもしょうがないが、キレるのは理屈ではない。

 またひとしきり十歳の美少年がお部屋でキレてから、キレ疲れて冷静になり、続きを考える。


「……いけ好かぬ。が、隠密頭は使える人材だ」


 すぐに『万死に値する』とか言っちゃうが、実際に、その言葉で人を死に追いやれた経験は皆無である。

 ゆえに『殺す』『死ね』は実行可能な状況が整った状況以外では言わないことに決めた。『あまり強い言葉を使うなよ。弱く見えるぞ』という偉人の言葉があると、『中の人』の記憶で知っている。それはまったくもって真理であると梅雪も納得したのだ。


 短絡は愚かである。


 なので使えると思しき人材には、精一杯『解釈』をする努力を始めた。

 たとえば隠密頭は、現当主の人を見る目のなさに辟易して抜けたが……それは、梅雪に対する煽りではない。

 というより、哀れな連中なのだ。この氷邑梅雪の真の実力を見ることなく去って行ったのだから。あの愚か者どもの目を実力を以て覚まさせてやるのは、次期当主としての慈悲とさえ言えるだろう。普通の土下座で許してやることとする。

 そういう解釈にする。


「…………ふざけるなよ陰でヒソヒソするしか能のないクソどもが! この俺に実力がないだと!? その腐った目をくりぬいて……!」


 解釈はしたが、精神はすぐに成熟しないので、やっぱり我慢ならずキレる。

 梅雪は我慢を覚えたが、それは『先にキレておく』と『あとからいっぱいキレる』を覚えただけで、呑み下して置いておくことができるようになったわけではないし、これからもなるわけではないのだ。


「……ともかく、この連中を連れ戻さねばならん」


 今から隠密を育てても、間に合わないだろう。

 そもそも、出奔した隠密連中は氷邑家に忠誠を誓っているべき者どもなのだ。今は暇を出しているが、本来の役目をこなさせるべきだろう。


 あと。

 一度見限った当主のもとにまた仕えることになるのだ。自分たちの見る目が間違ってました、ごめんなさいと額を地面につけて平伏するのだ。

 それは胸のすく快事であった。絶対に土下座させてやると梅雪は心に決める。


 加えて、現在の隠密頭は、主人公の女になる可能性を持つ者……

 すなわち、ヒロインの一人である。


 あの主人公からは未来の女をすべて奪ってやると決めている。妹をとられた(まだとられてない)腹いせだ。


 ゆえに、梅雪は、チャートにこう書いた。


『隠密頭を取り戻す』。


 こうして、破滅を避けるための梅雪の行動が始まった。

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