第5話 vs悪徳行商人・前編
三年の月日が経ち、十歳だった
銀髪碧眼の美貌は少女めいたものから男らしさが混じるようになり、細身ではあるものの身長も伸びて、ゲーム内単位においては五尺七寸ほど、cm法に直すと一七〇cmはあるだろう。
この世界はおおむね現代日本基準の平均身長なので、十三歳でこれだけの身長というのは高い方に分類される。
それでも細身で華奢な印象があるのは、生来持った美貌と、身体のバランスの良さが理由だろう。
剣士の才、ようするに身体強化の才能が皆無の梅雪だが、剣術の修行を欠かしたことはなく、また、身体強化が使えないからこそ、肉体を鍛えることを怠らなかった。その結果として、引き締まった無駄のない体を手に入れるに至ったのだ。
もちろん道術も修行を欠かしていない。
ゲームでの梅雪は五行属性のうち三つに適性を持つにもかかわらず、水一辺倒だった。
だが今の梅雪は水以外にも適性があった土と金の道術も扱えるようになっている。
梅雪がゲーム本編開始時間までにすべきことは、『己を鍛えに鍛え、統率力1でも初期主人公の軍に勝てる力を手に入れること』と……
父が暗殺されるのを、阻止すること。
現在の氷邑家当主は梅雪ではないが、本編開始時には梅雪になっている。
そして氷邑家は『広大な領地を持つ、
それがなぜ家まるごと序盤のやられ役になっているかと言えば、父の急死……暗殺によって家そのものが弱体化しているからだ。
今の梅雪は鍛錬を欠かしていないが、そもそも父親の暗殺など防げるなら防ぎたいに決まっていた。何せ、氷邑家でほとんど唯一、梅雪に愛らしきものを向けてくれる人なのだから。
なので、父の暗殺を防ぐために、様々なことをしており……
今のこれもまた、その一つ。
数年の仕込みが芽吹く、瞬間ということになる。
「本日も氷邑家次期当主であらせられる梅雪様のため、とっておきの刀を用意してございます!」
ゲームのイベントでも『行商人が来る』というのはあるのだが、実際に名家で生きていると、よくこういう手合いが売り込みに来る。
戦国時代をモチーフにした乱世の中で、異なる大名の領地を渡り歩いて商売をする行商人はしたたかだ。
なのでゲームにおいて行商人イベントは、『高い金を払ってゴミをつかまされる』か『本当にお得なアイテムを低価格で購入できる』かという、ギャンブル性のあるシーンになっている。
これは完全にランダムで発生するイベントであり、プレイヤーは状況再現などを除いて、このイベントを狙って起こすことも、『お得なアイテムを低価格で購入できる』方だけを起こすこともできない。
だが、慣れて来ると、起こったイベントがどちらなのかを判別できるようにはなる。
行商人の表情が、いいイベントと悪いイベントで少し違うのだ。
おもに顔面の明度が。
そして、今、目の前にいる、茶坊主ふうの頭巾をかぶった
悪い行商人が、悪い武器を、さもいい武器と偽って、目の前に並べている。
これは梅雪からすればもちろん『煽り』の一種になる。
だが、梅雪もこの三年間で成長しているのだ。
「いつもありがとうございます。今回も素晴らしい品物ですね」
美貌の銀髪少年がニコニコと微笑みながら述べると、慣れた者でも思わず見惚れるほど魅力的だった。
商人は目尻の皺を深くして「ええ、ええ、梅雪様のため、ほうぼうの販路をたどり、集めた品々にございます」と、いかにも誠心のある商人のごとく応じる。
梅雪は笑顔のまま、その武器たちをほめちぎり、購入を約束する。
氷邑家は名門なので多くの金を持っている。また、梅雪は当主に愛された後継だ。だから、ぼったくり家格の武器を一括で現金購入するだけの金があった。
この商家との取引はこれが初めてではなく、この二年間、ずっと梅雪は高い金を払ってゴミを買い続けていた。
その結果として、今日足を運ばせることに成功したのは下っ端ではなく店主であり、本日はいつもより金額の大きなゴミを売りつけに来たと、そういうわけなのだった。
なんのために、こんなことをしているのか?
梅雪は我慢強くなり、人の煽りにキレ散らかさない忍耐を手に入れたのか?
そのうえで悪徳商人を対象にした慈善事業でも始めたのか?
──まったく違う。
「ところで」
ニコニコ微笑んだまま、梅雪が『今、思いついたんですが』という様子で口を開く。
すでに商談がまとまった行商人は「はい?」とホクホク顔でその雑談に応じた。
「今日は偶然にも、鑑定のできる先生を呼んでいるので、あなたからいただいた武器の価値を見てもらおうと思っているんですよ。同席していただけますね?」
そこで行商人が一瞬ピタリと動きを止める。
だが彼も戦国の世を渡り歩く者。名門大名家に詐欺同然の武器の卸売りをするような者は
鑑定というのはなかなかその技能を持った者がいないし、技能というのは可視化できない。
なので行商人は鑑定でもしも『クズです』と言われても、鑑定士の質にいちゃもんをつけるなどしてこの場を逃れようと考えていた。
別に鑑定士の質が悪いと語る根拠などなくてもいい。怒鳴り、おおげさに悲しみ、勢いでその場を辞して、外に待たせている護衛と合流できるだけのスキができればいいのだ。
行商人の護衛は、万が一名門に悪徳商売がバレても逃げ切れるだけの腕利きを揃えている。
それに、氷邑家の次代は剣士の才能がないことで有名だ。この戦国時代、たかが道士が『この武器の質が悪い』と叫んだところで誰も相手にしないし、何より、行商人としては二度とこの領地に来なければいいだけの話だ。販路など他の領地にも確保しているのだから。
そういう備えを頭に浮かべ、「ええ、光栄にございます」と行商人は恵比寿顔で応じた。
氷邑梅雪は美しい顔にニコニコとした笑みを浮かべ、「よかった」と普通の少年のように喜ぶ。
「行商人さんもご存じかと思われますが、武器の良し悪しというのは、戦場で振るまでわからないものでしょう?」
これはゲームの仕様だ。
装備した武器の中には最初、ステータスや効果がマスクされている物がある。
そういったものは装備して実際に使ってみて、その威力や効果をなんとなく把握するしかないのだ。
そしてゲームは、装備した武器でダメージを与えられるフェイズが『戦争』のフェイズしか存在しない。その結果、『武器の良し悪しは戦場で振るまでわからない』という事実ができあがる。
「しかし、鑑定士にお願いできれば、戦場で振る前にわかる。これは本当に素晴らしいことです。質の悪い武器をうっかり装備して戦場に立ってしまい、死んでからでは遅いですからね」
「いやまったく、その通りで」
質の悪い武器を馬鹿な金持ちに売りつける商人があとを絶たない理由がそれだった。
鑑定士に鑑定をお願いできない場合、武器というのは戦うまで良し悪しがわからない。そして、悪い武器を装備して戦場に立てばたいてい死ぬ。
剣桜鬼譚世界には武士イズムがあるので、戦いの中で死んだ場合、たいてい『敵が見事』『死んだ者が未熟』というあたりに死亡理由が集約され、戦術だの戦略だの装備の質だのにあまり注目が集まらない傾向にあった。
なので没落のニオイがする領主大名は悪徳行商人に狙われやすくなる。
剣才のない煽り耐性ゼロのガキが後継指名されている氷邑家も、現当主が死ねばもう長くないとみなされており、当主交代前の金があるうちに搾り取ってしまおう、というのが悪徳商人たちの戦略なので、最近よくここに来ると、そういう事情があるのだった。
「ところが鑑定士というのは少ない。けれど、今回ようやく、鑑定の技能を持つ先生をお招きできましてね。いやあ、苦労しましたよ。なかなか首を縦に振っていただけなかったもので、何度も何度も根気強くお願いして、ようやくです」
「それはさぞかし高名な先生なのでしょうな」
「ええ。あなたもよくご存じのお方ですよ」
「なんと! いやはや、お恥ずかしながら、私はこういった商売をしてはおりますものの、まだまだ未熟な身でして、そのように高名なお方の前に立つにはいささか……」
雑談をしながら、行商人はこんなことを考えていた。
高名な鑑定士を呼ばれていたら、まずい。
いちゃもんを付けるには相手が無名である必要がある。だが、誰もが知るような鑑定士であれば、そうもいかない。『私どもよりも、そんな無名鑑定士のほうを信じるのであれば、もうよろしい。帰らせていただく!』とキレて場を辞する予定が狂う。
だが行商人もさるもの。
急に思い出したように言葉を切り、「おおっと!」と大きな声をあげる。
「いや、申し訳ない。実は西方の毛利家の方々との交渉がありましてな。ゆっくりしていきたいのはやまやまなのですが……」
毛利家は氷邑家よりもずいぶん西にある名家であり、その広大な領地と精強な軍勢で有名な家である。
そして『ずいぶん西方』であるので氷邑家との因縁などもなく、縁戚関係もない。
よって『大大名との約束を邪魔する』ことは政治的にしにくい。ここで行商人を止めるなら、『毛利家にあなたたちが私を引き留めた旨は報告させていただく!』などとキレつつ去ることができる。まあ、嘘なので実際に報告するわけではないが。
だが……
「まあまあ、そうお時間はとらせませんので。それに、鑑定士の先生も、あなたに会いたがっておいでですよ」
「毛利家との約束を邪魔なさろうということ、ですかな?」
「ははは。……おい、連れて来い」
梅雪の少女めいた穏やかな微笑みが一瞬で消え去り、傲慢にして不遜、他者をゴミと思うような光がその碧眼に宿った。
交渉のための応接間の
その人物は……
「なっ……!?」
「おや、全国を回っていらっしゃってお忙しいかとも思いましたが……自分のところの従業員の顔は覚えていらっしゃいましたか」
行商人が抱えていた鑑定士であった。
行方不明になったなどという報告は受けていない。
だが、どう見ても拉致され、しかも……拷問を受けたような傷が、あちこちに見られた。
「お許しください……お許しください……」
どういう目に遭ったのか、意識ももうろうとした様子なのに、かすれた声でその言葉だけを繰り返し続ける鑑定士に、行商人は目を奪われる。
そこで、パァン! と梅雪が手を叩き、注目を取り戻す。
そこには少女のような美貌でにっこりと微笑む氷邑梅雪がいる。
……だが、その微笑みに空寒いものを感じるのは、果たして、行商人の気のせいで済ませていい話しなのだろうか?
笑顔の梅雪は、告げる。
「よくも、俺を舐め腐ってくれたな、このゴミクズが」
表情と、声のドスと発言内容がまったく一致しない。
それはただ怒りの形相で怒鳴られるより、よほどイヤな迫力があった。
「貴様の考えていることがわからんと思ったか? 剣士の才のない馬鹿な後継ならば武器の価値もわからない、装備して戦場に出ればあっさり死ぬから何も発覚しない、楽に絞め殺せる
「ぎょ、行商人に乱暴を働くなど、どうなるかわかっているのかッ!?」
この脅しはそれなりに効果があるものだ。
行商人に狼藉を働く領地には、商人が来なくなる。
そして行商人と呼ばれる者の多くは、今ここにいる者のような高価な名品珍品を運んでくる者ではなく、塩商人や米商人や油商人、あるいは他の生活必需品を運んでくる者である。
そういう者のネットワークに『この領地は商人に無体を働く』と共有されてしまえば、領地の物流が滞る。それゆえに、商人は大名に対してある程度強く出ることができる背景があった。
だが……
「いやいや。貴様はもう行商人ではないさ。……間抜けな上客だと思って、店主が直接来たのが仇になったなァ? いや、貴様に足を向けさせるまで我慢して、ゴミクズに金を払い続けた俺の功績か。……貴様はな、店のすべてを俺に譲り渡す念書を、今ここで書くんだよ。この俺が今日から、貴様の店の主人だ」
「……!」
行商人は素早くふところに手を入れると、取り出した笛を吹いた。
それは護衛として雇っていた浪人どもを呼ぶための笛であり、これさえ響けば、腕利きの護衛どもが飛んでくる。
氷邑家というのは将来的に武力が零落する可能性を予見されているが、現段階でも強い家とはみなされていない。
それは当主、つまり梅雪の父親が、穏やかで戦を好まぬ人格だからだ。当主の強さ、当主の性格というのはどうしても家中に出る。何より、剣士の才がない者を後継にしてゆずらないことに嫌気がさし、腕利きの剣士などが出奔しているという情報もあった。
だから腕利きの護衛を呼び寄せれば、逃げるぐらいは可能である算段であった。
だが……
「想像力の欠如というのは悲しいな」
梅雪は揺らがない。
本当に哀れむような顔を作って見せる茶目っ気さえあった。
「この俺がどうやって鑑定士の居所を突き止めたのか、想像さえつかないのか? こっそりと拉致や殺しをやる勢力を抱えてるに決まってるだろうが」
すなわち、護衛はすでに殺されている。
行商人はしばらく言葉を失った。
「……馬鹿な。氷邑家の隠密頭は……」
「そいつは家に戻したよ。この俺の実力でなァ」
「剣士の才がない後継が!? あの忍軍を!? どのようにだ!?」
「興味があるか? では、冥土の土産に聞かせてやろう。あれは三年前──」
氷邑梅雪は語る。
そう、この瞬間のためにこそ、彼は『我慢』を覚えたのだ。
煽りに対してその場でキレ散らかしても、それは、堪忍袋の緒の短いクソガキとみなされるだけ。
煽りに返すのは、より痛烈な煽りであるべきだ。子供が喚いているだけ、などとみなされるのは我慢ならない煽りである。
ようするに、梅雪は、煽って来た相手をより効果的に煽り返すために、我慢を覚えたのである。
報復前提の忍耐力。
ゆえに、至福の表情で語られるのは……
なぜ、この行商人が失敗したのか。
そして、お前が軽い気持ちでつついたものが、どれほど強力なものだったか。
──後悔しながら死んでいけ。
その気持ちで、梅雪は語る。
主人公を倒し、父を生かすために重ねた、自分の努力とその成果を。
◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇ ◆◇
これ以降『vs悪徳商人・後編』までずっと商人煽りの過去回想です。
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