慣れというのはもしかすると最大の脅威なのかもしれない
「このどろぼぉぉぉぉううぅぅう!!!」
「ご、ごめんなさ〜い!」
まったく。天界と言えど人間界と言えどやる奴はやるんだな。
それにしてもこの御時世に八百屋で店員を前にしてスピード勝負の万引きなんて大胆な天使さんだ。
「いいですか? 今朝やった通りに頭の回路を人間から天使に一つずらして――」
「わかってるっての。万引き野郎の脳のヒビから水のように入り込む感じで……」
メイドちゃんはアドバイスをしてくれるが、今朝から口酸っぱく言われているので言葉の続きが分かる。
俺はとある屋根の上で、八百屋から全速力で逃げる野郎を視点の中央から逸らすことなく捉える。すると体の中――つまり骨や心臓が透き通るように見えた。
「見えましたか?」
「おう」
「初の実践で透視が出来るのはそうそういません。天才ですね――」
「お世辞はいらねぇよ。そんなことより少し集中させてくれ」
確かに体内を見透かす事は出来るのだが、誰かに話しかけられたり注意がされると途端に出来なくなる。やはりまだまだ付け焼き刃のレベルか。というか万引き野郎速すぎだろ。その足をもっと他のことに使えば特攻隊員としてエリート人生だったのにもったいねぇことしやがる。
俺はそのまま目を凝らし続けてさらに視覚を研ぎ澄ます。
「そろそろ思考を読んでくれないと私の捕縛出来る範囲を超えてしまいそうなのですが」
「……」
「もし無理そうなら私が――」
「キタ!」
見える!
もう視界に入れずとも感覚で万引き野郎がどこにいるのか分かる。そして尚且つ思考を読むことも出来るし当然見えた時は脳も直接見えている。
右、右、左。
聞こえる!
万引き野郎が次どっちに曲がるのか。脳が足に命令する声が聞こえる。そしてどのルートを回って二個先、三個先の曲がり角でどっちに行くのかも分かる。
「……今から三秒後に十三時の方向六十八メートルに行けるか?」
「当然です――」
屋根を蹴り、矢継ぎ早にまた次その次に屋根を乗り継ぎ始めるメイドちゃん。そして瞬く間に万引き野郎の真上に――。
――年貢の納め時です――
――え?! なに?! 誰?!――
メイドちゃんはスマ◯ラのような下Bアクションで万引き野郎にライダーキック。男の頭は足裏全体で踏みつけられ一撃必殺の気絶。
Мにとっては超のつくほどご褒美である。
おっと。ちなみに俺にはそういう嗜好はないぞ。
というか強すぎるだろ。
メイドちゃんって本当にメイドちゃんなのか?
――それは勿論です。メイドしかしないメイドはメイドではございません――
――それはスゲェな――
――そもそも私たちのメイドは戦闘から手を引いた、いわば予備戦士なのですから――
――予備戦士?――
――はい、前線が潰された時は私たちが守備優先で天界を守ります。そうすることで勝てなくとも負けませんから――
――意外とちゃんとしてんだな。ご主人様とやらの適当っぷりを見ると想像できねぇわ――
――そうでしょうか? 私からすれば新垣君の方が適当に生きているように見えますが……――
――おい。俺がお客様という設定はどこにいったんだよ。というか何で会話が出来てんだよ――
――これは思考を読む魔法を用いた応用です。相手の心を読むということをお互いしていれば会話が可能になります――
実践で学ぶとはこういうことか。
さっきまでは集中しないと出来なかったことが今は無意識で出来ている。
――しかし無意識に魔法が使えるのは想定外です――
――俺の成長っぷりに度肝抜かれたか?――
――はい、正直そうなってほしくなかったです――
――え?――
――今ならウチの魚が安いよぉ〜!――
ん? 安い?
――おぉい! それ持ってくれ!――
――あらやだぁ〜、ホーリードリンコ溢しちゃったわぁ〜――
――また魔界で戦争だってよぉ〜――
――怖いわねぇ〜――
なんだ? なんだこれ?
知らない人、知らない声が頭に飛び交う。頭が割れそうだ。
無意識。この言葉を甘く考えていた。
無意識に魔法を使えるというのは魔法に慣れてきたという反面、魔法の制御が出来ないということ。例えば手から水を出す魔法なら年がら年中水が出っ放し。俺で言えば周囲の天使達の声や思考が右往左往に飛び交う。
だから自分の中で魔法の対象を選ぶことが出来ず、俺ではなく俺の中の魔法が勝手に選び発動する。
「割れる! あ、あたまが……、割れる!!!!」
やばい。自分を失いそうだ。
頭の中に脳が幾つもある違和感。
「やはり人間のままじゃ駄目ですね」
「あ、あぁ……」
「仕方ありません。即席で安全性は確保されませんがここで天使になる儀式を始めます」
天使になる儀式?
……何でもいい。天使でも何でもいいからこの頭をどうにかしてくれ。
「それでは――」
メイドちゃんが頭を押さえて倒れ込む俺に手を掛けるのが見えるが、それは徐々に霞んでいき、そして――。
「天使バイトを始めます」
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