余命九十六日


「はいっ」

 九十九君が元気よく手を挙げた。

 クラスは今、来月十月に行われる体育祭に向けた話し合いの最中だった。

 せっかくだから盛り上がりたいよね、というグループと、体育祭なんてだっるいよなあ、というグループ。クラスの雰囲気は二分されている感じだった。

 私も中学校までは、体育祭まかせといて、何でも出るよ、というタイプだったけど、今は違う。

 あんなに速く走れた亜子あこがすっかり走れなくなって、なんて部活の子たちに同情交じりの目で見られることを考えると、当日は仮病で休もうかとさえ思う。

 種目決めは、なかなか進んでいなかった。

 盛り上がりたい子たちも、基本的にはみんな受け身であることに変わりはなくて、「〇〇、リレー出なよ」「私より〇〇の方が速いじゃん」「〇〇は障害物競走だよな」「俺はいいよ、お前出ろよ」みたいな会話がだらだらと続いていた。

 出たい種目ややりたいことがあっても、それを自分から言うことが恥ずかしい。一人だけやる気を出したら、サムい。イタい。もし失敗した時に格好がつかない。

 だからゆるい種目に希望が殺到し、ちょっと面倒そうな種目には誰の手も挙がらなかった。

 これなら、最初から先生にでも決めてもらった方がいい。そうすればみんなも、文句を言いながらも諦めるだろう。

 だけど先生は、生徒の自主性を尊重するという美名のもと、教室に来もしないで職員室で他の仕事をしている。

 だから九十九君が元気に手を挙げたとき、みんなの注目が集まった。

 なんだ、こいつ。という感じで。

「俺、障害物走出ます!」

 九十九君は言った。

 花形のリレーと違って、障害物走はどっちかというとお笑い要素の強い、ムードメーカーの子たちが出るイメージの種目だ。

 地味で笑い一つ取ったことのない九十九君が出たんじゃ正直、盛り上がらない。

 だからクラスはざわついた。

 どうせクラス一のお調子者の佐藤君がみんなから推薦されて、渋々といった感じで「仕方ねえなあ」とか言いながら出ることになるのだろうと思っていたからだ。

「あ、九十九ね」

 前に出て司会進行をしていたクラス委員の水谷みずたに君が、副委員の羽山はやまさんと顔を見合わせる。

「ええっと、ほかにはいない?」

 佐藤君が一瞬出たそうな顔をしたが、手を挙げなかった。

「じゃあ、九十九で」

 羽山さんが九十九君の名前を書き終えると、九十九君がまた「はいっ」と手を挙げた。

「俺、応援団長もやります!」



 その日の放課後、下駄箱のところで九十九君に声を掛けられた。

「百川さん、体育祭は何に出ることになったんだっけ」

「綱引き」

「それだけ?」

「うん」

「俺、障害物競走と二人三脚とリレー。あと応援団長もやるよ」

「知ってるよ、見てたから」

 九十九君の突然のやる気は、クラスにちょっとした波紋を広げていた。主に、あまり良くない方向で。

「九十九のやつ、急に張り切っちゃってどうしたの?」「なに、体育祭デビュー?」「あいつ、そんなに足とか速くないっしょ。やばくね?」「サムいよな」「私、途中から共感性羞恥に襲われてあの人の顔見れなかった」

 ホームルームの後でそんな会話が交わされていたのは、私にも聞こえていた。余命の件を知っているだけに、ちょっといたたまれない気持ちになった。

「ずいぶん張り切ってるんだね。そんなに走ったりして、身体は大丈夫なの?」

「むしろ調子はいいよ」

 九十九君は力強く頷く。

「だんだん体調が悪くなるっていう普通の病気とは違うから。むしろ、ひずみの副作用で運動能力の向上が見られるっていう研究結果もあるくらいなんだ。せっかく最後の瞬間まで身体は動くんだから、今まで本当はやりたいのにやらなかったことを全部やろうと思ってる」

「体育祭の障害物走が、それなの?」

「そう」

 九十九君は微笑んだ。

「あとリレーと二人三脚と応援団長もね」

「さすがにやりすぎじゃない?」

 みんなに引かれてたよ、と言おうとした私の言葉は、彼の次の言葉に霧散した。

「いいんだ。俺、どうせあと九十六日で死ぬんだから」



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