Ⅴ-Ⅰ 大崎五樹



 *



 たくさんの雪が降る道を、ただひたすらに走っていた。

 ……いない。

 見つからない。

 ここにも居ない。

 あてもないまま走り続ける。

 足がもつれて、転んでしまっても。

 足が動かないのなら、地を這ってでも……。

 そうしなければ、本当に消えてしまう気がしたから……。

 雪のように、儚く、そして何も残らずに。

「どこ、行ったんだよ……」

 白い息と共に吐き出した言葉は、冷たい風にかき消される。

 いったい、どのくらい走ったのだろうか。

 積もった雪に付いているのは、俺の足あとだけだった。

 それでも走る……走り続ける。

 嫌な予感を誤魔化すように。

 ……その時。


 どこかで、哀しい鐘の音が鳴り響いた――――。



 *



 薄っすらと目を開ければ、眩しい光がカーテンの隙間から入り込んでいた。

 なんだか、久しぶりにこの夢を見た気がする。

 いつか見たものと同じで、内容はよく覚えていない。

 俺は誰かを探して走っていた気がする……。

 雪の降る中を、必死になって……。

「…………」

 携帯で日付を見てみれば、やはり一二月一八日を示していた。

 それにしても、今日は静かだな……。

「あれ? 綾人は……」

 そういや、いつも俺の上に乗っかっている綾人の姿がない。

 珍しく、早く起きすぎちまったのか?

「えっと……時間はっと……」

 さっき日付と一緒に確認しておけば良かったな。

 俺は枕元にある、あまり活用していない目覚まし時計に目を移す。

「……は!?」

 八時……一〇分……!?

「おいおいおいおいおい!」

 ホームルームまであと二〇分しかない!

 学校まではどんなに頑張って走っても一五分はかかる。

 やべえ、このままのんびりしてたら遅刻だ!

「っ!」

 くそ……何やってんだこんなときに!

 ……綾人が来てないってことは、もしかしてアイツも寝坊か!?

 そういや、いつかの世界でそんなことがあったな。

 ベッドの上で腹出しながら爆睡してたんだっけ。

「ああ……くそ……っ!」

 どうせ寝癖がついているであろう頭も気にせず、クローゼットのハンガーから制服を剥ぎ取る。

 足が縺れるが、必死に踏ん張って着替えを終えた。

 ろくに中身の入っていないカバンを掴み、超特急で階段を駆け下りる。

 転びそうになりながら廊下を走り抜け、玄関で靴に足を突っ込む。

 すぐ横のラックにかけてあったコートを抱え、家の敷地を飛び出した。

 朝の空気は冷え切っていて、鼻の中ならツンと痛くなる。

 必死に走る姿を、犬の散歩をするマダムに笑われたが、そんなこと気にしていられない。

「仕方ねーな……っ」

 その足で、寝坊してるであろう綾人の家に向かった。

 月島家の敷地へ入り、何度か呼び鈴を押してみる。

 駐車スペースに車は停まっていなかった。

 この前と同様、おばさん達はとっくに仕事に出かけているのだろう。

 ドアに軽く耳を当ててみるが、家の中からは生活音が一切聞こえなかった。

 やっぱり寝ているみたいだな。

「仕方ねえな、前と同じく勝手に入らせてもらうぜー……あれ?」

 何度かドアを引いても動く気配はない。

 どうやらちゃんと施錠されているようだ。

「マジかよ……鍵かけたまま寝てるってことか……!?」

 ……いや待て、それが普通だ。

 とりあえず、電話だ。

 アイツが起きるかは分からなかったが、携帯で綾人の番号を呼び出し電話をかけてみる。

 これで出なかったら置いてくからな!

「もしもしー?」

 意外にも綾人はすぐに電話に出た。

 声から焦った様子は感じられない。

「あ、綾人! オマエさっさと起きて……」

「あー……ごめん! いっちゃん。ボクもう学校なんだ」

「……へ?」

 予想していなかった答えに、思わず言葉に詰まる。

「ごめんねー! いっちゃんも早くおいでね」

 そして、雑に電話が切られた。

「な……」

 何だアイツ!

 一体、どういうことだよ!

「いや……落ち着け、俺」

 ここで地団駄踏んでいても、時間が闇雲に過ぎていくだけだ……。

 というか……。

「予鈴ーっ!」

 綾人のヤツ!

 あとでぜってー泣かしてるからな!

 むしろこっちが泣きたい気持ちを押さえ込みながら、俺は全速力で学校に向かった。



 *一二月一八日 月曜日 教室



「ふ……」

 教室に入るなり、思わず笑みがこぼれる。

 間に……合った……。

 いつもなら走って一五分のところを一〇分ちょいで来たぞ!

 おかげで心臓が破けそうなくらい痛い。

 こんなに全力疾走したのはいつ以来だ?

 綾人と一緒にいる時も遅刻しそうな時があったが、きっとヤツのペースに合わせて走っていたからそこまで辛くなかったんだろうな。

 俺、意外と体力あるじゃん。

 ループしたお陰で、先週の足のケガが引き継がれていなくて本当に良かった……。

 俺は最後の力を振り絞り、自分の机に倒れ込む。

 天板のひんやりとした感覚が、頬に当たって気持ちがいい。

「大崎……遅刻ギリギリだったな」

「おう……」

 授業が始まる前からすでに疲れ切っている俺を見て、委員長は後ろの席から苦笑する。

 毎週毎週、月曜日は遅刻直前になる呪いでもかかっているのだろうか。

「大丈夫か? だいぶ息が上がっているようだが」

「ああ……ちょっと朝から本気を出しちまっただけだ……」

「なるほど。明日からはちゃんと早起きするようにな」

 必死に走ってきたのが分かったのか、それ以上委員長から小言を言われることはなかった。

 委員長は時間を確認すると、身体を黒板の方へ向ける。

 俺は机に張り付いたまま、その後姿を目で追う。

 ……の、クリスマスパーティー、楽しかったな。

 今の委員長とは共有していない記憶を思い出す。

 やっぱり、記憶が消えてしまうのは寂しいな……。

「あ、いっちゃん間に合ったんだ。良かったー!」

「!」

 慌てて左隣に顔を向ければ、そこにはいつも通りの顔の幼馴染がこっちを見ていた。

「てめえ、どの面下げて俺の前に表れやがった……」

「ええー! そんなに怒ることないじゃない」

「だーれーのせいだと……」

 綾人の頬に向かって手を伸ばす。

「あ、予鈴」

 ぷいと、綾人は顔をそむけた。

 予鈴が鳴り終わると同時に担任が入ってきたため、俺は行場を無くした手を引っ込める。

 猫背の担任は教壇に立つと、困惑した表情のまま口を開いた。

「あー……本当に突然なんだが、転校生を紹介する」

「あ……」

 思わず声が漏れる。

 ようやく、季節外れの転校生がやってきたのだ。

 扉が開くと、喧騒に包まれた教室が急に静かになる。

 そしてすぐに、うちの学校とは別の……紺色の制服を着た転校生が姿を表した。

 再び騒がしくなる教室。

 待ちわびたアイの登場に、ひどく懐かしい気持ちになった。

「渋谷藍です、よろしく」

 たった一言そう言うと、アイは指示される前に歩き出す。

 そしてクラス中の注目を浴びる中、俺の机の前で立ち止まった。

「お待たせ、イツキ」

 アイは目が合うとニコリと笑った。



 *一二月一八日 月曜日 屋上



「いいのかい? 一限目からサボったりして」

 アイは外の風にあたりながら、気持ちよさそうに目を瞑る。

「それを言うなら、オマエだって転校初日だろ」

 俺達はホームルーム後すぐに屋上にやってきた。

 屋上はいつも通り殺風景で、冬の冷たい風を遮るものが何もない。

 もうここに来るのも慣れたもので、俺の中でここは、誰にも邪魔されることのない居心地のいい場所に変化していた。

 俺は金網に寄り掛かるように座り、コートを毛布代わりに膝に掛けた。

「それもそうだね」

 アイも同じ方向を向きながら腰を下ろし、悪びれた様子もなく微笑む。

「今回はちゃんと転校してきたんだな」

「キミと約束したからね」

 アイは手袋を付けた手で、小指を立てる。

 指切りのポーズだった。

 俺はその言葉と、子供っぽい動作に安心したのが分かった。

「……イツキ?」

「え……?」

 すぐ横から不思議そうに顔を覗きこむアイに、俺は思わず後ずさりする。

 なんだか異様に顔が近い。

 背中の金網が小さな音を立てた。

「どうかしたのかい? いつもと違って、優れない表情をしているよ?」

 思いがけない指摘に、自分の意志とは裏腹に顔が強張ったのが分かった。

「……この世界に、違和感でもあるのかい?」

 それは、的確な表現だった。

 アイが無事に転校してきて、安心したっていうのと……。

 あと一つ。

 違和感……というよりは……。

 今までの世界とは全く違う行動をとる綾人のことが、気になっていた。

 同じことが起こるわけではないのだから、特に気にすることはない……と思うが。

「いや、なんでもねーよ」

 俺は首を左右に振る。

 そうだ……。

 綾人がおかしいことなんて、今に始まったことじゃないだろ。

 きっと朝、俺があまりにも起きないから、怒って先に行ったんだろう。

 それで、あんな態度なんだ。

 アイツには、そういう子供っぽいところがあるからな。

「オマエこそ、何か掴んだんじゃないのか?」

 話を切り替えて、アイの方へ顔を向ける。

「ほら、旧教会がどうとかって……」

「ああ……」

 アイはそう言って、一瞬だけ目を逸らす。

 しかしすぐに立ち上がり、肩にかかるくらいの髪を風になびかせ、静かに歩き出す。

「イツキ……私はそこで、ループの原因である『箱』を見つけた」

 そして直ぐ目の前にしゃがみ込み、俺と正面から向かい合う。

「あとは……鍵が必要なだけ」

「鍵……?」

 しかし、その質問にアイは答えない。

「だからもう、ループは起こさせないよ。私は……この繰り返し続ける世界に、終止符を打つ」

「……!」

 ようやくこのループが終わりを迎えるのか。

 アイのその力強い言葉に、気持ちの高ぶりを感じる。

「アイ、それじゃあ俺は今度、何をすれば……」

「え? 別に何も」

「へ?」

 バッサリと言われた。

「そもそもキミは初めから巻き込まれるべきでは無かったんだ。だから普通に学校生活を送ってくれればいいよ」

「普通って……」

「もうシナリオは完成した。そしてそのシナリオではキミの存在は、そこまで大きいものじゃない」

「そんなの……」

 確かに俺は勝手に巻き込まれただけかもしれないけど……。

 でも、そんな突き放すような言い方……。

「うーん……納得いかないという顔をしてるね」

「……当たり前だ。また、オマエの力になれると思ったのに」

 それなのに、いきなり戦力外通告されるなんて思ってもいなかった。

「そうか……」

 アイはしばらく顎に手をあてて考え始める。

 そして……。

「イツキ……キミにできること……」

 ゆっくりと顔を上げる。

「やはり、ないね」



 *一二月一八日 月曜日 昼



「…………」

 昼休み開始のチャイムが鳴った。

 教室に戻ってきてから、かれこれもう二時間……。

 机に突っ伏したまま、俺は行き場のない思いと戦っていた。

「くそ……役立たずってことかよ……」

 誰も聞き取れないであろう小さな声で呟く。

 しかし、それに応えてくれる人はいない。

 アイはあれから教室に戻ってこないし……。

 神田も教室に姿を表さない。

 アイツのことだ……きっと学校にすら来ていないんだろう。

「はあ……」

 真っ暗な視界。

 アイが転校してきて、今度こそ一緒にループを解決しようと思っていたのに……。

 完全に肩透かしになってしまった。

「いっちゃん」

 綾人が机の前にやって来た。

 そうか……いつもと同じで、弁当持って来てくれたんだな。

 期待に満ちた気持ちで頭を上げる。

 しかし、俺の予想と違い綾人は何も持っていなかった。

「ごめんね、いっちゃん。ちょっとボク用があるから!」

 そう言って俺の席の前を通って走り去ろうとする。

「あーそうそう。ボク、今週は忙しくてあんまりいっちゃんのことあんまり構ってあげられないんだ。なので、自分のことは自分でやるよーに!」

「は?」

 言うだけ言って、小走りに教室を出て行ってしまった。

 反論する間もなく教室に取り残される。

 そりゃあ確かに……当然のように弁当が用意されているもんだと勝手に思っていたのは俺だが……。

 そもそもこんな時間にアイツどこ行くんだよ……!?

 理由の分からない綾人の行動に、首を傾げることしかできない。

 しかし、こんな時でも腹は減るようで。

 朝食も食べていないため、俺の空腹は限界に達していた。

「……とりあえず、パン買ってくるか」

 俺は重い腰を上げ、一人購買へ向かった。



 *



「マジかよ……」

 昼休み真っ只中の購買は、思った以上に人でごった返していた。

 あちこちで、自分の欲しいパンの名前が飛び交っていて、人の頭で購買自体が見えない。

 まさか昼の購買でこんなにも熾烈な争いが行われていようとは……。

 そういえば、球技大会の日も綾人と委員長が後輩から貢いでもらっていたもんな。

 知らなかったとはいえ、完全に舐めていた。

 購買なんてほとんど来たことなかったのは、ひとえに綾人のおかげだったんだな。

「はあ……」

 朝食も取っていない上に、朝から全力疾走をした俺には、この戦場に向かう気力も体力も残っていない。

 この光景を見るだけで気が滅入っていく気がした。

 諦めよう……腹は減ったけど。

 教室へ戻ろうと振り返る。

 ボーっとしていたせいで、すぐ後ろに背の高い人物が立っていたことに気づかなかった。

 危うく接触しそうになる。

「コロッケパンでいいいなら、譲ってやらないこともない」

「え……?」

 それは耳馴染みのある声だった。

「神田……!?」

「よお、大崎。珍しいなオマエがこんなとこにいるなんて」

 そこに居たのは、学校に来ていないと思っていた神田だった。

「いつもみたいに弁当じゃないのか?」

「ああ……まあ……」

 曖昧に返事をする。

 神田は俺の返事など気にした様子もなく、その場でチョコレートのかかったドーナツを食べ始める。

 空きっ腹によくそんな甘い物を食べられるなと思ったが……。

 あの巨大なクリスマスケーキをノンストップで口に入れられるコイツには、大したことではないのだろう。

「オマエこそ、ここにいるなんて珍しいんじゃないのか?」

「バカ言え、オレはここの常連だ。期間限定の商品はすべて試している。甘いパン限定でな」

 神田はドーナツの他に、戦利品である巨大なチョココロネとクリームの挟まれたメロンパンを掲げる。

「コロッケパンはいつも一番先に売り切れるくせに、今日はたまたま残ってたんだ。欲で手にとっちまったんだが……やっぱりオレはこっちの方がいいんでな」

 愛おしそうに菓子パンを見つめる不良。

 本当にコイツは甘い物が好きなんだな……。

「んじゃ、オレは煉のとこ戻るわ。そろそろ屋上に来る頃なんでな」

 そう言って神田は俺にはコロッケパンを持たせ、くるりと背を向ける。

「あ……」

 無意識だった。

 本当に無意識に……俺は神田の制服の袖口を掴んでしまっていた。

「……どした?」

「え……あ……えっと……いや、何でもない……」

 いたたまれなくなって、慌てて手を離すが……。

「嘘だな」

 バッチリ見破られた。

「当ててやろうか? 四位に戦力外通告されて、落ち込んでるんだろ」

「な……なんで……」

「オマエは分かりやすいから……っていうが一つ。で、実はオレも今朝、四位からこれ以上この件に関わるなって言われたんだ」

「な……っ」

 なんで神田まで……。

「ったく、さんざん巻き込んでおいてそりゃないよな。ああ……オレは勝手に巻き込まれただけか」

 アイツの魔法試してみたくて手に触ったんだった、と続ける。

「で。オレは組織の構造上、文句の一つも言えないわけだが……」

 眉間にシワを寄せ、嘆息する。

「アイツに何か考えがあるのは分かる……でももう少し何か言ってくれてもなぁ。どうせ機密事項とか言われるのは分かってるが」

 どうやらその件について、神田も納得できていないようだ。

「アイ……もう、シナリオは完成したって……」

「シナリオ、ね……。つまりそのシナリオでは、オレ達は関係ない存在ってことか?」

「そうみたいだ。いつも通りの、生活を送ってくれればそれでいいって……」

「いつも通り、ねえ……」

 何か気になることがあるのか、神田は少し考えを巡らせている。。

「なあ、大崎……本当にオレ達は、この事象に無関係なのか? それとも」

 神田は手に持ったドーナツの最後の一口を放り込む。

「……『いつも通り』を、過ごすことで開ける道があるのか」

 その呟きに、思わずバッと顔を上げる。

 いつも通りを過ごす……。

 当たり前に生活を送ることで、開ける未来……。

 アイが言っていたのが、そういうことだったのだろうか。

「つまり、だ。オレ達が四位の言いつけを守らず、無理矢理その事象に関わることによって……アイツの考えているゴールには辿りつけなくなる。ヤツが危惧していることは、おそらくそれだろうな。オレ達がその事象に関わらず、普通に生活を送ることが、このループを解消させる一番の近道なんだろう。その『普通』の定義はよく分からないけどな」

「俺達は……現時点でこのループの原因も結果も知っていちゃいけないってことか?」

「おそらくな。アイツの肩を持つわけじゃないが……四位だって、何の考えもなしにそんなこと言うヤツじゃない。真意は分からないけどな。アイツ、いつも言葉が足りないんだよ。もしかしたら、そういう可能性もあるのかもしれない……と。優しいオレは、深読みしてやりましたとさ」

 わざとおどけた言葉で笑顔を作る神田。

 しかし今の神田の考えが、一番俺が納得できるものだと感じた。

「分かった……ひとまずはアイの言うとおりにするよ」

「悪いな。オレも、今はそれしか言えねえ」

「あ、いや……いいんだ。置かれた立場は、オマエだって一緒だろ。何も前線に立つことだけが『戦う』ってことじゃないもんな」

「オレも、何か情報が入り次第すぐオマエに連絡する」

「ああ、頼む」

 俺は神田に心配かけないよう、力強く頷く。

 購買周辺には、もうほとんど人が残っていなかった。

「ま、とりあえず食っとけ。腹が減っては戦はできないからな」

「……サンキュ」

 俺は神田から渡されたコロッケパン手に、教室に戻った。



 *一二月一八日 月曜日 放課後



 本日の授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。

 いつの間にか教室には西日が差し込み、室内をオレンジ色に染めていた。

 午後の授業はちゃんと受けたのだが、その間、綾人から話しかけられることは一切なかった。

 ボーッとしているのか、何かを考えているのか……。

 こちらのことなどまるで気にした様子もなく、眉間に皺を寄せたり唸ったり、謎の百面相をしている。

 頭良くないんだから、そんなに考え事したってしょうがないだろ……。

「ごめん、いっちゃん! 今日用事があるから先に帰って」

 心の中で文句を垂れていると、本人が目の前にやってきた。

 言うだけ言って、綾人はカバンを肩にかけ、さっさと教室から出ていこうとする。

「ち、ちょっと待てよ」

 思わず綾人の肩を掴んでしまった。

「何? 急いでるんだけど……」

「いやいや……オマエ、放課後に予定ある日なんてないはずじゃ……」

「何それ。ボクだって友達と出かける用事くらいあるよ」

「…………は?」

 ……はい?

「友……達……?」

 綾人の口から出てきたのは、まさかの単語。

 今、友達って、言ったよな……?

「ボク、何か変なコト言った?」

「言ったよ! オマエに友達なんているわけ……」

「失礼しちゃうなあ! ボクだって……友達の一人や二人いるもん!」

 顔を膨らませて反撃してくる綾人。

 その勢いに、思わず閉口してしまった。

 だって……いつも、コイツは……。

 するりと、掴んでいた手が落ちていく。

「じゃあね、いっちゃん」

 何の迷いもなく……綾人は人混みをかき分け、教室からサッと出て行く。

 行き場をなくした手が、空中で止まる。

 それでも俺は、綾人の背中を見ていることしかできなかった。

「……友達、か」

 良かったじゃないか……。

 綾人にも友達がいる……。

 俺以外に、頼れるヤツがいるんだ……。

 それなのに……。

 なんなんだ……このモヤモヤとした感じ……!

 八つ当たりするように雑に椅子に腰掛け、気を紛らわすために窓の外を見る。

 グラウンドを見下ろすと、サッカー部と一緒に走り回る悠希の姿があった。

 そういや、月曜日の放課後は助っ人頼まれてるって言ってたっけ。

 先週のアイツとは思えないくらいに爽やかな笑顔で、チームメイト達と声を掛け合っている。

 こちらが本来の悠希の姿だと思いたいな。

「ん……?」

 悠希を目で追っていると、視界の端に駆け足で裏門へ向かう綾人の姿を見つけた。

「なんでこんな方から……」

 いつも登下校に使うのは正門なので、全く逆の方向から学校を出ようとしている。

「え……」

 裏門に人影が見えた。

 その人物と接触した綾人が、何か話しかけている。

 教室からの距離が遠すぎて、綾人の表情は見えなかった。

 綾人と会話をする人物に至っては、ブロック塀に隠れて頭しか出ていない。

 アッシュグリーンの髪をワックスで固めていることだけはなんとなく分かったのだが、ここからじゃそれ以上は見えなかった。

 しばらく二人は立ち話をしていたが、話し終わったのか、揃って同じ方向へ歩き出す。

 ラッキーなことに、ブロック塀の切れ目から二人が姿を現した。

 その人物は黒いカーゴパンツを履き、シンプルなカーキ色のミリタリージャケットのポケットに両手を突っ込んでいる。

 綾人とあれだけ身長差があるってことは、神田と同じくらいか?

 なんか思ったよりチャラチャラしてるな……。

 口に咥えた白い棒をポイと地面に捨てると、雑にブーツで踏みつけた。

 なるほど、あれが友達ね……。

「って誰だよ!?」

 ツッコミが口から飛び出る。

 教室に残っていた数人がこちらを見た気がしたが、気にしていられない。

 てっきり中学とかの同級生かと思っていたのだが、その予想が見当違いだったことに驚く。

 あんなヤツ初めて見たぞ。

 どう見ても友達という括りじゃないだろ!?

 不良……ヤンキー……反社会的組織……。

 その辺の単語が頭の中で回る。

 いや待て、人を見た目で判断するのは良くないよな……。

 思考を原点に戻す。

 綾人が友達と称する人物……それはどんな関係だ?

 綾人と接点があって、俺が知らない、となると教会関係者になるが……。

 あんなヤツが、教会で祈りを捧げている姿を想像できない。

 結局、見た目の話に戻ってきた。

 俺は目に焼き付けるように、その人物を追い続けていると……。

「!」

 そいつが校舎の方に顔を向けた。

 目が、合った気がした……。

 ぞくりと背中に嫌な汗が現れる。

 慌てて視線を逸らす……が。

 いや、そんなわけない……ここから裏門までどんだけ離れてると思ってるんだ。

 視線を戻すと、二人の姿は再びブロック塀に隠れて見えなくなっていた。

 行った方向は分かるが、その先どこへ向かうのかはさっぱり見当がつかない。

「くそ……」

 今から後を追ったとしても、きっと間に合わないだろう。

 俺は二人のいなくなった場所をただ見ていることしかできなかった。



 *



「イツキ」

 なんとなく綾人を探して、商店街の入り口を彷徨っていると、後ろから呼び止められた。

 振り向けば、紺色の制服姿の転校生がいつもの笑みを携えながら手を振っていた。

「……なんだ、アイか」

 のほほんとした姿に、ため息をつく。

 その姿を見て、アイが苦笑を漏らした。

「随分な物言いだね。もしかして、今朝のこと……まだ怒ってるのかい?」

「別に。もう怒ってない。神田から、なんとなく訊いたし……」

「シュースケから?」

「俺達が『いつも通り』生活することで、このループから脱出できるってことなんだろ?」

「さすがシュースケ。私の真意をちゃんと読み取ってくれたんだね」

 そう言って嬉しそうに笑う。

「どうせ俺は言葉の裏を取れない、単純なヤツだよ……」

「……イツキ?」

「なんだよ」

「やっぱり……怒ってる」

 アイの不安そうな顔に、心臓がドキリと音を立てる。

 しまった……イライラが、つい口から出てしまった……。

「え……っと、あの……。悪い……態度に出てたよな」

 何やってんだ、俺……。

 アイに八つ当たりしたって、しょうがないじゃないか……。

 みんな、自分のできることを一生懸命やっているんだ。

 なのに、俺は勝手にイラついて……。

 そもそもこのイラつきは、アイに向けたものじゃなくて……。

「体調が悪いわけじゃないのなら、安心したよ」

 そう言ってアイは目を細める。

 本当に、安心してくれているようだった。

「ねえ、イツキ。さっき、シュースケと話していたと言ったね。キミは、今朝から今までの間『いつも通り』の生活をしているかい?」

「え……?」

 それは思いもよらない質問だった。

「それって、どういう……」

「いや、ね。いつも通りっていうのは、あえてやろうとするととても難しいものだから。だから、キミにはあまり説明しない方がいいと思った……っていうのもあるんだけど」

 確かに、いつも通りって……あえて意識すると難しいけど……。

「ちょっと、気になったんだ。いつもならキミの横にいる、カレの姿が見えないなと思って」

 指摘され、再びモヤモヤとしたものが心に現れる。

「……綾人なら、先約があるんだと。友達と、先に帰ったよ」

「友達……」

 アイは意味深に呟くが、それ以上何も言わなかった。

「もしかして、アイツと過ごすこともそれに含まれるのか?」

「うーん……それは難しい質問だね。何しろ、キミの『いつも通り』の生活を……私は知らないわけだから」

 そう、だよな……。

「難しいな、意識して生活するのって」

「そうかもしれないね。でも……結構それが大事な事だったりするんだよ」

「え……?」

「それじゃあ、私はこっちだから……」

 いつのまにか、もう家のすぐ近くまで来ていた。

 アイの家は駅前だから、こことは真逆の位置にあることに今気が付いた。

 もしかして、心配でついてきてくれたのだろうか。

 それなのに俺は邪険に扱ったりして……本当、ダメなヤツだな……。

「なあ、アイ……」

 俺は慌ててカバンから携帯を取り出す。

「番号、教えてくれよ。もしかしたら、また何かあるかもしれないだろ?」

「うん。もちろん」

 アイは嬉しそうに頷いた。



 *一二月一八日 月曜日 自室



 家に帰り、部屋でゴロゴロしていると……ぐぅ、と。

 腹の虫が食べるものを催促し始めた。

 昼はコロッケパンしか食べていなかったからな。

 帰りにコンビニでも寄ってこようと思ったのだが、綾人の件が気になりそれどころではなく……。

「……腹減った」

 時刻は一八時。

 いつもなら、綾人が夕飯を持ってきてくれる時間だ。

 もしかしてと思って、浅く期待をして待っていたのだが。

 綾人の家は未だ真っ暗なままで、その沈黙を破る気配はない。

「…………」

 携帯をチラッと見るが、メッセージも何も届いていなかった。

「俺から夕飯用意しろって言うのも……図々しい話だよな……」

 そもそも綾人は夕飯をこの家に運ぶ係なだけで……。

 実際に作っているのはおばさんだし……。

 でも、そのおばさんも今日はいないみたいだ。

 部屋中の明かりがついていない。

 どうして今までとこんなにも起こることが違うんだろう。

「はあ……」

 諦めて、一人キッチンに向かう。

 冷蔵庫を覗いてみるが……ほとんど何も入っていない上に、加工しないと食べれないものばかりだ。

 諦めて、奥にある戸棚にを漁ってみるが、インスタント食品の類は一つも入っていなかった。

 こんな時のためのインスタントじゃないのか……。

 なんで切らしちまったんだよ、俺……。

「仕方ない……」

 コンビニ行くか。

 この寒さの中、外に出るのは正直億劫ではあるが、それは自業自得だからな。

「…………」

 でも、なんでだろう……。

 足が止まる。

 こんな状態なのに何を贅沢な、と……自分で自分を咎める、が。

 原因はなんとなく分かっていた。

 だけど、それを認めるのが……。

 認めてしまうのが、なんだか悔しくて……。

「……ん?」

 ダイニングテーブルの上。

 帰ってきた時に置いておいた携帯電話が目に入った。



 *



「まさかあの流れで呼び出されるとは思わなかったよ」

 自前のエプロンを装着したアイが、壁にかけられたフライパンを手に取りながら苦笑する。

「オマエしか、料理ができそうなヤツ……思い浮かばなかったんだよ……」

 ぐぅ、となる腹を抑えながら、机に突っ伏す。

 もう、顔を上げる気力もない。

 ああ……情けないな……。

 俺、一人じゃ何もできないじゃないか……。

「忙しいのに、悪いな……」

「良いよ。初めて会った時、お昼を奢ってくれただろう? そのお礼さ」

「あー……」

 確かにそんなことがあった気がする。

 マスドで、手に触れてしまった時だな。

「……相当堪えてるみたいだね」

「ああ。腹減った……」

「そっちじゃなくてさ」

「?」

「……なんでもないよ。そこで座って待っていてくれるかい? 簡単なものであれば一時間もあれば……」

「いや、俺もやる」

 俺は最後の力を振り絞り、アイの横に立つ。

「おや」

「さっきいろんなサイト見たんだけどさ、俺でもなんとかなりそうなレシピ、いくつか見つけたんだ。でも、俺初心者だから、基本は料理できるヤツに訊いといた方がいいと思って」

 もしも今回の世界で綾人が飯を持ってきてくれなければ、自分で作る必要あるし。

「それはいいことだね。私で良ければいくらでも教えるよ」

 アイはキッチンに置いたビニール袋から、野菜や肉などを取り出す。

「食材は来る時に買ってきたから。エプロンは、そこにあるのを使えばいいね」

 赤いチェック模様のエプロンを手渡される。

 こんなエプロン、家にあったっけ?

「キミ器用そうだから……コツさえつかめばなんとかなるよ」

「先生、頼みます!」

「大げさだなぁ。でも、やる気があるのはいいことだね」

 アイはクスクスと上品に笑う。

「さて、勝ってきた食材を組み合わせて作れる、簡単な料理は……」



 *



「うん、初めてにしては上出来だよ」

 肉野菜炒め……味噌汁……そして白い艶々のご飯。

 ダイニングテーブルの上に、並べられた品を見て思わず感嘆の声をもらした。

「いや、ほとんどオマエがやってくれたから……」

「ううん、イツキもなかなか上手だったじゃないか」

 ポンポンと、肩を叩かれる。

「ほら、冷める前お上がり」

「あ、ああ……いただきます……」

 まずは湯気が出る野菜たっぷりの味噌汁を一口飲む。

「うまい……!」

 なんだろう……心がほっこりする。

 綾人が持ってくる料理ももちろん美味かったが、アイの料理は、それに上品さがプラスされている気がする。

「それは良かった」

 アイは、満足したように微笑む。

「オマエは食べないのか?」

「私は家に帰ってから食べるよ」

「あ……悪い、めちゃくちゃ夕飯時だったよな……」

「ううん、大丈夫。今日は一人だから」

 そういえば、仕事仲間と一緒に住んでるって言ってたっけ。

「食事はその……同居のヤツと一緒にしてるのか?」

「時間が合う時はね。まあ、お互い個人主義な感じだから、敢えて約束はしていないよ」

 アイは楽しそうに、食事をする俺を見守っているようだった。

「基本的なことは分かっているみたいだから、後は応用。また簡単にできる料理を調べてみて」

「ああ、そうするよ」

「今回はたくさん作っておいたから、お弁当はこの小皿に入れておいたものを詰め替えるといい」

 アイは、テキパキと用意してくれる。

 その姿は、まるで――――――。

「…………」

「イツキ、どうしたの? 顔が赤いよ」

「いや……」

 何考えてんだ俺は……。

 自分の想像を追い払うように、首を振った。

「ありがとう……アイ」

「いや、お役に立てたようで良かったよ」

 アイは立ち上がるとカウンターに置いてあった手袋を取り、自身の白い手に装着した。

「それじゃあ、私は帰るよ」

「本当……今日は助かった……こっちの勝手な都合で呼び出しちまったのに……」

「問題ないよ。むしろ、頼ってくれて嬉しい」

 アイは無造作に置かれた自分のエプロンを畳み、麻素材のバッグの中に入れた。

 本当、いいヤツだなぁ……。

「えっと……送ってくよ」

「大丈夫だよ、女の子じゃないんだから。それに、迎えの車を頼んであるんだ」

 やんわりと断られた。

「そっか……」

「ああ、思い出した。今回は私の仲間達に、ちゃんとユウキを見張っているように言ってある。ついでに、シュースケも何か動いているみたい。だからもう、レンに危険なことは何も起こらないよ」

「そうなのか……」

 それじゃあ、今回は悠希が起こした事件は起きないんだな。

「ああ……長話をしていたら車が来てしまった」

 カーテンを開くと、やたら横幅の広い黒いセダンが、住宅地の狭い道を走ってくるのが見えた。

「それじゃあ、また学校で」

 ひとまず玄関先までアイを連れていく。

 扉を開くと、冬の冷たい風が室内に入り込んできた。

 すでに車は、家のすぐ前に横付けされていた。

 アイは手袋をはめた手を軽く振る。

「今日は……本当、助かった」

「気にしないで。じゃあね」

「ああ……」

 俺も軽く片手を上げる。

 アイはそれに頷くと、車の方へと歩いて行った。

「…………」

 ふと気になって、月島家の窓を見上げてみる。

 未だ真っ暗なままの幼馴染の家。

 カーテンの隙間からも一切明かりが見えなかった。

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