Ⅳ-Ⅶ 神田鷲介



 *一二月二四日 日曜日 神田の家



「ん……」

 まだ重い瞼を擦る。

 開きっぱなしになったカーテンの先は、白銀の世界だった。

 昨日から降り続いた雪は、まるで一晩で街を作り替えたようだった。

 エアコンはついているのだが、少しだけ肌寒い。

 一気に気温も下がったようだ。

「ふああ……」

 そうか、昨日はよく分からない流れで神田の家に泊まったんだっけ……。

 高層階からの景色は、自分の家と全然違って新鮮だった。

 固めの黒革のソファから身体を起こし、身体を伸ばす。

 思ったよりも身体は痛くなかった。

「今、何時だ……?」

 横に置いておいた携帯を見る。

「げ……」

 時計は一一時を指していた。

 昨日は夜更かししたし、色々あって疲れたからな。

 まあ、今日は休みだし多少の寝坊は仕方ない。

 あ、でも委員長がここに来るとか言っていたんだっけ。

「そろそろ神田も起こした方がいいよな……」

 贅沢なセミダブルのベッドで眠る神田を覗きこむ。

 家主は横向きで、静かに寝息を立てていた。

 その横で、真っ黒な子猫も丸まっている。

 まだ起きる気配がなさそうだ。

 ……意外と幼い寝顔だな、

「ん?」

 ベッドの下から、何やら長方形のプラスチックケースがはみ出ていることに気が付いた。

「なんだこれ……」

 何故か気になったので手を伸ばしてみる。

「……ほほう」

 やたらピンクをあしらった、ド派手なパッケージ。

 口に出すのをはばかられる売り文句に、驚きの肌色率。

 まあ、ここまでくれば大体検討がつくのだが。

 さて、気になるタイトルは……。

「『金髪巨乳美女、乱れて……』」

 おっとやめよう、これは神田のプライバシーに関わる。

 それにしてもベッドの下に隠すなんて、なんてベタな……。

「……洋モノ、か」

 ブツをそっと戻しておく。

 いつかネタにするために覚えておこう。

「おーい、神田起きろー。もう一一時だぞ。そろそろ委員長も来るんじゃないのか?」

「ん……」

 毛布を全て剥ぎ取るが、本人は気だるそうに寝返りをうつだけで、なかなか目を覚まさない。

 こりゃ、委員長も苦労してそうだな。

「ん?」

 服の下から少しだけ見える脇腹……。

 ヘソのすぐ左あたりに、直径一〇センチほどの模様があった。

「痣……?」

 そういえば、悠希やあの二人組が、痣がどうとかって言っていたような……。

 いやでも、痣にしてはちゃんとした絵柄になっている。

 まさか入れ墨か……?

 何の形だ、これ……まるで魔法陣みたいな……。

 そういやこの部分って……屋上でアイに突かれていた場所だったような……。

「イリー……ナ……」

 もう少しちゃんと見ようと顔を近づけた瞬間。

「!?」

 右手を掴まれ、ベッドに引きずり込まれる。

 がっちりと回された、頭の後ろの手。

 どんなに抵抗しても解ける気がしない。

 なんつー馬鹿力だ……!

「神田……っ!? てめ……ふざけ……っ」

 必死になってヤツの腕を掴むが……。

 まるで意味がない。

 寝ぼけて誰かと間違えたのか……。

 その状態のまま、抱きしめる力を強くされた。

 こんなに騒いでるのに、まだ起きやしねえ……!

「にゃー」

「猫!」

 この騒ぎのせいで目覚めた猫が、すぐ目の前で全身を伸ばしていた。

 五月蝿いと言わんばかりにコチラを見ている。

「おい、猫! オマエのご主人を起こしてくれ!」

「にゃー」

 俺の意志が通じたのか、神田を手でつつき始める。

 しかしすぐにその行為に飽き、床に降りそのまま丸くなってしまった。

「また寝るのかよ!」

 主人と一瞬だな!

 ……つまりなんだ。

 俺はコイツが起きるまでずっとこのままなのか?

「マジかよ……」

 半ば諦めたまま、すぐ近くにある神田の顔を見上げる。

 そういや……こんなに間近で顔見たこと、なかったよな。

 見る必要もないわけだが……。

「…………」

 まつ毛長いんだな……なんか鼻の形もスッとしてるし……。

 アイも人間離れした整った顔をしているし、委員長だって綺麗な顔立ちをしていると思ったが……。

 コイツも全体的に丁寧な作りの顔貌なんだな。

 いつも眉間にシワが寄ってるから、そんな感じはしないけど。

 ああ、そういや……綾人も言ってたっけ。

 女子からも人気が高いって。

 なるほどなー、確かにこれなら納得だ。

 女子って結構ちゃんと見てるんだな……。

 コイツ、あんま授業出てないのにさ。

 所詮は顔がいい方がいいってことか……知ってたけどさ。

「はあ……」

 なんだか、身体が温かくなったら眠くなってきた……。

 いいや、このままもうひと眠り――――。

「お邪魔するぞ」

「!?」

 そして玄関からの声。

 このタイミングで我らが委員長様の登場である。

 あれ、でもここのマンションってオートロックじゃ……。

 ああ……前に起こしに来てるって言ってたよな。

 なるほど……だから勝手に入って来れるわけか。

 ……余計マズイじゃないか!

「おい、鷲介! 何度電話したと思って……」

 パサリと。

 買い物袋が落ちる音が聞こえた。



 *一二月二四日 日曜日 商店街



「痛え……」

 寒空の下。

 神田は半泣きの状態で、後頭部をさすっていた。

 少しだけ寝癖も残っていたが、そこは気にならないらしい。

「……ああ、なかなかいい音したもんな」

 他人事のように、さきほどの光景を思い出す。

「そういうことじゃねえよ! いきなりカバン投げつけるヤツがいるか!? アイツの投球力、実は結構すごいんだぞ!?」

「弓道部のエースだもんなー」

 あのフォーム、確かに美しかった。

「いきなり人をベッドに引きずり込む方も悪いけどな」

「ぐ……」

 言い返せないのか、神田はぷいと横を向く。

 雪が降る中、俺達は二人で商店街に向かっていた。

 ニコニコした委員長から、今夜の買い出しに行くように仰せつかったのだ。

 その笑顔を見てしまったら、断ることはできない。

 残った委員長は部屋に残って飾り付けをするらしい。

 最後に見た姿は、くしゃみをしながら窓を開ける後ろ姿だった。

「悪かったな……」

「あ……いや、そんなしんみりされても対応に困るんだが……」

 ケガも何もしてないわけだし……心はちょっと傷ついたが。

「……少し、懐かしい夢見ててさ」

 珍しくばつが悪そうな表情をする。

「懐かしい夢?」

「オマエの興味ない分野だと思うぜ? オレの育ての親の夢だから」

「育ての親……?」

「マスターが言ってたろ? イリーナって名前」

 そういや、寝言でもその名前を呟いてたな。

 イリーナってことは、日本人じゃないよな。

「は……っ! まさか金髪……」

「え? なんで知ってんだ?」

「イヤ、ベツニー……」

「?」

 ついカタコトになってしまう。

 例のアレの謎がすぐに解けてしまった。

 金髪美女に育てられたっていうなら、確かにあのDVDが転がってるのも納得だ……。

 ……納得か?

「いや待て。いくら寝ぼけてたとしても、その育ての親をベッドに引きずり込むのは……」

「ち、違う! き、今日はたまたま……!」

 なんだよ、たまたまって。

 神田は見苦しい言い訳を並べながら、顔を真っ赤にさせる。

「昨日、両親の記憶を消したって話しただろ? ほら、オレ……昔からこの魔法のせいで普通に生活できなかったんだよ」

 神田の魔法……。

 人を思うがままに操作できる力、か――――。

 それは子供が……いや、人間が扱うには危険なものだ。

「オレに操られた人間は、その間の記憶が欠落する……だから当然、辻褄が合わないことが起こってくる。両親はすっかり怯えちまって、オレのこと化け物扱いだし……。とてもじゃないが、一緒に生活なんかできなくて……」

「イリーナ……さん? って、全然想像つかないんだが、どんな人なんだ?」

「……六個上のイタリア人。あの時はオレ一二歳だったから、イリーナは一八歳だったかな。人のこと子供だと思ってめちゃくちゃからかってくるんだよな。そんでガサツでさ、生活の面倒見るとか言って、家事一切できねえし……」

「へえ、写真とかないのか?」

「写真は……ないな。オレンジがかった金髪で、青い吊り目で……胸がデカい。なのにバスローブ一枚でその辺フラフラするようなヤツ」

「ああ……」

 そんな人と同居するなんて、色んな意味で大変そうだ。

「両親の記憶を消すっていうのは、本部の提案だった。最初は、オレも迷ったけど……オレという存在が、幸せになるはずだった家族を壊したんだ。だから、それまでの記憶……オレの存在すべてを『なかったこと』にした。で、両親の記憶を消したはいいが、オレもまだガキだったからな……生活能力はないし。そこで、名乗りを上げてくれたのがイリーナだった。まだ本部の序列第九位で発言権も持ってたし……。アイツとの生活は、たった二年間だったけど……まあ、楽しかったな……」

「で、好きだったのか?」

「……オマエ、唐突な上に直球だな」

「いや、気になったもんで」

「さあ。どうだったんだろうな……ガキの頃の感情なんて曖昧だからな。憧れを、恋愛と勘違いしていただけかもしれない。たぶん、イリーナもそのことはなんとなく分かってたんだろうな……」

「それじゃ、何も進展なかったのか?」

「進展どころか……イリーナのヤツ、好きになった男と一緒になるって言って、出て行っちまったよ」

「ええ……」

 そんな終わり方、切なすぎるだろ。

「無責任にも程があるだろ? まあ、そういうオレはオレで、イリーナの残したマンションで、未だに未練がましく一人暮らしをしているわけだが」

 神田は困ったように笑うと、ポケットに手を突っ込む。

「……要は負けちまったんだ、オレ」

「それじゃあ、それ以来イリーナさんとは会っていないのか?」

「ん? アイツならすぐに戻ってきたぞ」

「……へ?」

「さすがに一緒には住んでないけどな。アイツはこの商店街で、のんびり雑貨屋をやってるよ」

 まさかのこの街、しかも商店街。

 めちゃくちゃ近いところにいるじゃないか。

「あんな性格だったからな。どうせ愛想つかされたんだろ。今では何事もなかったかのように、オレに魔法道具を売りつけてくるからな」

「ああ、あの……」

 神田がどこからか仕入れてくる魔法道具って、イリーナさんが作ったものだったのか。

 そういや、イリーナさんのことアイも知っているっぽかったな。

 『カノジョ』とか言ってたし。

「イリーナさんも、オマエ達と同じ組織なんだよな? さっき序列第九位って……」

「……いや、もう違う」

「え?」

「アイツはもう『エデンの園』ガーデンオブエデン所属じゃない。もう、序列も何も付いていない」

「組織を辞めた……ってことか?」

「辞めた……か。そうだな……ま、そんな感じだ」

 神田は悲しそうに笑い、そして遠い空を見上げる。

 なんだか言いたくないことのようだな。

「…………」

 世界には俺の知らないものがまだまだたくさん存在していて……。

 人は、いろいろなものを背負って生きているんだな。

「……ちょっと心配してたんだ。昨日四位が言ってた通り、もしかしたら、オマエも……両親と同じ目でオレを見るんじゃないかって」

「ああ……」

「オレが両親以外で今まで関わってきたのって、魔法の関係者ばっかだったからな。できるだけ、普通の人間とは距離を置くようにしてたし……」

 神田の過去を考えれば、他人とできるだけ関わらないようにしようと思うのは当然のことだ。

 近づけば近づくほど、自分の隠していた面を見せるのが怖くなる……。

「今考えると心配するだけムダだったな。オレの魔法を知っても全然怖がらなかったし。そんなヤツもいるんだなって、驚いた」

「……きっと、委員長だって、オマエのこと怖がったりしないと思うけどな」

「……そう、だな」

 神田は白い息を吐き出す。

 ようやく駅の東口までやってきた。

 商店街は、すぐ目の前だった。

「せっかくここまで来たんだし、ちょっとマスターのとこ顔出すか。昨日の礼も言いたいし」



 *一二月二四日 日曜日 レストラン『シャンバラ』



 扉を開くと、ベルの音が店内に鳴り響いた。

「らっしゃいませー!」

 昨日と同じく、威勢のいい……ラーメン屋のような挨拶が飛んできた。

 昨日の店員の声。

 店内へ一歩踏み入れれば、コーヒーのいい香りが漂ってくる。

 昼時だったので、混んでいるかと思ったが客は店の奥に二人いるだけだった。

「あ、歩くトラブルメーカーじゃん」

 その客達も食事を終えていたため、ヒマを持て余したメッシュ頭の店員が駆け寄ってきて、神田の背中をバシバシ叩いた。

 知り合いが来て嬉しいのか、やけにご機嫌のようだ。

「昨日もやらかしたんだって? だから言ったんだよ、一般人巻き込むなって」

「うっせ。オレは何もしてねーよ」

「犯人はみんなそう言うからなー」

 やれやれと、両手を上げる。

「マスター! ここの店員、口悪いぞー!」

「げ」

 相手をするのが面倒になったのか、神田は店の奥に向かって声を掛ける。

「はいはい、孔洋君。あまり失礼なこと言っちゃダメですよー」

 カウンターの奥から、マスターがひょっこりと顔を出す。

 店員は先にパッと自分の顔を押さえた。

「悪いな、今日は客じゃないんだが」

「構いませんよ。いつでも遊びに来てください」

 小さなタオルで手を拭きながら、マスターがやってきた。

 昨日と同じく、色付きの眼鏡の下で、優しい笑みを携えている。

 マスターは両頬をガードする店員の頭に、ぽんと手を置いた。

「昨日は煉に魔法をかけてくれて助かった」

「とんでもない。私は当たり前のことをしただけですよ」

 表情を変えず、大きく頷く。

 マスターは思っているよりもずっと、腰が低い人物のようだ。

「体調はもう大丈夫ですか?」

「ああ。今日もクリスマスパーティーやるとか言って、元気にオレんちの飾り付けしてるよ」

「それは良かったです。素敵なクリスマスイブにしてくださいね」

「あ、マスター。あと……昨日ピアノ弾いてた店員は?」

「ミカ君ですか? ミカ君のシフトは一七時からですね」

「残念。それじゃ会えないか」

「ミカ君にも、昨日のお礼を伝えに?」

「ああ。アイツの魔法、すげー助かったから……」

「え。アイツ初対面のオマエのこと助けてくれたのか?」

 メッシュ頭の店員が驚いた様子で会話に割り込んでくる。

 どうやらそのことを知らなかったらしい。

「オレの周り、人がいいヤツばっかだな」

 腕組みしながら鼻で笑う。

 何事にも嫌味を混ぜないと気が済まないようだ。

「そういう孔洋君も、とても優しいですよ」

「うぇ!? オレ!? オレは別に優しくなんか……!」

「優しいですよ。困っていたら、すぐにシフト入ってくれるじゃないですか」

「そ、それは……っ」

 まさか自分が褒められると思っていなかったのか、耳まで真っ赤にしている。

「皿、片付けてくるッ!」

 すごい速さで踵を返し、カウンターの奥に引っ込んで行ってしまった。

「何だアイツ……」

 神田は呆れた表情でその動きを見ていた。

「ミカ君には、神田君がいらしたこと、伝えておきますね」

「ああ、頼む」

「そうだ。たまに道の奥で路上ライブやってますので、聞いてあげると喜びますよ」

「へえ……分かった。覚えとく」

 路上ライブ……。

 そういえば綾人と行った路地裏で楽器を持っていた人物がいたことがあったな。

 顔は全然覚えていないのだが、もしかしてその人だったかもしれないんだな……。



 *



「こんなもんか」

 両手を買い物袋で塞がれながらも、頑張って委員長に渡された紙に目を落とす。

 小花模様の描かれた小さな用紙に、一つ一つ丁寧に箇条書きされた買い物メモ。

 しっかり者である委員長の性格がよく表れていた。

 相当、楽しみにしていたんだな。

「で。オマエはどこまでもベタな不良像を貫いてくれるんだな」

 俺は『パティスリーウエノ』と書かれたケーキの箱を抱えながら、歩く神田を見る。

「どういう意味だよ」

 いっとくが、そんなギャップを出してもときめかないぞ。

 神田はブツブツ文句を言いながらも、少し見えている耳が赤い。

 その様子から、一応、自分はそういうキャラじゃないという自覚はあったらしい。

「意外とずっしりだな」

 サイズにして七号。

 神田にケーキを買ってくるように頼んだら、この巨大な塊を買ってきたのだ。

 よく甘い物を食べてるなと思ったが、まさかここまでとは。

 こんな図体で、綾人と同じタイプか。

「というか、よく店にあったな……」

 ここは二周目くらいのループで来たところだと思うが……。

 綾人とクリスマスパーティーをやったときは、小さなケーキしか残ってなかったぞ。

「……昨日、予約しておいた」

「なんて?」

 いつの間に……というか、そこまでするか。

 そもそも、こんなギリギリまで予約って受け付けてくれてるのか。

「オマエ、まだ気付いてねーの?」

 神田は呆れた顔で、ケーキの箱をコンコンとつつく。

「何を……」

 そのケーキの箱がなんだって……。

 神田の長い指の先は、店名部分に触れている。

 この店って、『パティスリーウエノ』……。

「ウエノ……上野……?」

 って……。

「委員長……?」

「あれ、煉の姉ちゃんがやってる店」

「マジ!?」

 だから神田は店員のお姉さんと親しげに話してたのか!

 確かに、今思えばあのお姉さん、目元が委員長と似ていた気がする。

 前に行った時は全然気付かなかった……。

「なんだ、じゃあ顔見知りなんじゃないか」

「それはそうなんだが……。こんな時じゃなきゃ、堂々と行けないだろ、ケーキ屋なんて。顔見知りなら尚更……」

「まあ、気持ちは分かる……」

 こう……あるんだよな、謎の恥ずかしさってヤツが。

「綾人は平気そうだったが……」

「オレはそういうキャラじゃないんだ……」

 ああ、自覚はあったんだな。

「神田って、甘いもの全般好きなのか?」

「え……まあ。嫌いってことはない。好き……かも、しれない……こともない」

「なんだそれ」

 まあ、好きなんだな。

 本当……ベタなヤツだ。

「そろそろ帰ろうぜ。委員長が首を長くして待ってる」

「……ああ」

 蚊の鳴くような声で返事が返ってくる。

「おい、大崎……! 誰にも言うなよ」

「はいはい……分かってますって……」

 神田の顔は必死だが。

 そもそも誰に言いふらすんだ、こんなこと。



 *一二月二四日 日曜日 神田の家



「それじゃあ、男三人の残念なクリスマスを祝しまして……乾杯」

 神田のやる気のない掛け声と共に、委員長主催のクリスマスパーティーが始まった。

 時刻はまだ一七時前だったが、日はすでに傾いている。

 せっかくなのでカーテンを全開にして、雪と夜景を楽しめるようにしてみた。

 アイと行ったディナー会場のようだ。

 あの高層ホテルから見るよりは、些か景色はごちゃごちゃしていたが。

 食事が置かれたガラステーブルの真ん中には、小さなクリスマスツリーが置かれ、チカチカと電球が点灯している。

 他にも、サンタの人形が置かれていたり、メリークリスマスの文字が入ったシールが壁に飾られていたりした。

 委員長の不器用なりの飾り付けが、なんとも可愛らしい。

 ちなみに猫は家主のベッドで寝ていた。

 委員長曰く、今日はあまりアレルギー反応が起きないらしい。

「おい、鷲介! なんなんだ残念なクリスマスパーティーって」

 すぐ委員長から神田に雷が落ちる。

 ソファの隣に座っていた委員長がいきなり立ち上がったため、俺の身体は右に傾き、危うくグラスに入った飲み物を溢すところだった。

「いや、そのままの意味だが……だって、せっかくのクリスマスに男三人だぜ? 華がないだろ」

 神田はグラスに注がれた炭酸ジュースを一気に飲み干した。

「オマエはそうやって、すぐ卑屈に考える……」

 委員長は眉間に皺を寄せたまま、再びソファに腰掛け、神田の空いたグラスにジュースを注ぐ。

「クリスマスを共に過ごす友人がいるということだって、十分素敵なものじゃないか」

 委員長は曇りのない瞳で、委員長は俺達を見た。

 真っ直ぐな性格だとは思っていたが、今日はいつも以上に眩しく見える。

「オマエはそうやって、すぐ照れるようなセリフを……」

「ええと……委員長、シラフだよな?」

 念の為確認してみる。

「大崎には……これがアルコールに見えるのか?」

 委員長は可愛いキャラクターの描かれたラベルをこちらに見せる。

 もちろんただのオレンジジュースだ、果汁二〇パーセントの。

「うらやましいぜ。思ったことを素直に言える性格」

 家主は床に座りながら、ピザを食べ始める。

 さっき届いたばかりのそれは、まだアツアツらしく、チーズが伸びて食べにくそうだ。

「オマエ達はそうやってバカにするが……。伝えようと思った時に伝えないと、明日が必ず来るとは限らないんだぞ」

「そりゃあ……」

 委員長の言葉がこの状況にあまりにも当てはまり過ぎたため、俺は言い淀んでしまう。

「もしかしたら、自分の会話していた相手が自分と別れた一時間後には事故に遭ってしまうかもしれない。だから自分は言いたい言葉はできるだけ口にするようにしているんだ」

 尚も委員長節は止まらない。

 何やら色々溜め込んでいるものがありそうだ。

「近しい存在である者同士こそ、甘えてつい言わずに流してしまうものだ。たまにはちゃんと言葉で伝えないと……いつまでも分かってくれると思っていたら大間違いだぞ。人の心は読めないんだからな」

「あーもう、ケーキ切るぞ! ケーキ!」

 いつも以上に饒舌に語る委員長だったが、その流れをぶった斬るように神田は立ち上がる、

 まるで自分のもののように横に置いてあったケーキの箱を持ち、横にあるキッチンへ向かう。

「待て鷲介! ケーキはデザート――――なんだ、姉の店のケーキじゃないか」

 ケーキの箱を見て、委員長は気付いたようだ。

「この辺で一番美味いケーキ屋だからな」

 神田は手に持ったナイフで、ケーキを器用に切り分けていく。

 買ってきたケーキは、中心から外側までびっしりと苺が敷き詰められ、外周は生クリームで波模様がデコレーションされている。

 切り口から、本体であるレアチーズケーキと、下部分のタルト生地が見えた。

 確かに美味しそうではあるが、俺はきっと胸焼け必至だ。

「こんなもんか」

 神田は平等に見せかけて、自分の取り分はちゃっかりデカく切ったケーキを持ってきた。

 子供か。

「思い出した。春頃、新作のプリンを出すと言っていたぞ」

 柔らかそうなチキンを食べながら、委員長が教えてくれる。

「!」

 その言葉に神田の動きが止まった。

 この一瞬のうちに、どうやって買いに行くか画策しているようだ。

「試作品でも良ければ学校に持ってきてやる」

 委員長もそれが分かったようで、神田の反応を笑った。

 甘い物好きがバレていないと思っているのは、本人だけなんだろうな。

「ん?」

 その時、部屋に電子音が響いた。

 どうやら誰かの電話のようだ。

「すまない、また自分だ」

 委員長が横に置いてあった携帯を確認する。

「ちゃんと知っている番号からだろうな」

 そう言って神田は警戒するが……。

「ああ。後輩からだな」

 委員長は今度はその場で電話を耳にあてた。

「もしもし、真紘まひろか? どうした?」

「マヒロ……? 誰だ?」

 神田が首を傾げる。

 どうやら知らない名前らしい。

「後輩……ってことは、弓道部の後輩じゃないのか」

「男か女か分からない名前だな……」

「確かに」

「待てよ。もし女子だった場合、クリスマスイブに電話をかけてくるなんて、もしかして……」

 フォークを咥えながら、神田は推理を始める。

「委員長、後輩から人気だって言ってたっけ」

 球技大会でもパンを山ほど貢がれてたし。

 人徳ありそうだもんな。

「…………」

 神田は何故か言葉を発しない。

 ただ、一点を見つめて、何か考えているようだ。

「あれー? もしかしてヤキモチかー?」

 綾人のことで散々揶揄されたからな、多少はやり返したっていいだろ。

 しかし、神田から返事が来ない。

 それどころか、何かを真剣に思案している。

 そして、ようやく口を開いたかと思ったら。

「……もし、煉にカノジョができたら……そしたら、オレとの関わりも薄くなって……もう、危険な目に遭わせなくて済むのかもな……」

「重っ!」

 思わず声が出てしまった。

 突然しんみりしたと思ったらなんだそれ。

 重すぎるわ、その感情!

「まだそうだと決まったわけじゃないだろ」

 それどころか電話かけてきた後輩だって性別不明なんだぞ。

 娘に彼氏がいるかもしれないと聞かされた父親か。

「いや、いいんだ……煉が幸せならそれで……」

「オマエの過去、何となく聞いてるから笑えねーよ!」

「盛り上がっているところ悪いが」

 いつの間にか電話を終えた委員長が会話に戻ってきた。

「真紘は男だ」

「なんだ。じゃあこの話は終わり」

 神田は安心したようにケーキをまた一口、口に入れる。

「何の用だったんだ?」

「クリスマスプレゼントに、ギフトチケット送ったから使ってくれと言われた」

「そりゃよくできた後輩だこと」

 さっきまでの死にそうな表情はどこへ行ったのか。

 もう電話の内容に全く興味はないみたいだ。

「人の色恋にばかり口を出しているが、そういう自分達はどうなんだ?」

「え」

 まさか、真面目一本だと思っていた委員長から、その話題を振られるとは。

 といっても俺は特に話すことはないため、ピザのお供についてきたポテトを口に入れ、ダンマリを決め込むことにする。

「鷲介なんて、高校入学時には結構な数の女子に告白されていたじゃないか」

「いやいや、弓道部のエース様には負けますって」

 そうだった……。

 この二人、女子人気高いんだったっけ。

 話題を振れば振っただけ様々な話が出てきそうだ。

「確か弓道部後輩の女子二人がオマエを巡って喧嘩したことあったんだろ?」

「あったな、そんなこと……」

 ニヤニヤする神田に、委員長が珍しく頭を抱える。

「何だそのエピソード……」

 めちゃくちゃ気になるんだが。

「半年くらい前、女子二人に呼び出されて同時に告られたんだよな」

「すげーな……」

 もしもどっちかとくっついたら、めちゃくちゃ気まずいだろそれ。

「まあ、両方断ったが」

 それはそれで勿体ない……。

 そんなイベント、なかなか起きないぞ。

「自分は、高校生活では誰とも付き合う気はないからな」

 断言する委員長を、神田がチラリと見る。

「顔も性格もドンピシャな子がいてもか?」

「だったら余計断る。そんな子の時間を奪うのは可哀想だ」

「真面目か」

「ああ……思い出した。その事件をきっかけに、裏で手を回してくれたのが真紘だ」

「それは初めて聞いたぞ。どういうことだ?」

「自分に『カノジョがいる』ということにしておいてくれたらしい。おかげで告白される回数も圧倒的に減ったので助かった」

「なんて共感できない話だ……」

 俺から心の声が漏れた。

 俺自身は中学三年間で合計三人から告白されたことがあったのだが……それが多分人生で最大のモテ期だったんだろうな。

 あの時はバスケ以上に打ち込めるものはないと思っていたので、付き合うまでには至らなかったのだが。

 今考えるとなんて勿体ないことをしたのだと思う。

 バスケ熱が落ち着いてから出来た好きな子は、実はサッカー部のキャプテンと付き合ってたってオチで、しばらく立ち直れなかったこともあった。

 昔から恋愛とはタイミングが合わないんだよな。

「大崎は田端桃香が好きなんだっけか?」

 神田が出した名前に、俺の心臓が大きな音を立てた。

「い、いや……好きなんてそんな……!? 純粋に応援してるだけというか……!?」

「ほう、意外と面食いなんだな」

 委員長が興味深そうに話に食いついてくる。

 面食い……そう言われればそうなのかもしれない。

 何せ相手はモデルだからな。

 だからこそ、自分でも好きなのか憧れなのか微妙なラインなのだが。

「オレはカノジョとか、面倒だからパス」

 聞いてもいないのに、神田が口を挟む。

 ああ、コイツはそういうヤツだよ……。

「まあ、時間は有限だからな……」

 委員長はすっかり氷が溶けたグラスに口をつける。

 コップについた水滴が委員長の喉を伝って落ちていく。

 それを素手で拭うと、そっとガラステーブルの上にグラスを戻した。

「……今は、オマエ達といる方が楽しい」

 そう言って少し赤くなる委員長の笑顔は、いつもとは違い年相応に見えた。



 *一二月二四日 日曜日 帰り道



「……寒いな」

 委員長は住宅街に延々と降る雪を見上げる。

 パーティーもお開きになり、俺と委員長は帰路についていた。

 昨日よりは人のいない駅を越え、商店街を通り抜ける。

 時刻は二二時をまわっていた。

 住宅街は各家庭のカーテンの隙間から電気が漏れているだけで、ぽつんぽつんとある街灯が唯一の道標だった。

「本格的に降ってきたな。これは積もりそうだ」

 委員長はマフラーに顔を埋める。

 俺は先週のこの時間のことを思い出す。

 今夜は思った以上に大雪になるんだっけ。

「明日も朝練あるのか?」

「いや、明日は休みだ。大会明けだからな。おかげで夜遊びができた」

 そう言った委員長の顔は嬉しそうだった。

「自分の意思で始めた部活だが、やはりこうやってオマエ達と遊ぶのはまた特別に楽しいな」

「部活、毎日忙しそうだもんな。委員長のとこは強いからしょうがないけど。冬休みも部活なのか?」

「さすがに正月三が日は家にいるさ。だからこそ、あまりやることはないがな」

 確かに、正月って普段の休みと違って退屈だよな。

 テレビも正月番組しかやってないし。

 俺も毎年綾人とヒマを持て余している記憶がある。

「そうだ、もし時間が合えばみんなで初詣にでも行くか。良かったら月島にも声をかけてみてくれ」

「あ……」

 せっかくの委員長の誘いだったのに、俺はすぐに返事をすることができなかった。

 こんなに委員長と仲良くなったのに……。

 なのに、今日が終わってしまったらまた……。

 また一二月一八日に戻ってしまう。

 神田と俺は記憶を持ったままだけれど、委員長は……。

「大崎? どうした?」

 不思議そうに顔を覗き込んでくる。

 会話に不自然な間を開けてしまったことを酷く後悔した。

「いや……」

「……何やら悩みごとがあるらしいな」

「え……」

「オマエ達は、分かりやすいからな」

 委員長が、そう言って笑ってくれるのは何度目だろう。

「オマエ達って……」

「オマエと、鷲介。面白いほど、表情に現れる」

 綾人にも言われるし、まさか委員長からもそう思われてるとは。

「……最近オマエ達が、何やらコソコソしているのはお見通しだ。昨日も何かあったんだろう? 自分は覚えていないがな」

「…………」

 委員長は少しだけ悲しそうな目をしていた。

「えっとな、委員長……」

「いい」

「え……?」

「無理に話さないでいい。それはオマエ達の問題なんだろう? それならば、それを自分に話すのはルール違反になる。もしも自分の力が必要になった時に、話してくれればいい。別に、そのことを教えないからといって、オマエ達を非難しようという気はまったくないからな」

 委員長はそう言って、力強く笑う。

「鷲介は、普段はあんなだが……いざとなったら頼りになるヤツだ。中学からアイツと過ごしてきた自分が言うんだから間違いない。だから、悩んだ時は思い切り頼れ。それが、共通しての悩みであればなおさらだ」

「委員長……」

「人には適任というものがある。自分はオマエ達をサポートするくらいしか役割がないが。いつか、笑って話せる日が来れば……自分は、それだけで満足だ」

「……ありがとう、委員長……」

「礼を言われる、ということは……今の愚説は、少しでもオマエの役に立ったということだな」

 安心したように委員長は笑った。

 その微笑みは、降り続く雪と街灯の光に照らされて……すごく、綺麗だった。

「おっと……自分はここで曲がらないと」

 委員長は、小さな十字路の手前で立ち止まった。

「それじゃあな、大崎」

「ああ……道が凍ってるから、気をつけて……」

「それはオマエも同じだ」

「……そうだな」

「また明日」

「ああ……」

 委員長は軽く手を振り、そして夜の道へと歩いていく。

「また明日……か」

 あと少しで四回目のループが終わろうとしている。

 俺は複雑な気持ちのまま、委員長の見えなくなった背中を見つめていた。



 *一二月二四日 日曜日 自宅



「ふう……」

 ようやく、誰もいない真っ暗な家まで辿り着いた。

 すぐ横にあるスイッチを押し、部屋の明かりをつける。

 玄関に腰を下ろす前に、軽く被った雪を払い落とす。

 ヒーターのタイマーを入れていなかったため、家の中は完全に冷えきっていた。

「シャワー……面倒くさいな」

 慣れない雪道を歩いたせいか、足が疲れているのが分かった。

 コートを玄関横のハンガーラックにかけ、まっすぐに自室へに向かう。

 階段を上る足音が家中に響く。

 廊下に出てすぐのドアを開けると、昨日と何一つ変わっていない、自分の部屋が現れた。

 すぐにエアコンをつけ、ベッドに倒れ込む。

 ああ、なんだかこのまま眠ってしまいそうだ。

「……あ」

 そういえば、と思い立ち……。

 身体を少し起こし、カーテンの隙間から綾人の部屋を見てみるが……。

 そこは真っ暗だった。

 寝ているのか、もしくはまだ帰っていないのか……。

「…………」

 深々と降り積もる雪。

 なんだか、いつもよりも夜が静かな気がした。

 時刻は二三時一五分。

 明日まで、あと一時間もない。

 あと少しでまた……世界が巻き戻る。

「でもまあ、今回の世界で、アイが何かを掴んだらしいしな……」

 次の世界でアイからの吉報を待つとしよう。

「……寝るか」

 窓を閉め、ベッドに横になった。

 この眠気には勝てなそうだ。

「…………」

 俺は布団の隙間から、窓を見つめた。

 いつからだっけ。

 綾人との窓越しの会話をするようになったのは。

「……やめやめ」

 なんだか今日は感傷に浸ってしまう面倒な日らしい。

 まあ、ここ二日間……色々あったからな。

 さっさと寝て……そして。

 明日になればきっと、気分も変わるさ。

 そんなことを考えていると……。

 いつのまにか俺の意識は遠くなっていった。

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