Ⅳ-Ⅵ 神田鷲介



 *一二月二三日 土曜日 自室



「おーい、朝だよー」

 ゆさゆさと、身体を揺すられる感覚。

 意識がゆっくりと覚醒していく。

「ん……」

「いっちゃん、起きて。神田くんと出かけるんでしょー?」

 そうだった。

 昨日、神田からメッセージがきて……。

 それで……。

「綾人、今何時だ?」

「えっと、八時ちょっと過ぎたくらいー」

「うーん……」

 それなら、まだ大丈夫か。

 確か待ち合わせは一〇時だったはずだから、三〇分前に家を出れば間に合うはずだ。

「ちゃんと起きたみたいだね。また二度寝しないよーに!」

「おう」

 俺がちゃんと起きたことを確認すると、綾人は一階へと降りていった。

「さて、着替えるか」

 クローゼットから服を引っ張りだし、部屋着を脱ぐ。

 今はあまり雪は降っていなかったが、それでも屋根の上は薄っすらと白くなっている。

 あまり遅くはならないだろうが、ちゃんと厚着をしていこう。

 カーテンの隙間から溢れる光に、思わず目を細めた。



 *一二月二三日 土曜日 駅前



「…………」

 なんだ、この既視感。

 駅前についた途端、見たことのある人だかりに足が止まる。

 そうだ、これは綾人と一緒に神田に猫を渡すため、同じようにこの場所で待ち合わせした時だ。

 時間は多少違うが。

 その時も、こんな風に人だかりができていて……。

 そして、その中心にいる人物は紛れも無く……。

「神田、だよなー……」

 厚手のダックジャケットに、黒いワークパンツを履いた人物。

 前回と同じく、神田は複数人の男に囲まれていた。

 何か込み入った話をしているらしいが……。

 神田は、面倒臭そうに対応している。

 ……すべてが前回と同じだ。

 この次、その男達は神田を取り囲んでいたヤツラは、神田に掴みかかる。

「あ」

 ほら、きた。

 そして神田に殴りかかった瞬間……。

 そいつらの時間が一瞬止まったかのように動かなくなり……。

 そして、何故かくるりと踵を返す。

 フラフラと覚束ない足取りでどこかへ行ってしまうのだ。

 その現象を、今なら理解できる。

「神田」

 一騒動が落ち着いたところで、俺は神田に声をかけた。

「よお」

 俺に気づいた神田は、気さくに手を上げながらこちらへと歩いてくる。

「悪い悪い、ちょっとトラブった」

 神田は何事もなかったかのように振る舞おうとしているが……。

「なあ……今、魔法使ったのか?」

「あ、あら、なんの話かしら?」

「…………」

 演技が下手にもほどがある……。

「……別に、隠さなくったっていいだろ」

 何を今更って感じだ。

「大体、俺がこのシーン見たの、これで二度目だし」

「げ……マジで?」

「確か、二回目のループの時だったかな……綾人と一緒に、オマエに猫を渡すためにここで待ち合わせしたんだ。その時もオマエ、絡まれててさ。そんで、殴られる……! って思った瞬間絡んでいたヤツラが全員どっかにフラフラ歩いて行ったんだ」

「なるほど……その時のオレも、相当ウザく思ってたんだな」

 何故か面白そうに神田は笑う。

「一体何者なんだ、アイツら。なんで毎回、オマエに絡んで……」

「絡まれる……というよりは、強引なスカウトだな。アイツら、駒込のお友達だよ」

「な……っ」

「駒込が入ってる、チームの下っ端」

 そこで、神田は何を思ったのか口を噤む。

 そして。

「……くしゅっ」

 意外と可愛いくしゃみをした……。

「さみい……場所、移動するか」

 俺が頷くと神田は軽やかに歩き出す。

「委員長の試合でも見に行くのか?」

「そうしようと思って煉に声かけたんだが、集中力が乱れるから見に来るなって言われた。前回は勝手に見に行ったんだが……まあ今回はやめておいてやる。特に危険なことも起きなかったからな」

「え、ちょっと待てよ……それじゃあなんで俺は朝から呼び出されたんだ?」

 てっきり委員長の試合を見に行くものとばかり……。

「いや、ヒマ潰しに。オマエだって、予定入ってなかったんだろ?」

「え……まあ……」

 綾人には誘われていたけどな。

「運命共同体同士、仲良くやろうぜ」

 神田はぐっと親指を立てる。

「ちなみに煉とは大会が終わったら落ち合う予定になってるんだ。つーことでしばらく、オレの予定に付き合え」



 *



 俺達は駅前にある、小さなペットショップにやって来ていた。

 様々な用途のペット用品が、ところ狭しと並べられている。

 休日のせいか、狭い店内は意外と混雑していた。

 中には犬のトリミング待ちをしている人もいるようだ。

 神田も、他の客達同様、猫用の商品を片っ端から物色していた。

 俺はここに来たのは初めてだが、ガラス越しにこれでもかと尻尾を降る子犬を見たりして、結構楽しんでいる。

「トイレと、猫の砂と、猫用のベッドと……キャットフードと……あと、皿も欲しいな。爪とぎ器と、ブラシも買っとくか」

 神田は楽しそうに、ポンポンとカゴに入れていく。

 俺がしばらく子犬に夢中になっているうちに、カゴは山盛りになっていた。

「お、この猫じゃらしもいいな。あ、首輪はこの赤いチェックのヤツにするか……使うかは分かんねーけど」

「すげー買うな……」

「アイツ、まだ段ボールの家だからな」

 アイツとは拾った黒猫のことだろう。

「今日は人手もあるし、ちゃんとした住処を作ってやらないとな」

「人手っていうのはもしかしなくても……」

「オマエさんだ」

「ですよね」

「オマエが猫拾ったって、結局オレに押し付けるんだろ。前の世界のオレへの恩返しだと思って手伝ってくれよ」

 笑顔で頼まれる。

 いつもの仏頂面からは考えられないほど、幼い笑顔だった。

 ギャップっていうのか、こういうの……。

 多少理不尽な頼みな気もするが、あながち間違ってないしな……。

「……仕方ねえな」

「よし」

 満足げに歯を見せる。

「安心しろ、お礼に昼飯くらいはおごってやる」

「そりゃどうも」

 自分の単純さにガックリと肩を落としながら……。

 新作の猫じゃらしと遊ぶ神田を見つめていた。



 *一二月二三日 土曜日 神田の家



「や……やっとついた……」

 両手に持った荷物をドサッと床に下ろす。

 持っていた手が軽くしびれるくらいには重い荷物だった。

 これでも一応、まだケガ人なんだが……足だけど。

「持つの手伝ってくれるヤツがいて助かったぜ」

「高く付くからな……」

 靴を脱ぎ、奥の部屋を目指す。

 連れて来られたのは、アイが住んでいる場所とは駅を挟んで反対側にある一〇階建てのマンションだった。

 てっきり二階建てくらいのアパートを予想していたのだが、それは全くの見当違いだったことに驚く。

 警備員室こそ見つからなかったが、オートロックでセキュリティもしっかりしているみたいだ。

 アイに散々文句を言っていたが、ここだってかなりの家賃になりそうだ。

 玄関にはたくさんのスニーカーが、頭上まである靴箱いっぱいに並べられていた。

 靴好きなのが一目で分かるくらい、色分けしてディスプレイされている。

 高級感のあるダークブラウンのフローリングの廊下を通り過ぎると、一枚扉を挟んで同じ床色のリビングが現れた。

 使用感のないキッチンが左側に備え付けられ、テレビ、冷蔵庫などの大型家具、ガラスのローテーブル、二人掛けソファ、セミダブルのベッドなどが置かれていても、まだ部屋の余白に余裕がある。

 奥にはバルコニーもついており、九階だがアイの部屋とはまた違った景色を一望できた。

 神田が言っていた通りワンルームではあったが、そのほとんどが黒色の家具で統一されており、俺が想像していたよりもずっと品のある部屋だった。

「まあ、ソファにでも座っといてくれ」

「ああ」

 言われた通り、黒革のそれに腰を下ろそうとすると、そこには見たことのある毛玉が同化していることに気付いた。

「にゃー」

「あ」

 小さな毛玉……もとい、子猫が起き上がり寄ってきていた。

 何故か前足で何度も突かれる。

「『よくも拾うの忘れてたな』だってさ」

 神田は猫語を翻訳しながら自分のジャケットをベッドに投げ捨てると、そこにドカッと腰を下ろした。

「う……ごめんなさい」

「にゃー」

 まあ、許してやろうと言わんばかりに、猫は優雅に主人のところへ歩いていった。

「相変わらず、愛想がないな猫五郎」

「そんな名前だったのかよ」

「いや、嘘だ」

「だよな、良かった。名前は、煉がつけることになってるんだ」

「委員長が?」

「アイツ、猫好きなんだよ。でも、本人と家族がアレルギーを持ってるから飼えないんだと」

「ああ、そんなこと言ってた気がする」

「オレが飼ってればいつでも見に来れるからな。多少のくしゃみは我慢する方向で」

 買ったものを整理しながら、神田が笑う。

 この様子だと、委員長はこの家に頻繁に来ているらしいな。

「さて、昼飯どうする? なんか出前でもとるか?」

「もったいないだろ。さっきだってあんなに猫グッズ買ってたし」

「そうかもしれないが……うち、食べ物ないぞ」

「え、それが普段どうしてるんだよ」

「全部外食かコンビニ」

 平然と答える。

「ありえねえ……」

 学生のくせに、贅沢すぎる……と、思ったが。

 俺も似たようなもんか。

 いやでも、月島家の夕飯をおすそ分けでもらっているので、コイツよりは栄養バランスは整っているはずだ。

 そんな生活しててよく太らないな……と思って辺りを見渡せば、ベッド横に筋トレ道具一式が置いてあった。

 なるほどこれのおかげか。

「ま、金はあるからな」

 まるでなんの興味もなさそうに、呟く。

「一体いくら仕送りもらってんだよ……」

「何言ってんだ、自分の金に決まってんだろ」

「え……バイトでもしてんのか?」

 それにしちゃ、稼ぎが良すぎるよな……。

「言ったろ? オレはデカい組織所属の魔法使いだからな。毎月決まった金が入ってくるんだよ」

「マジかよ……魔法使いズルい……」

「世の中、才能があるヤツには優しいからな」

 どうせ俺は平々凡々な人間ですよ。

「つーかそもそもオレ、両親いないしな」

「え……」

「いないっていうのは間違いか。いないことにした……っていうか……いや待て、逆か。ええと……」

 神田は猫を撫でながら考えをまとめているようだ。

「両親の記憶、消したんだ」

「は……?」

 なんだって……?

 両親の、記憶を……消した?

「こんな能力持って生まれて来ちまったからな。ま、要らないだろ。オレみたいな化け物なんか」

 淡々と言葉を続ける神田。

 なんの怨恨も、寂しさも、感情も……そこからは感じ取れなかった。

 神田は、ただ起こった事実をそのまま口にしただけだ。

「記憶を……」

「そういう魔法を使えるヤツがいるんだ。そいつに頼んだ」

 そこまで聞いて、俺は言葉に詰まってしまった。

 それ以上訊いていいのか……。

 それとも踏み込んではいけないのか……。

 俺には分からなかった。

「ぷ……っ。オマエ、本当に顔に出るな」

「く……っ」

「オマエだって一人暮らしみたいなもんじゃねえか」

「ま、まあ……そうだけど……。でもオマエよりはちゃんと生活してるぞ。なんといっても、食べてるのは毎食手料理だからな」

 最近は特に。

「げ……オマエ料理できんの?」

 負けた……と悔しがる。

「いや、綾人が家から持ってきてくれるんだよ。あ、言っとくけど、綾人の……母親の手料理だからな。アイツの料理は人間が食うもんじゃねえ」

「いや、そこじゃねえよ! オマエの幼馴染が甲斐甲斐しすぎるって話だろ」

「そうか……?」

 当たり前過ぎて、あまりそういう感覚がないのだが。

「そういうオマエだって、委員長がいるだろ。手料理を持ってきてくれそうなイメージだぞ」

「煉? オマエ、昨日の包帯の巻き方を見ただろ? あれで料理ができると思うのか?」

「ああ……」

 なんとなく想像できた。

「アイツは、座らせとくのが一番なんだよ」

 神田は猫とじゃれあいながら、困ったように笑う。

 黒猫と魔法使い……。

 それは面白いほど、よく知られた組み合わせだった。



 *



「ここ来てみたかったんだよ。付き合ってくれてサンキュー」

 神田は店の暖簾を頭を下げながらくぐり、大通りに抜ける道へ出た。

 店にはまだ行列ができていて、大勢の人が順番待ちをしている。

 俺達が昼食に選んだ店は、マンションすぐ近くにある、新規に開店したばかりのラーメン屋だった。

 駅前にできたそれは、ニンニクが効いたガッツリ豚骨ラーメンで、店に入るまでに三〇分かかった。

 雪の降る中で並ぶ時間はまるで拷問のようだったが、今は熱々のラーメンのおかげで若干汗ばんでいる。

「オマエ、甘い物が好きなだけじゃないんだな」

「はあ? ラーメン嫌いな男いないだろ」

 ……否定はしない。

 火照る身体を冷ますため、マンションまで少し遠回りをして歩くことにする。

「そういや、四位から何か連絡はあったのか?」

「アイから? いや……ないな」

 明日でこのループも終わってしまう。

 早くアイの手に触っておいた方がいいよな……。

「やっぱり、電話してみるか」

 俺は携帯でアイの電話番号を探す。

 コール音が始まるが、そこからアイの声が聞こえることはなかった。

「……出ないな」

 自分の声が耳元で反響する。

 留守電にこそ繋がらないものの、延々と続くコール音が虚しく響いている。

「なあ神田……オマエ、今アイが何やってるか知って……」

「…………」

「え……どうした?」

 なんかジッと見られてるんだが。

「いや……よく考えたら、別にオマエが四位に触れる理由はないよなと思って」

「は?」

 俺は諦めて通話終了ボタンを押す。

「このループはオレ達、魔法使い側の問題だし……わざわざ普通の人間であるオマエを巻き込まなくても――――」

「アイにも似たようなこと言われたけどさ……」

 神田の言葉を遮り、俺はため息混じりに足を止める。

「ここまで関わらせておいて、結末分からず終いなんて気持ち悪いだろ。それこそ最後まで責任持ってオチを教えてくれって言っといたんだ」

「…………」

「一回目も二回目も、アイの手に触ったのは偶然だけどさ。今回は俺の意思で記憶を保持してるんだ。生半可な気持ちじゃないぞ……役に立てるかは分からないけど」

「オマエ、意外と好奇心強いよな」

 神田はフッと優しく笑う。

「そ、そうか……?」

「怖くねえの? オレ、自分の魔法のことだって、まだオマエに教えてねーけど」

「別に、話せないことの一つや二つ……普通の人間もあるだろ。オマエだって、俺のこと何もかも知ってるわけじゃない」

「…………」

「それに俺、オマエが魔法使いじゃなくても、オマエのことちょっと怖かったぞ?」

「は? なんでだよ。オレ、オマエに何もしてねーだろ」

「……オマエ、その身長と目つきのせいで、自分が思ってる以上に威圧感あるからな」

「え……マジ……?」

 どうやらその辺りは無自覚らしい。

 他にも喋り方とか、態度とか色々あるけど。

「俺はこの世界でオマエのこと色々知って……それが解消されたんだ。だから俺は……オマエが魔法使いでもそうじゃなくても……きっとオマエのこと、嫌いじゃないんだと思う」

 寒くなってきたのか、神田はジャケットのファスナーを上まで上げ、両手をポケットに突っ込んだ。

 そして近くの街灯に寄りかかり、顔を空に向ける。

「なあ大崎……この世界、楽しいよな」

「え……?」

「さっきも見たろ? オレ、こんなんだから同業者はたくさん寄って来るんだけどさ……普通の人間で話しかけてくるの、煉とオマエくらい」

 あ、あと田端桃香、と付け足して苦笑する。

「さっきの言葉も、結構嬉しかったんだぜ? オマエは、オレが魔法使いだと知っても……離れていったりしなかったもんな。むしろ自分から関わってきてるし」

 神田が話してくれた両親の話を思い出す。

 コイツはその特別な力のせいで、大切なものを失わなければならなかったんだもんな。

 神田のそのとっつきにくさは、普通の人間を近づかせないために自然に身に付いてしまったものなんじゃないんだろうか。

「あと、オマエさ……なんか話しやすいんだよな。だからつい、色々話しちまうっていうか……。ああ、そういや四位にも喋りすぎとか言って怒られたっけ」

「機密事項ってヤツか?」

「そ。四位お得意の。それは分かってるんだけどな。こうやってオマエに話すことすら、オマエを危険な目に遭わせるかもしれないってこと」

「そんなの……」

 俺は一度言葉を飲み込み、そして神田を真っ直ぐに見た。

「オマエ、すごい魔法使いの一人なんだろ? だったら、その魔法で守ってくれよ」

 神田は一瞬驚いた顔で目を開く。

 しかしすぐにそれを細め、白い息を吐き出した。

「そうだな……りょーかい」

 ニッと歯を見せる。

「ん?」

 その時、よくある電子音が、神田のジャケットのポケットから聞こえた。

 どうやら電話が鳴っているようだ。

「煉からだ」



 *一二月二三日 土曜日 駅前



 駅前のコンビニの前で、委員長は立っていた。

 今日はここから少し離れた楸原高校の弓道場で行われていたのだが、すでに駅前まで移動してきていたらしい。

 もう着替えは終わっていたが、手にはいつも通学に使用しているバッグを持っている。

「お疲れ」

 神田はスッと委員長の近くに寄り、さり気なくの荷物を持ってあげていた。

 コイツのこういうとこ、ズルいよなぁ……。

「これだけか? 道具は?」

「家族が見に来ていたので、持って帰ってもらった。さすがに弓を持って、街中に遊びに行くのは目立つからな」

「確かにそうだな」

「ところで、大崎こそどうしたんだ?」

 委員長は、不思議そうに首を傾げる。

「大崎には、猫の小屋作るの手伝ってもらってたんだよ」

「ああ、あの猫の……貴重な休みに、すまないな」

「いや、まあ……特に予定もなかったし。なかなかいい城ができたんだぜ」

「それは良かった。あとで見せてもらおう」

 委員長は嬉しそうに微笑む。

「煉。そんなことより、大会の結果はどうだったんだ?」

 あ、そうだ。

 そういや、今日試合だったんだよな。

「もちろん個人、団体共に優勝だ」

「すげえ……」

「まあ、今回は小さな大会だからな」

「弓道ってかなり集中力がいるんだろ? 緊張しないのか?」

「するに決まってるさ。だから、普段からしっかり練習するんだ。いざ本番で頭が真っ白になったとしても、ちゃんと身体が覚えているからな」

「なるほどなー」

 普段からしっかりと練習してるから、いざという時も実力が出せるんだな。

 そういや、綾人も今日、劇の練習してるって言ってたっけ……。

 本番は明日だよな……。

 もう、トチらずにセリフを言えるようになったんだろうか。

「さて、約束通り優勝したわけだが」

 委員長は不敵に微笑み、そして神田と向かい合った。

「はいはい、今日は優勝パーティーだな」

 そう言って、委員長の頭に手を乗せた。

「と言っても、開店までまだ時間あるぞ」

 神田が携帯電話で時間を確認する。

「なんだ、どっか行くのか?」

 今後の予定を何も訊いていないため、俺は二人の顔を交互に見る。

「なんだ、鷲介……大崎に何も言ってないのか?」

「ああ。忘れてた」

 神田は今思い出したように、俺の方を見た。

「煉の優勝パーティー。どうせ優勝すると思って、夕飯一緒に食べに行く約束してたんだよ」

「ああ……」

 そういや、いつかの世界でそんなこと言ってた気がするな。

「それって、俺も参加していいのか?」

「もちろんだ」

 委員長は満面の笑みを浮かべた。

「こういうのは、人数が多い方がいいんだ」

「オマエ、本当好きだよな。みんなで集まったりするの」

 神田は呆れたように委員長を見る。

 となると、確かに夕飯まではまだ早いな。

 しかもまだ昼のラーメンが残っているから……少し身体を動かしたい。

「オマエら、どこか行きたいとこあるか?」

 神田が俺達に声を掛ける。

「行きたいところ……」

 委員長は顎に人差し指を当て、そしてすぐに微笑んだ。



 *一二月二三日 土曜日 ゲームセンター



「うわ……っ! ミスった!」

「よし、まかせろ!」

 委員長が行きたいと言った場所は、意外にもゲームセンターだった。

 駅ビルの広めのフロアに入っていて、クレーンゲームやアーケードゲームなど一般的なゲームが一通りそろっている。

 土曜日なだけあり、同世代だけでなく親子連れも目立つ。

 ヒマつぶしににはもってこいの場所だった。

 ちなみに今遊んでいるのは、襲ってくるゾンビを倒していくシューティングゲームだ。

 委員長は、神田やオレにフォローを頼みながら、楽しそうに遊んでいる。

「お、倒した」

 画面には、点滅するゲームクリアの文字。

 得点もランキング入りしてる。

 遊んだのは久しぶりだったけれど、腕は落ちていないようだな。

「上手いものだな」

 感心したように、委員長。

「この手のゲームは、綾人とよく遊んでるからな」

「月島も、こういうところに来るのか?」

「放課後に遊ぶとこなんて、限られてくるから……まあ、たまに来るな」

「なるほど……自分は毎日部活だからな。そういう日々を送るのも楽しそうだ」

 委員長は子供のように目をキラキラさせながら言う。

「いや、委員長はダメだろ」

 即否定すると、委員長は更に笑った。

 せっかく、才能に溢れているんだから……委員長にはそれを貫いて欲しいっていうのが本音だ。

「委員長は、こういうとこあんま来なそうだよな」

「そうだな……前に一度、鷲介に連れられてきたくらいか。また時間ができたら行ってみたいと思ってたんだ」

 委員長は辺りを見回しながら、ゆっくりと歩き出す。

 目に入るもの全てが珍しいみたいだ。

「おーい、迷子になるなよ」

 神田が委員長の背中に声をかけるが、どうやら届いていない。

「ま、いいか……子供じゃないし」

 神田は近くにあった柔らかそうなソファに腰掛けた。

 いつの間に買ったのか、手にはサイダーの入ったペットボトルが握られている。

 フタを開けて一気に飲み干した。

 あちこちに置かれたソファには、休日の家族サービスに疲れ切ったお父さん達が背中を丸めて座っていた。

「オマエもテキトーに遊んでていいぜ。オレはここで待ってるから」

 ヒラヒラと右手を振る。

「いや、俺も少し休む。流石に疲れた」

 他にもレースゲームやバッティングなど、なんだかんだ端から遊んでいる。

 大会終わりのくせに、それでもまだ元気に歩き回れる委員長の体力が化け物過ぎるのだ。

 帰宅部代表の俺はにそのポテンシャルはない。

 神田の隣に腰掛ければ、柔らかい椅子が深く沈み込んだ。



 *



「遅い」

 委員長を待つこと三〇分。

 神田はすでにしびれを切らしていた。

「確かに」

 小さい子じゃないんだから、そんなに心配することはないとは思うが……。

 まだ委員長を攻撃した犯人は見つかってないしな。

 ……少し心配になってきた。

「捜しに行ってみるか」

「だな」

 俺と神田は同時に立ち上がる。

「なぁ、委員長は――――」

 言いながら、神田を見上げる。

 え……?

 見上げる……?

「なんだよ?」

 神田が不思議そうにこちらを見る。

「……オマエ、身長は?」

「えっと……春の健康診断の時……一八〇ちょい超えたくらいだったような……」

「なるほどな……」

「?」

 別に深い意味はないがな!

「あ。あれ委員長じゃないか?」

 俺達からちょうど真向かいのクレーンゲームのところ……。

 真剣な表情で景品を狙う委員長の姿があった。

「どこかに行っちまったと思ったらあんなとこにいたのか……」

 神田は小走りに委員長のもとへ向かう。

「煉」

「鷲介……!」

 委員長は少し驚いた様子で、顔を上げた。

 どうやら、クレーンゲームに集中していて、俺達が近づいてくることに気づいていなかったみたいだ。

 景品は猫のぬいぐるみのついたストラップ。

 ……あれ?

 このキャラどっかで見たことあるような……。

「『猫童話シリーズ』? オマエ、こんなのが欲しいのか?」

「あ……い、いや……」

 委員長にとっては、見られて恥ずかしい現場だったらしい。

 顔を真っ赤にしながら、一歩下がる。

「べ、別に欲しくはなかったんだが……っ! えっと……やってみたらハマってしまったというか……」

「ならそろそろ行かないか? 腹減ってきた」

 神田はポケットから携帯を取り出して時間を確認する。

「え……待ってくれ。両替えしてくる……!」

「やっぱ欲しいんじゃねえかっ!」

 神田のツッコミを背に、委員長は両替機へと走る。

「……ったく」

 文句を言いながら、神田は一〇〇円硬貨を投入する。

 慣れた手つきで機械を操作し、そして。

 ストラップが、ガコンという音と共に取り出し口に落ちてきた。

「すげー、一発じゃん」

「位置が良かったからな」

「……あ。まさか魔法を……」

「こんなくだらないことで使うかよ。つーか、オレの魔法はそういうんじゃねえっての」

 神田はブラブラ揺れる猫のストラップを目線まで上げる。

「つーか、これ何のキャラなんだ?」

「それ流行ってるらしいぞ」

 いつか、綾人がそんなこと言っていたような気がする。

 女子高生に大人気とかなんとか。

「ふうん……こんなのがねえ……」

「と、取れたのか……!?」

 いつの間にか、委員長が戻ってきていた。

「ああ、オマエが大金つぎ込んで、場所を移動させてくれたからな」

「う……」

 恥ずかしそうに俯く。

「ほら」

「く、くれるのか……?」

「なんだ、欲しかったんじゃないのか?」

「欲しかった……! ありがとう、鷲介!」

「あ、ああ……」

 満面の笑みで喜ばれたことに驚いたのか、神田は照れたように目を背ける。

 こういう表情を引き出せるのは、委員長だからなんだろうな。

「よし、目的も果たしたことだし……」

「店に行こう! 自分はすごくお腹が空いたぞ」

 元気よく委員長が先陣を切る。

 目的の物が手に入り、上機嫌のようだ。

 委員長は軽い足取りでゲームセンターから出ていく。

 しかし突然、神田が足を止める。

「どうした?」

「いや……」

 その瞳が、なんだか哀しそうに見えた。

「あのストラップも……ループした次の世界ではなくなってるんだよなって、思っただけだ」

「ああ……」

 そうだよな……。

 世界が繰り返しているってことは……。

 また世界がリセットされてしまうってことで……。

 たかが……。

 たかが一周間……。

 だけど、そこには大切な……忘れたくない思い出がたくさん詰まっている。

 この世界が意味のないものなんて思わないけれど……。

 それでも早く……変わらない未来が欲しい……。

 この頑張りを、無駄にしないためにも……。

「早く元の世界に戻そうぜ、大崎」

「そうだな……」



 *一二月二三日 土曜日 商店街



「ここって……」

 二人の後について辿り着いた先。

 そこは、見覚えのある路地裏だった。

 確か……。

 しっかりと後をつけていたのに、二人を見失った場所……。

「ここって、行き止まりじゃ……」

「ま、そう見えるだろうな」

 神田は得意げに、辺りを見渡す俺を引っ張っていく。

 そして表の道から一〇メートルほど進んだ場所で、立ち止まる。

「一見、何もないように見えるが……ここに、店に行く階段があるんだ」

「本当だ……!」

 神田が指差し場所……路地裏の道沿いに、地下に続く階段があった。

 大人二人がやっと通れるような狭さで、電気等はついていない。

 まさに隠れ家という言葉がぴったりだ。

 委員長達が消えたように見えたのはそのせいだったんだな。

 階段を下りれば家の玄関のような木製の扉があった。

 ライトアップも何もされていないため、そもそも民家なのか店舗なのかも分からない。

 その扉をよく見ると、何か文字が彫られていることに気が付いた。

 目を凝らさないと全く見えないそれを読み上げる。

「レストラン『シャンバラ』……」

「ほら、さっさと行こうぜ。早く行かないと混んできちまうからな」

「ここ、よく来るのか?」

「ま、わりと。ここの店員とは親しいんだ」

 そういや、よく外食に行くって言ってたもんな。

 この店も、行きつけの店の一つなのか。

「一人で来るのか?」

「一人だったり、二人だったり」

 神田は意味深に口元を上げる。

「さっきから質問が多いな。何か気になることでもあんのか?」

「いや……前にオマエ達をここで見かけた時、派手な頭のヤツと一緒にいたから……」

 だから心配になって後をつけたんだよな……。

「派手な頭……? ……ああ」

 心当たりがあるらしく、神田は大きく頷く。

「ほら、行くぞ」

「え……」

 この流れで教えてくれないのかよ。

 神田は慣れた手つきで扉に手をかける。




 *一二月二三日 土曜日 レストラン『シャンバラ』



「らっしゃいませー!」

 ベルのついた扉を開けると、昼に入ったラーメン屋のような威勢のいい声が俺達を迎えた。

 店の雰囲気とかけ離れているのだが、そういうものなのだろうか。

 狭い店内だが奥行きがあり、バーカウンターと、その後ろに四人掛けのテーブルが三つ縦長に並んでいた。

 奥には小さなピアノもある。

 店内にはまだ人が少なく、カウンター席に一人、スーツ姿の男が座っているくらいだ。

 落ち着いた暗めの照明に、上品なアンティーク調の家具……。

 昭和レトロの喫茶店を少し改築したような内装だ。

 普段、綾人と行くようなチェーン店とはまるで違う、大人の雰囲気の漂う店だった。

 ……神田、なかなかやるな。

「お客さん、何名様でしょうかー?」

 店に入るなり、店員らしき派手な髪色の男が声をかけてきた。

 さっきの声の主だろう。

 ただでさえ明るいブラウンの髪に、金色のメッシュがいくつも入っているが、顔立ちは幼い。

 俺より少し低い、委員長と同じくらいの身長のせいか、派手な頭の割には威圧感はない。

 年齢も俺達と同じくらいに見える。

 白いシャツに、黒い腰だけのエプロンが巻かれている。

「あ」

 思わず声が出る。

 あの時、路地裏に向かう神田達と一緒にいたヤツだ。

 ガラの悪い人物……って勝手に呼称していたが、ここの店員だったのか。

「シュウじゃん!」

 その人物は、神田を見るなり更に幼い笑顔になった。

「よお」

「マスター! シュウが来たぜー!」

 他にも客がいるのだが、それを全く気にせず店の奥に声をかける。

「ああ、よくいらっしゃいましたね」

 音もたてずにバーカウンターから顔を出したのは、短いストレートヘアの二〇代後半くらいの男だった。

 細身の長身に、丈が長めの茶色いソムリエエプロンがよく似合っている。

 髪の毛と同じ茶色いカラーレンズの入った眼鏡をかけていて、スッと鼻筋の通った端正な顔立ちをしていた。

「土曜の夜なのに、今日は意外と空いてるんだな」

「そうなんです。でも、こちらとしては助かっているんですよ。今日は店員が少なくて」

 マスターと呼ばれた人物は、肩をすくめる。

 その様子を見て、メッシュ頭の店員がすぐさま口を挟む。

「一人はデートで、一人はドタキャン。こんな日に限ってありえるか!? アイツら仕事舐めすぎだろ!」

 腰に手を当てて、怒りを露わにする。

「本当、困った時の孔洋こうようくんですよ。バイト代弾みますからね」

「よっしゃ!」

「それでは、こちらの席へどうぞ」

 俺達は案内された席へと移動する。

 店の最奥にある、四人がけの席だ。

 背もたれに、上品なくりぬき加工が入った木の椅子へ座る。

 机も椅子もウォールナット色で、無数に入った細かな傷が、使用されている年数を刻んでいるようだった。

「では孔洋くん、お水を用意してください」

「おうっ」

 孔洋と呼ばれた人物は、何故か敬礼をすると店の奥の方へ入っていく。

「会えて嬉しいですよ。最近はイリーナさんもいらっしゃいませんから」

「そっか……」

 少しだけ哀しそうに神田は答える。

 イリーナ……って、人の名前だろうか?

「ほら、水」

 メッシュ頭がすぐ戻ってきて、まるで店員とは思えないがさつな態度でテーブルに水を並べていく。

「そういやシュウ、そっちのヤツは?」

 目を細めながら、俺のことを見下ろしてくる。

「ああ、同じ学校の同級生」

「へえ……」

 怪訝そうに俺の方をジロジロと見る。

「……それじゃあコイツは魔法使いじゃないのか」

「え……」

 さらりと。

 聞き逃してしまいそうなくらい小さな声だった。

 なんで魔法使いのこと知って……。

「孔洋、その話はまた今度にしろ。今日は普通の客として来てるんだから」

 委員長を気にして、神田は声を潜めるが……。

 委員長は全く聞いていないようで、楽しそうにメニュー表に目を落としている。

「シュウさー、あんま無関係なヤツラを巻き込むの、良くないんじゃねーの?」

 なおも店員は、俺と委員長を交互に見る。

「ああ、そうかもな」

 まるで興味なさそうに、シッシッと手を振りながら神田が返す。

 どうやらこの人物のあしらいには慣れているらしい。

「煉、食べたいもの決まったか?」

「そうだな……それじゃあ、本日のオススメコースで」

「容赦ないなオマエ……」

「今日は自分の優勝パーティーだと聞いていたのだが」

「オマエの言う通りだよ。好きなの頼め」

 諦めたように、神田はメニューを閉じた。

「シュウ! 俺は本気で心配して……!」

「コラコラ、孔洋くん。あまりお客様に突っかからないでくださいねー」

 マスターが孔洋の後ろに立ち、そこから両頬を軽く引っ張る。

 よく伸びる、柔らかそうなほっぺだった。

「……ひょーかい、まふたー」

 窘められると今度は素直に従い、店の奥に戻っていく。

 マスターは穏やかに笑うと、孔洋の背中に軽く手を振る。

「相変わらずだな、彼は」

 委員長は苦笑いを浮かべる。

 どうやら委員長にも突っかかってきたことがあるらしい。

 確かに、神田に懐いてる感じがあったもんな。

「すみません、悪い子じゃないんです。ただちょっと……眩しいくらい素直な子なんですよ」

「知ってるよ、気にしてない」

 神田も、まるで弟でも見るような表情だった。

「大崎は何食べたいか決まったか?」

「ええと俺は……」

 慌ててメニューが閉じられたファイルに目を落とす。

 料理はこの店の雰囲気通り、ハンバーグやビーフシチューなどの洋食で揃えられていた。

 どれもめちゃくちゃ美味そうだな……。

「オレはポークソテーのライスセット」

 迷っている間に、神田が先に決めてしまう。

「えっと……それじゃあオムライスで」

「かしこまりました」

 マスターは目を合わせて優しく笑う。

 なんだか不思議な魅力を持っている人だな。

「意外と可愛いもん頼むんだな、オマエ」

「……卵料理が好きなんだよ」

「では、少々お待ちくださいね」

 マスターは注文を書き終えると、カウンターの方へと戻っていった。

 神田は出された水を一口飲むと、苦笑いを浮かべる。

「悪いな、騒がしくして。一緒にいたガラの悪いヤツの、謎は解けたか?」

「ああ。まさか店員だったとは……」

 俺はてっきり、委員長が不良二人に絡まれているとばかり……。

「アイツ、あんな見た目で椿乃つばきの学園通ってるんだぜ?」

 水の入ったグラスの縁を中指でなぞる。

「椿乃……ってあの、臙脂色の制服の?」

 この辺で一番頭がいいとこじゃないか。

 しかも私立で、入学金がバカ高いって話だ。

「てっきり、あの不良高校かと思ったぜ……」

「すごいギャップだろ?」

 神田は面白そうに笑う。

 その時、店の奥の方から、会話を邪魔しない程度のピアノの演奏が聞こえてきた。

 後ろ姿なので顔が見えないが、弾いているのはマスターでも派手な頭の店員でもなく、また別の男性店員のようだった。

 他に店員がいないと言っていた気がするが、助っ人が来てくれたのだろうか。

 曲は……なんだっけ、クリスマスの時によく流れてるヤツだ。

「そういや、明日はクリスマスイブだな」

 神田もその曲を聞いて思い出したようだ。

「よし、それじゃあ明日はクリスマスパーティーをしよう」

 何か思いついた委員長がポンと手を叩いた。

「ええと……今日もパーティなんだが」

「何を言っている、鷲介。今日は優勝パーティー、明日はクリスマスパーティーだろう」

「マジかよ……」

 呆れたように肩を落とす神田とは対照的に、やはり委員長はイベントが好きなようだ。

「といっても、毎日外食は贅沢だからな。明日は鷲介、オマエの家でやろう。飾り付けとかしたら、雰囲気がさらに出るぞ」

「もう好きにしてくれ……」

 こうなったらもう委員長を止められないらしい。

 神田は諦めたように苦笑いした。

「そうだ、大崎。月島も誘ってみてくれ。こういうのは、大勢がいいんだ」

「あ、ああ……。とりあえず声はかけてみるが……」

 委員長の気迫に負け、安々と返事をしてしまうが……。

「アイツ、来るかなぁ……」

 二四日の夜はほとんど帰って来ないんだよな。

「オマエが誘えば来るだろ、嫁なんだから」

「誰が嫁だ!」

 妙なことを真顔で言うな!

「うん、仲がいいのはいいことだな」

 委員長まで納得して笑っている。

「違うってのに……」

 この二人相手に勝ち目がないと悟った俺は、肘をついて不貞腐れた。



 *



「ふう、うまかった」

 サービスのアイスまで食べ終わり、一息つく。

 思ったよりもボリュームもあり、すげえ満足だ。

「そりゃ良かった」

「今、食後のコーヒーお持ちしますねー」

 バーカウンターの奥からマスター声が聞こえる。

 ちょうど夕飯時の店内は、客でいっぱいだった。

 ピアノの演奏をしていた店員も持ち場に戻り、孔洋と共に忙しなく動きまわっている。

「ん?」

 一息ついたところで、小さく電話が揺れる音が聞こえてきた。

「自分のようだ」

 そう言って委員長はカバンの中から携帯電話を取り出す。

 さっき神田がゲーセンで手に入れた、ストラップがゆらゆらと揺れていた。

「電話だ」

「姉ちゃんからか?」

「いや、違うな……ちょっと、行ってくる」

 ここで通話するのは迷惑になると思ったのか、委員長は電話を片手に、小走りで店から出て行く。

 カランと、入口の扉に付いた鐘が小さな音を立てた。

「委員長、姉ちゃんいたんだな」

「上に姉ちゃんが二人いて、下に妹が一人いるんだ」

「女ばっかなんだな……」

 なんて男に厳しい家系なんだ……。

 委員長の性格から、てっきり長男だと思っていたが。

「全員おふくろさん似で美人だぞ」

「へえ……」

「ちなみに煉も母親似だ」

「ほう」

 確かに委員長は切れ長の目は、美人系に分類されるもんな。

 俺の中の委員長情報が上書きされた。

「オマエ、キツめの美人好きだもんな」

 いつの間にか、メッシュ頭が隣に立っていた。

「何しに来た」

 神田がギロっと睨む。

「コーヒー持ってきたんだよ!」

 店員はお盆の上に乗せたコーヒーをソーサーに乗せ、机に並べていく。

 さっきの水の時とはまるで違い、丁寧な所作だった。

「チェンジで」

「そういう店じゃねーから」

「店員、増えてんじゃん」

「ああ……デートだから休むって言ってたヤツだよ。ついさっきカノジョにフラれたんだってさ。明日もホテルのディナー予約してたらしいのに、可哀想になー」

 口でそう言う割に、顔には満面の笑みを浮かべている。

「ピアノ、クリスマスの失恋ソングばっかだったろ? やること無くなったから、この土日はバイトに勤しむみたいだぜ」

 こんなタイミングで恋人と別れるなんて、同情せざるを得ない。

 ん……?

 明日……ホテル……ディナー……。

 前回アイと行った夕食時の件と色々と合致するのだが……。

 ……いやいや、まさかな。

「早く戻らなくていいのか?」

 神田は自分で話を振った割には、もう店員には用はないようだ。

「オマエ、俺の扱い雑すぎない?」

「マスター! 店員がここで油売ってるぞー」

「げ」

「はーい、孔洋くん。戻ってきてくださいねー」

 神田に呼ばれたマスターがやってきて、再び孔洋の後ろから両頬を軽く引っ張る。

 それにしてもよく伸びる頬だ。

「……ひょーかい、まふたー」

 どうやらこの流れはお決まりのようだ。

 マスターは上品な笑顔で会釈し、カウンターへ戻っていく。

 きっとこの笑顔が見たいがために、来る客も少なくないんだろうな。

 静かになったところで、神田が口を開く。

「ここさ、魔法使いが結構来るんだよ。それを知っているのはごく一部だけど。煉だって、普通のレストランだと思ってるしな」

「さっきの店員も普通に話してたもんな……魔法がどうのこうのって」

「孔洋か。アイツ……口軽いからなぁ……」

 神田は呆れてため息をつき、大量に砂糖を溶かし込んだコーヒーを一口飲む。

 コイツも相当、口が軽いと思うが。

「本当、そこら中にいるんだな、魔法使いって……」

 なんか響きが特別って感じなんだが。

 どうやらそうではなかったらしい。

「オリンピックに出られるのはごくわずかだが、関連するスポーツをやってるヤツはたくさんいるだろ。魔法使いっつってもピンからキリまでいる。そもそも、自分が魔法使いだって気づいていないヤツだっているしな。無意識でも、魔法は使える。そんな、曖昧なもんだよ」

「ふうん……」

 気無しに返事をするが……。

「は……っ!」

 そこで気づいてしまった。

「もしかして、俺も魔法使いって可能性も……!?」

「あるかもな」

 意外にもあっさりと肯定された。

「マジで!?」

 ということは、俺も手から炎が出せたり、風を操れたり……!?

「なんでそんな嬉しそうなんだよ……」

「いや、やっぱりなんか特別な感じが……」

「……そんないいもんじゃないけどな」

「これだから才能あるヤツは……。そういう特殊能力みたいなのって、誰しも一度は憧れるだろ」

「普通はもっと若い時だけどな」

「う……」

 どうせまだまだ、子供ですよ俺は。

「ま、気が向いたら調べてやるよ」

「いて」

 長い指で、額を突かれた。

「それにしても遅いな、煉のヤツ……」

「あ……」

 委員長の席は、未だガランと空いたままだ。

「……まさか」

「え……」

 神田は静かに立ち上がり、マスターの方へ向かう。

 そして一言二言話すと、こちらへ戻ってきた。

「行くぞ」

 簡潔にそう言い、店の出口へ向かう。

「あ……ちょっと待てよ」

 俺も急いで神田の後を追った。



 *



 空はすっかり暗くなっていて、路地裏の隙間から見える表の道には、昼には点灯していなかった看板のネオンがいくつも輝いていた。

 この商店街も歓楽街の一部に繋がっているため、夜は客層がガラリと変わるようだ。

「煉……」

 店から出たところで辺りを見回すが、委員長の姿はどこにもない。

「一体、どこ行ったんだ?」

 俺の問いに、神田は分からない、と首を振る。

「ん?」

 ふと、すぐ足元に何かが落ちていることに気づいた。

 辺りに自分の存在を訴えるように、弱々しく光を放つそれは携帯電話だった。

「……なあ、神田」

「んだよ……」

 何か考え事をしていたのか、鬱陶しそうにこちらを睨む。

「これ」

 俺は、それを神田の目の前まで持ち上げた。

「!」

 その携帯電話には、さっきゲームセンターで手に入れたばかりの猫のストラップが揺れていた。

「なあ。もしかして……これってヤバイ展開か……?」

 神田の息を呑む音が聞こえた。

「!」

 その時、辺りに着信音が鳴り響いた。

 俺でも、委員長の携帯からではない。

 となると……。

「オレのだな……」

「誰から……」

「……分からない」

「分からない?」

 神田の携帯の画面には『非通知』の文字。

「いかにも……って感じだが、出るしかねーな」

 神田は通話ボタンを押した。

 俺にも聞こえるよう、スピーカーモードにする。

「もしもし……」

「こんばんは、先輩方」

「!?」

 それは、聞いたことがある声だった。

「駒込……」

「正解です、さすが神田さんですねー」

 その場にそぐわない、茶化すような声。

 俺達は二人で静かに息を呑む。

「なんでこの番号知ってるんだ?」

「それがラッキーなことに、火曜日にたまたま知ってしまったんですよ」

「は? 火曜日……?」

 あ……。

 俺の頭に、一つの記憶が蘇る。

 綾人が、神田の連絡先を書いた紙を飛ばした時か……!

「本題です。お察しの通り、上野先輩はこちらで預かっています」

「!」

「助かりましたよ、大崎先輩。先輩のおかげで、神田さんが僕から目を離してくれたんですから」

「な……っ」

「今週に入ってから、神田さん……ずっと上野先輩といるんですもん。困ってたんですよ」

 悠希はわざとらしく声を曇らす。

「実は、水曜日の夜。上野先輩に攻撃したの……やっぱり僕だったんです」

 さらりと、悠希は犯行を自供した。

「で、でも……あの時オマエは俺の隣に……」

「ええ、いましたよ。偶然、先輩と会えてラッキーでした。本当は、帰り道上野先輩が一人になった時に僕が直接やるつもりだったんですけど……神田さん、上野先輩の帰りを待っていそうでしたので、作戦を変えたんです」

「一体、どうやって……」

「魔法道具です」

「え……」

「あの日の放課後、神田さんは桃香ちゃんに呼ばれましたよね? チャンスだと思って、部室に置いてあった上野先輩のカバンにつけておいたんです。一定の条件が満たされた時に、爆発してガラス片が飛ぶ魔法道具。それを神田さんが魔法を使ったら発動するものに改造してもらったんです。いろんなパターンを想定していくつか買っておいて正解でした。特注なんでとっても高かったんですけど」

 特注のアクセサリー……。

 火曜日に、買いに行くと悠希が言ってたのは魔法道具のことだったのか。

「ちなみに、商店街で起きたちょっとした騒ぎは、僕のお友達に頼みました。何かあれば、神田さんはすぐに魔法を使うと思ってましたから」

「オレが周りの人間の動きを止めても、何も無かったのはそのせいか……」

 神田が小さく舌打ちする。

「おかしいと思ってたんだ。周りの人間の動きを止めた瞬間に、ガラスが飛んできたんだからな。ということは、攻撃をしてきたモノは、人間でも魔法使いでもないことになる」

「はい、そのとおりです。証拠も何も残っていなかったでしょう? おかげで神田さんからの疑いも晴れて、上野先輩にたやすく近づくことができました」

「答えろ! 煉は無事なんだろな!?」

「……相変わらず、上野先輩のこと大事なんですね。……ま、いいです。一番になれないのは、慣れてますから。上野先輩を返してほしかったら、路地裏のもっと奥まで来てください。そこで、お話しましょう? 神田さん」

 その言葉と共に、電話が切られた。

 音のしなくなった委員長の携帯を見つめ、神田がコンクリートの壁を右手で叩きつける。

 くそ……っ。

 俺のせいだ……。

 胡乱なことに目を瞑り、自身の主観で安易に悠希の疑いを晴らしてしまったのは……。

「っ」

 早く、委員長を助けに行かないと……!

 この前、綾人と行った路地裏の奥に向かって走り出す。

「ちょっと待て、どこに行くんだ」

 走り出そうとした途端、右腕を強い力で掴まれた。

「この先に委員長がいるんだろ……っ!? なら、助けに行かなくちゃ……!」

「落ち着け」

「分かってる! でも、そんな悠長にしてる場合じゃ……!」

「いいから」

 神田から発せられたのは、冷静な声だった。

「駒込がどんな罠を張ってるか分からないんだぞ。そんな状態で呼び出しに応じるなんて危険だろ。オマエまでアイツの策に落ちるつもりか?」

「…………」

「アイツは、前回とやり方を変えてきてる。ループのことを知らないのに、だ。無駄に勘がいいヤツだってこと、オマエだってよく知ってるだろ」

「あ……」

 神田の言う通りだ。

 悠希は頭の回転が早い……闇雲に突っ込むのは危険だ。

「悪い……」

「よし」

 神田の大きな手が髪の毛を乱した。

 バカみたいに取り乱していた自分が、恥ずかしい……。

 神田は……慣れていそうだな、こういうの……。

「オマエのせいじゃない」

「え……」

「……顔に、書いてあったからな」

「神田……」

「悪い……俺……」

「人間は、見える一面だけが全てじゃない。駒込もオマエには、真摯な態度で接していたってことだろ? その姿を、オマエは信じていたんだ。それなら、オマエが非難される理由はどこにもない……本来なら、見なくていい駒込の姿だったんだからな」

 微笑みながら言う神田とは対照的に、自分がひどく子供に感じた。

「さて。駒込のことだから、煉とは別の場所にいるはず……。せめて……煉の居場所さえ分かれば……」

 神田が腕組みしながら唸る。

 その時。

 小さな鐘の音と共に、さっきの店の扉が開いた――――。



 *一二月二三日 土曜日 路地裏



 ザクザクと、自分の足音だけが真っ暗な道に響く。

 降り続く雪が、それ以外の音を消しているようだった。

 冷やされた風が体中を突き刺していく。

 路地裏の最奥部の空き地。

 以前と同じく、そこら中にある廃材が、今にも崩れそうな状態で乱雑に積まれている。

 正面のコンクリートの壁に繋がった階段の上で、悠希は……。

 片膝を立て、まるで王者のようにそこに座っていた。

「こんばんは」

 それはいつもの、優しい笑みを携えた悠希だった。

「お一人ですか? 神田さんは?」

 その問いには答えず、俺は話を切り出した。

「委員長……いや、上野はどこだ?」

「んー……神田さんがいないんじゃ、お話しにならないんですけど」

 まるで不機嫌さを隠そうとしない。

 今まで礼儀正しいと思っていた悠希の印象が、見事にひっくり返される。

 コイツ、モデルだけじゃなく俳優としてもやっていけそうだな。

「まあ、どうせ今もどこかでこっちの様子を伺っているんでしょうけど……」

「…………」

「あはは……なんでそこで視線を逸らすんですか。それじゃあ、バレバレですよ」

 悠希に憐れみの目で見下される。

 くそ……だからこういう役は苦手なんだ……。

「時間稼ぎのつもりですか? 何故そこまでするんです? 大体、先輩は無関係じゃないですか」

「てめえ……」

 その言い草に、カチンと来た。

「人の足をこんなにしといて、それはないんじゃないか?」

「足?」

 悠希は気だるそうに瞳だけ動かす。

「木曜日の体育の授業中の話だ」

「嫌ですよお、先輩。僕がどうやって先輩の足をケガさせたっていうんですか」

「耳についてるソレを使ったんだろ? 風の魔法使い」

 その言葉で……。

 悠希はその張り付いた笑顔を、初めて崩した。

「ええ……そこまでバレちゃったんですか」

 悠希は片側の髪を耳にかける。

 右耳についた真紅のピアスが光った。

「これもこの前買った魔法道具の一つです。これを付けていると、魔法の威力が上がるらしいんです。ヒマな日に体育館のギャラリーで色々条件を付けて実験していたんですよ」

 今週だけじゃない。

 コイツは毎回木曜日に、体育館のギャラリーで色々やっていたんだ。

 偶然か故意かは不明だが、そのせいで毎回俺が犠牲になっていたわけだ。

 先週、俺がボールに当たらなかったのは綾人がギャラリーに行ったからだ。

 そして今週は……。

「本当なら体育のギャラリーから魔法をかけるつもりだったんだろ? でも月曜日……俺がギャラリーの話をしたから、念の為場所を移動した。だから今回は体育館のステージの上から魔法をかけた」

「今回、は……? 先輩、すごいですね。まるで僕がやろうと思っていた全てのパターンが見えてるみたいです」

 そりゃあ、こっちは何度もそのパターンを経験しているからな。。

「んー……別に先輩を狙ったわけじゃなかったんですけど。重い物だと、どうもコントロールが上手くいかなくて……変なところに行っちゃうんですよね」

 そう言って悠希は近場にあった小石を手に取る。

 そして、重さを確かめるように手の中で転がした。

「まあ、せいぜいこのくらいかなぁ……」

「!?」

 悠希が軽く投げたそれは、まるで弾丸のような勢いで顔の真横を横切る。

 もし、思い切り投げていたら……一体どれほどの威力になるのか……。

「ボクが操れるのって、本当に少量の風なんです。でもこのピアスのおかげで、その少量の風でも一瞬だけものすごい力を付加できるようになりました。使ってるうちに何となく理解できたんですけど、空気鉄砲みたいな感覚ですかね」

 聞いてもいない説明をペラペラと続ける。

 まるで今まで無かった力に酔いしれているようだ。

「それにしても、五樹先輩も魔法のこと知っていなんて驚きです。神田さんと同じクラスの先輩と仲良くなっておけば、情報を少しは手に入れられるかなって思ってたんですけど。思った以上に協力者だったみたいですね」

 なるほど……ただの可愛い後輩だと思っていたら、まんまと利用されてたってわけか。

「でも、先輩は魔法使えないですよね? それなのに巻き込んじゃうなんて……神田さん、一体何を考えているんですかね」

 悠希はようやくその場から立ち上がった。

 伸びた影がユラリと大きく揺れる。

「悠希、オマエの目的は何なんだ?」

「五樹先輩がどこまでご存知かは分かりませんが……神田さんって、実はすごい魔法使いなんです。だから、僕達に協力して欲しいんですよ」

 普段通りの笑顔のままゆっくりと、一歩一歩近づいてくる。

「なのに、いつも相手をしてもらえないんです。だから……上野煉でも使わないと、対等に話をしてもらえないと思いまして」

「それで、委員長を……」

 やはり目的は、神田を誘うためか……。

「上野煉でしたら、僕のお友達と一緒にいます。人質として丁寧な扱いを受けていますよ。安心してください」

「余計、安心できねえっての……」

 時間稼ぎも、そろそろ限界になってきたな……。

「五樹先輩……どうして一人で来たんですか? 僕相手だったら、なんとか説得できると思いましたか? それとも……ナメられているんですかね? 確かに神田さんと比べれば、力の差は歴然かもしれないですけど……。貴方のような普通の人間が相手になるわけないでしょう?」

「そんなの……」

 さっきのを見せられちゃ、嫌でも分かったさ。

「ほーんと、先輩って考えが顔に出るんですね。……ごめんなさい。僕、先輩のこと好きですよ? でもここは、譲れないんです」

 悠希は、今度は足元に落ちているガラス片を拾う。

 それは割れたビール瓶の一部で、先が鋭く尖っていた。

「おいおい……」

 冗談だろ……!?

 そんなの投げられたら……!

「本気でやらないと、神田さん出てきてくれないっぽいですから」

「!」

 悠希は躊躇い無く……。

 俺に向かってそのガラスを思い切り投げた。

「っ」

 空を切る音。

 その直線は避ける隙を与えない。

 風の力を付加してあるガラス片。

 先ほどの小石の比ではない。

 破壊力がどれほどのものになるのか……!

 くそ、落ち着け……!

 ガラスは真っ直ぐに飛んでくるはず。

 だったら、左右どちらかに……!

「っ……!?」

 軸にした左足がズキンと痛んだ。

 しまった……!

 そういや……こっちの足捻ってたんだ……!

 まだ完全に治りきっていない足が、こんな時に限って悲鳴を上げる。

 力が入らず、体制が崩れる。

 ダメだ……。

 間に合わない……!

 何故か、目前に迫るガラス片がスローモーションに見えた。

 ああ……そういや、事故とかに巻き込まれた時って周りの動きがゆっくりになると聞いたことがある……理由は忘れたが。

 今、まさにその時なのか……。

 俺は諦めて目を瞑る。

 ああ……。

 せめて、ケガだけで済んでくれればな――――。

「悪い、遅くなった」

「!」

 耳元で聞こえた声と共に、何かに強く押されるように抱きかかえられた。

 そのまま勢い余って、コンクリートの床に倒れ込む。

 遠くから、ガラスの割れる音が聞こえた。

 どうやら悠希が投げたものは、壁に当たって砕け散ったらしい。

「危ねー……間一髪だったな」

 上から降りかかる、低い声。

 見上げれば、すぐ近くに神田の顔があった。

 どうやら走ってきた神田が、動けなくなった俺をガラス片から守ってくれたらしい。

 俺に覆い被さっていた体制からすぐに立ち上がる。

「やだなあ、やっぱりいたんじゃないですか……神田さん」

 悠希の嬉しそうな声がする。

「ケガはないか?」

 俺は神田に手を引かれ、立ち上がる。

「……死ぬかと思っただけだ」

「なら大丈夫だな」

「どんな作戦だったのかは知りませんが……やっぱり、五樹先輩が心配になったんですか?」

「逆だ。先に人質を助けたんだよ」

「は……?」

「もう一度言ってやろうか? 煉はもうマスターのとこへ預けてある」

「っ!? 嘘だろ……!?」

 悠希は慌てて電話を取り出し、耳に当てる。

 どうやら連絡が取れないらしい。

「何故、上野煉のいる場所が分かったんです……?」

「クリスマス直前に、カノジョにフラれた可哀想なヤツが助けてくれたんだ」

「な、なんですか……それ……」

 悠希の顔がみるみる間に青ざめていくのが分かった。


 さっき店の扉から出てきたのは、ピアノを弾いていた店員だった。

 茶色いストレートの無造作ヘアに、神田と同じくらいの身長……年代も俺達と同じくらいに見えた。

 あんなに繊細なピアノな音を出していたので、てっきりもっと線の細い人をイメージしていたのだが、割とガッシリとした体格の持ち主だったことに少し驚いた。

 神田と面識は無さそうだったのだが……。

 委員長の居場所を一瞬にして教えてくれたのだ。

 きっと、魔法使いの一人なんだろう。

「委員長は大丈夫だったのか?」

「魔法かけられて気絶してるだけだった。別にケガもしてないようだったし、ちょっと休めば特に問題ないだろ」

「そっか……」

 良かった……委員長が無事で。

「なんで……」

「?」

「だって、貴方が魔法を使ったら……」

「ああ。オレが魔法を使ったら発動する魔法道具……あれで最後か?」

「…………」

「残念ながら、オレは一切魔法を使ってない」

「は……?」

 悠希がぽかんと口を開く。

「え……大丈夫だったのか?」

「ああ、コレでしてきた」

 神田は左手で右肩を抑えながら、腕をぐるぐる回す。

 コイツ、魔法使いのくせに、物理攻撃してきたのか……。

「っていうのは半分冗談で。また別にお助けキャラが来てくれたから、アイツらの魔法無効化してもらった」

 お助けキャラ?

「アイツら魔法にばっか頼ってるから、動きがトロいんだよ。それにオレが絶対に魔法使うと思い込んでたからな。そんなヤツらの動きを読むなんて造作ないことだ」

 ひと通り話を終えると、神田は一歩踏み出し……そして悠希と向かい合った。

「駒込。もう遊びは終わりだ」

 ぴくりと悠希の肩が震える。

「まだですよ」

 悠希は複数の小石をまとめて投げる。

 しかしそれは先ほどのガラスの勢いの比ではない。

 神田と俺はすぐに左右に分かれ、それを避ける。

 初めこそ勢いがあったものの、それはすぐにバラバラと地面に落ちていく。

「オマエの力が最大限に発揮されるのは、一つのものに集中した時だけだろ。もしも複数に力を付与をしたら、威力が下が――――」

 神田が睨みつけた先。

 さっきまで悠希がいた場所……。

 そこにはもう誰もいなかった。

「だから、言ったんですよ」

「あ……」

 すぐ背後。

 人の……気配。

「普通の人間を巻き込んじゃ、いけないって」

「っ!?」

 喉元に当たる、冷やっとした感覚。

 それはどこからか取り出した小さな銀色のナイフだった。

 ゾクリと背中に走る悪寒。

 肩をがっしりと捕まれ、身動きが取れない。

 悠希は、いつの間にかすぐ後ろに立っていた。

「僕の魔法は、物を投げて攻撃の威力を上げるだけではありません。足にも付加できる。魔法の力は弱くても、それを最大限に生かせるように努力すれば……格上の相手とでも、十分に渡り合えるんですよ」

 悠希は俺の首に腕を回し、動けないようしっかりと固定する。

「それは、オマエが大好きな……『ナルちゃん』の入れ知恵か?」

「その呼び名は些か気に障りますが……。その通りです。そして、アナタの力も。すべて、あの人が望んでいるからですよ」

「言っただろ、オレはもう専属契約済みだって」

「痣付きですもんね。だからこそ……神田さんを連れてきたら……きっと、褒めてもらえます。あの人に……」

 そう言って顔を上げた悠希の表情は、まるで何者かに操られているかのように恍惚としたものだった。

「…………」

 学校とはまるで別人の悠希の顔……。

 悠希のことを甘く見ていた自分に嫌気がさす。

 そして、こんなとき足手まといにしかならない無力な自分にも。

「ああ……良かった。こちらにも、お助けキャラさん達が来てくれたみたいです」

「!」

 その意味が分かり、愕然とする。

 次々と聞こえてくる足音。

 路地裏の方から、たくさんの人影が見えた。

 目線を後ろに向けただけでも……一〇……いや、二〇人はいる。

 まさか、これ……。

 全員が魔法使いなのか……。

 さすがの神田だって、こんな人数を相手にするなんて……。

「…………」

 神田は喋らない。

 というよりも、ただ悠希をじっと見ているだけだ。

 瞬きすらせず、まるで傍観者のように。

「神田……」

 まさか、本当にお手上げ状態なのか……?

「あ……」

 いや、待てよ。

 ふと、俺は一つの記憶を思い出した。

 そうだ……こんな感じの場面を、見たことがある。

 神田が複数人に囲まれているこの光景を……!

「意識操ったままの行進は大変だったぜ……」

 悠希の目が見開かれる。

 周りを取り囲んでいる人物達は、そこから一歩も動かない。

 暗がりでよく分からないが、なんだか目も虚ろに見える。

「なんで……。なんで……みんな動かないんだよ……! 早くアイツを攻撃し――――!」

「無駄無駄。対オレ用の魔法道具は全部解除してあんのと……もう全員、オレの言うこと以外聞かないから」

「な、なんで……」

「なんでって……オマエ、オレの魔法が何か分かってて喧嘩売ってきたんだろ?」

 冷たい夜に、神田の静かな声が響いた。

 ドサドサと、音がしたと思ったら、さっきまで立っていたヤツラはまるで糸が切れた人形のようにその場に倒れた。

 悠希は恐怖に怯えた表情のまま、一歩後ろに下がる。

 俺の喉元にあるナイフが細かく震えているのが分かった。

「オレが魔法を使ったら発動する魔法道具、まだオマエが持ってるんだっけ? ……じゃ、少し交代だな」

「合点承知」

 それは、聞いたことのある、のんびりとした声だった。

 この声の主は、倒れたヤツらの後ろから、ひょっこりと顔を出す。

「アイ……!?」

「な……誰……!?」

 初対面の人物の登場に、悠希は眉を顰める。

 しかしアイは特に気にした様子もなく、相変わらずのペースでこちらに歩いてくる。

 そしてその場で立ち止まり、ゆっくりとその白い右手を上げた。

「何を……」

 次の瞬間。

 悠希の手からナイフが弾き飛び、壁に当たってコンクリートに叩きつけられる。

「!?」

 俺は悠希から突き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。

 アイは魔法を使えないはず……ということは。

「ま、まさか……スナイパーライフル……!?」

「イツキったら。そんな危険なものじゃないから安心して」

 ツボに入ったのか、アイは笑いを堪えきれていない。

 しかしすぐに俺に駆け寄り、そっと抱き起こしてくれる。

「くそ……っ!」

 悠希は地面に転がったナイフを拾う。

 そして。

 最後の悪足掻きか。

 それをしゃがみ込んだアイに向かって投げつけた。

 ナイフはアイの顔、すぐ目の前に現れる。

「アイ!」

 しかしアイはナイフを難なく片手で受け止めた。

 人間離れしたアイの動きに思考が追いつかない。。

 掴んでいるのはブレード部分だ。

 そんなところを掴んだら……。

「アイ……っ! 手が……っ!」

「大丈夫だよ、私に魔法は効かない」

「いや、魔法の力なんか無くたってナイフが……!」

「平気。痛覚は遮断してある」

「はあ!? オマエ何言って……」

 パリンと音がして、悠希の右耳についていた赤いピアスが砕け散ったのが見えた。

 砕けた破片が悠希の頬を数か所切りつけ、床に散らばっていく。

 そこからゆっくりと赤い血が流れ落ちる。

「魔法道具の使用回数が限界を超えたらしいな。あぶねーな……あんなパチモン使うから……」

 神田は壁に寄りかかり、すっかり高みの見物を決めているようだ。

「アイ、手を……」

「それは大丈夫」

 アイは傷口を隠すように、手袋をつける。

「おい……!」

 切れたところに布製の手袋なんてつけたら……。

「え……」

 しかし、それに血が滲んでくる様子はない。

 一体、どういうことなんだ……?

「さて」

 俺のことを無視し、すっかり戦意喪失した悠希にアイは近づいていく。

の話だと、キミが買った魔法道具は全部で四つ。水曜日、レンにケガをさせたものが一つ、さっきレンを連れて行った倉庫に一つ、今壊れたピアスで一つ。で、残るは……」

 アイは目を細める。

「見つけた」

 悠希の腕を掴むと、そこには数珠のようなものが付けられていた。

 見たことのある、ブレスレット型の魔法道具だった。

「動かないでね。私がキミに直接触れると、ループを反射してしまうから」

「ループ……?」

 悠希は気怠げな目でアイを見る。

「ああ、こっちの話。……これはモリオンだね。シュースケの魔法を感知して、何かするものではないみたい。多少のお守り程度にはなりそうだけれど」

 アイはケガした方とは逆の手の手袋を取り、ブレスレットに触れた。

「!」

 その瞬間、粉々になるブレスレット。。

 それは雪と混じり合い……風によって運ばれていく。

 悠希は諦めたようにガクッと項垂れた。

「これでオッケーだよ」

 その瞬間、悠希はその場に倒れ込んだ。

 さっきの人物達と同じく、まるで糸が切れた操り人形のように。

「悠希……!?」

「ちょっと気絶してるだけだ。じきに目を覚ます」

 いつの間にか神田がすぐ横まで来ていた。

「キミの魔法、間近で見るのは初めてだけど……凄いね」

 アイは両手をパチパチと叩く。

「まあ……」

 笑顔のアイとは対照的に、神田はなんだか複雑な表情だ。

「これが、神田の魔法なのか?」

「そうだよ。シュースケの前では、どんなに大勢の人が集まろうが意味がない」

 アイは解説を続ける。

「シュースケは、人間の思考を乗っ取ることができるんだ。さっき集まってきた人達、何もできなかっただろう? まるで、操り人形のように扱える。『エデンの園』ガーデンオブエデン序列第一〇位の強力な魔法だよ」

「…………」

 神田は視線を逸らしたまま、何も言わない。

「一度に何百人もの人間を操る力……。生まれる時代が違っていたら、カレは英雄になっていたかもしれないね」

「なんだよ……それ……」

 悠希のとは格が違うと言った、神田の魔法……。

 人間をまるで操り人形のようにする能力……それって……。

「めっちゃくちゃすげー魔法だな!」

「……は?」

 神田から間の抜けた声が漏れた。

「なるほどな。だから今朝も、オマエを取り囲んでたヤツらが勝手に解散してったんだな」

 俺の想像する魔法と違いすぎて、全く思い浮かばなかった。

「あ、ああ……」

「良かったね」

 アイは神田の肩をぽんと叩く。

「イツキ。カレは心配していたんだよ。自分の魔法を知られたら、キミが離れていってしまうんじゃないかって」

「バカ……! オマエ余計なこと言うな……!」

 今度は神田がアイの両肩を掴んでガタガタと揺らす。

 そんな状態でも、アイはニコニコしているが。

「俺が? なんでだ?」

「…………」

 神田は動きを止め、俯いたまま腕を組む。

「……気持ち悪いだろ、思考を乗っ取られるなんて」

 ぽつりと言葉を漏らす。

「そりゃ字面だけ見りゃ怖いけど……」

 どう考えても悪人が持ってそうな力だし。

「でも、オマエが無闇に魔法を使わないこと、知ってるしな。今回だって約束通り、ちゃんと俺のこと守ってくれただろ」

「……っ」

 神田はバッと口元を抑えると、アイの方へ身体を向ける。

「……四位、煉はどうなった?」

「あ、話題変えた」

「うるせえ……」

「ふふ。レンはちゃんと家に送っておいたよ。あと、キミの言うとおり……マスターの魔法で記憶を誤魔化してもらった。幸い、彼らの姿を見る前に気絶させられて、直接の接触はなかったみたいだから。貧血で倒れたってことにしておいてくれたよ」

「そうか……」

 ひと通り情報をもらうと、神田は安堵の表情を見せる。

「例の、記憶を操作する魔法か……?」

 俺の問いに、アイは少し沈黙する。

「うーん……操作というか、マスターの場合は暗示だね。簡単な催眠術みたいなものだよ。普通に使える人いるだろう?」

「マスターの場合は、そこまで強力なものではないけどな。軽い不安を取り除いてやるとか、悩みを解消してやるとか……その程度だ」

「…………」

 その程度ということは、もっとすごい魔法を使えるヤツが存在するってことだよな……。

「んじゃ、オレもあとでフォローのメッセージでもいれといてやるか」

「それがいい」

 神田の言葉に、アイは静かに頷いた。

「キミから連絡をもらえば、レンも安心す――――」

 アイはそこで言葉を止めた。

 アイと神田……二人が同時に顔を上げる。

 なんだ?

 俺もつられて、その方向へと視線を向ける、

「本当はあっちが本命だったのになぁ。来るの遅せーよ」

 神田は舌打ちをする。

「!」

 一番初めに悠希が座っていた場所……そこで二つの影が動いた。

 いつの間にそこにいたのか……。

 二人は、ただ何も言わず……。

 こちらの様子を伺っていた。

 背の高い黒髪長髪の方は、無表情に。

 背が低く、白いキャスケットをかぶっている短髪の方は、忌々しげに。

 夜の静寂に包まれながら、そこに立っていた。

「おい! あんまりコイツに魔法使わせない方がいいぞ。本人への負担がデカすぎる」

 神田がその二人に向かって声をかける。

「はあ? 突然何――――」

 帽子の方が一歩前に踏み出そうとするが、背の高い方がそれを静止した。

「……留意しておく」

 小さな声だったが、何故かはっきりと耳に届く。

「何さ、偉そうに! 痣付きはリスク無しでいいよねーっ!」

 小さい方がまだ何か叫んでいるようだが、神田もアイもは全く意に介さず、その人物達に背を向ける。

「……行こうか」

「そうだな」

「え? いいのかよ……」

「アイツら、駒込を回収しに来たんだ。火曜日の夜にアイツらの溜まり場に行って、駒込のしようとしていることを伝えたんだけどな。半信半疑で全然取り合ってもらえなくてさ」

 元来た道を歩きながら、ため息混じりに神田が吐き出す。

 そういや、交渉してきたとかなんとか言っていた時があったな……。

「本当なら、水曜日に現行犯で連れてってもらおうと思ってたんだが、駒込の余計な機転で水曜は証拠が出なかった。それでもしばらく見張ってろって言っといたんだが……」

「カレらは非協力的だからね」

「ま、これでようやく駒込が余計なことやらかしたって証明できた。たっぷり灸をすえておいてもらう」

「そ、そうなのか……」

 連れて行ってくれるのなら安心だけど……。

 さすがにここで気絶しっぱなしっていうのは、危険だし……。

「さて」

 さっきのレストランの前まで戻ると、神田は足を止めた。

「これにて、この事件もひとまず解決か」

「うん、ご苦労様」

 再びパチパチと両手を叩くアイ。

 相変わらず、不思議ちゃんというか……。

 その姿を見るだけで、こっちが脱力してしまう。

「こらこら、四位さんよ……まだオマエは他にやることがあるだろ」

 神田は俺の方を指差した。

「ああ、そうだったね。イツキ」

 突然名前を呼ばれ、どきりとする。

「すまなかったね、電話に出れなくて。そして、来るのが遅くなってしまった。」

「いや……」

 色々ありすぎて、俺もすっかり頭から抜けていたわけだし。

「キミに触れることを、すっかり忘れていたよ。キミのことを抱きしめた時に――――」

「……っ!」

 俺は慌てて、思い切りアイの口を両手で塞ぐ。

「これで、魔法かかったな」

 神田が笑いながら。俺の肩を叩いた。

「え? これでか?」

「うん。もう大丈夫。私の素肌に直接触れたから。これで次の世界でも記憶を保持できる」

 アイはニッコリと笑った。

「……それじゃあ、私は行くよ。まだ調べなきゃいけないことがあるから」

「相変わらず、コキ使われてんな」

「それが、私の存在する理由だからね。……だけど、もうそろそろこの世界も終わる」

「もしかして、原因が分かったのか?」

「ぼんやりとだけどね。だから、確信を得るためにもうひと頑張りしないと」

 アイは、静かに空を見上げる。

「ねえ、イツキ」

「ん?」

「……この街には、もう一つ教会があるらしいじゃないか。商店街にある、あの教会……あれは、後から建てられたものなのかい?」

「え? ああ、そうだな。昔は街外れの森の中に教会があって……そこが老朽化してて危ないからって、商店街の端に新しく建てられたんだ。まだそれは取り壊されてないみたいだけど……それがどうかしたのか?」

「……なるほど、それで合点がいった」

 さっきまでとは違い、アイの声は真剣さを帯びていた。

 何か恨めしいものを見るように、瞳が冷たい色を宿した気がした。

「それが一体どうし……」

「ううん、なんでもないよ」

 アイはこれ以上訊かれないよう、笑顔で言葉を遮った。

「ということで、シュースケ。――――後は、手筈通りに」

「……ああ」

「さて、私はそろそろ行こうかな」

「アイ……あんまり、ムリはしないようにな」

「うん、ありがとう。それじゃあ……次の世界で、また会おう。次のループでは転校してくるから」

 アイは振り返らず、まだ光の消えない街の中へ向かって行った。

「そんじゃ……俺達も、そろそろ帰るとするか」

 時刻は二〇時。

 思ったよりも遅くなってしまった。

 綾人も心配してるだろうしな……。

「なあ、大崎」

 アイが向かった方向から視線を逸らさないまま、神田は静かな声で俺の名前を呼ぶ。

「ええと……今日、泊まっていかないか?」

「……は?」

「いや……ええと、泊まっていかなくてもいいんだが……このまま、オールでカラオケ……とか?」

「何言ってんだオマエ」

 なんだかハッキリしない様子だ。

 そもそも、ここからなら、神田の家に行くより自分の家に帰った方が近いのだが。

「ダメだ、四位……オレには大役過ぎる……!」

 何故か神田は頭を抱えている。

 そういやさっき、アイが神田に何か言ってたっけ。

 よく分からないが、アイからの指示なのだろうか。

「別に、付き合ってやってもいいけど……」

「え、マジ?」

「オマエんち泊まりゃいいんだろ?」

 別に今日、絶対帰らないといけないわけじゃないしな。

 しかし問題は、あの面倒な幼馴染にどう伝えるかだが……。



 *一二月二三日 土曜日 神田の家



「と、いうわけで、今日は神田の家に泊まることになった」

 神田の部屋のソファの上。

 タオルで髪の毛を拭きながら、スピーカーモードにした携帯から綾人に報告する。

 ずっと外にいたため、完全に身体は冷え切っていたが、湯船に浸かったおかげですっかり温まった。

 マンションなのに、俺の家と同じくらいの……いや、もしかしたらそれ以上の広い風呂場だった。

 あ、ちなみに下着一式はちゃんとコンビニで買ってから家に来た。

 寝間着は仕方ないとして、さすがに下着は借りたくない。

 そもそもアイツとはサイズが違いすぎる。

 借りたグレーのスウェットだってだいぶデカいため、袖を捲っているからな。

 ……俺も筋トレしようかな。

「ふうん、そうなんだ」

「?」

 散々理由を訊かれるのは覚悟の上だったんだが……。

 綾人から帰ってきた返事は、あっさりとしたものだった。

「何?」

「えっと……めちゃくちゃ文句を言われると思ってたから、意外というか……」

「文句? どうして?」

「え……いや……」

 改めて訊かれると、理由はハッキリとは言えないのだが。

「じゃあ、さ……例えば、ここでボクが理由を訊いたら、いっちゃんは全部教えてくれるの?」

「それは……」

 淡々と話す綾人に、思わず言葉が詰まる。

 綾人の言う通り、綾人からの質問に全部答えることはできない。

 まだまだ秘密にしないといけないことがたくさんあるのだから。

「いっちゃんが困るようなことは、言わないよ。困らせて、嘘つかれるのもヤダし」

「オマエな……」

 らしくなさ過ぎて、思わずドキッとしちまったじゃねーか……。

「ま、いっちゃん、嘘ついてもすぐに分かるんだけどね」

 電話越しに笑ったのが分かった。

「いつもそればっかだな。まさかオマエは俺の心の中が分かるっていうのか?」

「分かるよ」

「な……」

 間髪入れず、答えが返ってきた。

 いやいや、そんな……。

 その堂々たる口調に思わず口をつぐんでしまったが……落ち着け、俺。

 どう考えても、心が読める人間なんかいるわけ……。

「どしたの、急に黙って。いつも言ってるけどさ、いっちゃん……心で思ってること、すぐ顔に出るじゃん」

「あ……」

 ああ、そういうことか……。

 会話の流れで、ドキッとしちまったぜ。

「ま、自覚してたら顔に出ないか」

「…………」

 してても、出ちまうんだよ。

「でも……そんなところがいっちゃんのいいとこだと思う」

「!」

 な、なんだよ急に……。

「それじゃあ、いっちゃん……神田くんに迷惑かけないようにね」

 話を切り上げようとする綾人に、訊いておかなければならないことがあったことを思い出す。

「あ、綾人……」

「ん?」

「明日の夜、神田の家でクリスマスパーティーやろうって話になってるんだけど……」

「……ごめんね、いっちゃん。明日は……」

「そう、か……」

 そうだよな……。

 いつも、二四日の夜は深夜まで帰ってこないんだ。

 一回だけ例外はあったけれど。

「それじゃあ、ボクはそろそろ寝るよ」

「ああ……」

「いっちゃん……」

「何だ?」

「……ううん、なんでもないよ。それじゃ、おやすみ」

 電話が切れる。

 なんだか今日の綾人は綾人らしくないというか……変な感じだったな。

「うーん……」

「嫁の許可は取れたのか?」

「!」

 頭を吹きながら、神田がバスルームから出てきた。

 俺が着ている物と色が違うだけの上下黒色のスウェット姿だが、サイズはピッタリのようだった。

「嫁じゃねえよ」

 いちいち訂正するの面倒になってきたな……。

「明日、どうだって?」

「やっぱり予定が入ってるってさ」

「そっか……残念だな」

「まあアイツ、そもそも人見知りだから……あんまこういう集まりには参加しないというか……」

「人見知り……か」

 神田はぽつりと呟く。

「ああ、昔っからよく知らない人間がいるとこは嫌いなんだよ」

 こんなにも仲良くなったクラスメイトに対して、よく知らないというのもおかしな話だが。

「……人見知りというより、オマエ以外の人間に興味がないように見えるけどな」

「え……」

 神田がポツリと呟く。

「ああ、そういや煉からメッセージ来たぜ」

 神田は携帯の画面を見せてきた。

 メッセージの最後に、さっきゲーセンで取ったキャラクターのスタンプが押してある。

 元からこのキャラが好きだったんだな。

「迷惑かけてすまなかったって。特に不審に思ってることも無さそうだ」

「委員長、もう平気なのか?」

「ああ、明日のクリスマスパーティー楽しみしてるってよ。準備でき次第、ここに来るってさ」

「そっか」

 それなら良かった。

「今日は、長い一日だったな」

 大きく伸びながら、神田はベッドに倒れこんだ。

 俺もそれに倣い、置いてあるクッションを枕代わりに横になる。

 さっき渡された軽めの毛布で身体を包み込んだ。

「ソファ、狭くね? こっち、使ってもいいんだぞ」

「他人の……しかも男のベッドで寝るのはちょっと……」

「失礼なヤツだ」

 神田は腕を頭の上で組んで寝転がりながら、歯を見せて笑う。

「でもまさか、悠希が委員長襲撃の犯人だったとは。そのうえ、魔法使いだし……。世間って狭いというか……不思議な感じだ。魔法使いって、本当にどこにでもいるんだな」

 てっきり神田やアイだけが特別なのかと思っていたが。

「さっきの店員もそうだったんだろ?」

 委員長を探す手伝いをしてくれた店員のことを思い出す。

「テレパシーみたいなもんって言ってたな。詳しいことは言わなかったが」

 なるほど。

 神田とあまり会話をせずとも通じていた理由がなんとなく分かった。

「ま、孔洋やマスターの知り合いだから、悪いヤツじゃないだろ。後でちゃんと礼を言っておかないとな」

「そうだな」

「これで駒込のパターンは掴めたから、次の世界に行っても駒込に先手が打てる。もう、煉はケガをしなくてすむな」

 次の世界でも、また同じ事件を起こす可能性があるんだもんな……。

 しかし神田は安心したように目を細めた。

「次の世界か……」

 いつまでこのループは続くんだろうな……。

 アイはもう少しだと言っていたが……。

 一体誰が、何のために願った世界なのか……。

 そんなことを考えていると、だんだんと瞼が重くなってきた。

「お疲れ、大崎」

 遠くなる意識の中、神田の声が聞こえた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る