Ⅳ-Ⅴ 神田鷲介



 *一二月二二日 金曜日 自室



「いっちゃん! 起きてー!」

「ああ……」

 綾人の声に反応し、俺はのそっと起き上がる。

 なんだかいつも以上に瞼が重い。

 昨日、なかなか寝付けなかったせいだろうか。

「よし、ちゃんと起きたね!」

 綾人は満足したように、リビングへ駆け降り……ようとして戻ってくる。

「……どうした?」

「今日、おばさん寝坊しちゃったから、お昼は購買で買ってねって」

「珍しいな」

 今までそんなことなかったのに……。

「体調が悪いとかじゃないんだよな?」

「うん。大丈夫……まあ、そんなこともあるよ。人間だもの」

 綾人は今度はちゃんとリビングへと降りていった。

 ふと、開けられたカーテンから、降り続く雪が見えた。

 俺はもう一度ベッドに倒れ込む。

 アイのヤツ……あんな深夜にウロウロして、風邪などひいていないだろうか。

 あの後、神田のところへ行くとか行っていたけど……。

「あ」

 俺は携帯の通話履歴を見る。

 そこにはちゃんと登録がされていない番号からの着信が残っていた。

 アイの連絡先を手に入れられて良かった。

 忘れないうちにアドレス帳に登録しておこう。

 これで、今週であればいつでもアイと連絡とれる……な……。



 *一二月二二日 金曜日 登校




「信じらんないっ!」

 早歩きをする綾人から、非難の声が上がる。

「あの後寝るとかある? 携帯電話持ったまま硬直してるからビックリしたよ!」

「し、仕方ないだろ……昨日はよく眠れなかったんだから」

 アイの連絡先を登録したことに満足したのか、あの後、何故か俺は再び夢の中へ旅立ってしまっていたのだ。

 そして二〇分後に綾人に再び叩き起こされることになる。

「眠れなかった? どうして?」

「それは……」

 昨日は綾人と話した後にアイから電話がかかってきて……。

 家の下でしばらく話して……。

 そして――――。

「……なんでもない」

 完全に寝不足の原因だろ、これ……。

 俺はまだ少し痛む足を頑張って動かし、綾人よりも前に出る。

「うわ、ケガしてるのに早い……!」

 綾人が必死になって追いかけてくる。

「ふふん」

 ケガしてたって、オマエ程度には負けないのだ。

「もー! 治るの遅くなるよ!」

 後ろから負け惜しみが聞こえてくる。

 学校まで競争だなんて、小学生か。

 雪が降る中、犬の散歩をしている近所のマダムが上品に笑っているのが見えた。

「五樹せんぱーい!」

 と、前から俺に向かって手を振る後輩が見えた。

「悠希……」

「おはようございます、五樹先輩、綾人先輩」

 相変わらず爽やかな笑顔と共に、風で髪を揺らしている。

 容疑は晴れたわけだし、もう怖がることはない……よな?

「…………」

 しかし綾人は無言で俺の一歩後ろに下がった。

 相変わらず、悠希はダメみたいだ。

「球技大会頑張りましょうね!」

 とびきりの笑顔とともに……ふわりと、いつもの風が吹く。

 金髪の隙間から赤いピアスが見えた。

 そしてフルーツのような、爽やかな香水の匂い。

「朝からやる気満々だな」

「もちろん。せっかく出場するのなら勝ちたいですし。ちなみに先輩は何の競技に出るんですか?」

「あー……俺、昨日足ケガしちまってさ……」

 俺は左足を少し上げる。

 普通に歩く分にはほとんど痛みはないのだが、さっきみたいに小走りになると思い出したかのように痛みが発生する。

「え? それじゃあ今日は参加しないんですか?」

「ああ……さすがにな」

「そうですか……それは残念です」

「まあ、たぶん代打で神田辺りが出てくれると思うが……いてっ」

 突然、尻に走る衝撃。

「!?」

 なんだ!?

 なんで俺は今、綾人に蹴られたんだ!?

「え……神田さん、出るんですか?」

「お、おお……たぶんバスケに……」

「そうですか」

 某ハンバーガーショップの店員だったとしても、思わずお金を払ってしまいたくなる笑顔を返された。

「ところで、オマエは何の競技に出るんだ?」

 一応、訊いてみる。

 まあ、サッカーだってことは知っているけどな。

「偶然ですね……僕もバスケですよ。足の速さには自身がありますから」

「え……」

 ちょっと待て。

 いつも、競技はサッカーを選んでいたはずじゃ……。

 サッカー部の助っ人とかやってるし……。

「あ」

 突然、悠希はポケットに手を突っ込んで携帯を取り出した。

 画面を見て二、三回ボタンを押す。

 どうやらメッセージが届いたらしい。

「すみません、先輩。クラスの人達が呼んでるんで、そろそろ戻ります。それじゃあ先輩、お互い頑張りましょう」

「おお……」

 右手を上げ、悠希と別れる。

 俺達も少し急いだ方がいいな。

「悠希くん……カバン持ってなかったね」

「え?」

 ぽつりと、独り言のように呟く。

 そうだったか?

 よく見てなかったな……。

 あ、でも確かに携帯はポケットから出して……。

 そういや、クラスのヤツらが呼んでるから戻るって、言ってたな。

 戻りますってことは、わざわざ俺達を見つけてこっちに来たってことか?

 それは……何のためだ……?



 *一二月二二日 金曜日 教室



「間違いなく偵察だな」

 神田はジャージ姿で机に座り、ストローで紙パックジュースを飲みながら言い放つ。

 しかしパッケージには、可愛らしいいちごの絵。

 どんなに格好つけても、イマイチ決まっていない。

 コイツが珍しく教室にいるのは、球技大会だからだろう。

 ここにいるってことは、ちゃんと大会に出てくれるんだな。

 何事も無く、無事だったらなんて言ってたけど……。

 ちゃんと来てくれる辺り……やっぱりいいヤツだよな、コイツ。

 ちなみに綾人は何故か着替えに手間取っているので、ヤツをおいて神田の方に話しかけてみた。

「偵察……って、なんのために」

「んなの知るかよ」

 飲み終わったのか、パックをぐしゃりと潰し、三メートル程先にある教卓の隣にあるゴミ箱に放り投げた。

 それは見事にゴミ箱へスコンと入る。

「まだ疑ってるんだな」

「別にアイツだけを疑っているわけじゃない。近くにいたヤツ全員が容疑者だ」

 まるで探偵みたいなことを言う。

「そもそもアイツ、行動全てが怪し過ぎるんだよ。オマエが覚えている限り、今までアイツが出ていた試合はすべてサッカーだったんだろ?」

「……たぶん」

「だったら、なんで今回変えるんだよ。もしかしたら今回のバスケ……試合中に仕掛けてくるかもしれないぞ」

「それは……なんとも言えないけど。でもオマエ、悠希の魔法なんか大したことないって言ってたじゃねえか」

「……それは、そうなんだが。昨日、四位から妙な噂を聞いたんでな」

 やっぱりあの後、アイは神田のところへ行ったのか。

「噂?」

「聞いてないか? 魔法道具の話」

「ああ……」

 なんか危険な魔法道具が高値で取り引きされてるとかなんとか……。

「それを悠希が持ってるってことか?」

「それも可能性の話だ」

 やはり煮え切らない結論だ。

「四位も、あくまで噂だって言ってたろ?」

「まあ……急いでそうだった。まだ、調べたいことあるって言ってたし……」

 アイの電話番号は登録しておいたから、何があってももう心配いらないのだが。

「アイツもアイツで、逐一情報の報告義務があって大変だからな。悪く思わないでくれって……オレが言うのも言うのもおかしな話だが」

 神田は困ったように腕を組む。

 俺とアイの間に立ってちゃんと話してくれるあたり、コイツの人の良さが見て取れた。

「ま、とりあえずの安心要素は、四位の手に触っといたから、ループで記憶が消えるって不安はなくなったことくらいか」

「ああ……ん?」

 手?

「……あ」

「大崎……オマエ、まさか……」

 神田の顔が、みるみる険しいものに変わっていく。

「え、ええと……」

 アイに抱きしめられたことを思い出す。

 あれは……魔法がかかったのだろうか……。

「たぶん、大丈夫だと……」

「本当か? ちゃんと素肌に触ったか?」

「いや……素肌には……」

 たぶん接触はしてない、な……。

 耳元で聞こえたアイの声を思い出して、また変な汗が出てくる。

「だったら何に触ったって言うんだよ」

「そ、それは……」

 まさか言えるわけがない。

「い、いや……でも、また来るって言ってたし……」

 日曜日の夜までに、会えればいいんだもんな……。

「電話、してみるか?」

 さっそく連絡先を使う時が来てしまった。

「今じゃなくてもいいと思うが……。いざとなったら奥の手があるし……」

「奥の手?」

「まあ、それはあくまで最終手段だな」

「ねえねえ、いつまで難しい話してるの?」

「!」

 綾人が背中をつついてきた。

 ようやく着替え終わったのか。

「こっちの準備は万端だぞ」

 ジャージの襟を直しながら、委員長もやってきた。

 その姿はまるで戦い前の武人のようだ。

「で。肝心のチーム分けだが」

 委員長が話し出す。

 そうだ、俺達はいつも委員長達とは別のチームになるんだっけ。

「約一名がくじ引きに猛反対したため、各自でチームメンバーを自由に決めることになった」

「いてっ」

 委員長が神田の肩をスパンと叩く。

 約一名というのはもしかしなくても神田のことらしい。

「猛反対なんかしてないだろ。それぞれに、好きなヤツと組みたいよな? って訊いただけだ」

「あんな訊き方あるか。世間では恫喝というんだ、あれは」

 一体どんなやり方したんだ、コイツ。

 でもまあ、それなら委員長達とは同じチームで戦えるってことか。

 ますます球技大会に出れないことが悔やまれる。

「大崎」

「うお……っ」

 神田は俺の名前を呼ぶなり、顔をぐっと近づけてきた。

 驚いて一歩後ろに下がるが……。

 神田の強い力によって引き戻される。

「さっきの話。四位は、確かに『また来る』って言ったんだな?」

 低い声で耳打ちされる。

「あ、ああ……」

「……それならいいか」

「最近本当に仲がいいな、オマエ達」

「!」

 委員長の言葉に、神田は慌てて俺から離れる。

「そうだよー。最近いっつも屋上にいるし」

 調子に乗った綾人が、横から口を挟んでくる。

「最近、ボクもほっとかれ気味……」

「オマエは俺の彼女か……」

 アホなことを言い出す綾人の頭にデコピンをしておく。

「ったく、言ってて虚しくなってきたぜ……」

 せっかくの高校生活も、すでに半分以上終わってしまっている。

 入学前には、もっと輝かしい青春が待っていると思っていたんだけどな。

 やはりそう簡単にはいかないようだ。

「何を言っている? 大崎には彼女がいるんだろう?」

 委員長は曇りのない目でこちらを見上げた。

「げ」

 あの時神田がついた、テキトーな嘘を思い出す。

 委員長はそれをまだ信じていたのだ。

「ええ!? いっちゃん、彼女いたの!?」

 綾人が、大声を上げる。

 ……一番うるさいヤツの耳に入っちまった。

 どうすんだこれ、もう収集つかないぞ。

 俺は神田を睨む。

「ごめんなさい、全部嘘です」

 神田は観念して両手を上げた。

「馬鹿者! 嘘をつくな嘘を!」

「いやー……その方が面白いかな、と」

 委員長に怒られてしょぼんとする光景は、まるで小学生の子供と母親のようだ。

「面白さなんぞ誰も求めていない!」

「良かったぁ……いっちゃん、美人局つつもたせされてるのかと思った……」

「なんで騙される事前提なんだよ」

 失礼な幼馴染だ。

 確かに一度も彼女なんていたことないから、騙されてても気付かない気がするが!

 他愛のない話で盛り上がっていると、クラス中に校内アナウンスが鳴り響く。

 そろそろ球技大会の開会式が始まるらしい。

「煉、第一試合の相手はどこだ?」

「えっと確か……」

 委員長は対戦表に目を移す。

「二年B組……隣のクラスとだな」

「……そうか」

 少し安心したように神田は頷く。

 いつもの第一試合と同じ対戦相手だ。

「確か、田端桃香のクラスだったか」

 その名前を聞いただけで、胸の高鳴りを感じる。

 落ち着け、別に田端さんが出てくるわけじゃないんだ。

 どちらかと言えば、田端さんの近くにいる男どもと戦うわけだから……。

 これは田端さんに俺のカッコよさをアピールするチャンスじゃないのか……?

 なるほど、つまり俺が大活躍する姿を見てもらえば……。

「って、それこそ待てよ! 俺、試合に出れねーんじゃん!」

「なんだ、さっきから騒々しい……」

「いっちゃん、たまにこうなるんだ。放っておいた方がいいよ」

「なかなか難儀な病気を患っているらしいな……」

「もう慣れっこだけどさー」

「うるさいぞ、そこの二人……」

 綾人と委員長……なんだか最近普通に話せるようになっているな。

 俺以外とちゃんと交流できるようになってきたのはいいことだよな。



 *一二月二二日 金曜日 球技大会



「余裕だったな」

 田端さんのクラスとの対決はすぐに終わり、その後もあっという間に三試合連続で勝ち抜くことができた。

 今までの俺と綾人の惨敗は何だったんだ……。

 委員長と神田がいるだけで得点が面白いほどに入る。

 三年生との試合終わるなり、神田はすぐにこちらへ戻って来る。

 息も上がっていないうえに、大して疲れてもいないようだ。

 他のチームメンバー達も、その後に続いて続々と戻ってくる。

 それもそのはずで。

 三八対一二。

 改めて得点板を見ると、対戦相手が可哀想になってくる。

「ここまで点差が開くなら、ちょっとは手加減してやっても良かったような……」

「オマエが絶対勝てって言ったんだろうが」

 俺から受け取ったタオルで顔を拭う。

「そりゃそうだけど……」

「頑張りすぎてしまったな」

「いっちゃん、ボク……何もしてないよ」

 委員長と綾人も、並んで戻ってくる。

「次の試合はいつだ?」

 神田に訊かれ、委員長は対戦表に目を移す。

「次は、昼休憩の後からだな。次は決勝戦だ」

「は!? もう決勝戦!?」

 委員長が持っている表を受け取る。

 以前と同じく、下の学年になるほど試合数は少なくなるように作られているトーナメント。

 確かにここのブロックはあと一勝すれば優勝になっていた。

 あまり詳しく対戦表を見たことはなかったのだが、どのブロックに入るかは多少ランダム性があるんだな。

 ああ、俺の必要性……。

 もしかして、一番最初の世界も、田端さんに頼まれた試合に出てなければ優勝出来たんじゃ……。

 今の時刻は一一時半で、次の試合は一三時一五分だ。

 まだまだ時間に余裕がある。

「ふむ、それでは少し早いが先に昼飯にするか。大崎、月島……オマエ達も一緒にどうだ?」

「えっと……」

 俺はいいんだが……横目で綾人を見る。

「…………」

 綾人はこちらを見て、コクリと頭を下げた。

 なんだ、意外と大丈夫そうじゃねえか。

「じゃあ、ご一緒させてもらうか」

 委員長は観覧席……といっても、床にテープが貼ってあるだけだが、そこに置いてあるタオルを拾った。

「二人は弁当か?」

「いや、今日は二人とも購買だ」

「そんじゃ、教室に戻るついでに寄って行くか」

 神田は自身のタオルを肩に掛け、体育館の出口に向かう。

 購買は、教室へ上がる階段の前を通り過ぎ、突き当たりを右に曲がった端にある。

 昼にはいつも人で溢れていて、人気のパンはなかなか買えない。

 売り切れることも多いため、俺はあまり利用しないのだが、今日は早めに買いに行けるので種類も豊富にあるだろう。

「綾人、購買で何買う――――」

「煉くん、一緒に行こ」

「へ?」

 綾人は委員長の隣に並び、その袖を引っ張った。

 委員長は一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに笑顔で頷く。

「いっちゃん、歩くの大変でしょ? 買ってきてあげる。甘くないパンでいいよね?」

「あ、ああ……」

 別に、ただ歩くだけなら特に足も痛まないんだが……。

「それじゃあ、自分も鷲介のを買ってきてやろう。先に教室に戻っていろ」

「おお。頼むわ」

 神田はヒラヒラと手を振ると、振り向きもせずに教室へ歩いて行く。

 マジかよ……あの綾人が、他のヤツを誘うなんて……。

「フラれたな」

 いつの間に横にいたのか、神田が肩に手を置いてくる。

 どんな表情をしているか容易に想像ができた。

「…………」

 い、いや……別に、寂しいとか思ってはないんだからな!



 *一二月二二日 金曜日 教室



「なんだ、誰もいないんだな」

 教室は誰の姿もなく、ただ窓が開けっぱなしになっていた。

 神田は自分の席へ座り、思い切り背伸びをする。

「……ったく、寒いっつーの」

 俺は端から窓を閉めて歩く。

 運動してたヤツらは暑いかもしれないが、俺は座っていただけなので身体は冷え切ってしまっている。

 そういや前もこんなことあったな。

「なーに怒ってんだ?」

「え?」

「眉間」

 そう言って神田は、眉毛と眉毛の間に指を置く。

「シワ寄ってるぞ」

「お、俺は別に怒ってなんか……」

 俺は空いていた神田のすぐ後ろの席へ座ろうとしたが、女生徒の場所だったことを思い出し、さらに後ろの綾人の席に座った。

「オマエ、嘘つくの下手だなー」

「それは……よく言われる」

 綾人からもすぐ顔に出るとか言われるし。

 どうにかならないかな、この単純な表情筋……。

「なるほど……月島と離れるのがそんなに寂しいのか」

「な……! なんでそうなるっ!」

「オマエ、本当に分かりやすいなぁ……」

「ぐ……っ」

「オマエら、いつも一緒にいるんだから少しぐらい離れたっていいじゃねえか」

「い、いや……そこじゃなくて……! なんか、今回の綾人は委員長に懐いてるなって思っただけだ」

 今まで、こんなこと無かったはずなのに……。

「嫉妬か?」

「ち、違う……! アイツは、すごい人見知りだから……珍しいな……って」

「まあ、確かに月島って、オマエの後ろに隠れてるイメージだな」

「だろ? 今までは……他のヤツとどこかに行くなんてなかったから、ちょっとだけ驚いただけだ」

「つーか、オマエと月島の関係ってどんななんだ?」

「関係って……俺と綾人はただの幼馴染ってだけで……」

「家が近所なのか?」

「……お隣さん。小学校に入学する前だったかな……。今、俺が住んでいる辺り一帯が新興住宅地で、建売の家がたくさん売り出されて……。先に俺の家族が引っ越して、そのすぐ後に綾人の家族が引っ越してきて……隣同士になったんだ」

「へえ、面白い運命だな」

 さらに興味深そうに、神田は頷いた。

 ……運命と言う言葉には多少引っかりを感じるが。

「……うち、離婚前は両親共働きだったから、家に帰っても誰もいなくて……。だからよく……遊んでた」

 まあ離婚後も母親はあまり家に帰ってこなかったわけだが。

 初めて会ったのは、たぶん森の教会。

 俺はヒマだったから、いつも通り一人で森を探検してて……。

 そこで、家から抜け出して迷子になっていた綾人を見つけたのがきっかけだった。

 施設出身の綾人が、初めて新しい家族に反抗した出来事だった気がする。

「あの頃からアイツ、人見知りでさ。でもずっと俺の後ろにくっついてた。何故か懐かれたんだよな」

「オマエの後ろにずっとくっついてる月島……って、なんか容易に想像つくな」

 ま、今とそんなに変わらないからな。

「いいな、そういうの。小さい頃からの、友達か……」

 神田の伏せた目は、少しだけ寂しそうに見えた。

「オマエだって委員長と仲いいだろ」

「まあ……な。でも、昨日も言ったろ? 煉は魔法のこと……何も知らないんだ。ああ、オレが話してないっていうのが正しいか」

 神田は肩をすくめる。

 委員長に魔法のことを言わない理由は、アイがいつも言う、機密事項だからなのだろうか……。

「……だが、そのせいで今、煉を危険な目に合わせることになっちまっているんだよな」

「それは関係ないだろ? オマエのせいで委員長が狙われてるって、まだ決まったわけじゃ……」

「だといいんだけどな……」

 不安の色を瞳に宿しながら、神田は深いため息ををついた。

 やはり神田は、委員長に危険が迫っているのをまだ自分のせいだと思っているようだ。

「アイツも、魔法使いなら……良かったのに……」

「え?」

「……いや、なんでもねえよ」

 神田はそれをを誤魔化すように、優しく笑った。

「ただいま……っ」

 教室の扉が開き、綾人と委員長が戻ってきた。

「よう、遅かったな」

 この話は終わりだと言わんばかりに、神田は二人に視線を向ける。

「いつもより早めの時間だからと高を括っていたら、意外と混んでいたんだ」

 委員長はビニール袋をどんと机の上に乗せた。

 その割には、袋には様々な種類パンが入っている。

 今度はパンフェスティバルだな……。

 アイと食べたコンビニのおにぎりのことを思い出した。

「なんだ、混んでた割にはたくさんあるじゃねーか」

 早速神田がパンの物色を始める。

「煉くんの後輩達からもらったんだよ」

「どういうことだ?」

「購買に弓道部の後輩達がいたんだ。なかなか買えずにいた自分達に、何故か全員が一つずつ分けてくれた」

 委員長はその時の様子を思い出したのか、苦笑いをする。

「さすがエース様は女の子にモテモテですねえ」

 委員長をからかいながら、神田はすでにクリームの挟まれたパンを食べていた。

「くれたのは女子生徒だけではないがな」

「煉くん、人望すごかった」

 人に囲まれることに慣れていない綾人は、それに圧倒されたようだ。

「ああ、そういえば次の試合相手が発表されていたらしいぞ。体育館の入り口に掲示してあるそうだ」

「じゃあ食べ終わったら見に行ってみるか」



 *



「ああ、先輩達と試合だったんですね」

 コートに入るなり、すらりとした長身の後輩が現れた。

 情報通のコイツのことだ、絶対に知ってたくせに、なんともまあわざとらしい。

「一年なのに勝ち上がっててすごいな」

「一応、下の学年に有利になるような対戦表にはなってるみたいですけどね」

 それでも、簡単にできることじゃない。

「ほら、上野先輩と仲がいい弓道部の後輩もいますよ」

 そう言って視線を向ける。

 確かに、委員長は敵チームである一人の男子生徒と楽しそうに話していた。

 悠希とそいつ、ツートップで背がでかい。

 多分一八〇くらいあるだろう……一年のくせに。

「よお、駒込」

 俺と悠希の間に、神田が割って入ってくる。

「うわ……すごい敵意ですね、恐いなぁ」

「嘘つけ。完全に余裕の笑みじゃねえか。……言っておくが、妙な真似はするなよ」

「妙な真似? ああ、誰かがケガしたりとかですか?」

「てめえ……」

「嫌だなぁ、さすがにこんなところで色々しませんよ」

「…………」

「安心してください。そんな警戒しなくても……普通に負かしますから」

「……言ってくれるじゃねえか」

 神田の目元がピクリと動く。

「それでは、お手柔らかに。先輩方」

 柔和な笑みを浮かべ、背中を向ける。

 周りからの黄色い歓声付きで。

「ぜってー勝つぞ、大崎!」

 火が点いてしまった神田は、容赦なく俺の背中をバンバン叩く。

「俺は応援だっての……」

 悠希って、神田に対してはなんだか好戦的だな。

 前に何かあったのだろうか。

「我々も負けずに頑張ろう」

「う、うん……!」

 委員長と綾人もお互い頷きあう。

 俺も悠希の動きに注視していないと。

 少しでもおかしな動きを見せたら神田に知らせればいいよな。

 さて、俺はどこで観ていようか……。

「え」

 コートの端に、田端さんの姿があった。

 運動するためか、手入れの行き届いたフワフワの髪をポニーテールにしている。

 いつもと違う髪型が新鮮で、最高に可愛いのだが……。

 その視線は常に悠希を追っていた。

 ……べ、別に悔しくなんかないからな!



 *



 試合終了のブザーが鳴り、チームメイト達はゾンビのようにトボトボと歩いてきた。

 それもそのはず……まさか一年生のチームに負けるとは……。

 特に神田は人魂でも背負っているかのように落ち込んでいる。

「ふむ、いいとこまでいったと思ったのだが」

 対戦相手の弓道部の後輩から貰ったスポーツドリンクを飲みながら、委員長が続く。

「つ、疲れた……」

 綾人にいたっては、目をぐるぐるにしている。

 コイツはただ体力が壊滅的にないだけだけどな。

「惜しかったな」

 俺は神田の隣に腰を下ろす。

「惜しい? 完敗だったぞ」

「まあまあ、そうヒネたこというなって」

 あんだけ派手に言い合って、悔しいのは分かるけどさ。

「……アイツ、魔法を使ってやがった」

「え!?」

 マジで!?

 でも、誰もケガはしてなかったはず……。

「……ボールに魔法をかけてやがったんだよ。自分の手元にある時だけだが、バスケでそれをやれば十分有利に試合ができるだろ?」

「ああ……」

 言われてみれば、確かにボールの動きに僅かに違和感があったような……気もする。

 ボールが悠希の手に吸い寄せられるかのようだったり、うまい具合にパスが通ったり……。

「リバウンドも、すごい取ってたよな……」

 なるほど、風の力で手元に引き寄せてたのか。

 なかなか器用なことするな……。

 誰だよ、スカート捲りくらいにしか役に立たないなんて言ったヤツ。

 地味に便利な魔法じゃねえか。

「魔法を知らないうちに使っているヤツもいるが。アイツの場合はわざとだろうな」

 神田は怒りの上に笑顔を貼り付けている。

「でもオマエ、魔法使うのは別にズルくないみたいなこと言ってなかったか?」

「ああ、ズルくないぜ? でも負けたらムカつくだろ!」

「なるほど……」

 そういう理屈ね。

「くそ……煉と月島を守ることに気を取られていたらこのザマだぜ……」

 チッと、神田は静かに舌打ちをする。

「でもまあ、いいじゃねえか……結局何もなかったんだしさ」

「それはそれ! 勝負は勝負だ!」

 コイツも、なかなかの負けず嫌いだな。

「何を熱くなっている」

 まだまだ燃えている神田が気になったのか、委員長が横からひょっこりと顔を出す。

「別に……試合の話だよ。なんだ煉、どっか行くのか?」

 立ち上がる委員長を、神田が見上げる。

「自分はこれから部活だ」

「マジかよ」

 球技大会の後だぞ……。

「疲れてはいるが……明日は大会だからな。ここで休むわけにはいかない」

 委員長はそう言うと、表情を引き締めた。

 やはり武闘家の顔だ。

「が、頑張ってね……!」

「ああ、ありがとう」

 綾人の応援に応え、力強く頷く。

「んじゃ、オレも帰るとするかな」

 委員長に続くように、神田も立ち上がった。

「恋人が待ってるんでね」

 誰も聞いていないのに、ドヤ顔で理由を述べる。

「わ……同棲……」

「んなわけないだろ」

 今までのループでも、そんな話聞いたことない。

「見栄張ってるだけだっての」

「そこまで言うなら、証拠でも見せてやるか」

 そう言って神田はジャージを腕まくりをする。

 得意気に出されたがっしりとした腕には、たくさんの引っかき傷があった。

「うわ……ハードプレイ」

「……ああ、すげえ凶暴なんだよ」

 この見覚えのある細い引っかき傷……。

「子猫だろ」

「あ、ネタバレすんなよ」

 神田は、呆れた表情を浮かべる。

「また拾ってくれたんだな」

「……まあな」

 ホッとしたのもつかの間……。

 神田は何か言いたげな表情をしてから、静かに目を伏せる。

「……ここでオレがあの猫を助けたとしても。また時間が巻き戻ったら……捨てられちまうんだよな」

 だからって、この行為が意味のないことなんて思いたくないけれど……。

 でも、できることなら……。

 早く、この世界のループを止めないとな……。



 *一二月二二日 金曜日 公園



「ほらよ」

 帰宅途中にある、住宅街にある公園。

 割と広い敷地で遊具も充実しているのだが、今日は雪が降っているせいか誰もいなかった。

 俺は買ったばかりのココアを、ベンチにちょこんと座っている綾人に渡す。

 もちろん、プルタブを開けた状態で。

 ほんと、気が利くな俺。

「ありがと」

 それを受け取り口元に運ぶ。

 熱いからか……少しずつ口をつけるその様子は、小動物のようだ。

「あったかい……」

 ホッと白い息を吐き出し、そして微笑む。

 本当にコイツは幸せそうな顔をするよな……。

「球技大会、頑張ったご褒美」

「それは、ありがたく頂戴します」

 何故か畏まる。

「試合、楽しそうだったな」

「いっちゃんも出たかった?」

「そりゃあ……」

 正直、めちゃくちゃ出たかった。

 歓声やボールの音……その全てが俺を懐かしい気持ちにさせた。

 バスケばっかりしてたあの頃の……。

「また、次は出れるといいね」

 綾人が言う次って……来年か?

 それはまだ先が長いな……。

「……帰ろっか。寒くなってきたし」

「そうだな」

 二人は、それ以上何も言わなかった。

 冷たい風が吹き抜ける帰り雪道を、足跡を残しながら歩いていく。

 目が合うと、綾人が優しく笑う。

 なんだか今回の綾人はいつもと違う気がするんだよな……。

 閉鎖された世界ではあるが、コイツも少しずつ変わってきてるってことなのだろうか……。

 いつまでも子供なのは……俺の方かもしれないな。



 *一二月二二日 金曜日 自室



「んー……」

 俺は重いまぶたをゆっくりと開いた。

「しまった……」

 どうやら家に帰って自室に戻るなり、すぐに眠ってしまったようだ。

 寝起きのぼーっとする頭で携帯電話のボタンを押す。

 ああ、夕飯まであと少しだな……。

「小腹減ったな……」

 一回背伸びをして、そして自分の部屋から出る。

 廊下に出てすぐにある階段を降り、リビングへ向かう。

「確か、リンゴが……」

 あったり、なかったりしたよな。

 さて、今回はどうだろう。

 とりあえず、無駄にデカい割には中身がほとんど入っていない冷蔵庫の扉を開いてみる。

「お」

 冷蔵庫には綺麗に剥かれたリンゴが置いてあった。

 今回は用意しておいてくれたんだな。

 前回との違いがよく分からないが……。

 ありがたく頂いておくことにしよう。

「いただきます……っと。ん、冷えててうまい」

 それにしても、母さんこんなに気が利く人だったとはな。

 記憶の中の母さんは、もっと……。

 なんていうか、面倒見がいい……とはお世辞にも言えない人だったよな。

「……ん?」

 ふと、部屋の中心の机に目が移る。

 そこには、毎度のことながらたくさんの袋や本が山積みになっていた。

「よくもまあ、こんな大量に買ってきたな……」

 試しにパラパラと本をめくってみるが……。

「やべえ……」

 読めない……。

 所狭しと並べられた英語の文字列が、精神攻撃をしてくる。

 だからといって、全部翻訳サイトを見る気にはならない。

 さっき寝たばかりなのに、また瞼が重くなってきた。

 いかんいかん、本を閉じよう。

 危うく、眠りの魔法にかかるとこだったぜ。

「こんな危険な本は、あっちへ置いておいて……っと」

 夕飯までの時間を、のんびりテレビを見ながら過ごすことにした。



 *一二月二二日 金曜日 就寝前



「やっと明日はお休みだねえ」

 窓越しで、実に幸せそうな笑みを浮かべる綾人。

 もう明日は土曜日なのか。

 今週も色々あったせいで時間の流れが早い気がする。

「そうだ、いっちゃん!」

 何か思い出したのか、身を乗り出してくる。

「明日って、何してるの?」

「明日……?」

 えっと、今週も特に何も予定は入ってなかったけど……。

「うん、朝からすげえ忙しい」

「やったぁ! それじゃあ、明日は映画を見に行こうよ!」

「おい」

 今の答えから、どうしてそうなる。

「どーせ、ヒマしてるんでしょ」

 なんでコイツは嘘を見抜くかなぁ……。

「幼馴染だからね。というか、いっちゃん顔に出てるし」

 フフン、腰に手を当てて得意気に笑う。

 顔に出るっていうのも、考えものだな……。

 でも、映画ってどうせスプラッタホラーなんだろー……全然気乗りしない。

「ん?」

 携帯の画面に、メッセージ通知が来ていることに気付く。

 中身を確認すると、それは二〇分ほど前に届いていたようだ。

『明日、朝一〇時に駅前集合』

 神田からだ。

 コイツ、俺に予定がないの分かってやがるな……。

 ああ、そういや明日は委員長の試合の日でもあるんだっけ。

 一緒に応援に来いってことだろうか。

「綾人」

「んー?」

「悪いが……予定が入った」

「ええーっ!?」

 なんかデジャヴを感じるな、この光景……。

 いくら綾人が覚えてないとはいえ……毎回同じパターンだと、さすがに申し訳ない気もする。

「ふーん、まあいいけど」

 しかし綾人は特に食いついてくることもなく、あっさりと引き下がった。

「何か最近、神田くんと仲良しだもんねー? 積もる話も色々あるよねー?」

「べ、別に仲良しってわけじゃ……」

 慌てて否定するが。

「ちょっと待て、なんで神田と出掛けるって知って……」

「あ、本当にそうなんだ。カマかけただけなんだけど」

「く……っ」

 綾人にしてやられてしまった。

「まあ、いっか……明日は劇の練習でもしてよっと」

 そう言うと、窓枠に手をかける。

「それじゃ、ボクはそろそろ寝るよ。神田くんに迷惑かけないようにね」

「はいはい」

「おやすみ、いっちゃん」

 俺は雑に返事をすると、窓とカーテンを閉めた。

 明日朝一〇時って……アイツにしては早いな。

 神田こそ起きれるのだろうか。

 そんな不安が胸をよぎるが、俺はとりあえず早めに休むことにした。

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