Ⅳ-Ⅳ 神田鷲介



 *一二月二一日 木曜日 自室



「いっちゃん! 朝だよー」

 幼馴染の声で、今日も目を覚ます。

 日常が戻ってきた感覚に、なんだかとても安心した。

「眠い……」

 その嬉しさを誤魔化すように、大あくびをする。

 幼馴染は仁王立ちして、ベッドの横に立っていた。

「いっちゃん昨日何時に帰って来たの? 夜更かしは身体に良くないよ」

 そういや、綾人にメッセージ返してなかったんだっけ。

 心配かけちまったな……。

「そうだな……悪い」

「え……ど、どしたの? 素直なこと言ういっちゃんなんて……。なんか、気持ち悪い」

「なんだと!」

「あははは! 逃げろーっ!」

 綾人はまるで子供のように階段を駆け下りて行く。

 バタバタと足音がうるさい。

「ったく……」

 俺はベッドから起き、クローゼットの扉に手をかける。

「…………」

 訊かないんだな……昨日、俺がどこに居たのか。



 *一二月二一日 木曜日 登校



 綾人と二人、通学路を歩く。

 毎週のことながら、雪が降る日が始まった。

 体感温度が急に冷たくなったと感じる。

「憂鬱だ……」

「球技大会か」

「え、なんなのこの前から。エスパー大崎?」

「そのあだ名はやめろ」

 気持ちは分かるが。

 もう何度目になるんだろうな、この会話……。

「一応、神田には出るように頼んでおいたけど……」

 昨日のせいでそれどころじゃなくなっちまったからなぁ。

「え。いっちゃん、神田くんに頼んでおいてくれたの?」

「まあ……」

「そっかぁ神田くん、背高いし、運動神経いいから……もしかしたら勝てるかもね!」

 嬉しそうに綾人が笑う。

 やっぱり、勝ちたいんだな……コイツは……。

 だけど今回は、難しいかもしれない。

 委員長を攻撃した犯人もまだ分からないままだし……。

 俺は黙ったまま綾人の頭に手をのせる。

「何ー?」

「……なんでもねえよ」

 正門から昇降口に入り、靴箱のある玄関へ移動する。

 アイツ、来てるかな……。

 俺のすぐ下にある下駄箱を覗いてみる。

 あいうえお順だから、神田の名前はすぐ下なんだよな。

 ひとまず、ヤツの下駄箱を開けてみる。

「……お」

 そこには真新しい黒いスニーカーが入っていた。

 学校には来ているな。

 しかし神田が素直に教室にいるわけがない。

 となると、いる場所はあそこだ。

「…………」

 ……さて。

 問題はどうやって綾人を説得するかだな。

 昨日はたまたま上手くトンズラできたのだが……

 どうしたものか。

 上履きに履き替えた綾人が、隣にやってくる。

 そして何故か突然、俺のオデコにそっと触れた。

「……いっちゃん、顔色悪いよ」

「は?」

 綾人はわざとらしく……というよりも、とんでもなく棒読みで喋りだした。

「すごく顔色が悪いから……二時間くらい保健室で休んでた方がいいと思う。でもボクは授業の方が大事なので先に行きます」

 そう言うと、さっさと一人で教室に向かってしまう。

 え……あの綾人が空気を読んだ……のか……?

 というか、なんで分かったんだ。

 神田の下駄箱を確認したからだろうか。

 ……とにかく、綾人がせっかく時間をくれたんだ。

 それを無駄にするわけにはいかない。

「綾人……サンキュ」

 俺は走って屋上に向かった。



 *一二月二一日 木曜日 屋上



「さむ……」

 屋上へ続く扉を開けると、雪が隙間から入り込んできた。

 コートを着たままで良かった。

 たぶんここにいると思うんだけど……。

「やっぱり来たか」

「神田……」

 神田はいつも通り、冷たい風を受けながら金網に寄りかかっていた。

 さすがに今日はしっかりと厚手のジャケットを着ている。

「あの……大丈夫だったのか、委員長は……」

「前と同じ。飛んできたガラス片から顔を守るためにとっさに手が出たから、手のひらから前腕部が軽く切れただけだ」

 良かった……大したことなくて。

「で、問題の犯人だが」

 神田が、じっと俺の目を見る。

「オマエがアイツのアリバイ証明してんだもんなぁ……」

 オーバーに頭を抱えるリアクションをとる。

「う……やっぱり、そうなっちまうよな」

「オマエが駒込と一緒にいたっていうのなら……煉に危害を加えることは不可能だからな」

「だよなぁ……」

 悠希の疑いが晴れるのはいいことだが、なんとなくスッキリしない。

 でも、ひと騒動起きる前から俺とずっと一緒にいたわけだし、特に怪しい動きも見せていなかった……と思う。

 まさか離れた場所から攻撃するなんて……こと……。

「あ」

 ちょっと待てよ……。

 遠隔操作……そして……風使い……!

 まさか……!

 今、すべての点と点がつながって一つの線に……!

「神田!」

「なんだよ」

「もしかして悠希は、風を操って委員長を攻撃したんじゃないのか?」

「……は?」

「えっと、例えば……。そう、カマイタチみたいなヤツ」

 風を使って、ヒュンッて感じの攻撃!

 それならどんなに離れた場所にいても、風をナイフのようにして攻撃することができる!

「ああ、それはないな」

 ひょいひょいと顔の横で手を振りながら、あっさりと否定された。

「ぐ……そうだよな……そんなマンガみたいな魔法あるわけないか……」

 ……ちょっと期待してたんだが。

「ああ……いや、そういう魔法がないとは言えないけどな。でも前も言った通り、駒込の魔法は簡単な風を起こす程度。そこまで危険なヤツじゃない。できることといったら、風を使っての運動能力の補助。風そのもので人を攻撃することなんかできない」

 話が長くなりそうなのか、神田は元喫煙室まで歩きだし、そして俺を手招きする。

 火曜日の朝、コイツが寝ていた場所だ。

 上は通常のガラス、下は曇りガラスがはめ込まれたアルミサッシの引き戸を開ける。

 そして自分は壊れかけた木製のベンチに座り、その隣に来るよう促される。

 俺は神田の隣に腰を降ろした。

 冷風が遮断されるだけで、身体への負担がかなり軽減されたように感じる。

「魔法にはかなりの個人差があるんだよ。魔法使いっていっても、駒込程度の魔法使いならそこら中に溢れてるぞ」

 アイもそんなようなこと言ってたな……。

「たくさんいるだろ? 『普通とは少し違う人』。人よりも、何か少しだけでも優れている人。まあ、そのほとんどが自分が魔法使いだなんて認識していないけどな」

「普通の人間だと思ってるってことか?」

「ああ。下級魔法使いレベルでは、普通に生活する分には何も支障はない程度の魔法しか使えない。そもそも個人の能力なのか魔法なのかの判断も難しいとこだ。基本的に人間の能力を超えるものを魔法と称してはいるけどな」

 人間の能力を超えるもの、か。

 なかなか定義が難しいな……。

「アイツ、陸上競技得意だろ? 要は足に風の力を使って、走る速度を上げたりする程度だ。陸上は、風の力を自然に使用できる競技が多いからな」

「……なんかそれってズルくないか?」

 魔法を使って勝つなんて……。

「そうか? 魔法つったって、個人の能力や体質と同じようなもんだ。背高いヤツがバスケやってたってズルくはないだろ? そもそも自分自身、魔法を使っていることを知らないヤツだっている。『普通の人間』が、魔法の存在に気づいていないだけさ。それくらい、魔法は日常にありふれた光景なんだ」

「そうなのか……」

「つまり犯人は、そういったことができる別の魔法使いってことになる」

「魔法使いってことは確定なのか?」

「このオレが隣にいたんだぞ? 近づいてくる人間に気づかないわけないだろ。見つからずに攻撃するなんて魔法以外ありえない」

 確かに……神田の目を掻い潜り、委員長を切り付けるなんてどう考えても不可能だ。

「つーか、オマエすごい魔法使いなんだろ? なんとかならなかったのかよ」

「ぐ……」

 痛いところを突かれたのか、神田は一瞬言い淀む。

「オ、オレのはこういう時にはあんま役に立たない魔法というか……いや、使ったんだけど……使った瞬間にガラスが飛んできたというか……」

 なんだかハッキリしない。

 神田にもよく分からないということなんだろうか。

「そもそもオマエの魔法ってなんなんだ?」

「…………」

 さっきまでの饒舌はどこへいったのか。

 神田は悩ましげな表情で口を噤む。

 アイがいつも言う、機密事項ってヤツか?

「いや、言えないなら別に……」

「……オレの魔法は『見える』もんじゃない。かと言って、誰かを実験台にするのも、なぁ……」

 実験台って。

 なんかヤバそうな響きだな。

「火を出すとか、凍らせるとか……簡単に見せられるもんなら良かったんだが……」

「待て待て。そんなことできる魔法使いがいるんなら、風で攻撃したり、ナイフを遠隔操作できるヤツだって存在するだろ」

 そしたら委員長への攻撃方法なんて無限にあるぞ。

「だから、そんなのいくらでもいるんだが……。問題はそのタイミングなんだよ。オレが魔法を発動した直後にガラス片みたいなのが飛んできたんだ」

「?」

 魔法を発動した直後だと何の問題があるんだ?

 神田は何か真剣に悩んでいる。

 そしてやっと結論が出たのか、俺を真っ直ぐに見た。

「……大崎」

「な、なんだよ……?」

「ちょっと、目瞑ってみ」

「目?」

 俺は言われた通り、ギュッと目を閉じる。

「…………」

 するとすぐに身体の異変を感じた。

 ……なんだ?

 頭がボーッとしてきたような……。

 心なしか、身体も軽くなって……。

 意識が遠くなる……という感覚なんだろうか。

 徐々に何も考えられなくなって――――。

「すまない、邪魔をした」

「!」

 第三者の声に、俺は目を開く。

 その言葉と共に、引き戸がサッと閉じられるのが見えた。

「待て待て待て!」

 神田が大慌てで立ち上がり、再び扉をスパンと開ける。

 その先に立っていたのは委員長だった。

 どうやら神田が何かしようとした瞬間に、委員長が入ってきてしまったらしい。

「煉、オマエ……今とんでもない勘違いしてるだろ」

 引き攣った顔で笑いながら、神田は委員長に詰め寄る。

「勘違いかどうかは分からないが、目を瞑らせた大崎に、何か良からぬことをしようとしているのは分かった」

「言い方!」

「良からぬこと!?」

 神田と俺は同時に叫ぶ。

「なんだよ、神田。俺はてっきりまほ――――」

「大崎!」

「むぐ……っ!?」

 神田は凄い速さで後ろから俺の口を塞ぐ。

 そしてすぐ近くで耳打ちしてくる。

「静かに……! 煉は、魔法のこと全く知らないんだからな……!」

「へ!?」

 神田から出てきたのは意外な言葉だった。

 こんなに二人仲いいのに、魔法のこと知らないのか……!?

「なんだ、やはり勘違いではないじゃないか」

 委員長は肩をすくめ、再び遠慮がちに出て行こうとする。

「ちょっと煉サン!? 一体何を納得しているんだ!?」

 神田が珍しく慌てふためいている。

「クラスメイトが二人も屋上でサボっているんだからと、注意しにきたのだが……まあ、そういうことならに今日は目を瞑ろう」

「なんだよそういうことって! ちげーよ!」

「なんだ、じゃあただのサボりなのか?」

「う……」

 神田の言葉が詰まるが、これ以上さっきのネタで引っ張られるのも嫌なので、二人で頷く。

「なら、さっさと教室に戻るぞ」

 からかい過ぎたと反省したのか、委員長はさっきまでの真顔を崩した。

「えっと……委員長、ケガは……」

「もうすっかり、とは言えないが……」

 右手を上げて振ってみせる。

「ちょうど切れたところが悪かったらしく、血の量は多かったが……止血してみてみれば、そんなに大きな傷ではなかった」

 ケガの方もそうだけど、あまり落ち込んでなくて良かった。

 土曜日は大会だし、心配していたんだが……武道をやってるだけあってメンタルが強いのかもしれない。

「大崎こそ、何故あの時間にあんなところにいたんだ?」

「え……」

 委員長に問われ、目が泳ぐ。

 しまった、何も考えていなかった。

「コイツはあれだ……えーっと……」

 言葉に詰まるオレに、神田が助け舟を出してくれるようだ。

「あ……デートの帰り」

「はあ!?」

 今度は俺が声を上げてしまった。

 嘘をつくにしても、もっと無難なヤツにしろよ!

「なんだ大崎、彼女がいたのか」

 委員長は特に疑う様子はない。

 しかし、これ以上深掘りされたらボロが出るぞこれ。

「ま、まあ……」

「名前はアイちゃんだよな」

 神田が調子に乗って、余計な情報を追加してきた。

 確かに今回のループではアイは転校して来ないから、名前出してもバレないけども……!

 しかもアイって言われたら、普通は女の子を想像するしな。

 あとで覚えてろよ……!

「ほら、無駄話はそこまでた。もう三時限目の授業が始まる」

 委員長は携帯電話で時間を確認する。

「えっと……煉……」

「どうした鷲介。腹でも痛いのか?」

「バカ、ちげえよ」

「なんだ?」

「ごめんな……」

「昨日から何度目だ?」

 委員長は困ったように微笑む。

「謝られる意味が分からない。オマエが悪いわけではないんだからな」

 神田は委員長の後に続き、元喫煙室を出る。

 俺もそれに次いで、二人の後を追った。



 *一二月二一日 木曜日 昼



「おーい、いっちゃん! ご飯ですよ~」

 午前中終了のチャイムが鳴り、綾人が机に割り込んできた。

 俺は急いで机の上に置かれた、手つかずのノートを片付ける。

「はい、お弁当」

 いつも通り、丁寧に包まれた弁当を手渡される。

「サンキュ」

 俺はそれを受け取ると、机の上に置いた。

「神田くん、あれからちゃんと授業受けてたね!」

「ああ、委員長直々の命令だからな」

「そっかぁ、神田くん……煉くんの言うことならちゃんと聞くんだね」

 なんだか羨ましそうに綾人が呟く。

「そういやそうだな。委員長に対しては、なんとなく物腰が柔らかいというか……」

「そうそう、いっちゃんとは真逆」

「誰に対しての態度のことを言ってるんだ?」

「あははー! 秘密ーっ」

 そう言って綾人は、卵焼きを頬張る。

 今更ながら、毎週メニューが変わる弁当だが、ほとんど毎日卵焼き……もしくは卵料理が入っているな。

 卵料理は弁当の定番だから、別におかしくはないのだが……。

 いや、作ってもらっている立場でそんなことを言ってはいけない。

 しかも美味いんだから、ありがたく頂戴しよう。

 それに、俺は卵料理が――――。



 *一二月二一日 木曜日 午後授業中



「今日の体育は自習でーす」

 着替えて体育館まで来た俺達は、明日の球技大会に向けての自主練習をしているクラスメイト達を眺めていた。

 コートは半分をバスケ、半分をバレーで使用している、毎週の光景だった。

「……確認、よし」

「何やってるの、いっちゃん」

 一〇秒毎に辺りを見回して安全確認をする。

 毎回毎回、体育の授業ではケガをするからな。

 確認に確認を重ねた方がいいに決まっている。

「俺はただ……運命に逆らいたいだけさ」

「意味分かんないんだけど……」

 綾人は首を傾げる。

 無意味なやり取りを他所に、体育館のあちこちで歓声が上がっていた。

「なんだ? なんか今回は盛り上がってんな」

「神田くんと煉くんがバスケの試合に出てるんだよ」

 横から解説を入れてくれる。

「マジで?」

 神田のヤツまだ授業に出てたのか。

 いつもフラッと居なくなるからな。

 てっきり、昼には帰っているものだと思っていたが。

 神田がまともに体育の時間に出席してたことなんか、一度もないんじゃないのか?

 見学してたことはあったが、すぐにどっか行っちまったし。

「……そういやあの時も、委員長を見ていたんだよな」

 きっとケガをした委員長を心配しての行動だったんだろう。

 今考えると分かりやすいヤツだな。

 綾人の言うとおり、神田と委員長は他のチームの追従を許さず、どんどん点数を離していく。

 思わず見入ってしまうほどに、二人の息はぴったり揃っていた。

「わ! またシュート決まったー! すごーい!」

 勉強も、運動神経も全く問題ない。

 本当に神田は、やればできる子の典型なんだな……。

 ごく平凡な能力しか持っていないこっちとしては、羨ましい限りだ。

「神田くん、女の子にもモテモテだしね!」

「モテ……!?」

「だってほら、みんな試合見てるよ?」

 慌てて綾人の視線辿ると、確かにコートの周辺にはクラスの女子達が集まってきていた。

 お互いに顔を見合わせながら飛び跳ねている。

 オマケに黄色い歓声までついてやがる。

 体育館の半分はバレーの試合が行われているのだが、女子は全員バスケの試合に夢中になっている。

「あの二人、人気だからなぁ」

 委員長は分かるけど、神田まで?

「神田なんか、ほとんど学校来てないじゃねえか」

「そういうアウトローな感じが格好良く見えるんじゃないのかな。あんま教室にいないとことかミステリアスだし」

「ただのサボりじゃねえか!」

「ふふふ……甘いな、いっちゃん。女子の間では、イケメンがやることはみんな肯定されるんだよ」

「世知辛い世の中だぜ……」

「いっちゃんも混ぜてもらえば? 今あのチームに入れば目立てるんじゃない?」

「……なるほど」

 綾人にしてはいいアイデアだ。

 試合が一段落したら、仲間に入れてもらおうか。

「それじゃ、ボクは二階のギャラリーで見てるよ」

 綾人は一人、体育館のギャラリーへ続く階段へ歩いて行く。

 アイツ、前も一人であそこに行ったよな……。

 悠希もお気に入りの場所とか言ってたし……そんなにいい場所なのか?

「……確かに、体育館全体を見渡せて楽しそうだな」

 俺はバスケ側のコートで、試合が終わるのを座って待つことにした。

 今の間も、試合では委員長と神田のチームワークによって点差がどんどん開いていく。

 何周目の世界だったか……神田がいる時の球技大会は、二勝くらいしてたもんな。

 最初こそ、ヤツは近づき難い雰囲気を醸し出していたが……。

 今となっては、それは間違いなくこちらの偏見だった。

 『エデンの園』ガーデンオブエデンだの、序列第一〇位だの……そして、この世に存在する魔法使いの一人だの……。

 初めて聞く単語ばかりで、全部なんてとてもじゃないが理解できていない。

 それでも、特殊な人間だってことは何となく分かる。

 田端さんの言うとおり、全く別の世界で生きている……ということも。

 ……そして。

 その存在が、儚く消えてしまいそうに感じるのは……。

 俺の気のせいだろうか……。

「あれ……」

 ふとバレー側を見ると、いつのまにか綾人が戻ってきていた。

 俺とは対角線上……バレー側のコートの壁際で、ちょこんと体育座りをしている。

 何やってんだ綾人のヤツ……。

 バスケの試合はなかなか終わらず退屈なので、横へ行ってからかってやるか。

 俺は立ち上がり、そちらのコートへ向かう。

 こっちの試合もなかなか白熱しており、チーム内から大声が飛び交っている。

 熱いねえ……。

「大崎!」

「え……?」

 突然名前を呼ばれ振り返れば、遠くに神田が見えた。

 しかし、それはすぐに横からの黒い影に覆い隠される。

 勢いのついたバレーボールが、なんの迷いもなくこちらへ飛んできたのだ。

「っ」

 四度目ということで、さすがにそれを避けることはできたが……。

「い……っ!」

 身体を捻った拍子に、左足を変な方向に捻ってしまっていた。

 バンという衝撃音がして、俺が避けたバレーボールは思い切り壁に当たり、勢いよく跳ね返っていく。

 ……あんなの頭に当たってたら、相当やばかったぞ。

「いっちゃん!」

「大丈夫か、大崎!?」

 叫び声を聞いたクラスメイトが続々と集まってくる。

 ああ……やっぱり木曜は厄日だ……。

 俺は壁に手をつき、ゆっくりとしゃがみ込む。

「……?」

 気のせいだろうか……。

 誰もいないはずの体育館のステージで、人影が見えた気がした。



 *



「せ、先生……いますか……っ?」

 綾人がそっと保健室のドアを開けた。

 薬品とアルコールの臭いが廊下に流れ出す。

 電気の消えた室内には、誰の気配もなかった。

 毎回居ないんだよなぁ、この学校の保険医。

 職務怠慢じゃないか。

「ほら、ついたぞ」

 すぐ耳元でする声。

 肩を貸してくれている神田と目が合う。

 支えられるほど重症じゃないんだが、まあ好意に甘えておいた。

「いないな……会議だろうか?」

 電気のスイッチを入れ、ひと通り室内をまわってみる委員長。

「しまったな……出直すか?」

「何を言っている、捻挫は応急処置が大切だ」

 委員長が神田を制す。

「自分が手当てしてやる」

 ……なんだ?

 俺の肩をつかむ神田の力が少し強くなったような気がした。

 心なしか、表情もこわばっている気がする。

「おい、煉……」

「なんだ?」

「悪いことは言わない、やめとけって……」

「馬鹿者! クラスメイトがケガをしているのに、放っておけるか!」

「いや、だからこそやめておいた方が……」

「なんでだ!」

「そこでそう切り返せるオマエがすげえよ……」

「大崎!」

 委員長は俺の方をくるりと向いた。

「ひねった方の足を出してみろ」

「え? お、おう……」

 神田の方をチラリと見るが、顔に諦めろと書いてあった。

 俺は委員長の迫力に押され、大人しく左足を差し出す……が。

 一体何が起こるというんだ。

「よし、始めるぞ」



 *



「…………」

 なんつーか……。

「わー……」

 さすがの綾人でさえ口を開きっぱなしにするほどに……。

「すげー……個性的な包帯の巻き方、だな……」

 俺なりに気を使った言い方が、それくらいしか出てこなかった。

 ここまでぐちゃぐちゃに包帯巻くなんて、逆にすげえよ……。

 捻ったっつってんのに、足固定されてねえし。

「だからやめとけって言ったのに……」

 保健室の端っこにいる神田から声が届く。

「ひ、久しぶりにやったから、手間取っているだけだ……っ」

 慌ててもう一度やり直そうとする委員長。

 意外と、不器用なんだな……。

 他人事ではないのだが、見ていてほのぼのするのは何故だろう。

「大丈夫だ委員長、こういうのは気持ちが大事……」

「そんなわけあるか!」

「オマエが突っ込むのかよ」

 委員長へ神田のナイスツッコミが入る。

 コイツら、漫才コンビでも結成したらどうだろうか。

「えっと……」

 そこへおずおずと綾人がやってきた。

「あの……手伝おうか?」

 しゃがみ込んで委員長と視線を合わせる。

「やめとけよ綾人……オマエだって取り返しの付かないくらい不器用だろ」

 コイツの不器用さは、もう特技の域だ。

 それと肩を並べる委員長もすごいが……。

「そ、そうなんだけど……でも……」

 チラチラと足と委員長を見比べる。

「やってくれ月島」

 委員長は意外にもスッとその場から退いた。

「おい」

 人を実験動物か何かと思ってるんじゃないだろうな。

「なんだ、大崎。こういうのは気持ちが大事なんだろ?」

「う……」

 委員長に揚げ足を取られる。

 余計なこと言うんじゃなかった……。

「頼んだぞ」

 委員長はぽんと、包帯を渡した。

「うん……!」

 対する綾人は何故か嬉しそうだ。

 ……俺はあんまり嬉しくない。

「いっちゃん、足出して」

 俺は黙って床に足を置いた。

「とりあえず、冷湿布で幹部を冷やして……」

 いつの間に持ってきたのか……。

 綾人は湿布のフィルムをペリっと剥がした。

 それを幹部を包み込むようにしっかりと張る。

「あとは圧迫するように包帯を巻いてくの。こうやって、ちゃんと足の甲から固定するようにして……」

 手慣れたように包帯を巻いていく。

 まるで、参考書に載っている見本のようだ。

「…………」

 嘘だろ。

「嘘だろ……」

「いっちゃん、声に出てるよ」

「いや、だって……」

「はい、これでおしまい」

 ポン、と両手を合わせる。

 捻った右足は、見事に手当を終えた姿になっていた。

「大したものだな」

「どこが不器用なんだよ」

 各々から上がる賞賛の声。

 本人は、少しだけ顔を赤くして笑った。



 *一二月二一日 木曜日 下校



「解せない」

「まだ言ってる……」

 学校からの帰り道。

 綾人はいい加減にしろと言わんばかりに、俺の前に立ちはだかった。

「いっちゃん、さっきからそればっかり」

「だってさ……オマエ、いつの間にあんな知識身につけたんだよ」

「だーかーら、さっきも言ったでしょー! テレビだってば」

 テレビ見て真似るなんて、そんな器用なこと……。

「オマエにできるわけない……!」

「失礼だなー! もー! で? もう足は大丈夫なの?」

「まあな」

 綾人の応急処置が良かったのか、痛みはずいぶん良くなっていた。

 もう普通に歩けてるし。

 本当、助かったぜ……綾人には感謝しないとな。

「ま……それだけ、俺の回復力がすごいってことだな」

「ぷぷ……っ」

 唐突に綾人が吹き出した。

「何笑ってんだよ!」

「あははっ、別になんでもないよー」

 なんだよ、ニヤニヤしやがって。

 そのお見通しって顔がムカつく……!

「明日はさ……いっちゃんの分まで頑張るよ。その足じゃ、試合なんて無理だもんね」

 まるで、空に誓うように呟く。

 そういやいつかの世界でも、そんなことを言われた気がする。

「……つーか、ボールが飛んできたのって、何が原因だったんだ?」

 隣のコートではバレーが行われていたから、そのボールだというのは分かったんだが。

「誰かがアタックしたボール」

「めちゃくちゃ危なかったな!」

 まあ、コートの近くをよく確認もせずに歩いていた俺も悪いが……。

「でもなんか変なんだよねー。あの位置からいっちゃんの方に飛んでくのは不自然っていうか……」

「どういうことだ? 手元が狂ったってヤツか?」

「うんー……」

「なんだよ、歯切れの悪い返事だな」

 綾人は何が言いたいんだ?

 まさか、ボールがカーブしたとでも……。

「…………」

 そういえば、ステージの上に人影が見えた気がするんだよな……。

 だからなんだって話なんだが……。

 体育館の人影……なんか引っかかるんだよな……。



 *一二月二一日 木曜日 就寝前



「今日も疲れたねえ……体育もあったし」

 毎日の日課である、窓を開けての会話。

 綾人は窓枠に寄りかかり、今にも落ちてしまいそうな瞼を擦る。

「オマエは何もしてないだろ」

 コイツはギャラリーへの階段を登り降りしただけだ。

「そういやオマエ、なんでギャラリーから戻ってきてたんだ?」

 前回は上からずっと見ていた気がするが。

「え、えっとー……やっぱりもっと近くで見たいなーって。いっちゃんの活躍」

「そのわりには、バレー側に居たよな?」

「え……えへへ……まあ、細かいことは気にしないで! それじゃボクは寝るね。おやすみ」

 言うだけ言って、綾人はカーテンを閉めた。

「あの野郎……」

 閉められた扉に毒づくが、もう遅い。

 なんなんだ、アイツ……。

「はあ……俺も、さっさと寝るとするか」

 窓を閉め、鍵を締めたことを確認してからカーテンに手を掛ける。

「ふう……」

 両頬に手を当てると、すっかり冷えきっていた。

 冬は厳しさを増していく……この繰り返す世界では、春はまだまだ遠い。

「さて、寝よう」

 電気を消そうとスイッチに手を掛けた瞬間……枕元に置いてあった電話が揺れた。

「着信……?」

 登録されていない番号からだった。

 ……とりあえず出てみるか。

「もしもし……?」

「こんばんは、イツキ」

「!」

 今となっては懐かしい声が、耳元で聞こえた。

「アイ、オマエ、今一体どこに……っ」

「下」

「え……?」

「キミの家の真下だよ」

 俺は急いで道沿い側の窓のカーテンを開ける。

 そこには、真っ暗な道で、街灯に照らされながらにこやかに手を振るアイの姿があった。

 俺は階段を駆け下り、玄関の扉を開ける。

「アイ!」

「イツキ、静かにしたまえ。近所迷惑になる」

 久しぶりに会ったにしては、あまりにも今までと変わらないアイの態度。

 そして、優しい瞳。

「心配……したじゃねえか……」

「すまない。今回は登場が遅くなってしまったね」

 アイは素直に謝罪の言葉を口にする。

 あくまでマイペースなアイに、こちらの怒りがごっそりと削がれてしまう。

 ずっと外にいたのか、アイの頭には薄っすらと雪が積もっていた。

 そんな姿に、緊張感が一気に解かれてしまった。

「オマエ、一体今までどこに……どうして今回は転校してこなかったんだよ……」

「少し、調べたいことがあったんだ……」

「調べたいこと?」

「いろいろね、気になる点が出てきて」

 なんか、アイの顔を見てたら、すごく安心しちまった……。

 言いたいことすげえあったはずなのに……。

「どうしたの、イツキ? 元気なさそうだね……」

「オマエのこと、少しだけ心配してたからな」

「そうか……」

 そう言うとアイは、オレの身体を引き寄せ――――。

 強く抱きしめた。

「な……な……っ!?」

 どうやったらこんな状況になるんだよ!?

「ごめん、キミに一番に連絡すべきだったね……」

 耳元で囁かれるアイの声。

 顔がすごい速度で熱くなっていくのを感じた。

「約束、守れなくて本当にすまなかった」

 そしてゆっくりと身体を離す。

 アイはまるで、捨てられた子犬のような瞳で見つめてくる。

 ……俺がいじめているような光景になってしまった

「あ……えっと。なんつーか……悪い。いろいろ……あったんだ。委員長が襲われるのを……防げなかったり……」

「ああ。レンが刺されるの、昨日だったね……。それで、犯人は分かったのかい?」

「えっと……やっぱり分からなかった……。神田は、悠希っていう後輩を疑ってるみたいだけど。同じ、魔法使いらしいし……」

「そうか……私も、これからシュースケのところへ行ってみよう。まだ、調べたいこともあるし……」

 アイは話を一旦区切る。

「それに、街中で……妙な噂話を聞いたんだ。それが……関係しているかもしれない」

「噂話?」

「ああ」

「今、この辺りの魔法使いの間で密かに流行っているらしい特殊な魔法道具」

「魔法道具って、この前のブレスレットみたいな……」

「そう。アレにもいろいろな形状や効果を持つものがあるんだけど……強力なものだと、結構な高値で取引されているみたい」

「何か危ないクスリみたいだな……」

「言い得て妙だね。私達が利用したものは、制作者も効果も保証されてるから使う時に特に心配することはないんだけど……。もしも出まわっているものが粗悪品だと、どんな効果があるか分からない。自主制作のクスリみたいなもんだね」

「それ、めちゃくちゃ危険じゃないか……」

「危険だよ。好奇心で使っていいものじゃない」

 アイの表情は一層厳しいものに変わる。

 なんだか今日のアイは、前回よりも少し疲れているように見えた。

「……ごめんね。今回はまだ調べたいことがあるので、転校はしないよ。なので、キミと会う回数も少ないだろう」

「そう……なのか……」

 俺はそう返すことしかできなかった。

 しかし、アイはすぐにいつもの表情に戻る。

「少ないということだけで、もう会わないとは言っていない。だから、そんなに悲しそうな顔しないで。また、会いに来るよ」

 そしてにこやかに手を振った。

「おやすみ、イツキ」

 アイは商店街へと続く道を、闇に溶けるように歩いていく。

 冷たい風が吹く中、アイが去っていった暗闇を見つめていた……。

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