Ⅳ-Ⅲ 神田鷲介



 *一二月二〇日 水曜日 自室



 頭の上で何かが揺れる不快感に、俺は目を覚ました。

 枕元で充電している携帯がブーブーと音を立てている。

 アラームなんてかけてないから、電話だろう。

 誰だよこんな朝早くから……。

 俺は寝転がったまま電話を探り当て、通話ボタンを押す。

「もしもし……」

「よっ」

 誰だ。

 寝ぼけた目で画面を確認する。

「え、神田……?」

「おはよーさん、悪いな朝から」

「いや……何かあったのか?」

「オマエに確認したいことがあんだけど、煉がケガするって今日の夜で間違いないんだよな?」

「あ、ああ……いつも木曜日の朝に包帯巻いてたから、それは間違いないと思う」

 どうしたんだ、神田のヤツ……改まって。

「だよな。サンキュ……ふぁ……」

 受話器越しにデカいあくびが聞こえる。

「オマエも眠そうだな。昨日、何かしてたのか?」

「あー……ちょっと交渉に……」

「交渉?」

「ダメだ……頭回んねぇ……ちょっとこれから仮眠取る……また後でな」

「お、おい……っ」

 最後の力を振り絞りボタンを押したらしく、電話は繋がっていなかった。

 俺は暗くなった画面を再び点ける。

 時刻は朝六時半。

 これから仮眠って……これから家に委員長が迎えにくるんじゃ……。

「…………」

 起きれるのか、神田のヤツ……。

「んー……」

 ベッドから起き上がり、背伸びをする。

 俺は俺で目が覚めちまった。

 仕方ない。

 リビングにでも行って、綾人が来るまでニュースでも見てるか。



 *一二月二〇日 水曜日 登校



「明日から雪が降るんじゃなくて、真夏日になるかも」

 登校中、俺の横で綾人がアホなことを言い出す。

 さっきから幼馴染はこの調子だ。

「なんでだよ」

「いっちゃんが一人で起きるなんて、天変地異の前触れだよ……」

 そこまで言うか。

 しかし、神田からの電話で起きたなんて言ったら、余計な詮索をされそうだから黙っておく。

「残念ながら明日からずっと雪だ」

 それは確定事項だからな。

 土曜日までは積もるほど降らないのだが、日曜日だけは夜からすごい降雪量なんだよな。

 前回初めて知ったぜ。

 この地域はいつもそんなに雪が降らないのだが……。

 今年は下手したら一五センチくらい積もるんじゃないか。

「そっかー。たくさん降ったら、庭にかまくらでも作ろっかな」

 何故か綾人は目を輝かせる。

「……勘弁してくれ」

 なんでそんなことやらなきゃいけないんだ……。

 ご近所さんに見られたらさすがに恥ずかしいぞ。

「ええー……小さい頃は一緒に、雪だるま作ったり、雪合戦したじゃん!」

「いつの話だよ、それ」

 確かに小さい頃は雪が降ると……嬉しかった気がする。

 あの頃は寒さよりも、雪で遊べることの方がずっと楽しかったんだ。

 今は雪が降ると……出かけるのも億劫だし、寒いし……。

 雪自体を楽しめなくなっているんだな……。

「いっちゃん? どうしたの、ボーっとして」

「オマエは脳天気でいいなって思っただけだ」

「ふふん」

 何故か得意顔をされる。

 褒めてないぞ。

「あ、煉くんだ」

「え?」

 綾人が学校前の正門を指差す。

 しゃんと伸びた背筋に、一つに縛った長い髪……その後ろ姿で一目で委員長だと分かる。

 今日は俺達は早めに家を出ているのだが、それでも委員長と同じ時間に到着することなんてありえない。

 委員長には朝練があるし、しかも水曜日は遅れてくる日じゃないはず。

 そもそも今日は危険な目に遭うかもしれない日なんだから、神田のヤツ、ちゃんと見張ってなくていいのか。

「ねえねえ……声、かけてみようよ」

「ああ、そうだな……」

 様々な考えが頭を巡る中、綾人が横から手を引っ張ってくる。

「委員長!」

「ん? 大崎か……」

 委員長は足を止め、こちらへ振り返る。

「なあ、大崎。鷲介を見なかったか?」

 にっこりと……今までに見たことない笑顔になった。

「え……」

 あれ……?

 思っていた反応と違う……つーか。

 なんか委員長……怒ってねえか?

 いや……笑ってるけど。

 笑ってはいるけれども……。

「いや、見てはない……な……」

「そうか。ならいい」

 何故だろう……。

 その後ろには、禍々しいオーラが見えるような気が……。

「あ」

 そういえば昨日の放課後、委員長って担任に呼び出されてたよな。

「ええと、もしかして、昨日先生から呼び出された理由と関係が……?」

「ああ。察しの通りだ、大崎。先生から、ヤツが毎度毎度遅刻と早退を繰り返している件を相談されていた。これが初めてではないがな。どうして自分が、毎日毎日わざわざヤツを起こしに行かなければならないんだ? 自分はなんだ? ヤツの母親か何かか? しかも、今日に限ってインターホン押しても出てこないとは何事だ? 電話だって何度かけたと思っている? ということは、インターホンにも電話にも気づかず寝ているということになる。完全な無駄足じゃないか、なあ? 大崎」

「…………」

 ここまで一呼吸で捲し立てられる。

 やっぱり寝過ごしてるじゃないか、神田のヤツ……!

 めちゃくちゃ怖いんだが、この委員長。

「えっと……家の人は……」

「アイツは一人暮らしだ」

 そういえば、ワンルームに住んでるとか言ってたような……。

「では、自分は先に行く。今日の朝練はできないが、せめて掃除くらいは手伝わないとな」

「お、おお……」

 一つに縛ったサラサラの長髪を靡かせながら、しなやかな足取りで校舎へと入っていく。

 今までぽかんと口を開けていた綾人が小さな声を上げる。

「は、初めて煉くんのこと怖いと思った……」

「奇遇だな、俺もだ……」

 委員長のことは怒らせないようにしよう。

 そう心から誓った。



 *一二月二〇日 水曜日 午前授業中



「あー……眠い」

 視界がぼやけてきて、黒板の化学式がゆっくりと踊りだす。

 教師の声も一定の速度で、睡眠欲が助長される。

 授業中ってのは、なんでこうも眠いんだ……。

「授業はちゃんと受けないとダメだよ、いっちゃん」

 隣の席から幼馴染の声が聞こえてくる。

 お前が言うな。

「ん……?」

 ポケットで携帯が揺れる。

 メッセージが届いたらしい。

 それは神田からだった。

 今朝の委員長の姿が、鮮明に思い出される。

 あんだけ委員長のこと心配とか言っておいて、コイツは何をやっているんだ。

『さっき、田端から呼び出しがきた。オマエも放課後、自販機の前に来るように』

 あ……そうか、今日は告白の日でもあるのか。

 正直、告白現場なんてあまり見に行きたくはないが……。

『了解』

 そこまで打って、親指が止まる。

『ところでオマエ、どこにいるんだ? 委員長が今朝、オマエの家に行っても出なかったって言ってたぞ』

 今日は重要な日だってのに、委員長から目を離すとは何事だ。

『マジで? もしかして煉、怒ってる?』

『いや、すげー笑ってた』

『それさらにヤバイヤツじゃねえか!』

『とりあえず、早く学校来たらどうだ?』

『昼休みには間に合うように行く。じゃあ、またあとでな』

 そこで神田とのやりとりが終了した。



 *一二月二〇日 水曜日 昼



 午前中の授業の終了を知らせるチャイムが鳴り、早々にタイムリミットになった。

 ……アイツが来る様子はないな。

「いっちゃん、お昼だよーっ」

 弁当を二つ掲げながら、綾人が机を占拠してくる。

「もっと静かに動けないのか」

「無理!」

 ……そうかい。

「いっただきまーす」

 早速包みを開き、ちょうどいい具合に焼かれた卵焼きを口に入れる。

「おいし」

「そりゃ、おばさんの卵焼きだからな」

 俺も綾人に倣って、弁当の包みを開く。

「んじゃ、いただきま――――」

「いい度胸だ! 首を洗って待っていろ!」

 物騒な言葉を残して、委員長が教室から飛び出していく。

 なんだ、浜辺で決闘でもするのか?

 ……という冗談はさておき。

「れ、煉くん……どうしたの?」

「待ち人が来たんじゃないのか?」

「え? なんで待ち人が来たのに怒ってるの?」

「いろいろ複雑なんだよ……」

「ふうん?」

 興味があるのかないのか……。

 綾人は妙な表情をしながら、二つめの卵焼きに手を伸ばした。

 神田のヤツ、うまくやってるかな……。

 まさか、さらに悪化してないだうな……。

 うーん……他人事ながら、不安になってきた。

「ん?」

 再び教室の扉が開く。

 と。

 そこから入ってきた人物達を、思わず二度見した。

「分かったから引っ張るなって……!」

「うるさい! 大人しくしてろ!」

「え……」

 なんだこれ……。

 なんで委員長が神田を引っ張ってんだ?

 普通、逆だろ。

 オマエが委員長を守らないといけないんだから。

 というか、委員長まだ怒ってるじゃねえか。

「あ、大崎! 助けてくれよ!」

「は?」

 目が合うなり、神田が訴えかけてきた。

「邪魔するな、大崎! 今日こそは真面目に授業を受けさせる! オマエのせいで各教師陣からクレームが入っているんだぞ! しかも何故か自分にだ!」

「なんだか、楽しそうだねー」

 綾人が謎の感想を入れる。

 オマエは何を見ているんだ。

「神田……オマエ、委員長に謝りに来たんじゃなかったのか?」

「来たら捕まったんだ!」

「ああ……」

 納得した。

「大崎、オマエはどちらにつくんだ?」

 委員長は俺を見て笑う。

「俺はいつだって委員長の味方だぜ!」

 ぐっと親指を立てる。

「裏切り者ッ」

 神田は声を上げるが……裏切るも何も、最初からそっち側じゃない。

「まあまあ。もう諦めて真面目に授業受けてみたらどうだ?」

 とりあえず二人の間に立ってみるが……。

「単位は計算してあるから、別に今日は出なくても平気なんだよ」

「そういう問題じゃないだろう! どうして自分が、オマエのお守りなんかしないといけないんだ」

 委員長の文句に、神田は平然と答える。

「クラス委員長だからじゃね?」

「……そうか」

 その答えに満足したように、委員長は極上のスマイルを浮かべる。

「クラス委員長というのは、一般生徒よりも権力を持っているということだ。そして一般生徒は、委員長の命令には従うべきだ。そうだろう? 大崎」

「何も間違ってないっす」

 それ故の委員長という役職だからな。

「鷲介、それじゃあ委員長命令だ。午後の授業をちゃんと受けろ」



 *一二月二〇日 水曜日 午後授業中



 午後の授業が始まり……。

 綾人の二つ前の席にある、見慣れない背中。

 先ほどとは打って変わって、真剣な表情で先生の話を聞く神田の姿があった。

 あのあと、やはり委員長の言うことには逆らえず、大人しく授業を受けることになってしまっていた。

 そういや、神田が授業を受けている姿を見たのは久しぶりな気がする。

 確かに一学期は割とその背中を見ていたのだが……。

 学期の前半のうちに単位を稼いで、あとでラクしようって作戦とか言っていたな。

 そういうところキッチリしてるあたり、不良なんだか、真面目なんだかよく分からないヤツだ。

「え」

 突然神田が首だけで振り向き、こっちをチラリと見る。

「!」

 何故か神田はこちらを見て、少しだけ微笑んだ。

 びっくりした……。

 突然の出来事に、驚いて目をそらしてしまった……。

 神田の方を見ながら、ヒソヒソと楽しそうに話している女生徒もいる。

 そういやいつだったか、悠希も綾人もカッコいいとか言ってたっけ。

「大丈夫だよ、いっちゃん」

 綾人が小さな声で話しかけてくる。

「男は顔じゃないっ!」

「余計なフォロー入れんな!」



 *一二月二〇日 水曜日 放課後



「終わった……オレはこの戦争に勝ったんだ……」

 授業が終わるなり、神田は机の上に倒れ込む。

「オマエは何と戦ってたんだ」

「目の前で講義されると、つい真面目に授業受けちまうんだよ」

「……いいことじゃねえかそれ」

 実はコイツ、真面目体質だったのか。

「これから委員長は部活か?」

「ああ。終わる頃、オレが迎えに行くことになってる」

 それなら安心か。

「あー、疲れた。ただでさえ眠いのに、無駄に集中力使っちまった……」

「飴でも舐めればいいじゃねーか。どうせポケットに入ってんだろ」

「なるほど」

 神田は自分のポケットから棒付きの飴を取り出す。

 やっぱり常備してんのか。

 コーラ味のパッケージを取り、口に入れようとした時……クラスメイトが話しかけてきた。

「お、おい神田」

「あ?」

 邪魔すんなと言わんばかりに、神田はクラスメイトを見る。

「ひぇっ」

「睨むな馬鹿者」

 いつの間にか、委員長がすぐ横に立っていた。

「うるせえ! 元々こういう顔なんだよ!」

 神田が抗議の声を上げるが……。

 委員長は気にせず、クラスメイトに向かい合った。

「すまないな、怖がらせて。コイツに何か用か?」

「あ、ああ……田端さんが呼んでるんだけど……」

「田端?」

 俺達が一斉に視線を向ける。

 そこには、凛とした瞳でこちらを見据えているアイドルの姿があった。

 目があった瞬間、アイドルはまるで聖母のような微笑みをくれる。

 今日も可愛すぎるな……!

「うわー……相変わらず猫かぶってんだな……」

「は?」

 人の感動を台無しにするような神田の返しに、思わずぽかんと口を開く。

「珍しいな……」

 今度は委員長が、少し怪訝な表情で神田を見上げる。

「まあ……そうだな。いろいろあるんだよ」

 神田はぽん、と委員長の肩に手を置き、立ち上がる。

 そしてアイドルと静かに向かい合った。

「神田くん」

 その沈黙を破ったのは田端さんの方だった。

 その澄んだ声を教室中に響かせる。

 クラスの誰もが、その二人の様子に聞き耳を立てていた。

「朝も言ったけど、ちょっとお話があるの。一緒に来てくれるかな?」

「ああ、覚えてるよ。場所は……中庭辺りでいいよな?」

 中庭っていうのは、神田の言っていたとおり、自販機があるところだな。

 つまりこの呼び出しは、以前の世界で起こったことと同じことだ。

「それじゃあ、行こっか」

 アイドルは自然に神田の隣に並んだ。

 それにしても……。

 端から見れば、お似合いのカップルだよな……。

「ハッ……!」

 自分の考えを否定するように思い切り首を振る。

 待て待て、俺は認めないぞ!

「煉! 部活終わる頃迎え行くから、勝手に帰んなよ!」

「……あ、ああ」

 委員長は、教室から出て行く二人を見つめていた。

「あ……」

 そしてその後すぐ、神田が俺に向かって目配せしてくる。

 ついて来い……ってことか。

 アイドルには悪いが……立ち聞きさせてもらおう。

「ちょっといっちゃん、どこ行くの?」

 しかしすぐ横から邪魔が入る。

 しまった……コイツの存在をすっかり忘れていた……。

「まさか立ち聞きするの!? そういうの、よくないよ!」

 隣で文句を垂れるが。

 元はと言えば、オマエが告白現場を見たのが発端だろうが。

「シーッ! いいんだよ。本人から許可はとってあるんだから」

「え? そうなの? でもどうして?」

 わけが分からないといった様子で、綾人は首を傾げるが……。

「ええと……」

 くそ……っ。

 言い訳考えてる間に、神田達が行っちまう!

「あーもうっ! オマエも来いっ!」

「え、ええ……っ!?」

 慌てる綾人の手を引き、階段を駆け下りた。



 *



 中庭は休み時間とは違い、人の気配はまるでなかった。

 俺と綾人はとりあえず、近くの自動販売機の影に隠れている。

「……神田くん、改めてお話あります」

 そう言うとアイドルは、前髪を軽く整えながら神田と向かい合う。

 二人の間に、冷たい風が通り抜けた。

 近くには誰もいない。

 近くには、だ。

 たぶん校舎から盗撮はされてるんだろうな。

 しかし……。

 なんだろう……向かい合う二人のその雰囲気は告白……というよりは……。

「決闘みたい……」

「俺もそう思った……」

 綾人は俺の背に隠れるように、後ろから顔を覗かせる。

「へえ、みんなのアイドルがオレに話なんて驚きだな。その妙な口調やめて、そろそろ本性表したらどうだ?」

 神田の物言いに、田畑さんの眉毛がぴくりと動く。

「あははっ! なにがみんなのアイドルよ。バッカじゃないの?」

 あ……えっと……。

 え……?

 今の……田端さん、か……?

「で、元ヤン。話ってなんだよ」

 しかも神田のヤツ、めちゃくちゃ煽ってるな!?

「あ、前にナンパから助けた礼か? それなら菓子折りでも持ってきてくれればいいぜ」

「はあ? 誰が助けてくれなんて言ったわけ? あんなの、私一人で何とでもなるんですけど」

「はいはい。人前だったから、逆に暴れられなかったんだよな。だからそれを助けてやったんだろ」

「いちいちうるさいわね……」

 アイドルから、その可愛らしい顔立ちとは真逆のセリフがポンポン出てくる。

「……悠希くんのことよ」

 しかし今度はよく知る名前が出てきた。

「駒込がどうかしたのか?」

「……最近、様子がおかしいの。元気がないっていうか、思いつめてる感じで……」

「へえ……」

 神田が悪い笑みを浮かべる。

「……何よ」

「オマエ、まだ駒込のこと好きだったのか?」

「好きだよ……初めてあった時からずっと……」

 なんだか聞いたことのあるセリフだった。

 ……ああ、綾人はこのへんを聞いていて勘違いしたんだな。

「ねえねえ」

 横で、ちょんちょんっと綾人が服を引っ張ってきた。

「いっちゃん、帰ろ」

「はい?」

「そんなに落ち込まないで! ココア奢ってあげるからさ!」

 綾人は目を優しく細める。

 ああ……そういうことか。

 コイツは、まだ俺がアイドルのことを好きだと思ってるんだな。

 ……いや、好きだけど!

 とりあえず、綾人の頭をポンポンと叩いておいた。

 神田は髪の毛をかき上げ、困ったように田端さんを見る。

「アイツには関わるな……って、言っても無駄なんだろうな」

「当たり前でしょ……! もし、私が悠希くんを支えられるのなら、とっくにやってる。でも……悠希くんは……違うから。私とは、住む世界が……違うんだよ。あなたも同じなんでしょ……? 私じゃ、あなた達の世界に入れない……」

「…………」

「だから、それをなんとかできるのは……私の知り合いでは、あなただけなの。悠希くん……この頃思いつめたような表情ばかりしてる。きっと、何かしようとしている。でも……私じゃそれを止められない……」

「そうか……」

 神田は、田端さんの言葉に対して明確な答えを返さなかった。

「……話はそれだけ。時間取らせて悪かったわね。もしも、アンタに少しでも悠希くんを心配する気持ちがあるのなら……。私が今言ったこと、心に留めておいて」

「……ああ」

 何を考えているのか、神田はどこか一点を見ていた。

 しかしすぐに何か思い出したように、バッと顔を上げる。

「あ、そうだ。わざわざここまで出向いてやったんだ。二つ質問に答えろ」

「……何?」

「オマエ、天使の絵って見たことあるか?」

 神田のヤツ、この流れでその話をすんのか?

「……私は、そっち系の人間じゃないわよ」

「まあ……そうだよな」

 アイドルは関係ないと踏んだのか、神田はその質問を途中で切った。

「二つめの質問」

 再び顔を上げた神田の瞳は、真剣だった。

「オマエの知り合いで、普段からナイフを持ち歩いてるヤツっているか?」

「……は? なによそれ。ああ、刺される心配してるの? 普段からそれくらいのことしてるもんね」

「してねえよ!」

「そんな物騒なヤツ、私は知らないわ」

 アイドルはまるで猫のようツンとして、神田から顔をそむける。

「そもそも、これからはモデルで生きていくことに決めているの。だから、元ヤンだのなんだの、あまり口外しない方が身のためよ」

「さっそく恐喝してんじゃねえか……」

「もういいでしょ? 私は帰るわよ」

 アイドルはまるで何かのステージのように華麗にターンをし、元来た道を歩いて行く。

「……悠希くんを、お願いします」

 今にも消えそうな、か細い声。

「ああ……」

 一人残された神田に、冬の風が吹きつける。

 そして。

 こちらを一目見ると、ふっと目を細めた。

「もういいぞ」

 神田の呼び声に、俺は素直に出ていく。

「あ……っ」

 歩いていく俺に気がついた綾人が、慌てて追いかけてくる。

 俺は横目でそれを確認すると、神田の元へ向かった。



 *



「ほら」

 神田はすぐ横にある自販機からココアを買い、それを綾人に渡した。

「あ、ありがと……っ。えっと……お金……っ」

「いらねえよ」

「え、でも……っ」

「悪いな、その代わりちょっと待っててくれな」

 神田は綾人の頭にぽんと手を置いた。

 綾人といい、委員長といい、神田は人の頭の上に手を置く癖があるみたいだな。

 ……いや、ただ単に身長が高いからか。

 綾人の頭の位置は、俺でさえ手が置きやすい位置にあるしな。

「……うん」

 綾人は小さな声で返事を返す。

 どうやら照れているらしい。

 珍しく神田のことは気に入ってたからな……。

「いただきます」

 綾人はそういうと、俺達から少し離れたベンチにちょこんと座った。

 大人しく待っていてくれるらしい。

 手短に話を進めるとするか。

「な? オレへの告白じゃなかっただろ」

「ああ、オマエの言ったとおりだったな」

 告白どころか、とんでもない内容だったけどな。

「つか、悪かったな……」

「え? 何が?」

「田端桃香の……本性っつーか……本来のキャラ? いつまでも夢見てた方が幸せだったかなって」

「ああ……確かにアレは衝撃的だったけど……」

 それでも、田端さんが可愛いことには変わりないからな!

「神田は、アイド……田端さんとは仲いいのか?」

「悪くはないな。本人に言ったら絶対否定されるけど」

 嫌われてるんだオレ、と言って、神田は楽しそうに笑う。

「知り合ったのは中学の時だったけど、その時からアイツ、駒込のこと好きだったんだよ」

「一途なんだな……」

 改めてアイドルの気持ちを聞かされたが……不思議と、ショックは少なかった。

 まあ、随分前から分かってたからな……。

「いやー、あの時は二人とも荒れててさ」

「マジで」

「まあ田端の場合は荒れてる駒込が心配だから、後ろにくっついてるだけって感じだった。まあ、駒込は田端には興味なかったみたいだけどな」

「もったいないヤツ……」

 悠希に言い寄る女の子なんて山のようにいるとは思うけど……。

 特にあんなに大切に思ってくれる人なんてなかなか居ないのにな。

「ただ、途中から……駒込の荒れ方が変わったんだ」

 神田は深くため息をつく。

 荒れ方が変わるって、どういう意味だ?

「悪い連中と、関わりを持っちまったんだよな」

 悪い連中……というと、アレか。

 路地裏でたむろっているようなヤツらと……。

 もしくは、反社会的組織……。

「……アイツも魔法使いなんだ」

 ……は?

「はあ!?」

 衝撃の事実に、思わず声を上げてしまう。

「悠希が!?」

「ああ。魔法使いってそこらにたくさんいるって話したろ? そこそこ力を持ってるヤツらが集まってるコミュニティがあって、それに入ったんだ」

「ええと、オマエが所属してるのとは……」

「全く別。オレの所は特別だから」

「特別……」

「そんで、魔法使いじゃない田端は、そこに入り込むことができない。だから、今すごく心配している……こんな感じだな」

「なんで今まで黙って……」

「オレに言わせてみれば、アイツの魔法は、大したもんじゃないからな。アイツもオマエには懐いてるみたいだし、知らなければ攻撃はしてこないだろ」

 確かに、今までの悠希の態度から、そんな素振りは一切なかったけれど……。

「悠希はどんな魔法使うんだ?」

「風。大気中の風を操れる」

「それって、すごくないか……!?」

「つっても、素人に毛が生えたくらいの威力だけどな。威力的には……そうだな……。スカート捲りができる程度ってとこか」

「スカート……!?」

「羨ましそうな顔しているところ悪いが……アイツはそんなことやる必要ないだろ」

 ……確かに。

「はっ……!」

 同時に、ずっと疑問だったことの答えが見えた。

「あのイケメンに吹く謎の風はそのせいか!」

「は? なんだそれ?」

 悠希がやってくると、前髪を揺らすあの謎の風……!

 あの風にはちゃんと意味があったんだな。

「まあ、それは置いといて。それで、オマエと悠希の関係ってなんなんだよ」

「スカウトされてんだよ、駒込に」

「スカウト?」

 ってもしかして、モデルの……。

 ……ないな。

 モデルって、必要なの身長だけじゃないし。

 悠希みたいな甘いマスクとはかけ離れてるし。

「オマエ、また失礼なこと考えてやがるな」

「いや、別にー……」

 くそ、なんでバレるんだよ。

「アイツの所属してるチームに力を貸して欲しいんだってよ」

 貸す気はねーけど、と付け足す。

「さて。とりあえず、話は終わりだ。さっき田端にも言ったとおり、オマエも駒込には深入りしない方がいい。田端も言ってただろ、住む世界が違うって」

「それは……」

「オレは……煉を狙っている犯人は、駒込だと思ってる」

「は!?」

 はっきりと、神田はそう断言した。

 そこに、迷いや疑問は一切無かった。

「オマエがこちら側だってバレると危険だ。アイツに敵と判断される可能性もある」

 危険って……。

 あの悠希に限って……。

「油断するなよ。力は大したことないとはいえ……アイツだって魔法使いなんだ」

 神田は真剣に目を細める。

 それは……それの恐ろしさを知る者からの警告なのかもしれない。

「……さて。そろそろ時間、だな」

「終わったー?」

 たたたっと、綾人がこちらにやってくる。

「ああ、悪かったな月島」

「う、ううん……ココア、もらったから……えっと……」

「よしよし」

 もう一度神田に頭を撫でられ、 綾人は真っ赤になって、すぐに俺の後ろに隠れた。

「面白いな、コイツ」

 さっきまでの真面目な顔から一変して、人懐っこい笑顔を浮かべる。

「面白いっつーか、変っつーか……」

「変とは何だよ!」

 ポカポカと、背中を叩かれる。

「いててて……」 

「ほら、早く帰れよ。月島様がお怒りだぞ」

「……そうだな」

 綾人にはずっと待っててもらったし……。

「ほら、帰るぞ綾人。神田、オマエはまだ学校にいるのか?」

「ああ……煉を待ってる。今日は煉を守らなくちゃいけない日だからな」



 *一二月二〇日 水曜日 商店街



『絶対に来るなよ』

 家へ帰った直後に神田から来たメッセージだ。

 わざわざこんなこと送ってくるなんて信頼されてないなと、思いつつも……。

 まあ、絶対に来るなと言われたら……。

「別に見に行くわけじゃないからな。ちょっとコンビニ行くだけだし……商店街まで」

 と、何度も心の中で言い訳を繰り返しながら、家に帰ってすぐに学校へ向かってユーターン。

 俺を心配してくれる神田の忠告を守りたい気持ちもあるが……。

 やっぱり気になってしまう。

 もちろん綾人には見つからないようにこっそりと。

 あと、念の為夕食はいらないとメッセージを送っておいた。

 先程『なんでさー!』と、返ってきたが、返信はしていない。

 余計なこと言うと捜しに来そうだからな。

 そして現在。

 ナイスなタイミングで校舎から出てくる二人を発見。

 一定の距離を保ちつつ、商店街に入る二人の後について歩いている。

 いわゆる、尾行……刑事物のドラマみたいだ。

 時刻は一八時半。

 今のところ異常は無さそうだ。

「…………」

 夜の街は、昼間とはまた違う一面を見せていた。

 これから出勤するホストやキャバ嬢などもチラホラと歩いている。

 あとはこの地域で一番荒れていると言われている高校のヤツラがあちこちで騒いでいる。

 田端さんにナンパしてたヤツが着てた制服のところだ。

 時代が移り変わっても、ああいうヤツらってまだ生息してるんだな。

 いつも昼間はあまり見かけないのだが、コイツらは一体どこから湧いて出たのだろうか。

「さて……」

 そろそろ商店街も終わりに近づいてきた。

 辺りにはたくさん人がいるが、特に変な動きをする様子はない。

 確か、委員長が刺されたのは商店街だって言ってたな。

 ということは……。

「良かった……」

 ホッと胸を撫で下ろす。

 今回は何事も無く、普通に帰れそうだな……。

「あれ? 先輩、何やってるんですか?」

「!」

 急に背後から声をかけられ、思わず勢い良く後ろを振り向いてしまう。

「ゆ、悠希……!?」

 そこには、きょとんとした顔で悠希が立っていた。

 前のものとは違い、オレでも知っているスポーツブランドのダウンコートを着ている。

 毎回毎回違う服装で現れやがって。

 そして毎度お馴染み……ふわりと、イケメンのみに吹くとされる風が起こり、前髪を揺らす。

 この風の魔法使いめ……トリックはとっくに割れてるんだからな!

「……って」

 待て待て!

 なんでコイツがここに!?

 なんでこんなにタイミングよく現れるんだよ!?

 ……やっぱり、神田の言った通りなのか?

 犯行現場に現れるってことは悠希が、委員長を刺した犯人……。

 いや、でも……。

 横目を使い、神田達の様子を確認する。

 あの二人は何事も無く歩き続けている。

 つまり……まだ、何も起こっていない。

「先輩? どうしたんですか、キョロキョロして」

「あ、いや……なんでもない……」

 神田の忠告が頭の中をぐるぐると回る。

 まさかこんな時に悠希が現れるなんて、完全に想定外だった。

「先輩がこんな時間に一人でいるなんて珍しいですね」

 いつもの笑顔で話しかけてくる。

「それを言うなら、オマエだって……」

「僕は友達とカラオケの帰りです」

「合コンか」

「話聞いてました? 友達とカラオケですって」

 悠希は困ったように笑う。

「だって最近、先輩、一緒に遊んでくれないですし」

「う……」

 捨て犬のように悲しげな目をされる。

 この顔を見ていると、心に罪悪感が芽生えてくる。

「わ、悪かったな……。ちょっと最近、忙しいというか……面白いほどいろんなことが立て続けに起こってるというか……」

 世界のループには巻き込まれるわ、魔法使いとは関わりにあうわで。

 ……目まぐるしく変化する日常に、ついていくのがやっとだ。

「それじゃあ、落ち着いたらゆっくりご飯でも行きましょうね」

 それはいつもと変わらない、人懐こい頬笑みだった。

 神田はコイツのこと疑っているようだが……やっぱり悠希は、人を刺したりなんか……。

 その時。

 ガシャンと、何かが割れる音が聞こえた。

 そしてすぐに男達の怒声が耳に飛び込んでくる。

「なんだ……!?」

「あっちですかね?」

 悠希が向かいの道を指差す。

 よく見ると、そこには例の制服のヤツらが複数人で向かい合っていた。

 どうやら仲間内で揉めているようだ。

「喧嘩みたいですねぇ」

「ああ……」

 なんだ、人騒がせな。

 これは神田達とは関係ないみたいだな。

「この辺りは治安が悪いな」

「ですね。この辺は特にそうかもしれません。こっち側の路地裏へ入れば歓楽街も近いですし。先輩、もう用事が済んだのなら、お家まで送っていきましょうか?」

「……そういうのは女の子に言ってやれ」

 ひと睨みすると、悠希は楽しそうに笑う。

「でも先輩って結構色んなことに巻き込まれる体質じゃないですか。気をつけた方がいいですよ。『好奇心は猫を殺す』です」

「怖いこと言うな、オマエ……」

 まさか俺に対する警告じゃないだろうな。

 一抹の不安が過ったその時……。

「煉!」

「え……」

 今度こそ、知っている名前が耳に飛び込んできた。

 慌ててその声を探せば、ちょうど街灯が途切れた部分で、しゃがみ込んでいる人物がいる。

 俺は考える前にその人物に向かって走り出す。

 そしてすぐ隣……それを心配するように寄り添う人物と目が合った。

「大崎……!?」

「神田……」

 座り込む委員長の右手からは血が流れていた。

「まさか、さっきのガラスの音……」

「いや、あれは関係ない……」

 神田は委員長の手に、ハンカチを巻いている。

 関係ない……?

「同じなんだよ、前の状況と」

「前の……」

 それって、いきなり何かガラスみたいなのが飛んできたってヤツか?

「五樹先輩ー、どうしたんですか?」

「駒込……!?」

 悠希の登場に表情を浮かべる神田。

 そりゃ……そうだよな……。

「大崎……オマエ、ずっとそいつと一緒にいたのか?」

「あ、ああ。オマエの声が聞こえた五分くらい前から……」

 神田の顔は、未だ驚いたまま固まっていた。

 確かに神田は悠希のことを疑っていたけど……。

「悠希……」

 俺は悠希に視線を移す。

 悠希は、困ったように俺と委員長を交互に見ているだけだった。

 もしも悠希が犯人だったとしたら……俺に話しかけて、自分の存在をアピールする必要はないんじゃないか?

 わざわざ登場したって、余計自分に疑いがかかるだけだし……。

 しかも、俺と悠希は確かにずっと一緒に居た。

 いくらコイツが風の魔法使いっていったって……。

「オマエ達、いつまで見つめ合っているつもりだ?」

「え?」

 委員長の言葉で、俺達の時間が動き出す。

「痛い」

「あ、悪い!」

 突然神田は立ち上がり、

 そして――――。

「病院連れてく!」

 まるで子供でも抱っこするかのように、神田は委員長を易々と持ち上げた。

 いわゆる、お姫様抱っこで。

 いくら委員長が細身だからって、同じ学年の男をそんな簡単に……。

「お、降ろせ馬鹿者……っ! ケガしたのは手だ! 自分で歩けるっ!」

 突然の出来事に、委員長は顔を真っ赤にして抗議の声を上げている。

「悪い大崎! 続きはまた明日!」

 外野のことなど構っていられないと、夜のアスファルトを蹴り、走りだす。

「お、おい……」

 みるみる遠くなっていくその後ろ姿。

 俺は空を切った手を、静かにおろした。

 神田の言う通り……。

 何よりも、委員長の手当が最優先事項だ。

 それ止める理由は、持ちあわせてなかった。

「行っちゃいましたねえ……」

 悠希はまるで興味なさそうに、腕を組む。

 まあ、突然巻き込まれたんだから当然の反応だろうな。

 さっきまで、呆気にとられていたみたいだし……。

 でも、少し安心した。

 悠希は、犯人じゃなかったんだな。

「……やっぱり、大切なんだ……上野煉のこと」

 風にかき消された声。

 うまく聞き取れずに、思わず振り返るが……。

 すでにそこには、悠希の姿はなかった。



 *一二月二〇日 水曜日 自室



 シンとした部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。

 ああ……なんだか、すごく疲れた。

「…………」

 委員長……大丈夫かな。

 あの様子から、そこまで深いキズじゃないとは思うが。

 神田がいたのに、事件の詳細が分からないなんて……。

 まさに魔法のようで気味が悪い……。

 そして悠希の最後の言葉。

「深い意味はない……と、思いたいが」

 ここで俺がいろいろ考えても仕方がない。

 明日、神田に詳細を訊いてみよう。

 チラリと幼なじみの窓を見る。

 まだ二一時だというのに、カーテンは完全に閉まり、部屋も暗くなっていた。

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