Ⅳ-Ⅰ 神田鷲介



 *



「おーい、いっちゃん、起きてー」

 ……耳元で、声がする。

「遅刻しちゃうよー?」

 ああ、綾人か。

 ついさっきまでアイといた記憶がある。

 ということはやはり世界が……。

「あ、起きた」

「重い……」

 うっすらを目を開け、枕元に手を伸ばす。

 開かれたカーテンから入り込む、朝の光が眩しい。

 充電してあった携帯電話を近くまで手繰り寄せ、画面を点けた。

 日付は一二月一八日。

 やっぱり、ちゃんと戻ってきている。

「いっちゃん、どうしたの?」

「いや……」

「今日は寝起きがいいんだね。いつもあと五分~とか言ってるのに」

 綾人は俺の上には乗らず、ベッド脇にしゃがみ込んでいた。

「まあ……たまには、な」

 雪の中で触れたアイの手を思い出す。

 今回のループは自分で決めたものだ。

 前回の世界と違って、少しの不安も無かった。

「いつもより二〇分も早く起きたから、これで煉くんに注意されないね」

 綾人は満足したように立ち上がると、部屋のドアに手をかける。

「朝ご飯、もう用意してあるよ。早く着替えて降りてきてね」

「……おお」

 俺はベッドから起き上がると、軽く伸びる。

 綾人の言う通り、なんだか今日は目覚めがいい気がした。



 *一二月一八日 月曜日 登校



「ということで。日曜日のクリスマスイブも残念ながら、いっちゃんとは一緒にいられないのでーす」

 綾人は何故か胸を張りながら、住宅街の電柱に貼られたチラシの横に立った。

 そこには『クリスマス会のお知らせ』の文字。

「知ってるよ、いつものことだろ」

 軽く返事をしておく。

「寂しくない? 大丈夫?」

「いや、全く」

「ふうん」

 幼馴染はつまらなそうに口を尖らせる。

「ちなみに、劇で主役やるんだけど」

 その言葉に、前回見たリハーサルの場面を思い出す。

「…………」

 割と上手だったよな、綾人にしては。

「そんなこと言うと、本番観に行くぞ」

「そ、それはダメだってぇ……」

 急に眉毛がハの字になる。

 どんなに上手でも、やっぱり身近な人間に来られるのは嫌なのか。

 まあ、俺が同じ立場だったとしたら……嫌だな。

「そうだ。特別に、練習中の写真なら見せてあげないこともないよ」

「へえ、そんなものがあるのか」

 この展開は初めてだな。

「衣装合わせした時のだけどね、どう? 見たい? この前神父さんに携帯で撮ってもらったんだ」

「衣装ってあの……」

 二つ程前の世界を思い出す。

 シスターみたいな服来て帰って来たんだっけな。

 あれが演劇の時の衣装だったはずだ。

「別に見たくは……」

「あ」

 そこで綾人が、突然立ち止まる。

「どした?」

 俺も足を止めてやると、綾人はポケット、カバン……と順番に触れながら、何かを探している。

 ひとしきりその行動を続けていたが、ついに諦めたのか、顔を上げた。

「携帯……家に忘れた」

「おい」

 まさかの忘れ物。

 しかも通学路のこんな中途半端な場所で思い出しやがって。

「取りに……行っていい?」

 自分の失態を誤魔化すように笑う。

「いいけど、先行ってるからな」

「ええー……」

 俺の返事にガックリと肩を落とす。

「荷物くらいは持っててやる」

「うう、分かったようー……」

 綾人は俺を連れて行くのは諦め、小走りに今来た道を戻る。

 ここから家までは走って一〇分くらいか。

 今朝早起きした分は見事にチャラ……むしろマイナスになってしまったな。

 委員長すまん、月曜日はどうしても遅くなる運命のようだ。

 ま、ゆっくり歩いていればそのうち追いついてくるだろう。





「五樹先輩!」

 とっくに学校についてしまい、正門の横で綾人待ちをしていると、奥にあるグラウンドから後輩がひょっこり現れた。

 悠希はすでに運動着に着替えていて、首にタオルまでかけている。

 朝練が終わった悠希と、ちょうど遭遇するタイミングだったらしい。

 ふわりと吹く風により、髪の隙間から銀色のピアスが見えた。

「朝から走りまわって元気だな」

「そうなんですよー。ただの助っ人なのに、コキ使われ過ぎですよね」

 そう言って困ったように笑う悠希だが、特に迷惑には思ってなさそうだった。

「こんなに疲れちゃうと、授業中眠くなって困ります」

 悠希はわざと目を細める。

 しっかしまあ……イケメンはどんな顔しても崩れないな。

「どうせ適当に手、脱いてるんだろ? また体育館のギャラリーで寝てたらどうだ?」

 ふふん、と鼻を鳴らしてみる。

 しかし、悠希から返ってきたのは意外な反応だった。

「え? 先輩、知ってたんですか?」

 それは、疑念を含んだ表情だった。

「あ……」

 しまった……またやっちまった。

 この世界では、そのことを聞いていなかったんだ。

 これじゃあ、この前綾人に助けてもらった状況と同じじゃないか。

 つい、口が滑ってしまった。

「い……いや、たまたまだよ。偶然、そんな噂を耳にしただけだ。ほ、ほら……オマエ目立つじゃん?」

「ええー……それじゃあまた別の隠れ場所、探さないといけないなぁ……」

 悠希はガックリと肩を落としただけで、深く追求しようとはしてこなかった。

 そしてすぐに部活のメンバーに呼ばれたため、俺に軽く会釈すると、小走りで仲間の元へ戻っていく。

「あっぶねー……」

 人と話す時はよく考えてから言葉にしないとダメだって分かってるのに、ついポロっと出てきてしまうな。

「いっちゃん、おまたせー!」

 寒空の下、さっきよりもヘロヘロになりながら走る、幼馴染が現れた。

 鼻の頭が赤くなっている。

「遅い」

「ごめんってー」

 肩で息をする綾人に、荷物を押し付ける。

 綾人はそれを受け取ると、取ってきた携帯をカバンに入れる。

 校舎の壁に取り付けられた大時計を見上げれば、毎週の到着時間と変わらない、ホームルーム開始ギリギリの時間になっていた。



 *一二月一八日 月曜日 教室



「おはよう、二人とも。遅刻……とまではいかないが、もう少し早く来た方がいいぞ」

 教室に入ると、委員長が迎えてくれた。

 本来ならクライメイトに注意なんかしたくないだろうに。

「今日は早く来る予定だったんだよ。なのにコイツが忘れ物して取りに帰ったんだ」

「えー! ボクのせい!?」

「間違いなくそうだろ」

「……はい」

 綾人は見苦しく抵抗する姿を見せるも、最後は素直に頷いた。

「相変わらず、仲がいいな」

 委員長は俺達を見て笑う。

 一つに縛っている長い髪からふわりと制汗剤の匂いがした。

 そういや、いつも朝練してるんだよな。

 この寒い中、恐れ入るぜ。

「委員長、土曜日大会なんだっけ?」

「よく知っているな」

 委員長は驚いた表情を見せる。

「ほ、ほら……弓道部って強いんだろ? だから、なんとなく耳に入るっていうか……」

 またつい、知っている情報を喋ってしまった。

 頼む、誰からの話かは訊かないでくれ……!

「そうなのか」

 委員長は一言で流してくれた。

 どうやらその手のことにはあまり興味がないらしい。

 この街には四つの高校があるが、俺達が通う柊明高校は偏差値、運動……何においても平均の高校だった。

 一部の運動が得意な生徒は推薦で入ってきているが、ほとんどの生徒は別の高校に取られてしまっている。

 そのため、委員長はこの学校の期待の星なのだ。

 なのでクラスで噂になっていてもおかしくない……はず。

「スポーツの強豪校は楸原高校だが、弓道に至っては、うちと……私立の一校がいつも優勝争いしているんだ」

 ついでに弓道部情報を追加で教えてくれた。

「私立っていうと……あの臙脂色の制服のとこか」

「ああ。前回とてもいい勝負ができたからな。また手合わせできるのが楽しみだ。もちろん負ける気はない」

 美人な顔立ちながら、武闘派なことを言う。

 運動部所属だけあって、勝負事が好きなんだな。

「さて、自分は席に戻るぞ」

 委員長はそう言って俺達に背を向ける。

 そういえば……。

 確か水曜日の夜に、誰かに切り付けられるんだよな。

 一体何の恨みがあって委員長を狙うのだろうか……。



 *一二月一八日 月曜日 ホームルーム



「それじゃあ、ホームルームを始める」

 そう言って教師は、頭をボリボリと掻きながら、やる気のない声と共に教壇に立つ。

 そこそこの長身なのだが、猫背が全てを台無しにしているように見えた。

 俺と綾人は急いで自分の席に座る。

 それを確認すると、教師は教卓の上に両手を乗せた。

「さて、来週から冬休みに入るが……あまり羽目を外さないよう――――」

 教師はそのまま何事もなかったかのように、ホームルームを始めようとする。

「ん……?」

 何事もなく連絡事項を言い始める担任に、違和感を覚える。

 なんかいつもと流れが違うんじゃないか?

 どうしていつまで経っても転校生の話にならないんだ?

「なあ……委員長」

 俺は慌てて後ろを振り返る。

「どうした?」

「転校生って……来ないのか?」

「何の話だ? 転校生が来る予定でもあったのか?」

「いや……」

 そうだ……委員長が知るはずがない。

 だってアイは、今朝……転校を決めるんだから……。

「まさか……」

 ループの記憶が消えた、とかじゃないよな……?

 いや……アイツに限ってそんな……。

 だってアイは……アイツ自身が反魔法の存在であるわけで……。

 だったら記憶が消えるなんてことが起こるわけがない。

「いっちゃん、どうしたの? 顔色悪いよ?」

 綾人が不安そうに覗きこんでくる。

「いや……」

 視線を避けるよう、俺は机の下で携帯電話を開く。

 アドレス帳から、アイの番号を探すが……。

 アイの情報は登録されていなかった。

 ……当たり前だ。

 この日はまだ、アイと連絡先の交換をしていない。

 前回の一週間……世界のすべてはリセットされてしまっているのだから。

 もしかして、何かに巻き込まれたのか?

 アイの身に何かあったんじゃ……。

「以上。これでホームルーム終わるぞー」

 教師は眠そうな半開きの目で教室から出て行った。

 同時に騒がしくなる教室。

「…………」

 まいった……これから、俺はどうしたらいい。

 俺はたまたま、アイの力でこの強制リセットを防いでいるだけだ。

 そんな俺にできることなんて……。

「くそ……」

 ああ、前回と同じだ……先の見えない不安に覆われていく感覚。

 同じ境遇の者が誰一人いないと、ここまで不安になるものなのか……。

 せめて、誰か……。

「……あ」

 いた。

「そうか……」

 いるじゃないか……。

 アイの手に触れた、俺と同じ状況のヤツが!

 立ち上がった瞬間、椅子がガタリと派手な音を立てる。

 クラス中がこちらを見た気がしたが、そんなこと気にしていられない。

「いっちゃん、どこいくのさ!」

「具合悪いから休んでくる!」

 それだけ言い残すと、俺はヤツがいるであろう場所に全速力で走り出す。

「うっそ! 元気じゃんーっ!」

 綾人のツッコミが、背後から遠く聞こえた。



 *一二月一八日 月曜日 屋上



「……さむ」

 晴れているとはいえ、真冬の屋上に吹く風は氷のように冷たい。

 身体全体を突き刺す矢のようだ。

 太陽もしっかり出ているし雪も降っていないが、やはり寒い。

 コートを着てくれば良かった。

「ここに、いるはずなんだが……」

 アイツも前回、反魔法の力をもらっていた。

 それならば……前回の記憶だって持っているはずだ。

 同じ魔法使い同士だし……もしかしたらアイの行方も知っているかもしれない。

 と、思ったんだが……。

「……今日はいないのか?」

 辺りを見回しても神田の姿はない。

 冬の静かな屋上だ。

 そういや、アイツも神出鬼没なヤツだったな……。

 今さらそんなことを思い出した。

「はあ……」

 肩透かしを食らい、思わずため息が漏れる。

「……帰るか」

 ここで途方に暮れていても仕方ない。

 委員長に神田の居場所を訊いてみよう。

 委員長なら、連絡先も知ってるしな。

「身体、すっかり冷えちゃったな……」

 はーっと両手に息を吐く。

 こんなの気休めにもならない。

 諦めて、冷え切った鉄製のドアノブを掴もうと手を伸ばす。

「……っ」

 なんだ……?

 突然、強い眩暈が襲ってきた。

 ぐにゃりと視界が歪み、目の前がチカチカと光り出す。

 足元の感覚が失われていく。

 あ……これ、この前の教会の時と同じ……。

 くそ……踏みとどまることができない……。

 すぐ近くまで迫ってきている床を避けることができない……!

「おい、大丈夫かっ!?」

 強い力に支えられたおかげで、なんとか地面との衝突を免れた。

「何やってんだよ、オマエ……」

 耳元で怪訝な声が聞こえる。

「神田……」

 後ろから羽交い締めのように支えているのは、神田だった。

 助けて……くれたのか……。

「いや……急に眩暈がして……」

「眩暈?」

「……大丈夫だ。もう治まったから……」

 俺は神田から離れると、壁に寄りかかるように座る。

 教会で起こった目眩や気持ち悪さよりは軽いものだった。

 こうしている間にも、もうそれは治りつつあった。

「……オマエさ、ループこれで何度目だっけ?」

 腕を組んだ神田が、立ったまま俺を見下ろしてくる。

「えっと……三度目くらいかな」

「そうか……」

 意味ありげに目線を逸らす。

 俺のループ回数が何か問題あるのか?

「四位の反魔法は強力だからな……それにオマエは魔法に何も耐性がない。魔法の力によって、何か副作用が起こっているのかもしれない」

「な……」

 言葉に詰まり、思わず右手を見る。

「なんだよ……副作用って……」

 確かに、少し右手の感覚が鈍いような……。

 まさかそんなことを言われるなんて思ってもみなかった。

 一体、俺の身体にどんな異変が……。

「あ……」

 突然神田は、気の抜けた声と共に、さっきのドアノブに触れた。

「悪い。ドアに結界張ったままだった」

「……は?」

 神田はドアノブの取っ手に点けられた小さなシールのようなものを剥がす。

 それは直径三センチくらいの円型で、謎の文字が描かれていた。

「だから、結界だって。ドアノブ触ろうとするヤツの邪魔するように仕掛けてあったんだ。しかも俺、間違えて外側に張ってんじゃん。普通、入って来れないように内側に張るもんだろ。やべーオレ」

 自分でやったことに自分で笑っている。

「おい! 人を散々不安にさせといてそれか! というか屋上を私物化するな」

「悪かったって」

 神田はまだ笑っている。

 絶対に悪いなんて思っていないな。

「気に入ってんだよ、ここ。この学校で、一番空が近いだろ」

「空……?」

 確かに近いが……。

「……あ」

 そこで俺は我に返り、当初ここに来た目的を思い出した。

「神田!」

「な、なんだよ……」

「大変なんだ……今回、アイが転校して来てない……!」

「アイ……? ああ、四位のことか。なんか新しい情報でも手に入れて、作戦でも変えたのかね」

 神田の反応は、思ったよりも薄いものだった。

「あんまり驚かないんだな……」

「四位のことだからな、何か考えがあるんだろ」

 そう言って笑う神田の表情は、余裕そのものだった。

 アタフタしているこっちがなんだか滑稽だ。

「つーか、四位ってなんだよ」

「え? 『エデンの園』ガーデンオブエデン序列第四位だから」

「はい?」

 聞き返す俺に、神田は続ける。

「前回の世界で、そんな話してなかったっけか? 魔法使いってのは世界にたくさんいるんだよ。そりゃあもう何十万人も何百万人も」

「いや、めっちゃ多いな……」

 思ってる以上にそこらに潜んでるんだが。

「そいつらが全員、自分の魔法の力に気付いてるわけじゃないけどな。例えばさ、オマエもたまにないか? AとB、知り合いが二人いたとして、なんとなくAの言うことに逆らえないなーみたいなこと。それはAが使っている魔法だ。Aが『自分が魔法使いだと知っている』かはまた別の話で」

 そういえば前回、アイが詐欺事件を例えにして話していたな。

 個人の能力の延長線として魔法を使っているヤツもいるって。

「で、その中でも群を抜いて優秀な魔法使いトップ一二人がいて……その中の序列四位」

 ってことはアイって、世界で四番目の実力の持ち主なのか……!?

「それってめちゃくちゃ凄くないか……!?」

「ああ、すげーよ」

「ん? でもアイって魔法使えないんだろ?」

「ああ。アイツは特殊な魔法使いだからな。だからアイツは、反射できる魔法の強さでランク付けされているんだ」

「ほう」

「分かりやすく言うと、理論上アイツは序列五位の魔法までを防ぐことができる。つまり、アイツに魔法で攻撃して、ダメージを与えることができる人物は……一位、二位、三位だけ。世の中に三人しかいないってことだな」

「おお……!」

 まるで少年漫画みたいな熱い展開に興奮してきた。

「オマエは? オマエもその中のうちの一人なのか……!?」

「まあな。オレも一応、エデン所属」

「エデン?」

「オレ達トップ一二人が強制的に所属しなければならない組織。正式名称《ガーデンオブエデン》。世界トップの危険な魔法使い達を見張るための……檻みたいなもんだな。つっても、まあオレは結構好き勝手やってるけど」

「オマエ……めちゃくちゃ詳しく話してくれるな」

 アイだったら、機密事項と言って口に人差し指を当てそうだ。

「やべ……あんま喋ると怒られちまうんだった。四位にはヒミツな?」

 神田はそう言ってニヤリと口角を上げた。


 *


「あ……」

 昼休みを告げるチャイムが屋上に鳴り響く。

「もうこんな時間か」

 しばらく話していたため、すっかり身体は冷え切ってしまっていたが、色々な話を聞けたおかげか時間はあっという間に過ぎた感じだ。

「さて、オマエは早く逃げた方がいいかもな」

 神田は呑気に背伸びをしながら言う。

「え、なんで……」

「大崎じゃないか」

「ん?」

 屋上の入口から入ってきたのは委員長だった。

 手には紙袋と弁当の包み。

 毎日昼にはいなくなると思っていたら、こんなところで神田と一緒に昼飯を食べていたのか……。

「具合が悪くて休んでたんじゃないのか?」

 委員長は眉間に皺を寄せ、近づいて来る。

 綺麗な顔立ちで睨まれると、迫力があるな。

 ……口に出したら怒られそうだが。

「いやー……そうだったんだけどさ」

 俺が口篭っていると、神田が後ろから俺の両肩を掴む。

「あんま怒んなって。いいじゃねえか、もうすぐ冬休みなんだし」

「関係ない」

「ですよね」

 ぴしゃりと言われて、黙ってしまった。

 全く役に立たない援護だった。

「鷲介、ちなみにオマエも補習のリストに名前が載っていたぞ」

「げ」

「え……オマエもってことは……」

 もしかして。

「オマエもだ、大崎」

「あああああああ……」

 嘘だろ!?

 楽しい年末カウントダウンが……。

「ま、頑張ろうぜ」

「なんでそんなに楽しそうなんだよ!」

 まるで他人事のように言う神田に食って掛かる……が。

「……なんだか、急に仲良くなったな、オマエ達」

 委員長の言葉に、ハッとする。

「え? あ、ああ……」

 確かに、初めて言葉を交わした時よりはずっと距離が近づいたというか……普通に会話ができるようになったな。

 まあ、繰り返してる世界の時間を考えれば、結構一緒にいるし……。

 なんとなく神田のことも分かってきたし……。

 今考えると、あんなに怖がっていたのがウソみたいだ。

「鷲介と仲良くなるのは結構だが……あまり、月島をイジメるなよ」

「あ……!」

 委員長に言われるまで、すっかり忘れていた。

 そういや、綾人を教室に置きっぱなしだったんだ。

 ぷーっと顔を膨らませた綾人の顔が目に浮かぶ。

「悪い! 戻る!」

 俺は二人を置いて、屋上の階段を駆け降りた。



 *



「あーもう! やっと戻ってきた」

 教室に戻ると、そこには弁当を机の上置いて頬杖をつきながら待っている綾人の姿があった。

 俺の想像通りの顔で。

「悪い悪い。待ってないで、先食べてても良かったんだぜ?」

「あのね、いっちゃんには分からないかもしれないけど。学校で一人で食事するっていうのは、かなり精神的にキツイものなんだよ?」

 待ってましたと言わんばかりに、綾人は弁当の包みを開き、手を合わせた。

「何女々しいこと言ってんだ」

 綾人の向かいに座り、隣に並べられていた弁当に手を伸ばす。

「神田くんと二人で何企んでるの?」

「え……」

 よく神田といるって分かったな……。

「ええと……世界を救うための、作戦会議……かな」

「ナニソレ……ゲームの話?」

「まあ、似たようなもんだ」

 コイツに説明しても、どうせ分からないしな。

 しっかし……。

 改めて考えると、本当にゲームみたいな話だよな……。

 繰り返す世界から、抜け出す道探し……。

 そして、そこに関わってくる魔法使い達……か。

 それはまるで、これから始まる何かの序章のようで……。

 「……ん、うまい」

 俺は胸によぎる不穏な予感を忘れるように、卵焼きを口に入れた。



 *一二月一八日 月曜日 放課後



「いっちゃん、帰ろ」

「おう」

 背中に夕日を浴びる綾人に急かされ、カバンに必要なものを詰め込む。

 といっても、家じゃ勉強なんかしないから、持ち帰るものなんてほとんどないんだけどな。

「今日、帰りどっかに寄って行こうよ」

「マスドか?」

「げ。なんで分かったの……」

 これで何度目だと思ってんだ、とは言えず。

「自分の胸によく訊いてみるんだな」

 はぐらかしておく。

 と、その時。

「大崎、まだいるか?」

 どこからか俺を呼ぶ声がした。

「神田……」

 神田は教室の入口で、扉にもたれかかっていた。

 突然の来訪者にクラス中がどよめく。

 俺はクラスメイトの視線を受けながら、神田の近くまで向かう。

 最近注目の的過ぎないか、俺。

「お、ちょうど良かった。今帰るとこだな」

「委員長に用事じゃないのか?」

「いや、オマエ」

 そう言って俺を顔の前に指を出す。

「どうせ、放課後ヒマだろ? とりあえず、アイツのマンション行ってみようぜ」



 *一二月一八日 月曜日 公園



 真冬の一八時を過ぎた公園には、誰の姿も無かった。

 取り残されたサッカーボールが、地面に寂しそうな影を落としている。

 暗くなっていく空。

 風に揺れている遊具に、冷たい風が吹きつけているだけだった。

「ほらよ」

 自販機で飲み物を買ってきた神田が、ベンチで座っている俺達に手渡してくれる。

 俺にはお茶、綾人にはココア。

 特に何も言ってないのだが、完璧なチョイスだった。

「サンキュ」

「あ、ありがとう……!」

 それを受け取り、まずは冷え切った手を温めた。

 小さなペットボトルだったが、じんわりと手に熱が伝わって来る。

 あの後俺達は、心の底から嫌そうなオーラを発する綾人を引き連れ……。

 まるでロールプレイングゲームの主人公達のように、アイが出没しそうな場所を地道に探索していた。

 もちろん、綾人には詳細は伏せたままで。

 初めのうちは会話がなく、少し気まずい空気が流れていたパーティ内だったが……。

 途中から慣れてきたのか、意外にも綾人は神田と楽しそうに話していた。

 神田は思ったよりも面倒見がよくて、細かいことによく気が付く。

 俺達幼馴染の間に、自然と入り込んでくる。

 そんなことができるヤツがいるなんて、今まで想像したことなかった。

「捨ててくるー!」

 ココアを飲み終わった綾人は、空き缶を捨てに少し離れたゴミ箱まで走って行く。

「足元気をつけろよ」

 後ろから声を掛ける神田。

 その行動はまるで保護者だ。

「それにしても……」

 神田は綾人と入れ替わりに俺の隣に座った。

 ポケットから例の白い棒を取り出し、口に入れる。

 今日はプリン味か。

「いねえな、四位のヤツ」

 ため息が白く染まる。

 俺達は一番初めにアイの家に向かった。

 付近を地道に歩いてエンカウントするよりも、マンションに乗り込んでしまった方が確実だと思ったからだ。

 前に借りていたアイの部屋番号でチャイムを鳴らしたのだが、返事がなかった。

 管理会社に問い合わせても、今は誰も住んでいないことしか教えてもらえず終い。

 アイの手がかりは一瞬にして無くなってしまったのだった。

 仕事仲間とも一緒に住んでいたんじゃなかったのか?

 疑問は大きくなるばかりだ。

 つまり、アイはこの街にすら来ていないことになる。

 そのあと商店街、教会、路地裏の入り口を捜索したが……。

 どこにもアイの姿はなかった。

 せめて俺がアイの電話番号さえ覚えていたら……。

「月曜に、猫を追いかけて行ったらアイに出会ったとこがあったんだけど、今日はいなかったしな……」

「まるっきり同じことが起こるわけじゃないってことか?」

「球技大会とかそういうのは絶対になくならない。でも、細かいことは結構よく変わっていたな。同じ一週間でも違っていることがかなりあったし……」

「ま、ループの記憶を持っていること自体イレギュラーだしな。もしかしたら、それすら何らかの影響があるかもしれない」

「なるほど……」

 ループのことを知っていることすら、イレギュラーとして扱われる……。

 だとしたらもう条件が同じループなんて二度と訪れない。

 もうアイを探すこと自体不可能なんじゃないのか?

「特に個人の感情なんて、簡単に変化しやすそうだしな」

 神田は小さくなった飴を顔の横で振る。

「例えば今日、何味の飴を舐めたいとか」

「それは、確かに……」

 綾人が持ってくる弁当も、毎食中身が違うもんな。

 個人の感情……か。

 人間の感情って、一週間でどれくらい変化するものなんだろうな……。

「オマエが田端さんに告白されたりってのもあったし……」

「オレが? 田端って……あの田端桃香か?」

 神田は心底驚いた様子で目を見開いた。

 真剣に頷く俺だったが、すぐに否定される。

「ないない。それはない」

「いや、でも本当に……」

「ありえない。前回だってアイツに呼び出されはしたが……。えっと……無視したな、確か」

「無視すんな!」

 なんてヤツだ、せっかくの田端さんからの誘いを……!

 そういえば前回はずっとアイといたせいか、悠希や田端さんともあまり関わりがなかったな。

 その辺りがどうなったのか情報が一切入ってこなかった。

「…………」

 でも、綾人がなあ……。

 告白現場を再現したんだよな、ヘタクソなモノマネで。

「オマエ、田端桃香が好きなわけ?」

 突然直球ストレートを投げられた。

「へ!? い……す、好きというか……!? 俺は純粋に応援してるだけというか……!?」

 焦る俺に、神田は呆れたように言葉を続ける。

「そんなとこで悩んでないで、その時オレに訊けば良かったのにな」

「き、訊いたさ! そしたら、『さあ、どっちだと思う?』だの『オマエに教える筋合いはない』とか言ってはぐらかしたのはオマエなんだが!?」

「え。それは……悪かった……? 覚えてね―けど」

 神田は複雑そうな顔を浮かべる。

「でも、そのあと『告白じゃない』とも言ってた気がする」

「じゃあ、違うじゃねーか。そもそもアイツが好きなのは駒込悠希だからな」

「あ……」

 やっぱりそうなのか。

「現時点でこの情報は間違いないぜ。まあオマエがこの一週間で田端桃香を惚れさせれば話は変わってくるけどな」

 できるかそんなこと。

「田端桃香に呼び出されたのって……確か水曜だったか」

 神田は残った飴をガチっと噛み砕き、ほくそ笑む。

 悪巧みを思いついた時の顔だぞ、これ。

「んじゃ、その日の放課後はずっとオレの傍にいろ。勘違いだってことを証明してやるから」

「証明?」

「例の告白現場、自分の目で見てみろよ」

「な……」

 そ、そんなこと……していいのか!?

 確かにめちゃくちゃ気になるが……!

「少し、ショッキングな映像が流れるかもしれないが……そこは我慢してもらう方向で」

「は?」

 ショッキング……?

「おまたせー!」

 軽快な足音ともに、綾人が走ってきた。

 結構時間がかかったな……。

 一体どこまでゴミを捨てに行ったんだか……。

「大崎」

 隣から小さな声で耳打ちしてくる。

「四位が来ない以上、オレとオマエでなんとかするしかない。この一週間以内に四位を見つけ出さねえとオレ達のこれまでの記憶が消去されちまうんだからな」

 俺は無言のまま頷く。

 アイがいないということは、今までよりもずっと深刻な事態なんだ……。



 *一二月一八日 月曜日 就寝前



「今日は楽しかったねー!」

 窓枠から身を乗り出しながら、満足そうに綾人が笑う。

 幼馴染から出てきたのはまさかの感想だった。

 俺以外のヤツといて、楽しかったなんて聞くの……どのくらいぶりだろうか。

「オマエ……神田は平気なんだな」

「うん。いい人だよね、神田くん」

 ニッコニコの笑顔で返される。

 その答えに思わず呆気にとられるが……。

 そういや、この前もそんなこと言ってたな……。

 ……ま、俺以外の人に懐くなんていい傾向だよな。

 昔の綾人を知っていると、なおさらそう思う。

「なんか、いっちゃんに似てるんだよね」

「ふ・ざ・け・ろ」

「そんなに怒ることないじゃない?」

 残念そうに、綾人は首を傾げた。

「神田くん、格好いいのに……」

「……それ、まさか世間一般の評価なのか?」

「え……うん。背も高いし、顔立ちだって整ってるじゃない?」

「…………」

 言われてみれば、確かに……。

 い、いや。

 俺は認めないぞ……!

「……寝る!」

「ど、どうしたの突然っ」

 焦る綾人を置いて、カーテンを閉める。

「…………」

 ベッドに倒れ込む前に立ち上がり、別の窓から家の前の道を少しだけ覗いてみる。

 もしかして、アイが通りかかるかもしれないなんて思ったが……。

 やはり、家の外には誰もいなかった。

 ……当たり前か。

 偶然に甘い期待をするよりは、変化しないことを確実にチャンスへと繋げた方が効率がいい。

 それは、今までのループで学んだことだ。

 俺は明日に備え、静かに電気を消した。

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