Ⅲ-Ⅶ 渋谷藍



 *一二月二四日 日曜日 自室



「いっちゃーん! 起きて!」

 耳元で綾人の声がした。

 今日は起こしに来てくれたのか。

 あ、鍵没収すんの忘れてた……。

「んー……綾人、今何時だ?」

「おはよう、いっちゃん。今九時だよ」

 確かアイは今日も一〇時頃来るって言ってたよな。

 まだ起きるには早いが、ひとまずこれで遅刻しないで済むな。

 目を開くと、そこにはカバンを持ち、出かける準備万端な綾人が立っていた。

「……もう行くのか?」

「うん。ほんとはもっと遅くていいんだけど……ちょっと練習したいからね」

 今まで、コイツの演劇に関してはあんまり興味なかったけど……。

「そんなに自信があるなら、見に行ってみようかな」

「そ、そそそ……それはダメ!」

 渾身の力で突き飛ばされた。

「なんでだよ」

「あ、あるけど……身内に見られるの恥ずかしいよ……」

「そういうもんか?」

「そ、そうなの! だから絶対ダメだからね!」

 綾人は念を押してくる。

 これは、フリと捉えていいのだろうか。

「……って、そんなことしてる場合じゃないんだ! ボクはもう行くからね」

「あいよ」

「じゃあ、いってきまーす!」

 嵐のようにバタバタと、綾人は階段を駆け下りていった。

「騒がしいヤツだ」

 さて、俺も準備するか。

 起き上がり、クローゼットを開く。

「お」

 ふと自分の右手を見る。

 突き指の箇所はすっかり痛みは消えているようだ。

 手は、クローゼットの取っ手をしっかりと握っていた。

 指もすんなりと曲るし、もう湿布はいらないな。

 思っていたよりも軽傷で良かった。



 *



 支度を済ませ、リビングのソファでテレビを観ていると、インターホンが鳴った。

 壁時計を見るとぴったり一〇時を指している。

 すげえな……。

 一分も狂わずに来たぞ。

 玄関へ行き、扉を開ける。

 降り続く雪と、冷たい空気が玄関に入り込んだ。

「やあ、おはよう」

 アイはドアを開けたすぐ目の前のところに立っていた。

 相変わらずのほほんとした笑顔を携えている。

「はよ。時間ピッタリだったな」

「運転手が優秀なんだ」

 ドアの隙間から、玄関に横付けされている車を見る。

 サングラスをかけたいつもの運転手が、しっかりとハンドルを握っていた。

 やはり運転席にしてはやたら体格ががっしりとしている。

「さあ、さっそく教会へ向かおうか」

 アイは慣れた様子で俺を車まで連れていき、運転席側後方のドアを開けてくれた。



 *一二月二四日 日曜日 車内



 高級車に身を委ねながら、静かに通り過ぎていく街の景色を眺めている。

 クリスマスイブだからか、昨日よりも人通りが増えている気がした。

「ねえ、イツキ……」

 ボケーっと街を見ていると、すぐ耳元で聞こえるアイの声。

「な、なんだよ……」

「ちょっと失礼」

 突然近くなる距離に、思わずドアの方へ寄って避けてしまう。

 しかしそれは手袋をつけたアイの手によって止められる。

 両手で、右手を掴まれた。

「……良かった、ちゃんとつけてくれているんだね」

 俺の右手の袖をめくり、安心したように笑うアイの姿。

 どうやら、ちゃんとブレスレットをつけているか確認したかったらしい。

「……口で言え」

「ああ、すまない。これをつけていて、体調とか、特に変わったことはなかったかい?」

「いや……別にないな」

 風呂以外で外したりはしなかったけど、何の違和感なく普段と同じ生活を送っていた。

「そうか……なら良かった」

「こんなんつけたくらいで、何か変わるもんなのか?」

「人によるけれど、繊細な人は体調に現れることもあるみたいだよ」

「繊細……」

 悪かったな、図太くて。

「魔法は、薬にも毒にもなるから……」

 アイはそう言って窓の外を見る。

 いつのまにか、車は商店街の端まで来ていた。

「着いたよ」

「ああ……」

 通行人の邪魔にならない場所で車は止まった。

 教会から多少は離れていたが、普段の閑散とした雰囲気からは考えられないほどたくさんの人が道のあちこちにいる。

 隣接している児童養護施設からも、子供達がやってきて、イベントを盛り上げているようだ。

 やっぱり、こういうときは自然と人が集まってくるんだな。

「それじゃ、ちょっと行ってくる」

 アイに一声かけ、俺は教会へ向かう。

 倉庫探索リベンジだ。

 あと、綾人に見つからないようにしないとな。

「よろしく頼むよ。また、入り口で待っているよ」



 *一二月二四日 日曜日 教会



 教会の入り口は人でごった返していた。

 こんなにもこの教会に人がいるなんて、きっと今日と明日だけなんだろうななんて失礼なことを考える。

「さて」

 まずは、入口の錆びた門の横に提示してあった案内図を確認する。

 ちなみに演劇は教会の敷地にある多目的ホールで行われるらしい。

 時間は一六時からなので、今から待機するのは無理そうだ。

 綾人には来るなと言われていたので、からかってやりたい気持ちが少しあったのだが、残念だ。

 人を避けながら、教会の中に入る。

 敷地内は老若男女問わず、様々な人が来ていた。

 至るところでバザーなどの出店もあったし、キッチンカーも止まっている。

 まさにお祭りイベントになっているようだ。

 この前来た時は無駄に拾い庭だと思っていたが、こうやって人や物が入るとすごく狭く感じる。

 俺はできるだけ目立たないように、例の小屋へ向かう。

 奥へ行けば行くほど、人通りはほとんど無く、入り口付近との対比がなんだか不気味だ。

 しばらく歩くと、大きな木の影に隠されるように、その建物が現れた。

 不審者に思われないよう、慣れたような足取りですぐに数段の階段を登る。

「よし……」

 アイから凄そうなブレスレットをもらったんだ。

 この間のトラウマを払拭するように、両頬を軽く叩いた。

 見た目に反して重量感のある扉を引く。

 前と同様、鍵は空いていた。

 隙間から御香のような匂いと、それに隠されるように油の様な匂いも感じた。

 俺はするりとその扉の中へ身体を滑り込ませた。

「…………」

 ブレスレットが守ってくれているのだろうか。

 水曜日に俺の身体に起こった異変は何も起こらなかった。

 しかし一歩踏み入れてしまえば、外界とはまるで違う空気を感じる。

 立ち入る者を拒む、威圧的な雰囲気というのだろか。

 こんな小屋みたいな建物なのに、だ。

「……っと」

 足を止めている場合じゃないんだ。

 その場の空気に飲まれないよう、俺は意識をしっかりと保つ。

 改めて顔を上げる。

 暖房類は一切機能していないため、外気温とあまり変わらない温度だった。

 昼間のせいか、この前覗いた時よりも、心なしか少し明るい気がする。

 薄暗いが何も見えないということはない。

 入口すぐ横の壁にかけられた、洋館にありそうな豪華な鏡で自分の姿を視認できるくらいには視界良好だった。

 なんでこんなところに鏡があるのかは分からなかったが。

 外観通り、部屋は正方形で、端から端まで歩いて一〇歩くらいで到達してしまうんじゃないかというほどの距離だった。

 探索するには部屋は小さく、置かれている物は少ない。

 なんだか肩透かしを食らった気分だ。

 それでも念の為、携帯のライトを点け辺りを照らす。

 外観と同じく中身も簡易な作りのログハウスで、物はほとんど置いていなかった。

 倉庫というより、本当にただの小屋……という言葉がしっくりくる。

 なんとなく、地下とがありそうな雰囲気なのだが、暗くて床はよく見えなかった。

 真冬だが、使用した様子がない備え付けの空っぽの暖炉。

 少し高めの天井には、シーリングファンが付けられていた。

 壁には振り子が時を刻むタイプの古時計と、アンティーク風の壁掛け照明。

 使用感も生活感もない割には、埃などは溜まっていないようだ。

 定期的に誰かが掃除をしているのだろうか。

 最後は部屋の真ん中。

 やたら目立つ真っ白なテーブルクロスの敷かれた無垢材の机が置いてあり、四脚の椅子が綺麗に並べられていた。

 もしかしたら倉庫ではなく、来客用の部屋かもしれないな。

 俺の中で、ひとつのオチがついたその時だった。

「え……」

 その机の上に、湯気の出ている紅茶セットが置いてあることに気が付いた。

 まさか、さっきまでここに誰か居たのだろうか。

 思わず一歩後ずさる。

 探索というか、まるで心霊スポットに侵入した気分だ。

 なんだか背中がゾワゾワしてきた。

 できるだけ早めに切り上げたい。

「何も、ないよな……」

 念のため、もう一度だけ辺りを見回すが、アイの言う絵らしきものは何もなかった。

「戻るか……」

 俺は入り口のドアに手をかける。

 まさか、開かない……とかないよな?

 ホラーではよくあるタイプの演出だが、実際にそうなったら失神する自信がある。

 しかし、入ってきた時と同じく、建付けが悪そうな音と共に扉は開いた。

 俺の心配は杞憂だったようだ。

 ホッとして倉庫の外に出る。

 真っ暗な建物に居たせいか、雪が降っているのに外光が眩しい。

 目当ての絵は無かったが、何事もなく終えることができて良かった。

 散々ビクビクしていたが、終わってみれば意外と呆気ないものだった。

「ん……?」

 ふと。

 右手に違和感を感じた。

 そしてすぐに、パラパラと床に何かが落ちる音。

 ブレスレットが床に散らばった音だった。

 丸い数珠のような石達は、まるで糸が切れてしまったかのように好きな方向に転がっていく。

「マジか……」

 慌てて拾い集めるが、これで全部かは分からなかった。

 階段下の芝生にも落ちてたらもう探せないぞ……。

 まさかこんなことになるとは。

 俺はその石達をポケットに入れる。

「…………」

 その直後、背後から感じる視線。

 俺の背後には、小屋しかない。

 もちろんその小屋には誰もいないため、視線なんか感じるわけがない。

「っ」

 嫌な予感がして、その小屋から急足で離れる。

 やはり気味が悪い。

 この前とは違う気持ち悪さだ。

 足がもつれそうになりながら、ようやくイベント会場まで戻ってくる。

 とても長い道のりを走ってきた気分だ。

 人混みに紛れると、少し気持ちが楽になってきた気がした。

 人の姿にこんなに安心したのは初めてかもしれない。

 俺は足を止め、深く息を吸い込んだ。

「Guten tag」

「へ……?」

 すぐ背後から、呪文のような言葉が聞こえた気がした。

「Wie geht es ihnen?」

 聞きなれない異国の言葉に、頭の中が真っ白になる。

 意を決して振り向いた先……。

 そこには、背の高い外国人の神父さんが立っていた。

 三〇代後半くらいだろうか。

 少し癖のついた金色の髪に、眼鏡の奥に見える、慈愛に満ちた微笑み……。

 糸目のせいか、とても穏やかな印象を受けた。

 そして、俺のイメージする神父さんそのものの格好。

 まさか……小屋に忍び込んだのがバレたのだろうか。

 嫌な汗が背中を流れる。

 とりあえず……英語で返してみるか……?

「は、はろー……まいねーむいず……」

「ふふ。すみません。普通に日本語で大丈夫ですよ」

 俺よりも流暢な母国語で、にこやかに返された。

 とんだ恥を晒してしまった……。

「ちなみにワタシの出身国はドイツなんです。今のはドイツ語ですね」

 ドイツ語なんてさらに分からねえよ……。

 アタフタする俺をまるで気にした様子もなく、その神父さんは笑顔を崩さずにこちらを見ていた。

「……ん?」

 神父さんの後ろから、ちょこんと小さな頭が出てきた。

 それは一〇歳くらいの……外国の少年だった。

 真っ白な肌に金髪……というより白銀に近い髪が、肩くらいまで伸びている。

 紺色の小綺麗なコートに、ジーンズを履いていた。

 ひと目見ただけでは、女の子と間違えそうなくらい中性的な顔立ちだった。

 蒼くて……まるで宝石のような目だな。

 隣の施設の子だろうか。

 しかしその子は何も喋らず、ただ隣に立っているだけだった。

「貴方……綾人クンのお友達ですよね?」

「え……あ、ああ……そうです、けど……」

 急に出てきた幼馴染の名前に、思わず口ごもる。

「ああ、良かった……」

 神父さんはホッとした様子で、胸を撫で下ろす。

 人違いではなかったことに安心したらしい。

 すぐに改まって俺をまっすぐに見た。

「貴方が、噂の『いっちゃん』さんですね」

「いっちゃんさんって……」

 神父さんから出てきたのは、あまりにも間の抜けた呼び方だった。

 そもそも、綾人以外の口からその呼び名が出ると、非常に違和感を感じるな……。

「実はですね……ワタシ、綾人クンとは知り合いなんですよ」

「ああ……」

 この人、この教会の神父さんだよな……。

 そういえば、前の世界で綾人が神父さんから花火を貰ったって言っていたな。

 この人のことだったのか。

 あ、あと演劇の脚本を書いたとか言ってたっけ。

 話しかけられたのは、どうやら小屋の件ではなかったようだ。

 ひとまず胸を撫で下ろす。

「今日は劇を見にいらしたんですよね?」

 神父さんは、何の疑いも持たない瞳で俺を見る。

「あ、ああ……まあ……」

 う、嘘じゃないぞ……。

 時間があったら見ようとは思ってたし……。

 まさか小屋を探索しにきたとは言えまい。

「綾人クン、頑張ってますよ。それはもう、他のみんな以上に……一生懸命に練習していました」

「そう、すか……」

 まるで、悪魔でさえ浄化してしまいそうな笑顔に若干気圧されてしまう。

「…………」

 そこでふと思い立つ。

 この神父さんなら……絵に関する情報を、何か知っているんじゃないだろうか。

「あの」

「はい、何でしょう?」

 やはり、穏やかに返される。

「ええと……ちょっと尋ねたいことがありまして……」

「ワタシに答えられることであれば、なんでもお答えしますよ」

 それがお仕事です、と付け加える。

 残念ながら今回は、悩み事の相談じゃないんだけどな。

「あくまで、噂話の一片なんですけど。『天使の絵』……って、知っていますか?」

「ええ、存じておりますよ」

「!?」

 思わぬ返答に、俺の鼓動が高鳴る。

「それを見た者は、なんでも願いが叶うという……まるで魔法のような絵のことですよね」

 まるで歌うように、神父さんの口から紡がれる言葉。

「そ、そうです……!」

 綾人の言っていた噂通りだ……!

「もしかして、この教会に……」

「申し訳ございません。ワタシもその噂でしか、絵の存在を知らないのです。不思議なことに……昔からその絵のことを、絶えず子供達から訊かれるんです。ですから、個人的に調べてはいるのですが、その絵がここの教会にあったという事実は、古今ありませんでした」

「そう……ですか……」

 神父さんの言葉に、入っていた力が途端に抜けてしまう……が。

 そりゃそうだよな……。

 そんな簡単にお目にかかれるはずがない。

 アイだって本気で探しているのに。

「お役に立てなくて、申し訳ございません」

「い、いや……そんな……。むしろ、突拍子もないことにも丁寧に応えてもらって嬉しかったというか……」

「もしかして、その絵を捜しにここへ?」

「そ、それもあります……。綾人がそんなこと言ってたんで、興味持ったっていうか……」

 すまん綾人、名前使わせてもらうぞ。

「そうですか……」

 神父さんは納得したように頷いた。

「噂は、噂ではありますが……。火のないところに煙は立たぬ……という諺もあります。もしかしたら、本当にあるのかもしれませんね」

「絵が、ですか?」

「ええ、そうです。しかし、そういう類のものは……ある特定の選ばれた人間の前にしか姿を現さない」

「特定の選ばれた人物?」

「物にだって意志がありますから、自分のことを本当に求めている人の元に、自ら赴くものですよ」

「はあ……」

 まるで子供を諭すように、神父さんは笑う。

 もしかして、からかわれてるだけなのかな……?

 残念ながら、神父さんの表情からは、その真意を伺うことはできなかった。

 少し抜けているように見えて、まるで隙がない。

 会話をしているうちに、いつの間にかそんな印象に変化していた。

「しかし……」

 そこで一旦言葉を区切る。

「なんでも願いが叶う、というのは……。本当に、そのままの意味なんでしょうか?」

「え……?」

「願いを叶えるための代償は、必要ないんでしょうか?」

 思わぬ問いかけに、返答に詰まってしまう。

 何故か……その言葉が頭の中でグルグルと回り続ける。

 しかし神父さんは、再び穏やかな表情に戻り、頬をポリポリと掻いた。

「すみません……少々口が過ぎてしまいました」

 怖がらせてしまいましたね、と続ける。

「いや、そんな……」

 俺は慌てて首を振る。

「しんぷさまー!」

「ああ、こっちですよ~」

 遠くから駆け寄ってくる子供の声に、神父さんは振り返り片手を振った。

 声の方から、数人の子供達が走ってくるのが見える。

 きっと施設の子だろう。

 束になってくるあたり、相当懐かれているようだ。

 神父さんの後ろにいる子の友達だろうか。

 しかしその予想が間違っていた事にすぐに気付く。

 その子は一切その輪の中に入ろうとせず、無表情に神父さんに駆け寄る子供達を見ているだけだった。

「いっちゃんさん」

「あ……はい」

 その呼び方、やめてくんないかな……。

「それでは、ワタシはこれで失礼しますね。今、ちょうど綾人クンが劇のリハーサルをしていますよ。少し覗いてみたらいかがでしょう」

「は、はい……」

 慌てて神父さんに一礼を返す。

 神父さんも再びこちらへ丁寧に頭を下げると、子供達と共に遠くの方へ歩いて行ってしまった。

「はあ……」

 何とも言えない開放感に包まれた。

 やはり厳格な雰囲気の場所は苦手だ。

 息が詰まるし、それに……。

 なんだか、どっと疲れたな……。

 妙に緊張したっつーか、あの人独特のオーラに当てられたっつーか……。

「結局、絵は見つからなかったしな……」

 敷地内はこれで全部探したはずだ。

 そもそも、神父さんでさえ噂しか知らないんだ。

 残念だが、アイには何もなかったことを報告するしかないな。

 俺はそのまま入口へ向かう。

「ん……?」

 その途中、すぐ横の建物から聞き覚えのある声が聞こえた気がした。

 そこはこの前調査した聖堂だった。

 ホール部分の窓が開かれていて、そこから声が漏れていたのだ。

「この声……」

 声に惹かれるように、俺は少し背伸びして、窓から中を覗き込んでみる。

「綾人……」


「――――だから、名前を呼んで欲しいんだ。例え私の命が尽きたとしても……ずっと側にいるから……」


 それは不思議なセリフだった。

 これがさっきの神父さんが書いたという脚本……。

 一体どんな話なのだろうか……。

 中心にいる人物は……普段の姿からは考えられないほどの堂々とした演技で……。

 周りのスタッフ達を魅了していた。

 リハーサルってここでやっていたのか……。

「あ」

 思わず見入ってしまったが、綾人に見つかったら怒られるだろうし、何よりアイツの集中力を途切れさせてしまうのが嫌だった。

 俺は綾人に見つからないよう、急いで教会の入口へ向かった。



 *



「おかえり」

 前回と同じく、アイは教会の入り口でぽつんと立っていた。

 どんなに人で溢れていても、人目を引く容姿のアイはすぐに目に入る。

 それは周りの人も同じようで、教会から出る人、入る人は必ずアイをチラリと見ていた。

「おまたせ……ってオマエ、ずっと外で待ってたのか?」

「そうだよ」

 きょとんとした顔。

「相変わらずだな。さすがに寒いだろ……」

 雪だって降ってるんだし……。

「そういうの、よく分からないんだよね」

 確かに暑さ寒さに鈍感、みたいなことは言っていた気がするが。

「それよりイツキ、前みたいに体調不良にはならなかったかい?」

「ああ、それは大丈夫だった。で、肝心の絵なんだが、倉庫っつーか小屋には入れたんだけどな。どこにもなかったよ」

「そうか……」

 アイは残念そうに呟く。

「そんでさ、謝らないといけないことがあって……。倉庫から出た瞬間に、こうなっちまったんだけど……」

 俺はポケットに入れておいたブレスレットだったものを、手のひらに乗せアイに見せた。

 手のひらの上でコロコロとそれは転がる。

「これは……」

 アイは目を見開く。

「たまたま壊れたってわけでは無さそうだね」

 しばらく考え、手袋を外した。

 その白い手で石に触れようとした瞬間。

「あ」

 それは俺の手のひらで突然粉々になる。

「あっつ……!」

 燃えるように熱を持ち、思わず手から払いのけてしまった。

 そしてそれはキラキラ光りながら、雪に紛れていく。

「悪い……!」

「気にしないで。それより、ケガはないかい?」

 慌てて手袋をはめ、俺の手を確認する。

「ああ……特に何も」

「良かった……」

「一体、何だったんだ?」

「やはり、足を踏み入れてはいけない場所だったのかもしれないね」

 アイは目を伏せる。

「キミに何もなくて良かったよ。またこちらでも調べてみよう。当初の目的は果たせたよ。ありがとう、イツキ」

「いや……俺は何も」

 結局何もできなかったわけだし……。

 アイはポンと手を叩いた。

「そうだ。イツキお腹空いてない?」

 アイの言葉に時計を見ると、時刻は一二時を指していた。

 もうそんなに時間が経っていたのか……。

「そういや、腹減ったな……」

「ふふ……さっき買ってきたんだけど、一緒に食べよう」

 満面の笑みを携え、高く掲げたのはコンビニの袋だった。



 *一二月二四日 日曜日 公園



「いただきます」

「いただきますっと」

 俺とアイは二人で住宅街の隙間にある公園にやってきた。

 この前俺が座り込んでしまった時に連れて来られた、小さな公園だ。

 雪の降り続く今日は、さすがに誰も遊んでいなかった。

 小さな木製のベンチに積もった雪を払い、二人で隣同士に座る。

「はい、どうぞ」

 手に持ったコンビニの袋から、良くあるタイプの三角形のおにぎりを渡された。

 袋の中には鮭、明太子、ツナマヨなど各種取り揃えられている。

 なんだこのおにぎりフェスティバルは。

「わお。この包装すごいね!」

 アイは隣で、感動した様子でおにぎりのビニールを開いていた。

 そういえばいつかテレビで見たことあるな、コンビニのおにぎりの包装で感動する外国人特集……。

「一度自分で開けてみたかったんだ」

 まさにコイツか。

「いただきます……」

 自分で当たり前だと思っていることに感動する姿って、なんだか新鮮に感じるな。

「味も美味しいね」

「そうか?」

 考えたこともない。

 なんの変哲もない、いつもの味だった。

「まあ、まずくはないが……」

 慣れた味というか。

 そんなに飛び抜けてうまいというわけでもないよな。

 俺としては……。

「昨日、アイが作ってくれた朝食の方がずっとうまかったよ……」

「ふふ……」

 アイは静かに、しかし嬉しそうに声を漏らす。

 やべ、なんかすげー恥ずかしいこと言っちまったような……。

「そんなことより、なんでおにぎりしか買ってないんだ?」

「そうそう、訊こうと思っていたんだ。イツキ、今夜は遅くなっても平気かい?」

 俺の質問には答えず、アイは尋ねる。

「え……まあ……」

 綾人とも特に約束はしていない。

 できるだけ早く帰ってくるとは言っていたが、時間は分からないしな。

「なら良かった。すまないが、お昼は少し軽いもので我慢してくれたまえ」

「だから、何なんだよ?」

「これ」

 アイが取り出したのは、どこかで見たことのある真っ白な封筒だった。

 そこには三等賞品と書かれている。

「それ……」

 この前の世界で綾人が当てたヤツじゃ……。

 空に透かしてみれば、やはり駅前にある高級ホテルの名前が書いてあった。

「知り合いにもらったんだけど、今夜一緒にどうだい?」

 まさかの誘いだった。

「え……俺でいいのか?」

「もちろん。色々巻き込んでしまっての謝罪と、協力してくれたことへのお礼」

 まさかここに行く機会が巡って来るとは。

「じゃあ……お言葉に甘えて……。でも、こんなすぐに予約って取れるもんなのか?」

 特にクリスマスイブだぞ、今日は。

 普通、夜景の見える絶景のレストランなんて、カップルで予約がいっぱいだと思うが。

「実はさっき、キミを待っている時に電話してみたんだ。ちょうど一組、キャンセルが出たらしい」

「マジか」

 こんな日にキャンセルなんて……なんだか可哀想な理由がありそうだな……。

 それでも、こんなチャンス滅多にないだろうからアイの誘いに乗ることにしよう。

「で。夕食までの時間、何して時間潰すんだ?」

「そうだね、何をしようか」

 そこはノープランだったらしい。

 アイは小さな口で、おにぎりを食べながら思案する。

 ここから駅前まではすぐだから、遊ぶ場所には困らないが……。

 どうせならアイが楽しめる場所がいいよな。

「あ」

 そういえば昨日、アイが興味を持っていた場所があったな。

「プラネタリウムなんてどうだ?」

「え?」

「オマエ、昨日気になってたじゃん」

 しかも期間限定のヤツ、上映は今日までだったはず。

「で、でも……イツキはそれでいいのかい?」

 珍しく焦るアイだが、俺はその肩を叩いた。

 やっぱり見たいんだな。

「何、今更遠慮してんだよ。いつループが終わっても後悔しないようにしたい……みたいなこと言ってたじゃねーか」

「それは、そうだね」

 アイは少し複雑そうな表情をしていたが、すぐに顔を上げて俺に微笑みかけた。

「ありがとう、イツキ」

「別に……ヒマつぶしだよ」



 *一二月二四日 日曜日 プラネタリウム



「ほら、チケット」

 俺は今買ってきたばかりの、プラネタリウムのチケットを渡す。

「ありがとう」

 アイは丁寧に、両手でそれを受け取った。

 今いるのは昨日、アイと食事をした場所と同じ商業ビルの最上階だ。

 プラネタリウムはやはりデートの定番ということもあり、もう少しで席が埋まってしまうところだった。

 寝転がりながら見れるシートもあるらしいが、そんなもの空いているわけもなく。

 一般席になってしまった。

 まあ、寝転がりながらのプラネタリウムなんて、秒で寝てしまう自信があるが。

 アイは展示されたポスターを再び見上げる。

 そこには『期間限定ギリシャ神話の神々』の文字。

 俺達が今から鑑賞する演目だ。

 カウンターにいた受付のお姉さんにチケットを渡し、真っ白なアーチ型の屋根の下を通る。

 その先には照明が暗めに設定された待機場があった。

 柔らかな椅子がいくつか置いてあり、周りの壁にも今日見る演目の説明やポスターが貼られている。

 会場の扉はすでに空いていた為、中に入り指定された座席を探す。

 客席はすでに半分以上埋まっていた。

「イツキ、こっち」

 席を見つけたらしいアイが手招きしてくる。

 円形の大きな投影機がすぐ目の前にある席の端だ。

 映画館と違い席が深く倒れるため、それはほとんど視界に入らなかった。

 席を倒せば、ビルの中ある割には広い、ドーム型の天井が広がる。

 アイがキラキラした瞳で、まだ演目の始まらないスクリーンを見つめていた。

「ビルの中にある割には広いな」

「イツキも初めてなのかい?」

「小学校の時、学校行事で連れて行かれたことがあった気がするが……あまり記憶にないな」

「確かに、イツキはこういうところには来なそうだ」

 アイは柔らかく笑う。

「バカにしたろ」

「してないよ。キミらしいって話さ」

 それでもアイはまだ笑っていた。

 しばらくするとアナウンスを知らせる音楽が鳴る。

『お客様にご連絡いたします。只今、機材の調整をしております。上映までもうしばらくお待ち下さいませ』

 音声案内により、会場が少し騒がしくなった。

「機材トラブルみたいだね」

「オマエ、自称魔法使いなんだろ? そういうのこそ魔法の杖ひとふりでなんとかならないのか?」

「残念ながら、私はそういうことはできないね」

「ってことは、できるヤツもいると?」

「…………」

 アイは口を閉ざしてしまう。

 いつもの機密事項だろうか。

 しかしすぐに再び会話を続けた。

「いるよ、壊れた物を一瞬で直せる魔法使い」

 いるのか。

 しかもめっちゃ便利なヤツ。

「魔法使いっていっても、世間一般的に認知されているものとは少し違うんだけどね」

「一般的っていうと……」

 あれか、アニメとかになってるヤツ。

「魔法のコンパクトで変身とか」

「ああ……そのくらいなら。似たような力を持っている人はいたかな」

 マジかよ。

 すげえ見てみてえ……。

「他にどういう魔法があるんだ?」

「そうだな……」

「例えば……人を操ったりとか、記憶を書き換えたりとか」

 それって……。

「どっちかって言ったら、超能力じゃねえか」

 しかも悪者が使うヤツ。

「認識としては、そっちの方が近いのかもしれない。たまに事件になったりしているだろ? 詐欺事件とかはそういう力を持っている人が起こしている場合が多い。もちろん、私達のいる組織とは違う、人間の持つ力に毛が生えた程度の弱い魔法使いだけれど」

「その程度で弱いって……強くなるとどうなるんだよ」

「この話はとりあえず、ここまでかな」

 アイは自分の口に人差し指を当て、笑った。

 例の機密事項らしい。

 そしてすぐにアナウンスの音声が始まる。

『大変お待たせいたしました。只今より、上映を開始いたします』

「楽しみだね」

 アイは目線を上に向けた。

 室内灯が消え、辺りは一瞬にして暗闇に包まれる。

 ドーム型の天井に、夜空に煌めく星々が映し出された。



 *



「すごく楽しかったよ、ありがとうイツキ」

 ホールから出ると、アイは感嘆の声を漏らした。

 入ってくる時はあまり気にならなかったのだが、やはり周りはカップルしかいない。

 妙に視線を感じるのはそのせいか。

「そりゃ良かった」

 俺も寝なくて良かった。

 ゼウスだのヘパイストスだのアイギスだの……。

 なんとなくゲームで聞いたことある名前だなくらいの感想しか持てなかったが。

 アイが楽しめたなら良かった。

「夕食は何時からなんだ?」

「一八時からだから、もう少し色々見て回れるよ」

 時刻は一五時を過ぎたところだった。

 昼が軽かったため、少し腹が減ってきたが我慢するしかないな。

「このビルにも、色々な店が入っているんだろう? 少し見てみよう」

「あ、ああ……」

 これから、アイに手を引かれるがまま連れ回されることになるとは、今の俺はまだ知らなかった。



 *一二月二四日 日曜日 イーストホテル



「つかれた……」

 時刻は一七時四五分。

 例の商業ビルの全店舗を周り、ようやく目的地近くの場所までやってきた。

 空はすっかり暗くなっている。

 街灯やイルミネーションの点滅が、降り続く雪をカラフルに染めていた。

 道を歩いているだけでも幻想的な光景を見ることが出来た。

「オマエ、宝箱でも探してんの?」

 全店舗見るなんて、ロールプレイングゲームの探索の仕方だぞ。

「何の話だい?」

 首を傾げる。

 昨日も思ったが、コイツの好奇心は小学生並みだな。

「着いた。ディナーのホテルはここみたいだよ、イツキ」

 そう言ってアイが指差す先。

「マジかよ……」

 見上げたイーストホテルの大きさに、思わず声を上げてしまう。

 アイの住んでいるマンションと同じく駅の西口にあるそれは……五〇階はあるだろうか。

 この街でこの高さの建物なんて、数えるほどしかない。

 今まで高級ホテルなんて興味がなかったため、改めてその存在感に圧倒される。

「ちょっと待て」

「どうしたんだい?」

「こんな私服でいいのか?」

 今更ながらこんなところ、男子高校生二人が入ってもいいのだろうか。

「ドレスコードなんてないから大丈夫だよ」

 そんな心配などまるで気にせず、アイはスタスタとホテルに入って行く。

 全面ガラス張りの入口を通り抜け、案内板を確認する。

 レストランは最上階らしい。

 専用の高速エレベーターに乗り、到着を待つ。

 扉が開き、そのフロアの広さに再び圧倒される。

 新しいだけありシミ一つない赤い絨毯の上を歩き、英語でレストランと書かれた場所までやってきた。

 受付の人にチケットを渡すと、これまた丁寧な対応で席まで案内してくれる。

 高い天井と、開放感のある窓が出迎えてくれた。

 まさに夜景を一望できるレストランだ。

 少し暗めだが温かみのある照明。

 純白のテーブルクロスが敷かれた円卓。

 その一つに座るように椅子をそっと引かれ、緊張した状態のまま大人しく腰掛ける。

 アイの言った通り、かなりラフな格好の人達も、臙脂色の制服を着た同年代くらいのヤツラもいた。

 どんなツテでここで食事をする流れになったんだ。

 まさかみんな商店街のガラガラで当たったわけではあるまい……。

 高級感のあるレストランのわりにはバラエティに富んだメンバーが多くて少し安心する。

 ソワソワする俺とは違い、アイはなんだか慣れた様子だった。

 すぐにウェイターがやってきて、音もなくナイフとフォークを並べていく。

「コース料理を頼んでおいたのだけれど、苦手なものあったかな?」

「いや……たぶん、大丈夫……です」

 こんだけ緊張して、味なんか楽しめるのだろうか。

 とりあえず、落ち着かねば。

 俺は目の前に置かれたグラスの水を一気に飲み干そうとして……途中で止まる。

 てかこれレモン……いや、いろんな果物の味……?

 え……何、この水。

 初めて飲む水のような液体に、思考まで停止してしまった。

「ふふ……あはは……」

 怪訝な顔でグラスを見つめていると、アイは突然笑い出した。

「ごめん。イツキはすぐに顔に出るよね」

 何がそんなにツボにハマったのか、アイはお腹を抱えて笑っている。

「フレーバーウォーターっていって、果物やハーブなどの香りを付けた水だよ。口に入れた途端、すごい顔してグラスを見てるから面白くって……」

 そのよく笑うほっぺでも引っ張ってやろうかと思っていたら、すぐに飲み物が運ばれてきた。

 酒は飲めないから、ジンジャーエールを頼んでおいたらしい。

 さすがにこれくらいなら俺だって普通に……。

「え、何これ……味濃……」

 不味くはないが、めちゃめちゃ生姜の存在感がある。

 いつもカラオケとかで飲むヤツとは濃度が全然違うのだ。

 本場のヤツってこんな感じなのか……!?

 口に入れるものに、いちいち衝撃が走る。

 次いで前菜が運ばれてきた。

 スモークサーモンとアボカドのなんちゃらサラダと言っていた気がする。

「あ、これはうまい……」

 今度は素直に言葉が出てきた。

 アイはその様子を変わらずニコニコしながら見ている。

「……オマエも食べろよ。見られてると食いにくいだろ」

「ごめんごめん。キミが一喜一憂しているのを見るの、楽しくて」

 くそ、人のこと見せ物扱いしやがって。

「いただきます」

 アイはナイフとフォークを手に取り、サーモンを小さく切って口に入れる。

 なんかサマになってるというか、上品なんだよな。

 やっぱり慣れてんのかな、こういう場所。

「そうだ。さっき笑ったお詫びと言ってはなんだが……キミに、魔法をかけてあげよう」

 アイは一度だけ携帯電話の画面を確認すると、再び机に伏せる。

「いやいや、だってオマエは……」

 魔法が使えないんだって、神田にも言われてたじゃねえか。

「ふうん。それじゃあキミには魔法とそうじゃないものの線引ができるのかい?」

「それは、できないけど……」

「それなら、キミは素直に私の魔法にかかるといい」

 何故かアイは少し早口で話す。

「分かったよ。んじゃ、とびきりの魔法をかけてくれよ。魔法使いさん」

「よろしい。それじゃあ、とっておきの魔法を使うとしよう」

 アイは改めて、コホンと咳をする。

「いくよ……」

 アイは深く息を吸い込んだ。

 そして、顔の横で指を三本立て、ゆっくりと減らしていく。

「スリー、ツー、ワン……」

「!?」

 突然真っ暗になる視界。

 どうやら全ての照明が消えたらしい。

 思わず立ち上がろうと膝に力を入れる、が。

「イツキ、見て」

「すげ……」

 大窓から見えるイルミネーションに思わず声が漏れる。

 空から舞う雪も相まって、幻想的な雰囲気だ。

 まさに煌めく宝石に見える。

 他の客席からも、感嘆の声が聞こえた。

「どうだい?」

 語りかけるように、アイが俺を見つめる。

「私の魔法は、気に入っていただけたかな?」

「すげえよ、想像以上だ」

 今度は、素直に感想を口にした。

 思わず目を奪われる絶景に加え、あの演出……。

 どこをとっても、完璧だった。

「それは良かった」

 アイは、心底満足気に笑う。

「ホント……こんなの見せられると、トリックとかどうでも良くなるな……」

「そうかい?」

 アイは再び携帯電話を手に取り、画面を俺に見せた。

「なんだそれ……?」

 画面に映し出されたのは、このホテルのホームページのようだ。

 『イーストホテルオープン記念。二四日限定照明オフ演出、ロマンチックな夜景をお楽しみください』と書いてある。

「見せるなよ……」

 今までの感動が台無しじゃねえか……。

「ふふ。イツキは案外、ロマンチストなんだね」

「魔法使いを名乗ってるオマエが言うな……」

「それもそうか」

 アイは微笑みながら頷く。

 本当、笑顔が似合うヤツだよな……。

 俺は、改めてその整った顔立ちを見る。

 その丁寧な造りは、まるで高名な職人が作った人形のようだ。

「どうかしたかい?」

「い、いや……」

 その双眸に見つめ返され、思わず目を逸らした。

「ちなみに、私達魔法使いが使用する魔法にトリックや仕掛けは存在しない。無から有を生み出す特殊な力……それが魔法。まあ、それを使用している本人も、その力の原理を分かっていないけれど」

 本人も原理を分かっていない? 

 どういうことだ?

「原理が分かるから、その力を使えるんだろ?」

「例えば……イツキは、耳を動かすことができるかい?」

「いや、できないな。確か、綾人はできるみたいだが……」

 昔、さんざん自慢されたことを思い出した。

 で、喧嘩して怒られたんだったな。

 喧嘩の理由なんて毎回こんなくだらないものだ。

「それと同じだよ。どうして耳を動かすことができるのか……それは、『動かすことができてしまうから』、『できてしまう』んだから、原理なんか分からない。私達はそういった、生まれながらの才能のことを魔法と呼んでいるんだ」

「自分の得意分野の延長線みたいなもんか」

 しばらくすると、照明が点く。

 周りの客達の会話も盛り上がっているようだった。

 なんだか今日のアイは色んなことを喋ってくれるな。

 少しは俺に気を許してくれているのだろうか。

「気になってたんだけどさ『天使の絵』っていうのは、何なんだ? オマエが探しているのは分かったけど、それが何なのか……まだ教えてもらってないぞ」

 ちょっと不自然な話の変え方だっただろうか……?

 そう思ったのもつかの間、アイはチラリと窓の外を見た。

「うん……そうだね」

 一呼吸の間が空く。

 しかし迷うこと無く、ゆっくりと口を開いた。

「それは……とある、天才と呼ばれた人物が描いた絵」

 天才画家……?

 天才の絵っていうと……ピカソとかゴッホとかが出てくるが……。

「すげえもんなのか?」

「そうだね……絵としては一般的には評価されているものではないよ。しかし、その価値を知る者なら、喉から手が出るほど欲しい代物だろう。私達が所属する組織をはじめ、世界の権力者でさえ……その絵を手に入れようとしている者も多いと聞く」

「なんで……」

「その絵には、強力な魔力が宿っているんだ。何せその絵が、この狂った世界の原因。魔力の根源だからね」

 魔力の根源……?

「……それは、まるで呪われた力。その絵は、『見た者の願いを何でも叶えてくれる』と、言われている」

 なんでも願いが叶う絵……。

「噂通りだ……」

「噂……?」

 アイが眉間にシワを寄せる。

「キミは、何か知っているのかい?」

「あ……いや、綾人が言っていたんだ……」

 そういえば、綾人と神父さんの話、コイツに伝え忘れてたな。

「昔、教会でなんでも願いが叶う天使の絵があるって噂を聞いたって……」

「何故キミは、そういう重要なことを……」

「あーいや、でもあくまで根も葉もない噂話で……」

「それじゃあやはり、あの教会に絵があるということかい?」

「それはないと思うぜ。今日、教会に行ったろ? その時に、神父さんと話す機会があって……少しだけその絵のことを訊いてみたんだ。噂は知っているけど、絵自体は見たことがないって言ってた。結構有名な噂らしいから、神父さんも気になっていたみたいだ。だから、自分なりに調べたらしい。でも、そんな絵は無かったって」

「もしかしたら、どこかに隠されているのかもしれない。その価値を知る者にとっては貴重なものだから……」

「神父さんが嘘をついているってことか?」

「あくまで可能性の話だよ。実際、絵は無かったんだろう?」

「俺が見逃してなければな」

「そうか……」

 アイは飲み物の入ったグラスに口付ける。

「願いが叶うなんて、まやかしに過ぎないのに……」

「え?」

「……ごめん、なんでもないよ」

 アイは静かに首を振る。

「願いが叶うってさ、それって……誰かが、世界が繰り返すように願ったってことなのか?」

「結果的にはそうだね。その中身は分からないけれど」

「やり直すことが願いじゃなくて?」

 でもやり直すこと自体が目的だとしたら、とっくに願いは叶っているはずか。

 アイは少し考え、そして人差し指を顔の横で立てる。

「ふむ……例えば『一二月一八日から二四日までにマスドの限定バーガーを食べたい』と願ったとしよう」

 すげえピンポイントな願いだな……。

「しかし、わけあって一八日から二四日までの間にマスドの限定バーガーを食べられなかったとしたら……再び世界は一二月一八日から二四日を繰り返す」

 ……今の現状ってことか。

 それにしても、どんな例えだ。

「それはなんとなく理解できるが……」

 それなら何の問題もないだろ。

 バーガーを食べればいいだけの話だ。

「自力で願いが叶うのならば、何も問題はない。けれどその願いが、他力本願だった場合……話が難しくなってくる」

「他力本願の願い?」

「たとえば、『一八日から二四日までの間に恋人が指輪を持ってくる』だった場合」

「あ……」

「どうやったら恋人が指輪を持ってきてくれるのか。繰り返す世界の中で学習し、そういう未来にたどり着かなければならない」

「それじゃあ、今回の願いは……」

「そうかもしれないし、違うかもしれない。あくまで可能性の一部だよ。もしかしたら、意図して願いを叶えないのかもしれない」

「チャンスがあったのに見送ってるってことか? そんなひねくれたヤツが相手だとしたら完全にお手上げじゃねえか」

「そういうことになるね」

「勝算はあるのか?」

「ある」

 意外にもハッキリとした口調だった。

「でも正攻法以外は、あんまり使いたくないというのが私の本音」

「正攻法とかあんのか」

「せっかくなら、その願いを叶えてあげたいんだよ」

「何をそんな悠長な……」

「本部の者達も、キミと同意見だけどね……私は、後悔させたくないんだ……絵に願ったことを」

「?」

「それは、自分の命と引き換えに手に入れたチャンスだから」

「命と引き換え……?」

 ドキリ、と心音が大きくなった気がした。

 もしかしてそれが、神父さんの言っていた……。

 代償――――?

「それは、絵を描いた人物との契約。願いが叶った瞬間、その人物を――――絵に閉じ込めてしまう」

「なんだよ……それ……」

 願いと引き換えに、その人を閉じ込める……なんて。

「天使っつーか……まるで、悪魔じゃねーか……」

「そうだね……」

 伏せられる瞼。

 嫌な予感が心の中で蠢く。

 俺はそれを忘れるように、もう一度水を飲み込んだ。



 *一二月二四日 日曜日 帰り道



「ごめんね、すっかり遅くなってしまった」

 腹ごなしに駅前から俺の家の近くまで歩いてきた。

 深夜の住宅街は人の姿は無く、電気の消えている家も多い。

 思った以上に降雪量が増え、明日の朝にはしっかりと積もっていそうだ。

 この日は夜遅くまで外にいたことがなかったから、こんなことになっているなんて知らなかったな。

 歩いてきたことを少し後悔する。

 アイにはホテルの前で迎えを呼ぼうかと言われたが、断ったのだ。

 あの車はなんとなく居心地が悪いからな。

 会話を聞かれている感じが、苦手というか……。

「気にすんなよ、俺だって楽しんでたわけだし」

 高級ホテルでのディナーなんて、なかなかできる体験じゃないしな。

 綾人に自慢してやろうかと思ったが、なんだかややこしい説明になりそうなのでやめておこう。

 そういえば、綾人はもう帰ってきているのだろうか。

 出来るだけ早く帰って来るとは言っていたが……。

「イツキ」

 静かに名前を呼ばれたはずなのに、ビクリと肩が震えた。

「時計を見てくれないか?」

「時計?」

 ポケットから携帯電話を取り出す。

 時刻は二三時五〇分。

「あ……」

 明日まで、あと一〇分……。

 そうか、今日は日曜日……。

 この世界の終わりが、刻一刻と近づいていた。

「…………」

 アイはするりと手袋を外し、自分の手を見つめる。

「今週は、キミと過ごせて楽しかったよ。前よりもずっと仲良くなれた気がする」

「それは、まあ……。オマエが……俺を助けてくれたから……」

 狂った世界で、アイだけが手を差し伸べてくれたんだ……。

「最初は余計なことに巻き込んでしまってこと、怒られるかと思った。でもキミは、怒るどころか私に協力してくれたんだ。ありがとう、イツキ。改めてお礼を言うよ」

 街灯の下、降り続く雪の中にいるアイ。

 その姿がとても綺麗に感じた。

「キミがここで私の手に触れなければ、今まで覚えていた記憶は全て消去され、次の世界に移る。もう、世界の秘密なんかに付き合わなくていいんだ。その時は、また初めましてからになってしまうが……キミが忘れていても、私は覚えている。だから、すぐに仲良くなれるだろう」

「…………」

 俺には使命なんてない。

 この世界を正しい姿に戻す義務も何もない……。

 けれど……。

 見守りたかった。

 繰り返す、その世界の果てを。

 アイ一人に……その重責を背負わすことなんかできない。

 だって……もう、知ってしまったんだから。

 何度も繰り返す世界と一人で戦う、アイという存在を……。

「ここまで巻き込んだんだからさ……最後まで責任持って協力させろよ」

「イツキ……」

「なんか、ポイ捨てされたみたいじゃねーか」

「ポイ捨て……」

 日本語の意味が分かっていなそうなアイ。

 俺はそのまま、油断して無防備になっている手を掴んだ。

 相変わらず冷たい手だった。

 いや、今回は俺も同じか。

「これで、いいんだな」

 これで……俺の記憶が消されることはない。

 新しい世界でも、初めましてにはならないはずだ。

「ありがとう、イツキ……また次の世界で――――」

「おお」

 カチリと時計の針が動き……。

 そして二人は、目を開けていられないほどの眩い光に包まれた。

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