Ⅲ-Ⅳ 渋谷藍



 *一二月二一日 木曜日 自室



「はいはーい! いっちゃん、起きてー」

「イテ! イテテ!」

 バンバンと布団の上から叩かれ、思わず声を上げる。

 乗られるのもなかなか不快だったが、こう何度も手で叩かれるのも嫌なもんだな!

「あ、起きた起きた。もう、ご飯できてるよー」

「わ、分かった……」

 左手を布団から出してヒラヒラと降れば、掛け布団の隙間から冷たい空気が入ってくる。

 窓の外は暗かったが、それでも開いたカーテンの隙間からは光が差し込んでいた。

 ああ、だんだん目が冷めてきた。

「んじゃ、早くリビング来てねー」

 今度はポンポンと軽く叩くと、部屋を出ていく。

 次いで、階段を駆け下りていく足音がした。

「くそー……綾人のヤツ……」

 むくりと重い身体を起こす。

 なんだか、いつもよりも目覚めが悪い。

 叩かれる手に憎しみがこもっていたような……。

 綾人サン、なんか怒ってんのか……?

 思い当たる節があるっちゃあるような、ないような……。

 いや、気のせいだよな……うん。

 綾人のことだ、例えそうでもすぐに気持ちも晴れるさ。



 *一二月二一日 木曜日 登校



「つめて……」

 鼻の頭に小粒の雪が落ちてくる。

 そうか、今日から雪が続くんだったな。

 分厚い雲が空を覆い、いつもよりも暗い朝だ。

 傘を使うほどではないが、学校に着く頃には頭の上に雪が積もっていそうだ。

 地面や住宅の塀に落ちる雪が、いくつも黒いシミを作っていく。

 やはり雪が降ると、体感温度もぐっと下がる気がした。

「憂鬱だ……」

 そして木曜日の朝お決まりのセリフ。

 肩を落として歩く綾人だが、俺はというと、同じ会話をするのも段々と飽きてきていた。

「明日の球技大会か。あと、海は行かない」

「え、怖すぎるんだけどその返事」

 まあ、三度目ともなればな。

「んで、その割には勝ちたいんだろ?」

「え……ま、まあ……負けたくは、ない……けど」

 前回もそう言ってたな。

「けど?」

「ボクは……いっちゃんが、楽しそうにバスケをしてることを見たい……」

 ああ……そのニュアンスも聞いた。

「そんなの……」

 俺だって――――。

 言いかけて止める。

 綾人に八つ当たりしたってしょうがない。

 コイツは……それを本当に望んでいるのだから。

「ほら、早く行こうぜ。遅刻しちまう」

「……うん」

 行き場のない思いが胸を締め付け……。

 俺は、強めに地面を踏みつけた。

「せんぱーい!」

 と。

 聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。

 朝の爽やかな風とともに、やってきたのは……。

「やっぱり悠希か」

「おはようございます、先輩方」

 ふわりと前髪を揺らす風。

 イケメンのみに許されるという秘伝の技だ。

「朝っぱらから元気だなオマエ……」

「そんなことないですよ、もう眠くって」

 悠希はわざと目を細める。

「……オマエ、寝ないくせになんでそんなに背高いんだよ」

「え。そんなことあんまり気にしたことありませんでした。なんででしょう……? 遺伝ですかね」

「……いっちゃんは寝てても育たない……いたっ!」

 失礼なことが隣で聞こえたので、とりあえず叩いておいた。

 空っぽのいい音がするな。

「本当……仲いいですね。先輩達は」

「どこが。小さい時からの腐れ縁なだけだ」

 別に意識して一緒にいるわけじゃない。

 結果としてこうなってしまっているだけで。

「それでも、高校まで一緒って珍しくないですか?」

「それは……」

 お互いの知能レベルが一緒だったからな。

 駅の西口方面にある私立に行く学力は無かったが、だからといって偏差値が低過ぎるところに行く理由もない。

 ほどほどのところを選んだら、柊明高校になっただけだ。

 おかげで母さんには『私の賢さは遺伝しなかったのね』とか嫌味……というか事実を言われるし……。

 ……なんか悲しくなってきた。

「いや、待て。オマエには田端さんがいるだろうが。幼馴染みたいなものって言ってただろ」

「え? 僕そんなこと先輩に言いましたっけ?」

「あ」

 あれ……。

 ちょっと待て……その話、いつ聞いた……?

「あ」

 思い出した。

 俺が田端さんを紹介してくれって頼んだ時……つまり一週目……!

 しまった……!

 今回の悠希とは、そんな話一切していない。

 マズイな……いつどこで誰に聞いたのか、会話の内容がごちゃごちゃになってしまっている。

 俺の記憶にあるからって、必ずしも今、目の前のヤツとその会話をしたわけではないのだ。

「えっと……だな……」

 悠希が訝しげな目で俺を見る。

 そりゃそうだ。

 話してもいないこと……親しい人間だけしか知らないことを知っていたら、誰だって疑念を抱くだろう。

 完全にやっちまった……。

「モデルの雑誌」

「え?」

 小さい声だが、しかしハッキリとした口調で、綾人が俺達の会話を遮った。

「一学期の最初くらいかな……いっちゃんが立ち読みしてた雑誌のインタビューに書いてあったよ。ほら、悠希くんじゃなくて、田端さんがモデルしてる方」

「え……」

 綾人がスラスラと話す内容を、俺は未だに思い出せずにいる。

「あ、ああ……ありましたね……!」

 しかしすぐに悠希の表情が変わった。

「ほら、先輩に渡した雑誌と同時発売だった、女性向けの方ですよ。出版社は同じだったんですけど、僕が載ってるわけじゃないから貰えなくて……。そしたら先輩、自分で買いに行くって……」

「あ、ああ……」

 その雑誌の存在は覚えている。

 綾人と駅前の本屋で立ち読みをしたことも。

 だが、アイドルの掲載写真があまりにも小さかったため、購入はしてはいない。

 確かそこにインタビューが載っていたんだ。

 他の新人女性モデルとの対談式で、全く読んでいなかったが。

「一緒にいたイトコとスカウトされて、イトコが断ったことと……。メンズの雑誌の方に、同時にデビューした幼馴染がいるって書いてあったよね?」

「ありました。よくそんなに詳しく覚えていましたね、綾人先輩」

「う、うん……」

 悠希の顔が真っ直ぐ綾人に向いた途端、すぐに俺の後ろに隠れる。

 さっきの落ち着いた態度はなんだったのか。

 綾人はいつもの綾人にすっかり戻っていた。

「桃香ちゃんとは、小学校の高学年頃から知り合いってだけですよ。先輩達よりも、長い付き合いじゃないです」

「いやー、長けりゃいいってもんでも……」

「でも……。きっと……ずっと一緒には居てくれませんから」

「悠希……?」

 突然どうしたんだ。

 悲しそうに視線を逸らした悠希だったが、すぐにハッとして顔を上げる。

「え……あ、なんでもないです。すみません、変なこと言っちゃって。眠いから頭まわってないのかもしれないです。授業中、寝ちゃいそうだなぁ」

 悠希はそれでは失礼しますと、軽く頭を下げ、長い足で道路を歩いていく。

 その後ろ姿を見て、俺はホッと胸を撫で下ろした。

 やばいな、失言に気を付けないと。

「オマエ、雑誌の中身よく覚えてたな……」

「……いっちゃん、覚えてて言ったんじゃないの?」

「え? あ、いやー……ハッキリとは。たぶん深層記憶に眠ってたんだな」

「ふうん」

 綾人から返ってきたのは、そっけないものだった。



 *一二月二一日 木曜日 教室



「ああ、おはよう」

 教室に入るなり、アイがこちらへとやってきた。

 俺達より先にいるなんて、いつもよりも早い登校だな。

「よ」

「お、おはよ……」

 どうでもいいのだが、ここ数日前からアイが俺の近くに来るたびに、クラス中から視線を感じるのは気のせいだろうか。

 一体、どんな噂が流されてるんだか。

「イツキ。レンが来ていないんだけど……今日は休みだったかい?」

「いや、そんなはずは……」

 ああ……。

 そういや今日は委員長、遅れてくる日だったような。

 球技大会の練習か、神田関係で。

 どちらの理由かは分からないが、今回もきっと同じだろう。

「……間に合ったみたいだな」

 噂をすれば。

 委員長は息を切らした様子で、教室へと駆け込んできた。

 入り口のドアに手をつきながら、深く息を吸う。

「ああ、おはよう。大崎、月島、渋谷も」

「お、おはよ……」

「おはよう」

「はよ。朝からだいぶ疲れてるみたいだな。球技大会の練習か?」

「いや……」

 触れているドアから手を離し、腕組みをする。

 ため息と共に、眉間の皺が濃くなった。

 これは間違いなく神田関係だな……。

「おはよう……さっそくなんだけど、レン」

「どうした?」

「今日もシュースケは来ないのかい? 少し、話をしたいのだけれど」

「あ……」

 コイツすげー……。

 今一番名前を読んではいけないヤツの名前を出したぞ……。

 アイに空気を読めって言っても、頭にはてなマークを浮かべるんだろうな。

「アイツなら……ちゃんと学校にいる」

「ああ、今日は来ているんだね」

 良かった、とアイは嬉しそうに笑う。

 しかし委員長は、それとは対照的に表情が固い。

 確か前の世界でも神田に相当怒っていたんだっけな。

「……渋谷」

「うん?」

「……いや、なんでもない。今なら、まだアイツは屋上にいるはずだ」

「そうか。ありがとう、レン。それじゃあ……さっそく今から行ってみよう、イツキ」

「え……」

 コイツ、委員長の前で堂々とサボり宣言しやがったけど……。

「早くした方がいい、アイツは気まぐれだからな」

 それでも委員長は俯いたまま、その行動を促した。

 マジかよ……あの委員長が……!?

「…………」

 委員長の異変を感じ取ったのか、綾人も黙ったままだった。

 俺はアイに手を引かれるまま、教室をあとにした。

 チャイムが鳴る前に廊下に出る。

 運良く、教師との鉢合わせはしなかった。

「うん、ラッキーだったね」

「……どうしたんだ、委員長のヤツ」

「うーん、よく分からないけれど……私達に何かして欲しいんじゃないのかな」

 どうやらアイは、委員長の言動から何か感じ取ったものがあるようだ。

「何かってなんだ?」

「さあ。たぶん、シュースケに関することだと思うけれど」

 神田に関すること……?

「カレの手のひらから前腕部に巻かれていた包帯……それも関係していそうだね。とりあえず訊けば分かるんじゃないかな」

「あ……」

 その包帯って、毎週木曜日になると委員長の手に巻かれているヤツだよな?

 今週もあったのか。

 でもいつかの週で、ちょっとケガしたものだと言っていたはずだと思ったが……。

 それと神田、どういう関係が……。

「レンだって人間だ。弱って、いつもの自分がブレてしまうこともあるさ」

 北側にある日の当たらない三階の廊下の隅。

 そこにだけある、屋上へと繋がる階段。

 立ち入り禁止の張り紙になど目もくれず、アイは屋上の扉に静かに手をかけた。

 「――――さて、ついたよ」



 *一二月二一日 木曜日 屋上



「さむ……」

 今日もコートを着ているままだが、それでも屋外は凍てつく寒さだ。

 防寒具から出ている顔の部分が、一瞬にして冷たくなっていく。

「今日は雪が降っているね」

 まるで他人事のようだ。

 アイは子供のように、背伸びをしながら舞っている雪を掴もうとする。

「オマエはいつも平気そうだな……」

「うーん……そうだね。まあ、そういうのあんまり感じないから」

 感じないっていうのは、暑さ寒さに鈍感ってことだろうか?

 冬でも夏でもすぐに影響される俺にとっては、すげー羨ましい体質だな。

「おいおい。また、オマエらかよ」

「!」

 頭の上から、聞いたことのある声がした。

「ったく、ここはオレの特等席だってのに」

 その声の主はすぐ上――――塔屋の屋根から軽やかに梯子を伝い降りてくる。

 煩わしくなったのか、途中でひょいと足場を蹴りコンクリートの地面に飛び降り、俺達の前に姿を表した。

 そしてポケットに手を入れたまま、面倒くさそうに俺達を二人を交互に見る。

「やあ」

 アイはにこやかに挨拶する。

「突然馴れ馴れしくなったな……」

 神田は呆れた様子で屋上の端の方へ向かい、二メートルほどの高さの金網へ寄りかかった。

 着崩した制服のサイドのポケットから、謎の白い細い棒を取り出す。

「え……」

 まさかタバコ……。

 かと思ったら、先端にピンクの包装紙が付いていた。

 コンビニとかでバラ売りしてる飴だ。

 しかもその色、絶対いちご味だろ。

「なんだよ」

 視線が気になったみたいだ。

 神田は俺と飴を交互に見る。

「……え、欲しいのか?」

「いらねーよ」

 どうしてそう思った。

 納得いかないといった顔で首を傾げると、包装を剥ぎ口に入れた。

 近くで見てもタバコにしか見えない。

 自分の顔と身長を自覚した方がいいと思うのだが。

「あ……そうだ。おい、転校生」

 口の先から白い棒を出したまま、神田はアイを見た。

「なんだい?」

「思い出したんだ。オマエ、オレと会ったことあるって言ったよな?」

 そう言って不敵に笑う。

「…………」

 それに引き換え、アイは黙ったままだ。

 なんというか……。

 『まだ思い出してなかったのかコイツ』……って感じの表情だな。

「ズバリ……二日前、自販機の前でだろ」

 そう言って髪をかきあげるが。

「ハズレ」

「え……」

「本当に困った人だな、キミは」

 大きくため息をついて。

「正解は……本部の会合でだよ。『エデンの園』ガーデンオブエデン所属、序列第一〇位くん」

 言いながらアイは、神田の目の前で自分の膝に手をつき中腰になり……。

 神田の左脇腹をつついた。

「っ」

 くすぐったかったのか、サッと身を捩る神田。

 な、なんだ?

 『エデンの園』ガーデンオブエデン

 序列第一〇位?

 一体何の話だ?

 二人は会話を続ける

「え。マジで!?」

「まじで」

 アイは神田の言葉を鸚鵡返しする。

 ちょっとアクセントが違うことから、日本語の砕けた言葉は言い慣れていないようで、なんだかぎこちない。

「まあ、あの時とは髪型が違うから……思い出せないの仕方ないかもしれないけど」

 それを聞いた神田の顔色がサッと変わった。

 口から飴を出し、それを指示棒のようにアイに向ける。

「あ! もしかしてオマエ……序列第四位のアイギ……」

「しーっ!」

 アイは手袋をつけた手で、慌てて神田の口を両手で覆う。

 驚いて一歩下がる神田だったが、負けじと片手でアイの右肩を掴み、身体を引き剥がした。

 ええと……二人は知り合いなのか?

「オマエ……なんでここにいるんだ? もしかしてあの件か? えと……あの時は気が動転してて、だな。だから、わざとじゃないっていうか。それとも去年の件についてか? だとしたら、アイツは何も……」

「……一体、何の話だい?」

「……え?」

「よく分からないが、キミは何か勘違いをしているみたいだね」

 神田は未だに頭にハテナマークを浮かべている。

「え……それじゃあ、オレを、連れ戻しに来たんじゃないのか?」

「いや、まったく。今回の件に関しては、キミは何も関わっていないはずだ。それとも、何か別に懺悔しなければならないことでもあるのかい?」

「いや……別に何もー……」

 どうやら墓穴を掘っていたことに気付いたらしい。

「ああ、なんか思い出した。そうか……この前、報告書が届いてたっけな。ザッとしか目通してねーけど。でも、オマエが来てるってことは……なるほどな。この矛盾はそのせいか……」

 納得したように、神田はアイと向かい合う。

「おい、四位」

「その呼び方、やだなあ……。それで、なんだい?」

 神田はもう一度飴を咥えると、慣れた手つきでアイの右手を掴み、ぐいと自分に近付けた。

 一瞬驚いた表情を見せるアイだったが、すぐに怪訝な顔つきに変わり、神田を見据える。

「……知ってたっけ?」

「風の噂で」

「機密事項として扱われてたと思うんだけど……キミは友達が多そうだからね」

「…………」

 アイは抵抗を諦め、神田のなすがままに手袋を脱がされた。

 するりととれた白の手袋に負けないくらい、透明感のある素肌が冬風に晒される。

 そして神田は、アイの華奢な右手をギュッと掴んだ。

「つめた」

「すまないね」

「オマエ、よくそんなんで動けるな」

「動力が違うからね。その辺りも知っているんだろう?」

「ま。なんとなく」

「それにしても……なんだか、触れ方が妙に慣れているね」

「は? 意味分かんねえ。……で、何の変化も起きないみたいだが」

「身体の周りに、反魔法の薄い膜が張られるらしいよ。だから、あまり変化は感じないかもしれない。」

「なるほどな……って、待てよ。やべ……反魔法の膜ってことは、オレも魔法が使えなくなるんじゃ……」

「その心配はないよ。内側からの力には何の抵抗もしない。防ぐのは、外からの魔法のみ。つまり、魔法を使用するのには何の問題もないよ。色々な実験で結果が出ている。しっかりガードできるのに、通気性抜群」

 なんだ、その通販の謳い文句みたいなのは。

「へえ、さすが四位の魔法。優秀だな」

「お褒めに与り光栄です。それにしてもキミ、凄いね。考えなしに私の身体に触れたりして。もしも噂が偽物だったらどうする気だったんだい?」

「そしたらまたあとで考えるさ。報告書にも書いてあったぜ。どうせ日曜日にはリセットされるんだろ?」

「今のところの予定では、ね」

「少し調べたいことがあったんだ。せっかくだから、利用させもらうぜ」

「なるほど……」

 アイは神田の持つ手袋を取り上げ、再び自分に付け直す。

「……さて、力を使ってあげたんだ。ちょっと聞きたいことが二つあるんだけど」

「げ。なんだよそれ……だから抵抗されなかったのか」

「まあまあ、別に悪い話じゃないしさ」

「…………」

 なんだかアイにしてやられた感じだ。

「それでさ、レンと何かあったの?」

「煉?」

「どうやら、毎週この日にレンとケンカしているようだからね」

「ああ……毎週ケンカしてるのか、オレ達……。ま、いずれはバレることだからな……」

 まるで自分に言い聞かせるようにつぶやく。

「あの手の包帯……キミがさっき調べようと思っていたと言っていたことと関係があるのかい?」

「……何、オマエ、千里眼使えんの?」

「使えると思う?」

 アイの返答を聞くと、神田は飴を奥歯で噛み砕いた。

「愚問だった」

 そして、悔しそうに目を伏せる。

「アイツ……昨日の夜、切り付けられたんだよ」

「は!?」

 思わず声が出た。

 なんだって、委員長が!?

「家への帰り道だったらしい。駅前で誰かに……」

 部活後とはいえ、まだ人がいなくなる時間帯じゃない。

 むしろ帰宅ラッシュの時間じゃないか?

 そんな人混みで……。

「……それは、穏やかじゃないね」

「腕部分を数か所切っただけで、そのほかにケガはしてないらしい……」

「警察には?」

「……それが、頑なに拒否してな。大会が近いから、大事にはしたくないらしいっつーのと――――それに、よく分からないんだ……と」

「分からない?」

「何か光るものが顔の方に飛んでくるのが見えたから、思わず手でガードしたらしい。コートも来てたし、厚着だったからな。庇った時に出ちまった素肌の部分だけ、切れたんだと。コートがダメになったとか言って怒っていた」

「なんだよ、光るものって」

「それが分からねえんだよ」

「そうか……」

 アイは口元に手を当て、考えるが特に思い当たることは無かったようだ。

「一体、誰がそんなこと……」

「さあな……ただ、もしかしたらオレのせいじゃないかって思うわけで……」

「キミの?」

「煉は、人に恨まれるようなヤツじゃない……。もしも通り魔的なものじゃないとしたら、オレに逆恨みしたヤツが、煉を襲ったかもしれない」

 神田の口調が、弱々しく変わっていく。

「ふむ。確かにその可能性もあるね。手口も怪しい。そしてその場合……相手がただの人間であるとも限らない」

「そうなんだよなー……」

「あんまり思いつめるものじゃないよ」

「それは分かってる……」

「ええと……そういうのってオマエらの魔法でなんとかならないのか?」

 疑問に思ったことを訊いてみる。

「……オレの魔法は、そういう系列じゃねえんだよ」

「うん、私達のは特にね」

「こんなとき、別の魔法が使える人がいればラクなんだけれど……他の人達は、あんまり協力的じゃないからね」

「オマエ、特に嫌われてるもんな」

「うん……えっと、しょんぼり?」

 意味合いはあってる。

「だからこそ、あまり派手なことはしちゃいけないよ。どこで誰が見張っているか、分からないしね。この一週間が始まる前に来日してる人達もいるから……」

「例えば、石のヤツとかか?」

「まあ……そこは機密事項ということで」

 二人の会話に、俺は完全に蚊帳の外だ。

 コイツらは……一体どんな世界を見ているんだろうか。

 どうしても、俺には越えられない壁があるようで……。

「この話は進展したらまた話すとしよう。次、二つ目の聞きたいこと」

 横で複雑な顔をしている俺に気付いたのか、アイは話題を変える。

 そして、顔の横でピースサイン。

 ああ、二つ目の二ね。

「なんだよ」

「シュースケ、魔法道具持ってないかい?」

「え? まあ、いくつかは持ってるけど……」

「人間が入れないような、強めの結界を突破できるヤツ」

「待て待て。どんだけ物騒などこ行くんだよ。もしかして、今回のループ魔法と関係してんのか?」

「それを調べにいくんだよ」

「なるほどな……」

 神田はポケットから携帯を取り出し、しばらく指を動かしていたが、ある地点でピタッとそれを止めた。

 アドレス帳でも見てるのだろうか。

「……アイツにするか」

「もしかして例の彼女かい?」

 アイの瞳がキラキラと輝く。

「……だからオレに頼んでるんだろ。期待はするなよ。アイツ、気まぐれだから」

「いや、助かるよ。巷で出まわっているものは、効果の保証されていない粗悪品も少なくないからね。さすが神田ネットワーク」

「変な名前付けんな」

「時間がないから、速達で頼むよ」

「オマエ、遠慮ないな。とりあえず頼んでやるよ」

「ありがとう。助かるよ」

「高く付くぜ?」

「お金で解決できるのならそれに越したことはないよ」

 アイは神田に極上のスマイルを向けた。

 手袋の付けた手をぱん、と顔の前で合わせる。

「さて、これで話は終わりだ。この後シュースケは、レンに謝りに行きたまえ」

「は? なんで……」

「ケンカして、レンを傷つけたんだろう? どんなに相手が心配だからって、その思いを一方的に押し付けるのは間違っているんじゃないかい?」

「オマエ、マジで痛いとこついてくるな……。分かったよ」

「いい子だね」

 アイはポケットサイズのチョコレート菓子を取り出し、神田に渡した。

 神田はそれを受け取り、背中を丸めながら校舎の中に戻っていく。

 クラスメイトから恐れられている、あの神田鷲介とは思えない後ろ姿だった。

「さて。それじゃあ、私達も戻ろうか。魔法道具の予約もできたことだし」

 全ての任務を達成したアイは、実に清々しく微笑み屋上の出口へ向かった。



 *一二月二一日 木曜日 昼



 昼休み中の騒がしい教室に入ると、つまらなそうに席に座る綾人が、チラリとこちらに視線を送った。

 近くに行くと小さく口を開ける。

「おかえり」

「あ、ああ」

 なんとなく、声から冷ややかなものが漂っている気がする。

 やっぱり、怒ってんのか?

「もうお昼だよ」

「そ、そうみたいだな」

「いっちゃん、単位足りなくなるんじゃないの?」

 淡々とした口調で話す。

「いやぁ……まあ……」

 普通はそうなんだが……。

 日曜が終われば、また時間が繰り返すからその問題はないんだよな。

 って、綾人にそんな言い訳できるわけねえし……。

「ええと……だな……」

「ま、いいけど……」

 綾人はふんと鼻を鳴らす。

「いっちゃんが留年しようが、痴漢で捕まろうが、路頭に迷おうが……」

「おい」

 なんつー例えだ。

「ボクは最後までいっちゃんを見捨てないから。なので、とりあえずはお弁当は食べてください」

「……は?」

「次は体育だよ。ちゃんと食べないと動けないでしょ。ほら、座って」

「あ、ああ……」

 綾人に急かされ、俺は席に座る。

 そこには、ちゃんと俺分の弁当の包みが置いてあった。

「神田くんと煉くん、仲直りできそ?」

「え……あ、まあ……」

「なら良かった」

「……分かってたのか?」

「そりゃあ、あの流れからなんとなくね」

「ふうん……」

 弁当の包みを開ける。

 付け合わせにブロッコリーが付いた、オムライスの洋風弁当だ。

 俺は胡椒の効いたチキンライスを思い切り頬張った。



 *一二月二一日 木曜日 午後授業中



 午後イチの授業は体育だったため、すぐに教室で着替えて体育館へ向かう。

 本当は更衣室があるのだが、行くのが手間なのでいつも教室で着替えていた。

 女子達はちゃんと更衣室へ行くため、教室には男子しかいない。

 着替えを終え、体育館に到着したと同時に授業開始のチャイムが鳴った。

「うわ、ギリギリ」

「今日の体育は自習だろ?」

 委員長が隅の方で大声を上げて、自習だとクラスメイト達に告げている姿が目に入る。

 さすが委員長だけあり、その声は体育館中に響き渡っている。

「いっちゃん、よく分かったね」

「まあな」

 突っ込まれても面倒なので、軽い返事を返しておく。

「いっちゃん、練習する?」

「そうだな……」

 そこで、前回のことを思い出す。

 先週も先々週も、何故か俺にボールが飛んで来るんだった。

 で、保健室へ行くという流れ。

 当たった当日がめちゃくちゃ痛いだけで、その後はそんなに気にならないのだが……できれば当たりたくないよな。

「……よし、練習しよう」

「おお、いっちゃんがやる気だ……!」

 綾人がわざとらしく驚いている。

「ちなみにボクは見学してる」

「は?」

 綾人はくるりと踵を返すと、体育館端の方へ向かう。

 せっかく俺がやる気になっているというのに、一緒に出るんじゃないのか。

「どこ行くんだ?」

「ギャラリー。いっちゃんの活躍、上から見てるよ」

 コイツ、サボる気だな。

 そこまでして運動したくないのか。

 綾人はなんだか軽い足取りで階段を登っていった。

 コートの中心は、すでに人が集まりはじめていた。

 委員長が、クラスメイトに声掛けしているのが見える。

 今回はちゃんと、コートは半分をバスケ、半分をバレーで使用するみたいだ。

 よし、俺も混ぜてもらうことにしよう。

 小走りにコートへ向かう。

 体育館の床を踏みしめる感覚が、とても懐かしかった。



 *一二月二一日 木曜日 下校



「……痛い」

 雪が降る中、二人で歩く帰り道。

 ジンジンと熱を持つ右手の人差し指。

 振って誤魔化しても、痛みを忘れるのは一瞬だけで……。

 突き指って、この微妙な痛さが続くのがイヤなんだよなぁ……。

「自業自得だよ」

 冬の風のように冷たい言葉が突き刺さる。

 確かに言う通りではあるんだが……。

 まあ、今回は頭に飛んでこなかっただけ、良かったというべきか。

 この違いはなんなんだろうな……。

「なんであんなボールに手を出したのさ。どう考えてもコート外に出る高さだったでしょ」

「……はい、調子に乗りました」

 仕方ないだろ、久しぶりのバスケで楽しかったんだ。

 最後の試合からブランクがあったけど、身体は思った以上に動いてくれた。

 委員長が持っていたコールドスプレーをかけてくれたから、その瞬間は痛みが消えていたんだが、今になって再びやってきたのだ。

 早く家で手当てしないとな。

「でも試合には勝ったから問題ないだろ」

「……練習試合でしょ。本番は明日」

「ぐ……」

「……ま、その程度のケガで良かったよ」

 綾人はフッと微笑んだ。

「痛み……まだ取れないの?」

「すぐ治るだろ、こんなの」

「そっか……」

 安心したように、目を細める。

 俺達はそのまま真っ直ぐに家に向かう。

 途中、住宅街の見覚えのある道の前で先週のことを思い出した。

 綾人が見つけた捨て猫……今週もいるのだろうか。

「…………」

 やはり雪と寒さが気になり、その場所まで行ってみる。

 周囲を見回してみたが、その道のどこにも……ダンボール箱すら置いていなかった。

「いっちゃん、どこ行くの?」

 綾人が後ろから慌てて走ってくる。

「いや……」

 誰か……また、神田に拾われただろうか。

 こんなことならアイツの連絡先、訊いときゃ良かったな。



 *一二月二一日 木曜日 就寝前



「いっちゃん、指の具合はどう?」

 幼馴染が窓の外から心配そうに覗き込んでくる。

「家にあった湿布巻いて、包帯で固定しといたから大丈夫だろ。腫れもないし」

 昔使ってた応急処置道具一式が役に立つ時が来るとはな。

 一応とっておいて良かった。

「ならいいけど……痛いの取れなかったら、ちゃんと病院行くんだよ?」

「へいへい」

 綾人の口煩さが、なんだかくすぐったかった。

「あ、そういえば体育のギャラリーに悠希くんが居たんだよ」

 体育の時間のことを思い出したらしい。

「アイツ、本当にサボってやがるんだな」

「そうみたい。ボクが上がってくと、バレちゃいましたかって笑ってどっか行っちゃった」

 素行不良を自白してたからな。

 朝も眠そうだったし、昼寝でもしてたんだろ。

 俺の周りは自由なヤツばっかりだな。

「寒いね……そろそろ寝ようか」

「そうだな」

「それじゃあおやすみ、いっちゃん」

「ああ」

 俺達は同時に窓とカーテンを閉める。

 僅かだが雪が入り込み、窓枠にいくつかの染みがついていた。

 一八日から二四日まで、繰り返す世界。

 いつかはそれが終わり、春がやってくるのだろうか。

 ふと、そんなことを思う。

 この冬が空ける日は……。

「やめた」

 それを迎えるために、アイが頑張っているわけだし……。

 ここで俺が考えても仕方ないことなのだから。

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