Ⅲ-Ⅲ 渋谷藍



 *一二月二〇日 水曜日 自室



「おーい、いっちゃん!」

 遠くで、綾人の声がする。

「朝だよー」

 ああ……そうか。

 また、いつもの朝……。

「いつもの……」

 なんだか、懐かしいなこの光景。

 しばらくこの『いつもの』がなかった気がするからな……。

「綾人……」

「あ、起きた起きた」

 カーテンの開かれた明るい部屋。

 そして、いつものように人の上に乗っている綾人。

 ……さて、今回もお約束をしてやるか。

「重いっつーの!」

「わっ!」

 床に落ちていく幼馴染。

 ドスンと言う音が、部屋中に響いた。

 なんだかこの音も懐かしいな。

「いったーい!」

「毎度毎度、オマエは……」

「だからって、ふっ飛ばすことないじゃんかー」

 ぶつけた頭を撫でながら抗議してくる。

「いつも乗っかるなって言ってるだろ」

「だって起きないんだも……あれ、いっちゃん。ケータイにメッセージ来てるよ?」

「メッセージ?」

 床に置いて充電してある携帯を、綾人が渡してくる。

 誰からだ?

 俺はまだ寝ぼけた目で画面を確認する。

 どうやらアイから、昨日の続きが届いているようだ。

『返信ありがとう。今日も会えること楽しみしてるよ』

「…………」

 なんだ、この恥ずかしい文章。

 いちいち礼なんか送って来なくったって……。

「何々……返信ありがとう。今日も――――」

「うわ、バカ見るな……!」

「…………」

 何故か綾人の動きが止まった。

「こ、これはだな……っ」

「差出人……アイって……え、女の子?」

「ち、違うわ、バカ!」

 綾人のツッコミで気付いたが、確かに『アイ』って女の子の名前だよな。

「ええと、これは……渋谷からで……」

「え……渋谷くん?」

 綾人がジトーっとした目でこちらを睨んでくる。

「……へえー、アイ。アイねえ……」

 何故か名前を復唱している。

「あ、アイツがそう呼べって言ったんだよ」

「一昨日も昨日もずっと二人で屋上にいるもんねえ?」

「う……」

 綾人の冷たい視線が突き刺さる。

 悪いことしてるわけじゃないのに……。

 でも、このことは秘密だって言われてるしな……。

「サボるのは良くないと思います!」

 昨日の午前中すっぽかしたオマエがそれを言うのか。

 ……俺もだが。

 俺は諦めて、両手を上げた。

「あー分かった。今日は大人しく教室にいる。それでいいだろ?」

「うん! 約束だよ?」

「……はぁ」

 綾人の笑顔に、思わずため息が漏れる。

 早くこの狂った世界から抜け出したいってのに……。

 つっても、俺にできることはほぼないみたいだけど。

「…………」

 まあ、仕方ないか。

 コイツが悲しい顔をしていると、こっちまで引っ張られるんだ。

 今日だけは、綾人の傍に――――。



 *一二月二〇日 水曜日 教室



「イツキ、屋上へ行こう」

「…………」

 ――――いてやるか、と思ったのだが。

 教室に入るなり、満面の笑みのアイが俺の手を取った。

 そして昨日と同じく、クラス中の視線を独り占めする俺。

 どうやら屋上でサボることに味を占めてしまったらしい。

 その気持ちはすごく分かるんだ。

 ただでさえ授業中って退屈なのに、何回も同じ授業を受けないといけないなんて、この上なく苦痛だよな。

「え、えっとだな……」

「じー」

 幼馴染からの視線が痛い。

「イツキ? 私は、キミと話がしたいのだけれど」

「い、いや……分かってる」

 俺も世界の秘密も気になる。

 でも、隣で呪詛を飛ばす幼馴染と、屋上に行かないと約束しちまったことは事実なんだ。

「どうかしたのかい?」

 アイは、きょとんとした表情で首を傾げる。

 悪意がない分すげー断りにくい……。

「いっちゃん!」

 すぐ横で、綾人が顔を膨らませている。

「だから……分かってるって……」

 分かってはいるけれど……。

「アヤト、どうして止めるんだい?」

「!?」

 急に名前を呼び捨てにされ、綾人の身体が跳ねる。

「き、今日は屋上行ったら……ダメだから……」

 おお。

 綾人が負けじと言い返している。

 すげー、綾人のそんな姿見るの久しぶりだな。

 なんか珍しいもんが見れた。

「それは何故だい?」

「な、何故って……授業サボるの……良くないし……」

「困ったな……こちらも、とても大切な用事なんだけど……」

「授業も大切だよ……っ」

「ふむ……」

 アイは何か思案するように、顎の下に手を当てる。

「イツキ」

「へ?」

 突然名前を呼ばれ、思わずアイの方を見る。

「キミが決めてくれないか」

 ウッソだろ!?

 ここでそう来るか!?

「私の言葉では、カレを説得できそうにない」

「いっちゃん! 約束したでしょー!」

「イツキ」

「いっちゃん!」

「あ……はは……」

 何この状況。

 あれか?

 私のために争わないで?

 クラスメイト達から、修羅場……とのコメントが届く。

 幼馴染と転校生。

 板挟みになるんだったら、せめて両方女の子であって欲しかったぜ……!

「一体、俺はどうすればいいんだ!」

「ストップ」

 声の方をふり返れば、教室の入口に委員長が立っていた。

「救世主!」

「大崎、何を言っているんだ? もうホームルームが始まるぞ」

 委員長はいつもの調子で淡々と注意を促す。

「渋谷も。大崎と仲良くなるのはいいが、屋上でサボるのは関心しないな」

「ああ、聞かれてしまったみたいだね」

 アイは悪戯が見つかった子供の様に微笑む。

「転校生という存在はやはり目立つものだからな。初めのうちは、あまり派手なことをしない方がいいと思うぞ」

「そうだね、キミの言っていることは正しいよ」

 委員長節に、アイは諦めたように頷いた。

「今日はちゃんと授業を受けることにしよう、レン」

「え……」

 アイの言葉に、委員長は驚いた表情を返す。

「どうかしたかい?」

「いや、突然名前で呼ばれたから驚いただけだ」

「すまない、気に障ったかい?」

「いや、好きに呼んでくれて構わない」

「なら、良かった。外国暮らしが長かったものでね……どうもファーストネームの方が呼ぶのも呼ばれるのもしっくりくる」

 なるほど。

 どこか浮世離れしてると思ったら、外国で暮らしてたのか。

「ね、イツキ」

 だから何故こっちに振る。

「こっちはどうも慣れないけどな」

「でも、嫌ではないだろう?」

「まあ……名前であることには変わりないからな」

「キミも……」

「!」

 視線を送られた綾人が、俺の背後に隠れる。

 今更か。

「すまないね、断る前に呼んでしまっていた。アヤトでいいかな?」

「……あ、うん」

 俺の後ろから顔を出しながら、恥ずかしそうに目を伏せる。

 その様子を見て、アイはにっこりと笑った。

「ああ、そうだ……レン」

「なんだ?」

「シュースケはいつ来るんだい?」

「アイツがまともな時間に登校することはない。まったく、本当にしょうがないヤツだ」

 委員長は、神田の勝手さには半ば諦めている様だ。

「レンは、シュースケと仲がいいんだね」

「中学が同じだったんだ。それ以来、なんだかんだいってずっと一緒にいるな」

「そうだったのか」

 意外な組み合わせだと思ったが、中学以来の付き合いなのか。

 あの目つきの悪い一匹狼にも、中学時代があったんだな。

「さて、席に戻ろう」

 聞きたい情報が聞けて満足したのか、アイは自席に向かう。

「ちゃんと授業、受けるんだぞ」

「うん、合点承知」

 どうしてその言葉が出てきた。

「綾人、俺達も戻るぞ」

「うん……っ」

 ホームルーム開始のチャイムが鳴る。

 猫背でやる気のなさそうな担任が、のっそりと現れた。



 *一二月二〇日 水曜日 午前授業中



 授業中の退屈を持て余し、窓の外で体育に勤しむ後輩達を見下ろしていると、ポケットで携帯が震えた。

 誰かからのメッセージを受け取ったらしい。

『今日の放課後、一緒にあの教会へ行ってくれないかい?』

 アイだった。

 ……放課後は、予定は何もないな。

 しいて言えば、綾人にどうやって言い訳するかだが。

 そもそも綾人にはちゃんと授業に出る約束をしたわけだから、放課後に関しては問題ないはずだ。

『いいぞ。だけど、俺が行って役に立つのか?』

『もちろん。キミと一緒なら、新しい情報が得られるかもしれない』

『俺はそんなラッキーパワーの持ち主じゃないぞ』

『だからこそキミに頼みたいんだ。申し訳ないのだれど、教会であるものを探して欲しい』

 そういえば昨日、教会に入れないとかなんとか言ってたな。

 機密事項とか言って、詳しくは教えてくれなかったが。

『なんだよ、あるものって』

 なんだかお使いイベントみたいだな。

 ま、ヒマだからいいけどさ。

 しかし、アイから返信が返ってくることはなかった。



 *一二月二〇日 水曜日 昼



「ということで、放課後に寄るところがあるため、帰りが遅くなる」

 昼休みになり、会話の流れでサラッと説明してみた。

「へー」

 そう簡単には流してはくれなかった。

「な、なんだよその顔」

「渋谷くんでしょ」

「え……」

 なんでバレて……。

「今日は屋上で話せなかったから、放課後話すんでしょ? バレバレだよ、そんなの」

「ああ……まあ、そういうことだな」

 コイツはいつも妙なとこでカンが冴えてるんだよなー。

「なんなら、オマエも行くか?」

「遠慮します」

 綾人はそう言って、耳をふさぎ……。

 すぐに、プイと横を向く。

 そして。

「いいよ、今日は一人で帰るから」

 そう言って、卵焼きを口いっぱいに頬張った。

 意外にも、その表情から怒りは読み取れない。

「えっと……怒らないのか?」

「え、何それ」

「いや、思ったよりあっさり承諾したなと」

「……手足じたばたしてゴネてほしいの?」

「そういうわけじゃねえけど……」

「綾人さんだって、オトナなんですー。空気くらい読めますー」

 今度はそぼろご飯を口に入れる。

「……なんか、大事な用事なんでしょ?」

 フッと笑った顔は、確かにいつもよりも大人びていた。

「まあ……」

「いっちゃんは、ウソつかないし。ついても、顔に出るしね」

「それは……オマエも一緒だろ」

「……そだね」

 お互い真顔で見つめあい、そしてすぐに笑いあった。

「気をつけてね、明日から雪降るみたいだから。夜遊びして、風邪ひかないように」



 *一二月二〇日 水曜日 放課後



「すまないね、付き合わせてしまって。本当は、アヤトと帰る予定だったんだろう?」

 商店街を歩きながら、アイは髪を耳にかけた。

 夕方の商店街は、休日よりも買い物客が多い気がした。

 きっと夕食の惣菜でも買って帰るのだろう。

 すれ違う主婦達がアイをチラリと見ては、小さく感嘆の声を漏らすのが聞こえた。

 綾人と二人で歩いている時は、そんなことないから、やっぱり目立つんだなコイツ。

「まあ……俺もオマエが調べてること、気になってるしな」

 この世界に飽きていて、別の刺激を求めているという気持ちも少なからずある。

「そう言ってもらえると助かるよ」

 世界が正しい形に戻ったら、綾人とはたくさん遊んでやるか。

 あ。

 でもその時には綾人にこの世界の記憶はないのか……。

「なんだかいい匂いがするね」

 アイが辺りを見回しながら鼻を動かす。

「この時間は、夕飯のおかずがたくさん売ってるからな」

「そうなんだ。買って帰ろうかなぁ……」

 本当、マイペースだな。

 こんなヤツが、世界のループを解決するために暗躍しているだなんて、やはり意外だ。

 そんな他愛もない話をしていると、いつの間にか教会へと辿り着いていた。

 今日も教会は特ににぎわう様子もなく、商店街の端にひっそりと佇んでいる。

「いつ見ても立派な建物だな」

「建て替えたばかりなんだろう?」

「つっても、一〇年くらいか。オシャレなデザインだから、古さは全然感じないよな」

「うん。ちゃんと手入れが行き届いているね」

「つか、入れんのか?」

 確かこういうとこって、たまに一般に開放されてるみたいだけど……。

 こんな平日の夕方に入り込んで、通報でもされないだろうか。

「とりあえず、門は開いているな……」

 正面にある鉄製の門は開いている様だ。

 二メートル程のそれは青銅のような色で、所々が錆びついていた。

 開いてるってことは、入ってもいいと解釈しよう。

 制服で行くのは目立つが。

「……ん?」

 いや、ちょっと待てよ。

 ふと、アイの言葉を思い出す。

「そういやオマエさ……」

「なんだい?」

「俺にも、オマエと同じ魔法がかかってるって言ってなかったか?」

 だから、俺は前回も今回もループしなかったわけだよな?

「それじゃあ、俺だって教会に入っちゃマズイんじゃ……」

「いや。私に触れていようがいまいが、キミは普通の人間だから。教会に入るには何の問題もないよ。まあ、今回のループではまだ私に触れていないから、魔法はかかっていないけれど」

「なるほどな。だがその理屈だと、オマエは普通の人間じゃないことになるが。魔法使いだからか?」

「機密事項。普通の人間の部分はノーコメントで。でも魔法使いは関係ないよ。きっとシュースケでも普通に入れる」

 やはりその辺りのことになるとガードが硬いな。

「ま、いいか。んで、何を探せばいいんだ?」

 結局あの後、返信がなかったからな。

 アイは目を伏せて、小さな声を発した。

「『天使の絵』を見つけて欲しいんだ――――」



 *一二月二〇日 水曜日 教会



 ・絵の大きさはF一二号サイズ

 ・油絵で描かれている

 ・絵のどこかにLMというサインがある

 これがアイに教えてもらった『天使の絵』の概要だ。

「……そんなんで分かるか!」

 心の声が飛び出てしまった。

 なんだこれ、都市伝説か。

 いや、都市伝説の方が色々と尾ひれがついてもっと詳しいぞ。

 つーか、F一二号ってどんくらいだ?

 携帯を取り出し、検索してみる。

 なるほど、六〇六×五〇〇ミリメートルか。

「……って、分かるか!」

 再び心の声が飛び出る。

「ざっくり過ぎる……」

 せめて写真とかないのかと訊いたのだが、そんなものはないらしい。

 『天使の絵』と銘打ってはいるが、どんなものが描かれているのかも一切不明ときた。

 とにかくそれっぽいものを見つけろとのことだが、いいのかそんなんで。

 本来なら、絵を探せる人物が来週日本へ来る予定だったらしいのだが。

 トラブルが起きたため、とにかく今は自分でなんとかするしかないらしい。

 この辺りがアイが困っている理由の一つのようだ。

 そんな何の情報も無いに等しい絵をしらみつぶしに探すなんて、そりゃそうなるだろうな。

「不安だ……」

 教会の中にはあっさり入ることができたのだが……。

 あまりにも人がいないため、キョロキョロして絵を探している俺は完全に不審者だ。

 なんか建物以外の面積が異様に広いし。

 とりあえず、メインの建物っぽいところに入ってみるか。

 結婚式のCMでよく見るデカい両開きの扉のところだ。

 聖堂……って言うんだっけ?

 建物は夕日に照らされ、なんだかイメージよりも厳かな雰囲気を感じた。

「お」

 よく見ると、片方のドアが開きっぱなしになっている。

 さっきの門といい、なんだか不用心だな……。

「ハッ……!」

 おかしい……こんなにも簡単に隅から隅まで調べられるなんて……。

 まさか罠……!?

「…………」

 ……なんのだよと、自分でツッコミを入れるくらいには、この探索時間に余裕が出てきた。

「お邪魔しまーす……」

 小さな声を出しながら、覗いてみる。

 やはりそこにも誰も居ないようだ。

 しかしそのせいで電気はついておらず、薄暗い。

 携帯のライトを使うほどではないが、その暗さがなんだか不気味だ。

 内装は俺の考える聖堂のイメージ通りの造りだった。

 入って少しした場所に小さなエントランスホールのような場所があり、奥に通じている。

 そして真ん中に通路があって、左右に木製のベンチ型の椅子。

 軽く靴の汚れを落とし、こそこそと壁伝いに少しだけ奥に入ってみる。

「なんか緊張するな……」

 最奥……祭壇と言うのだろうか。

 巨大なステンドグラスと十字架が見える。

 そのすぐ下にはやたらデカくて存在感のあるパイプオルガンもあった。

 しかし、周囲にそれらしき絵は一切飾られていない。

 建てられたのは一〇年以上前だが、木材のいい匂いがする。

 神聖な雰囲気の中、なんだかものすごく悪いことをしているようで、正直居心地が悪い。

「収穫なし、か」

 ひとまずその建物から出て、他の所を散策することにした。

 塀を隔てたすぐ隣の施設からは、たくさんの子供達の笑い声が聞こえる。

 そこは綾人が昔いた施設だ。

 教会が移設された時には、すでに綾人は今の両親に引き取られていたが、それでも何度か施設に顔を出すたびに、この教会にいる神父さんとも仲良くなっていったらしい。

 例の神父さんには人見知りは発動しなかったんだな。

 相変わらず賑やかなところだが、こっちには特に何もなさそうだ。

「残るは反対側か……」

 先程の建物の裏側から一周することにした。

 裏手の辺りは草木が生い茂り、太陽の光がほとんど入ってこないようだ。

 この時期の時間は辺り全体が暗く陰っている。

「お?」

 ちょうど入口から一番遠い場所に、小さな建物を見つけた。

 木造でできたその建物の外観は、ログハウスに似ている。

 壁に苔がつき、教会と同じ時期に建てられたものにしては年季を感じた。

 屋根は高めの位置にあるが、たぶん一階建てだろう。

 蓋のついた煙突が横についていた。

 こんなところに住んでる人もいないだろうし、もしかしたら倉庫代わりに使っているのかもしれない。

 辺りをぐるりと一周してみるが、窓のようなものはついていなかった。

 入り口には三段ほどの階段があり、そこに同じ木製の扉がついていた。

 物は試しと取っ手を引っ張ってみると、ギイと鈍い音を立てながらそれは少し動いた。

 隣の建物と同じく、そこまで古さは感じないのだがなかなか開かない。

 立て付けが悪いのか、或いはドア自体が重いのか。

「カギ、かかってないのか……」

 さっきもそうだったが、不用心だな……。

 開いた隙間から覗いてみるが、こちらも電気などはついていない。

 御香のような不思議な匂いが鼻に入り込んでくる。

 さっき確認した通り、窓もないため、光源は俺が開けた扉から差し込むものだけだ。

 それでも室内に何があるのかよく見えない。

 扉は離したらすぐに閉まってしまいそうなため、中に入ったら携帯のライトを点けよう。

「おじゃましまーす……」

 小さく一言発して。

 扉が閉まらないよう、その隙間に身体を入れようとしたまさにその時だった。

「……え?」

 全身に微弱な電気が走り抜けるような感覚。

「っ」

 これは、ダメだ……。

 俺はすぐにその場にしゃがみ込んだ。

 その後すぐにやってきたのは、謎の悪寒と気持ち悪さ。

 そして、頭の中を直接揺さぶられるような眩暈。

 たった一歩なのに、その小さな建物に入ることができない。

「くそ……」

 俺は這いつくばったまま、扉を閉める。

 まだ心臓が痛い。

 足元はフラつきが残っているが……足に力を込めれば、なんとか立ち上がれはしそうだ。

 俺は壁に手をつきながら状態を起こす。

 五分ほど経っただろうか、ようやく自分を取り戻した感覚があった。

 今なら歩けそうだ。

 早く……アイのところに戻らないと……。

 重い足を引きずりながら、元来た入り口へ向かう。

 さっきの小屋から離れれば離れるほど、身体が軽くなっていく気がした。



 *



「やあ、おかえり……イツキ?」

 アイは教会外側の入り口の壁に寄りかかり、俺の帰りを待っていた。

 すぐに、持っていた携帯電話をポケットにしまう。

「どうしたんだい? 顔が真っ青だよ」

 おぼつかない足取りで歩く俺の肩を支え、すぐにその場に座らせた。

 まだ肩で息をしている背中を優しくさする。

「気持ち悪い……」

「大丈夫かい? とりあえず、少し休もう」

 少し呼吸が落ち着いてくると、アイは俺を支えながら移動し、小さな公園にある木製のベンチへ座らせた。

 そして隣に座り、再び背中をさする。

 そこでは小学生くらいの子供二、三人が、こちらを気にする様子もなく走りまわっていた。

 時折吹く冷たい風が、嫌な汗を落ち着かせてくれる。

「サンキュ……だいぶ治ってきた」

「それは良かった……」

 それでもアイは、悲しそうな目で俺を見つめる。

「一体、何があったんだい?」

「……まず、メインの聖堂を見たんだが、そこに絵はなかったんだ。次に小屋みたいなとこがあったから……そこに入ろうとしたら、こうなった」

「小屋?」

「ログハウスっぽい建物で、なんていうか……そこに入ろうとした瞬間に、急に気分が悪くなって……。押し戻されるというか、これ以上入りたくないって感覚になるというか……。立ってられなくなって……」

「結界だね。一般の人間が近づかないようにしているんだ」

 アイは即答した。

 やはりこういったことには詳しいらしい。

「結界って……この前オマエが屋上で仕掛けてたヤツか?」

「うん。結界にも色んな種類があるんだけど、今回はその小屋に入ろうとする人間に作用するように仕組まれていた可能性が高い」

「そこまでして隠すってことは……当たりか?」

「確定ではないけれど、その可能性は高いね」

 アイはそう言うと立ち上がり、どこかへ歩いていく。

 そしてすぐに戻ってきた手元には、ミネラルウォーターの入ったペットボトルがあった。

 そのキャップを外し、俺へ差し出す。

 素直に受け取り、少しだけ口の中に入れた。

 水が身体中に染み渡る感覚。

 どうやら相当喉が渇いていたらしい。

 俺はもう一口飲むと、アイからキャップを受け取った。

「その小屋に絵があるとしても、とてもじゃないが入れないぞ」

 無理すればなんとかなるのかもしれないが……。

「そうだね。生身の状態でそういった場所に行くのは非常に危険だ。ごめんね、まさかそんな場所があるなんて知らなかったよ……」

「いや……」

 それは仕方ない……というか、それを調べるために俺が派遣されたわけだし。

「なんとか入れるようになる方法、ないのか?」

「おや、まだ協力してくれるのかい?」

「まあ……俺も気になるしな」

 世界を元に戻すための作業に力を貸したい、というのも少なからずある。

 所謂、好奇心ってヤツだ。

 アイは腕を組み、考える素振りを見せるが、すぐにそうだと声を漏らした。

「シュースケに魔法道具を借りよう」

「神田? なんだよ、魔法道具って」

「魔法の効果を誰でも使用できるようにした道具だよ。パワーストーンとかなら聞いたことあるだろう? それも色々種類があるんだけど……。今回は結界を無効化してくれるものを頼もう。簡単に言うと、お守りみたいなのだね。さっき結界の話をしただろう? 昨日はそれを屋上の扉に取り付けることで、結界を張ったんだ」

「なるほど……」

 ちょっと眉唾物のアイテムのことだな。

「シュースケはそれを作れる人間と知り合いだったはず。それなら交渉の余地がある。それとは別に、シュースケに教会に入ってもらうって手もあるけど……」

 アイは少し悩んでいるようだったが、その考えはダメだと思ったのかすぐに首を振った。

「もうオマエはそれ持ってないのか?」

「残念ながら、昨日のでストックを切らしてしまったんだ」

「ちゃんと予備くらいとっておけよ」

「キミの言うとおりなんだが……あれはたまたま持っていたものなんだ。反魔法を使う私がそういうの持っていても意味がないから」

「反魔法ってことは、魔法を跳ね返すのか?」

「というよりは『打ち消す』あるいは『無効化』と言った方が正しいかな。だからループの魔法もかからない」

 ニコリと、アイは笑った。

 空はすっかり暗くなり、住宅の電気の光が目立ち始めた。

「……オマエ、結構強かったりするの?」

「キミの言う『強い』というのはよく分からないけれど……この世に存在する、大抵の魔法は防ぐことができるよ」

 この世にどれだけの魔法存在するのかは不明だが、なんだかスゲエな……。

「ただ、私の存在が反魔法であるが故に、こちらから魔法で攻撃をすることはできない。だから強いかどうかは分からないな」

 ああ、なるほど……。

 自分が反魔法使いだから、自分で魔法を使うということはできない、と。

「…………」

 ……あれ?

 ちょっと待てよ。

「オマエ、このまえ手品を魔法だって……」

「……さーて、シュースケに連絡をとらないとね」

 あ、誤魔化しやがったな。

「イツキ、悪いんだけどシュースケに電話をしてくれるかい?」

「え? 神田に?」

「詳細は私が説明するから」

「いや、俺、アイツの連絡先、一切知らないんだけど」

「え……」

 アイの動きが止まった。

「……困ったね」

「……オマエの無計画さもな」

「かたじけない……」

 コイツ、たまにところどころ日本語おかしいよな……。

 時代劇で日本語覚えたのか?

「とりあえず明日、学校で委員長から連絡先教えてもらうか」

「なるほど。確かに、レンなら知っているはずだ」

 今の時間、噂通りなら神田は夜の街をフラフラしてるかもしれないが……。

 闇雲に探しまわるのは、効率が悪いだろう。

 危ないヤツらも引き寄せてしまいそうだし。

 委員長の連絡先は知っているが……真面目な委員長のことだ、神田の連絡先を簡単に教えてくれるとは限らない。

 ちゃんと事情を説明しないと……もちろん、重要な事は伏せて。

「キミは頭がいいね」

「ありがとう、初めて言われたよ……」

 そんなことで。

 ポヤーッとした空気が二人を包んだ気がした。

 アイからは常に癒やしのオーラが発生してそうだ。

「それまでに、他にできることがあればいいんだが……」

 教会、か……。

「あ」

 そこで俺は思い出す。

 この教会に出入りしてるヤツがすぐ近くにいたじゃないか。

「アイ」

「なんだい?」

「綾人がこの教会に詳しいんだ。その『天使の絵』について訊いてみてもいいか?」

「アヤトが……うん。絵の所在についてだけなら、問題ないよ」

 断られるかと思ったが、あっさりと了承してくれた。

「それじゃあそろそろ帰ろうか」

 辺りはすっかり暗くなり、空には月が出ていた。

 俺達は教会の前を通り、元来た道を歩く。

 いつの間にか、教会の入り口の柵に鍵がかかっていた。



 *一二月二〇日 水曜日 就寝前



「天使の絵? 何それ知らない」

 ばっさりと。

 即答されてしまった。

 教会関係の噂なら、綾人に聞くのが手っ取り早いと思ったんだけどな。

「ええっとだな……新しい教会に飾られてたりしないか?」

 天使の絵だぞ?

 いくらでもありそうじゃねえか。

「例えば、敷地内にある小さい小屋とか……」

「その場所立ち入り禁止……というか、そんな場所があることよく知ってるね」

 やべ……あんまり詳しく話すと、忍び込んだことバレちまいそうだな。

 綾人は窓枠に頬杖をついたまま訝しげにこちらを見るが、特に探りを入れる気はないようだった。

「いっちゃん……絵の趣味にでも目覚めたの?」

「いや、俺じゃなくてアイが……」

「渋谷くん?」

「あ、ああ……その天使の絵を、な……探してるらしいんだ」

「ふうん……」

 またか、と。

 つまらなそうに口をとがらせながら、綾人は目線を上にあげる。

「……絵――――天使の絵か……」

 うーんと唸りながら、それでも何か思い出そうとしてくれるところは、いいヤツだよな。

「……あ」

「え。何か知ってるのか?」

「んー……知ってるっていうか。昔ね、聞いたことがあるんだ。ボクがまだ施設にいた時にね……」

 綾人は真っ直ぐに俺を見た。

「『なんでも願いが叶う』っていう、天使の絵の噂」

「なんでも……」

 そのあまりにも魅惑的な言葉に、ゴクリと唾を飲み込む。

「でも、実際にその絵なんか見たこともないし。どこにでもある怪談話だと思うけど……。そんなのをちょっと小耳に挟んだことある程度だよ」

 綾人はいまいち自信がなさそうに、一つ一つの言葉をつなげる。

「なるほどな」

「こんな確証のない情報でいいの?」

「ああ」

 そもそも、魔法って存在自体が確証のないものだからな。

 アイにとっては重要な情報かもしれないし。

「ふーん……」

「な、なんだよ……」

「いっちゃん、なんだかすごく楽しそうだね」

「そ……そうか?」

「うん……ちょっとさみしいけど、すごくいいことだと思うよ」

 何故か綾人はうんうんと一人で頷いている。

「ね……今楽しい?」

「へ? ま、まあ……ふつうに、な」

 なんだ、その質問は。

「えへへ……そっか。楽しいなら、いいや」

 そう言って綾人はニコニコと笑う。

 コイツ、たまに急に何考えてるか分からなくなるな……。

「……ま、いっか」

 そうやって表情がコロコロ変わるのも、コイツの面白いところだしな。

「それじゃあ、ボクはそろそろ寝るね。おやすみ、いっちゃん」

「ああ、おやすみ」

 そう言って窓とカーテンを閉める。

「俺も寝るとするかな……」

 明日もなんだか忙しくなりそうだ。

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