Ⅲ-Ⅱ 渋谷藍



 *一二月一九日 火曜日 自室



「ん……朝か……」

 静かな朝に、俺の意識は穏やかに覚醒する。

 まだ開いていないカーテンの隙間から、太陽の光が差し込んでいた。

 いつもと違う、静かな朝だなぁ……。

「……ん?」

 そこで、一旦思考が停止する。

「静か……?」

 ええと、今日は休み……じゃないよな?

 昨日、月曜日だったわけだし。

「綾人……?」

 小さな声で名前を呼んでみるが、反応はない。

 ああ……綾人が来る前に起きてしまったのだろうか。

 時間を確認するため、頭の上にあるはず携帯電話に手を伸ばす。

 ……え?

「おいおい……ウッソだろ!?」

 画面に表示された時刻は、朝八時をとっくに回っていた。

 完全に遅刻じゃねーか!

 俺はベッドから飛び上がり、寝癖がついているであろう頭も気にせず、クローゼットの扉を開けた。

 ハンガーに掛けられていた制服を引っ張り出し、もつれる足を壁で何とか支えながら、急いで着替える。

 ……おかしい。

 こんな時間まで、綾人が来ないなんて……。


『ボクのこと、忘れちゃヤダよ』


「……っ!」

 着替え終えたところで、昨日の綾人の言葉が突然蘇る。

 嫌な予感のまま部屋から飛び出し、一階へ駆け下りた。

「綾人!」

 階段下すぐに横にあるリビングは、昨日のままの状態で、何も変わっていなかった。

 カーテンも閉められているため、暗いままだ。

 ここにも人の気配はない。

「……っ」

 ラックからコートを剥ぎ取り、靴を履き替え、そして玄関から飛び出す。

 そこから全速力ですぐ隣の綾人の家へ向かう。

 冷たい空気に鼻がツンとなった。

 家の周囲を取り囲むブロック塀から、砂利が敷き詰められた土地に入る。

 奥にある車庫に車が無いことから、おばさんたちはもう出かけていることが分かった。

 ひとまず、玄関ドアの前までやってくる。

「鍵は……普通、かかってるよな……」

 期待せずドアに手をかけたのだが、意外にもドアは簡単に開いた。

 おいおい、不用心だな……。

「ええと……お邪魔しまーす……」

 ドアの隙間から顔を覗かせれば、そこは自分の家とは違う匂い。

 大人は誰もいないことは分かっていたが、とりあえず一声掛ける。

 ひとまず靴を脱ぎ、二階にある綾人の部屋へ向かう。

 誰の気配も無いからだろうか、横目でリビングを覗いたが、生活感がまるで感じられなかった。

 白いフローリングと同じ色の階段が、オレ一人分の足音を鳴らす。

 二階の突き当たりに、綾人の部屋はあった。

 ここに来たのはいつぶりだろうか。

 もう覚えていないほど昔のはずなのに、間取りははっきりと覚えていた。

 俺は恐る恐るそのドアの取っ手に力を込める。

 音もなくそれは開き、そして。

「あ……」

 一瞬にして、力が抜けてしまった。

 そこにあったのは、あまりにも間の抜けた寝顔。

 未だに起きる気配の無い幼馴染は、気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 ついでに腹まで出している……子供か。

「なんだよ……」

 声が漏れる。

 さっきまで必死になっていた自分がバカみたいだ。

 ため息とともに部屋に入り、そっとベッドに腰を下ろす。

 それはうちのベッドよりもずっと柔らかく、身体が深く沈み込んでいく。

 改めて綾人の部屋を見渡す。

 俺の部屋と同じく、家具の数は少ないのだが、カラフルな小物が多いためかなんだか賑やかだ。

 まさに綾人の部屋だなあという感じだな……。

 枕元には謎の猫のぬいぐるみと、携帯ゲーム機。

 プラスチック製のポップな色のタンスの上には、いくつも写真立てが飾られている。

 うわー、全部に俺……写ってるんじゃないか……?

 小学校の入学式以降の、綾人と俺の歴史が順序良く並べられていた。

 見ていて恥ずかしくなってきたので、これまたパステルカラーな配色の目を時計に逸らす。

「……八時半か」

 もうとっくに起きて、学校に行かなければいけないのに……。

 朝からドッと疲れてしまい、今から急いで学校まで向かう気は起きなかった。

「んー……」

 と、隣でアホ面をしながら寝ている幼馴染が寝返りをうち、薄っすらと目を開いたのが見えた。

「起きたか、寝坊助」

「!?」

 面白いぐらい驚いて、ベッドから飛び起きる。

「な、ななななんでここにいっちゃんが!?」

「……時間を見てみろ」

「へ……? なああああっ!? 八時半!? もうホームルーム始まるじゃん! 目覚ましセットしてたのに、なんで!?」

 頭を抱えながら悲惨な声を上げる。

「いっちゃん、早く学校に……!」

 綾人は急いで立ち上がり、着替えを始める。

 いつもと何も変わらない幼馴染の行動に、思わず笑ってしまった。

「ちょっといっちゃん……笑ってる場合じゃ……」

「……眠い」

「へ? いっちゃん……!?」

 俺は綾人のベッドに仰向けに倒れこみ、空を見上げた。

 普段、家から見るのとはまた違う景色。

 横を向けば、蜜柑みたいな色をしたカーテンの隙間から、自分の家の窓が見えた。

 なんだか、変な感じだが……それと同時に懐かしい気持ちにもなる。

 ああ……そういや……。

 この部屋に来るの……すげえ久しぶりだな。

「いっちゃん、大丈夫? 具合悪いの?」

 今度は、綾人が心配そうに覗きこんでくる。

 俺は無言で首を左右に振った。

「……それなら、いいんだけど」

 綾人は隣に腰を下ろし、俺の顔を見て微笑む。

「ごめん……心配、してくれたんだね」

「は……はぁ!? 誰が心配なんか……っ」

 慌てて否定しようとするが、なんだかそれも面倒くさくなってしまった。

 この時間から学校へ行っても、一時限目の途中という中途半端な時間になってしまう。

 それなら、いっその事……。

「なあ、綾人……ちょっとだけサボらねえ……?」

「え……」

 突然の提案に、綾人はうーんと唸って考えるが……。

「しょうがないなあ……」

 そう言って困ったように笑った。



 *一二月一九日 火曜日 昼



 チャイムが鳴ると同時に、俺達は教室にそっと入り込んだ。

「セーフ!」

「なわけないでしょ」

 横から綾人のツッコミが入る。

 ちなみに今のチャイムは、昼休みが始まった合図だ。

 綾人の言う通り、セーフでもなんでもない。

 授業を終えた教師が教室を出ていくのを確認し、教室の後ろの扉からスパイの様に忍び込んだのだ。

 昼休みの開始と共に騒がしくなった教室では、俺達のことなど誰も気にしていないようだった。

 あの後、俺たちは結局二人で二度寝をしてしまい……。

 学校に到着するのがこんな時間になってしまった。

「やっぱり二度寝は気持ちいいよなー……」

「う……それはそうなんだけどぉ……」

 ちなみにコイツも再び爆睡していたので、人の事を注意できる立場にない。

「オマエ達、どうしたんだ? もう昼休みだぞ?」

 やはり委員長だけは、俺達が紛れ込んだことに気が付いたようだ。

 まあ、俺は委員長の前の席だから、気付かれるのは当然と言っちゃ当然なのだが。

「いやあ、ちょっといろいろあってな」

「ふむ……」

 委員長は不思議そうに首を傾げたが……。

 理由を深く追及する気はないようだ。

 さすが委員長……空気の読める男だぜ。

「委員長はこれから昼、食べに行くのか?」

 昼食時にはいつもいないんだよな。

 確か神田と一緒に食べてるっぽいんだっけ。

「ああ。今日は弓道部の後輩達に呼ばれているんだ」

「へえ」

 神田とだけつるんでいるわけじゃないんだな。

 部活以外でも声をかけてもらえるなんて、さすが人望のある委員長だ。

「それでは自分は行くとする」

「ああ」

 俺は委員長の背中を見送り、自分の机にカバンを置く。

 次にコートを脱ごうと、ボタンに手をかけた時だった。

「おはよう」

 いつの間にかアイがやってきた。

 昨日と同じく穏やかな微笑みを携えて、そして……。

「今日は遅かったんだね、

「あ」

 アイが名前を呼ぶなり、一瞬にして静まり返る教室。

 まあ……気持ちは分かるぜ?

 昨日転校してきたばっかだってのに、いつ仲良くなったんだって思うよな。

 普通俺だってそう思う。

「イ、イツ……っ!?」

 あ、こっちにも驚いているヤツがいた……。

 これは……面倒なことになりそうだなあ……と、遠い目をしてみる。

「お、く、じょ、う」

 そんな空気なんて気にした様子もなく。

 アイはそう口パクして、手袋をつけた右手で上を指差す。

 そしてニッコリ笑うと、教室を出ていってしまった。

 いや、なんでそれを口パクにするんだ、余計怪しいだろ。

 なんか、クラス中からひそひそ話されてるし。

 さて、どうするか……。

「うーん……」

 少し考え……。

 俺はコートのボタンを外すのをやめた。

「綾人悪い! すぐ戻るから!」

「へ……?」

 綾人に引き止められる前に、俺は教室を飛び出す。

 後ろから綾人の文句が追いかけてきたが、聞こえないふりをしておくことにした。


 

 *一二月一九日 火曜日 屋上



 空は透明感のある綺麗な青色だった。

 さて、屋上に来たのはいいが……。

「さみい……」

 雪は降っていないが、冬の冷たい風が肌を突き刺していく。

 コートを着たまま来て正解だった。

「急に呼び出したりして悪かったね」

 アイは金網の前で申し訳無さそうに眉毛を下げる。

「……キミに、急用があってね」

「え……もしかして何か、あったのか……?」

「……ああ」

 その神妙な面持ちに、俺は思わず唾をゴクリと飲み込む。

 俺が寝坊している間に、一体何があったんだろう。

「重要なことなんだ……」

 アイは自分の制服のポケットに静かに手を入れる。

 合間に流れる何とも言えない緊張感と、布の擦れる音。

 丁寧に、そこから取り出されたのは――――何の変哲もない携帯電話だった。

「連絡先を教えてくれないかな。昨日、訊き忘れていることに気付いてしまってね」

「…………別にいいけど」

 俺もポケットから自分の携帯電話を取り出し、連絡先を表示させた。

 そのままアイに渡す。

「ありがとう。携帯電話っていうのは、本当便利なツールだよね。その反面、怖い部分もあるけれど」

 アイは持論を展開しつつも、画面を見比べながら器用に情報を入力していく。

「器用なもんだな、手袋してるくせに」

「スマホもいじれる魔法の手袋」

「とことん魔法にこだわりがあるんだな……」

 ここまで来ると、余計に嘘っぽいのだが。

「言っただろう? 私は魔法使いだって」

「だったらアドレスも、魔法ですぐに書きかえればいいじゃねえか」

「それは……私の魔法では出来ないね」

「?」

 魔法っていうのは、何でもできるんじゃないのか?

「よし、できた。後でキミにメッセージを送っておこう」

「ああ、そうしておいてくれ」

 その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが屋上に鳴り響いた。

 さて、用事も終わったことだし俺は教室に戻るとするか。

 綾人もむくれているだろうし。

「イツキ、もう戻るのかい?」

 アイは金網に寄り掛かるように地べたに座り、きょとんとした顔で首を傾げる。

「そうしようと思ってるんだが……まだ何かあるのか?」

 その言葉を待っていたのかのように、アイはニッコリ笑うと、隣に座るよう促してきた。

「せっかく抜けてきたんだ。リスクを背負って戻るよりは、ここでお話していかないかい?」

 いかにも、もっともらしい理屈を並べてはいるが……。

「……要はサボりだろうが」

「集団生活というのは、どうも苦手でね。あと、そろそろ同じ授業に飽きてきたかな」

「まあ……」

 それは俺も同じ気持ちだった。

 何度も何度も同じことを繰り返すこと……アイという存在がいなければとっくに心が折れていた。

「……あと少しだけな」

 俺はアイに促されるまま、隣に腰を下ろした。

「ふふ、ありがとう。これで私達は共犯だね」

 そう言うとアイは、腰を下ろしたすぐ横に置いてあったコンビニの袋を手に取る。

 そしてそれを俺に渡した。

「なんだこれ?」

 何やら、軽い箱の様なものが複数入っているようだが……。

 袋に手を突っ込んで、中を漁ってみる。

「オヤツだよ」

 アイの言う通り、袋の中にはピンクのパッケージのチョコレートに、スティックタイプのチョコレートに、子供が喜びそうな棒がついたチョコレートに……って。

 チョコレートしか入ってないじゃねえか!

「……準備がいいな」

「必需品だろう? こういう時は」

「まあ……」

 俺は袋から適当に一つ取り出し、アイに渡す。

 アイはそれを受け取ると、丁寧にパッケージを開けた。

 どうやらスティックタイプのチョコレートだったらしい。

 俺が食べたいから取り出したと思ったのか、アイはそれを取り出しやすいよう少し頭を出した状態で俺に差し出す。

 特にその気は無かったのだが、一応受け取っておくことにした。

「実はね……楽しみにしてたんだ」

「何を?」

「キミと、こうやってまたここでお話しすること」

「は……」

 口を開けたまま、チョコレートを持つ手が止まってしまった。

「楽しいじゃないか、青春って感じがして」

「まあ……」

 アイの言葉に、曖昧に返事を返す。

 俺はようやく、持っていたチョコレートを口に入れた。

 やっぱり甘過ぎる……。

「……オマエ、チョコレート好きなのか?」

「え? ああ、そうだね……うん。基本的には、なんでもおいしくいただくよ」

 ああ、そういやマスドのハンバーガーも美味そうに食べてたな。

「で?」

「うん?」

 俺の切り返しに、アイは首を傾げる。

「何か話があるんじゃないのか? 新しい情報とか」

「うーん……そうだねえ」

「そのために転校してきたんだろ?」

「そう。世界ループ化の原因がこの辺りにありそうだったから」

「で。ここに辿り着くのに、数百回かかったと」

「まあ……そういうことになるね」

 考えるだけで気が遠くなりそうな話だ。

「その辺も話せないのか?」

「いや……話せる部分は話そう。こちらから接触しておいて、情報の開示があまりにも少ないのは失礼だからね」

 そう言ってアイは、軽く咳払いをするが……。

「あ、少し待って」

 突然立ち上がり、小走りに屋上の入り口へ走ると、ドアの前に座る。

 少しドアを開いたり閉じたりしてに何かしているようだが、ここからではよく見えなかった。

 しばらくすると、再び小走りで俺のすぐ横に戻って来る。

「おまたせ」

「何やってたんだ?」

「まあ……念の為、ね」

「?」

 アイは質問に答えず、再び俺の隣に座った。

「ループの原因……私が怪しいと睨んでいるのは、あの教会だ」

「教会って、商店街の端にあるヤツか?」

「ああ。あの教会から、何らかの力を感じるんだ」

 ああ……そういやコイツ、教会の前をウロウロしてた事があったよな……。

 探し物をしているとか言っていたっけ。

 そのことなのだろうか。

「しかし、残念なことに私だとあの教会に入れなくてね」

「どうして」

「ええと……そこは機密事項。とにかく入れないんだ」

「お、おう」

 また出た、機密事項。

 仕方ないとはいえ、なんだか重要な部分が隠されてしまっているな。

「つまり、怪しいけど中に入れないと」

「そうなんだ。中に入れないので、探し物がどうしても探せない」

「探し物って何なんだ?」

「うん……」

 アイはゆっくりと空を見上げた。

「私が探しているのは、『天使の――――』」

 アイが言いかけた瞬間……。

 屋上の入口の方で、まるでガラスが割れたような……大きな音がした。

「!? な、なんだ!?」

「イツキ……下がって」

 アイが俺を庇うようにサッと立ち上がり、そして一歩前へ出た。

 緊張した空気が、二人の間に走る。

 そして……。

「誰だよ! こんなとこに結界張った奴!」

 冷たい風が吹く中、背の高い影がゆっくりとこちらに近づいてきた。

「ここはオレが一番に見つけた場所なんだっての!」

 なんか、聞いたことあるような声だな……。

 ……って!

「神田!?」

 ドアの影から長身を覗かせたのは、クラスの問題児、神田鷲介だった。

 その不良の象徴たる鋭い瞳でこちらを睨んでくる。

「大崎……てめえか? こういうイタズラをしたのは」

「イ、イタズラ……?」

「ドアに強力な結界張りやがって……こんなもん、どこで手に入れたんだ?」

 眉間に皺を寄せながら、右手を差し出す。

 神田が持っていたのは、黒い石のようなものだった。

 光に反射して、模様がまるで目のように浮かび上がっている。

「なんだそれ?」

天眼石てんがんせき。厄除けのお守りみたいなもんだ。散らばった石の数を見る限り、ブレスレットか何かだったんだろうな。これがドアノブにかけてあったんだよ」

 神田は視線を石に移す。

 原型が崩れてもなお、石は黒鈍く光を放っていた。

 マジマジとそれを見る俺に、神田は眉間のシワを深くする。

「……これオマエがやったんじゃねえの?」

「いや、そんなもの見たこともないんだが……」

「……オマエじゃないとすると」

 神田は俺から視線を逸らし、まっすぐにアイと向かい合った。

「……誰だ?」

「転校生の渋谷だよ」

 とりあえず教えてやる。

「転校生……? ああ、そういえば煉がそんなこと言っていたような」

 考え込む神田を前に、アイが一歩踏み出した。

「あの結界を破るなんて、さすがだね。大事な話をしていたから、邪魔が入らないようにドアにかけておいたのだけど……キミには意味がなかったようだ」

 称賛の声を上げるアイを、神田は上から下までジッと見下ろす。

 そして、口角を上げた。

「……ああ。なかなかの魔法道具マジックアイテムだったな。結構効くんじゃねえか?」

 手に持ったガラス片をアスファルトに投げ捨て、風になびく長い前髪をかきあげた。

「――――オレ以外の魔法使いにはな」

「は……?」

 なんだって……?

 オレ以外の魔法使い……?

「そ、それって……」

「そうか。やはりキミレベルの魔法使いに、魔法道具は効果無し、か」

「オマエ……オレのこと誰だか分かってて言ってんのか?」

「ふふ、すごい自信だね」

 うーん……なんだか二人共、初対面のくせにバチバチしている気がする。

 アイも俺と話す時よりも話し方が意地悪というか……。

 いや、そんなことよりも!

「ちょっと待てよ!」

「どうかしたかい?」

「んだよ、大崎」

 二人は揃ってこちらに視線を送る。

「一体、どういうことだよ。『オレ以外の魔法使い』って……それってつまり……」

「うん。察しの通り、カレも魔法使いなんだ」

 俺の疑問を、アイはあっさりと肯定した。

「!?」

 コイツが!?

 魔法とか、ファンシーな世界とは程遠い位置にいるコイツが!?

 ……ありえねえ。

 魔法使いつったら、子供に夢や希望を与える存在じゃねえか。

 それが、こんな……。

「おい、大崎。なんか失礼なこと考えてねえか?」

「……いや、別に」

 戦闘の意思はありませんと、両手を上げておく。

「つーか、転校生。オマエこそ一体誰なんだよ。なんでオレが魔法使いだってこと知ってんだ? 名乗った覚えはないんだが」

「……さあ、どうしてだろうね」

 アイは一旦口を開きかけたが、すぐに意味深な笑みを浮かべる。

 どうやら素直に答える気はないらしい。

「……やっぱりケンカ売ってるだろ」

「どう思う?」

「てめえ……」

 ええと……もしかしてこれ……。

 ヤバイ雰囲気なんじゃ……。

 体格差的に、神田の方が有利っぽいし……。

「……ん?」

 そこで、神田の動きが止まった。

 何かを思い出したのか、アイをマジマジと見る。

「ちょっと待てよ。オマエの顔……どこかで見たことあるような……」

「おや、やっと気付いたのかい?」

「どこだっけな……」

「…………」

 いや、全く思い出していなかったようだ。

 アイは残念そうに、形の良い眉毛を下げる。

「あ」

 その時、チャイムが鳴る。

 いつのまにか、午後の授業終わりの時間になったようだった。

「さて、私たちは戻るとしようか」

「お、おい! まだ話は……」

「もう私はキミと話す事はないよ」

 話を続けようとする神田の言葉を遮り、アイはくるりと屋上の入り口のへ身体を向ける。

 そして持っていたチョコレート菓子の箱を一つ、神田に押し付けた。

「あとキミ、ペラペラ喋りすぎ。多少お気に入りだからって、余計なこと言うと本部に怒られてしまうよ」

「本部だって?」

 少し動揺した様子で聞き返す神田だが、もうアイが返事を返すことはなかった。

「行こう、イツキ」

「あ、ああ……」

 俺達は未だ考え込んでいる神田を置いて、校舎へと続く階段に向かう。

 気になる点は山ほどあったが……。

 何も知らない俺が口を挟んでも、きっとこの事態を引っ掻き回すだけだよな……。

 考えがまとまったら、アイに訊いてみよう。

 魔法使い神田のことについても……な。



 *一二月一九日 火曜日 放課後



「いっちゃん、今日は丸一日サボりですね」

 教室に入ると、予想通り机に肘をつきながら、むくれた顔の幼馴染が迎えてくれた。

 アイはそのまま帰ると言って、直接玄関に向かってしまったし、委員長はもう部活に行ったのか席には誰もいなかった。

「わ、悪かったって……。あ……えっと、そうだ! お詫びにココア奢ってやるから」

 とりあえず、大好物で誤魔化してみる。

 しかしそんなことでは綾人の仏頂面は直らない。

 まあ、ちょっと強引に置いていっちまったからなあ……。

 と、心の中で反省してみる。

「あのね、悪いけどボクはそんな単純じゃ……」

「じゃあ、二本」

 それを聞くなり、綾人は元気よく立ち上がる

 机にかけてあるカバンを掴んで肩にかけた。

「いっちゃん、何してるの! さっさと行くよ!」

 そしてすっかり笑顔になり、強い力で俺の腕を引っ張っていく。

 ……よかった。

 この幼馴染が単純アホで、本当によかった。



 *一二月十九日 火曜日 駅前


 

 放課後の駅前は、様々な制服姿の生徒達が歩いていた。

 冷たい風が吹く中でも、元気に買い物を楽しんでいる。

「いっただきまーす!」

 俺にマスドでココアを二本購入させ、満足そうに帰路に着く綾人。

 例の如く店内は混雑していたのだが、今回も何のトラブルもなく購入することが出来た。

「オマエ、よく考えろよな……。こんなに飲んだらどう考えても腹が水っぽくなるだろ」

 まあ、ココア二本を提示したのは俺だが。

「でもでも、こんなチャンス滅多にないし……」

 ごにょごにょと、声が小さくなる。

 どんだけ好きなんだよ。

 暖を取るために一つ持ってやっているが、ここから家までは歩いて三〇分くらいかかる。

 家に着くまでにはとっくに冷たくなってそうだな。

「せんぱーいっ!」

「ん?」

 よく通る声に振り向けば、そこには手を振りながらこちらに近づいてくる後輩の姿があった。

 風が髪を揺らし、右耳についている銀色のピアスが光る。

 制服に、前見た時とは違うコートを羽織っていた。

 本当オシャレだよな、一体何着持ってるんだ……。

「こんなとこで会うなんて、珍しいですね」

 こちらが恥ずかしくなるくらい、嬉しそうに笑う。

 道行く他校の女生徒達が悠希をチラリと見て、驚いた顔をしているのが分かった。

 普通に話しているが、有名人なんだもんなコイツ……。

「そういうオマエはデートの帰りか?」

「ヤダな先輩。デートなら、こんな時間に帰るわけないじゃないですか」

「…………」

 ああ……コイツをこのネタで揶揄うんじゃなかった。

 謎の敗北感を味わう。

「あ! 綾人先輩のそれ、マスドの期間限定のココアですね」

 真顔になっている俺の事など気にせず、悠希は綾人に声を掛ける。

 いつも避けられているのにこんなにも気を使ってくれるなんて、さすが俺のナンバーワン後輩だ。

 知り合いの後輩、コイツしかいないけど。

「う、うん……」

 小声ながらも、綾人は返事をする。

「よく知ってるな」

「一応、最近のトレンドは押さえているんですよ」

 さすがモデル。

 コイツに訊けば、どんな情報でも手に入りそうだな。

「あ、ストバでも期間限定のクリスマスホットチョコやってましたよ」

「へえ……」

 ストバとは駅前にある、少し敷居の高いオシャレコーヒーショップである。

 俺達がいつも使用しているマスドよりも、ワンランクもツーランクも上の場所だ。

 まだまだ俺達には敷居が高いな。

「え……! 行きたい!」

 案の定、横で幼馴染が騒ぎ出した。

「機会があったらな」

 適当に流しておく。

「あ」

 後輩は何か思い出したのか、ポケットから携帯電話を取り出し、チラリと画面を確認する。

「すみません、先輩。僕、これから行くところがあるんでした。これで失礼しますね」

「ああ。あんまり遅くならないようにな」

「はい、ありがとうございます。それでは」

 悠希は礼儀正しく頭を下げ、人混みの中に消えていった。

 


 *一二月一九日 火曜日 就寝前


 

「うう……おなか、水っぽい……」

 窓枠に頭を乗せながら、アホな幼馴染は案の定悶え苦しんでいた。

「だから二本は飲み過ぎだって言ったんだよ」

「や、自棄飲みしなきゃやってられないときもあるんだよ」

 どんな時だよ。

「ったく、次からは気をつけろよ」

 俺は家の救急箱から持ってきた胃薬を、窓から投げ入れてやる。

 それは綺麗に放物線を描いて、綾人の部屋の中に落ちて行った。

「さて、それじゃあ俺は寝るとするかな」

「うん、ボクもそうする。それじゃあおやすみ……いっちゃん。これ、ありがと」

「ああ。明日は寝坊するなよ」

「分かってるってー」

「じゃあな」

 俺は窓とカーテンを閉め、ベッドに横になる。

 今日はなんだか疲れた。

 魔法使いの神田とか、ループする世界とか……。

 ここ二日間、非日常なことが起こりすぎて、頭がついていかないぜ。

 そういや、アイが言いかけてたことって、なんだったんだろうな……。


「私が探しているのは、『天使の――――』」


 まあ、明日また訊けばいいか。

 そんなことを考えながら、電気を消そうと手を伸ばした瞬間、携帯が揺れた。

 誰かからメッセージが届いたようだ。

『アイです。登録よろしく』

「ああ……」

 そういや、連絡先、交換したんだったな。

 ちゃんと登録しておこう。

 ……なんだか、コイツとは長い付き合いになりそうな気がするな。

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