Ⅱ-Ⅶ 月島綾人



 *一二月二四日 日曜日 自室



「いっちゃーん! 起きて!」

「ん……」

 いつもの目覚まし時計の声だ。

 そういや、日曜だけど起こしに来るんだっけ。

 確か、家に誰もいなくなるとかなんとか……。

「もう九時だよ? ボクは出かけちゃうけど、ちゃんとご飯、食べないとダメだからね」

 ポンポンと、布団の上から軽く叩かれる。

「いっちゃん、聞いてるー?」

「……知ってるって、教会行くんだろ」

「おお、良く覚えてたね」

 どんだけ忘れっぽいと思われてるんだ。

「えっと……それでね、今日ボクの家……誰もいなくなっちゃうんだ。あの……おじさんとおばさんも、劇を見に来る予定だから……だからその時にちゃんとチケット渡すから……」

 俺は起き上がり、綾人の頭に手を置く。

「ああ、頑張れよ」

「うん……!」

 綾人は嬉しそうに声を上げた。

「朝ご飯は冷蔵庫に入ってるよ。それでお昼は……何か適当に作って食べてね」

「分かってるって」

「たぶん、一八時過ぎには帰れると思う。それじゃあ、いってきまーす!」

 掛け声とともに、階段を駆け下りていく。

「早く帰ってこいよー」

「はーいっ!」

 綾人の返事が、遠くなっていく。

「さてと」

 俺も、そろそろ起きるか。

 今日はちゃんと予定が入っているからな。



 *一二月二四日 日曜日 商店街



 綾人の言うとおり、冷蔵庫に入っていた朝食を食べ終え、俺は商店街を歩いていた。

 先週はヒマつぶしのためにここ来ていたが、今回はパーティーの買い出しのためというちゃんとした目的がある。

 雪が降り続いているが、商店街も人が多く歩いていて、いつもより活気を感じた。

「さて、どこから行くかなー」

 といっても、大体のメニューは決まっていた。

 クリスマスといったらケーキとチキンだろ、日本の常識だ。

 あとはちょっとした惣菜でも並べておこう。

 二人分だし、たくさんは必要ないが、せっかくだし普段食べないオシャレな物を買ってみたい。

「よし。とりあえず、ケーキか」

 きっと今日が一番ケーキの売れる日だからな。

 早めに買わないと、売り切れてしまうかもしれない。

「えっと、確か綾人はイチゴのショートケーキが好きだったはず……」

 ホールケーキだとでかすぎるから、カットの方にしておこう。

 俺、甘いもの苦手だし。

「どこのケーキ屋にするかなー……」

 下調べをしていなかったため、携帯電話でケーキ屋を検索してみる。

 この近くにある数件の店がヒットした。

「お、ここ美味そう」

 商店街と駅前のちょうど間くらいにある、『パティスリーウエノ』という店だ。

 評価も高いし、なによりショートケーキが美味しそうだ。

 外装も白色に塗装した木材を基調としたオシャレな建物だった。

 ここなら歩いてすぐだし、早速行ってみるか。



 *



「危なかった……」

 ケーキ屋から出て、ほっと一息つく。

 まさか、この時間であんなにケーキが少なくなっているとは……。

 目当ての店は外まで人が並んでいて、入るまでに三〇分もかかってしまった。

 小さな店のため、入れる人数は多くないのだが、それでもここまで並ぶことは珍しいと教えてもらった。

 侮りがたし、クリスマスイブ……!

 まあ、目当ての品が買えて良かった。

 それに店員さんも美人だったしな。

「さて、次は――――」

「やあ。奇遇だね、こんなところで」

 店先に、紺色の制服を身に纏った転校生が立っていた。

 ああ……そういえば、先週は教会の前で会ったんだっけ。

 学校ではボーッとしているが、意外と休みの日はアクティブなんだな。

 せっかく転校してきたから、この辺りを見てまわりたいとか言ってたっけ。

「クリスマスのケーキかい?」

 持っている箱と、背後の店を見て尋ねてくる。

「ああ……まあ」

 高校生にもなって、クリスマスで浮かれていると思われるの、なんだか恥ずかしいな。

 家族への買い物だと思われてるだろう。

「クリスマスは大きなイベントだものね」

 俺の心配を他所に、渋谷の言葉はからかいの意味を含んでいないようだった。

「で、オマエは何してるんだよ。体調不良のわりには元気そうじゃねえか」

「体調不良?」

 誰が、と首を傾げる。

「金曜日、学校休んでただろ」

 球技大会勝てなかったじゃねえかと言おうとしたが、やめておいた。

「ああ、そうだったね……ごめん。体調不良ではないんだ」

「んじゃ、サボりか」

「そのとおり」

 悪気もなく、あっけらかんと言う。

「やらなきゃいけないことがあって」

「ふうん」

 まあ、転校してきたばかりだからな……色々あるんだろう

「あ」

 その時、ぐう、と。

 緊張感なく鳴ってしまった俺の腹時計。

「…………」

 時刻は、ちょうど昼一二時になるところだった。



 *一二月二四日 日曜日 マスド駅前店



「本当にここで良かったのか?」

「うん、一度行ってみたかったんだ。日本のファストフードって」

 注文の列に並びながら、渋谷は楽しそうに笑う。

 俺の腹時計が鳴った流れで、何故か一緒に食事をすることになったのだ。

 どこに行きたいか訊いたのはいいが……。

 まさか、マスドを即答されるとは。

 俺も好きな店だから別にいいけど。

「日本の?」

 まさかずっと海外にでもいたのだろうか。

 でも、渋谷が着ている制服はこの近くの高校のものだよな?

 というか、マスドって日本発祥なのか?

「どれにしようかな……」

 色々考えを巡らせる俺を他所に、心底感動した目でメニュー表を見上げている。

 

 昼時ではあるが、店内は六割ほどしか席が埋まっていなかった。

 クリスマスイブだから、みんなもっと特別な場所で食事をしているのだろうか。

 それはそれで羨ましい、が。

 これならゆっくり座って食べられそうだから、まあいいだろう。

 ハンバーガーセットの注文を済ませ、商品を受け取る。

 窓際にあるカウンターのような作りの席に座ることにした。

 目の前が大きな窓になっているため、通行人がよく見える。

 転校生も俺に続き、俺の左側にスッと腰掛けた。

「いただきます」

 渋谷は行儀よく手を合わせる。

「とても美味しそうだね……あ」

 すぐに転校生の動きが止まる。

「どうした?」

「……手袋」

 真っ白な手袋をはめた手を、俺に見せる。

「どう考えても、油でベタベタになるだろうな。それ、布製だろ?」

「うん」

 納得したように渋谷は手袋をそっと外し、テーブルの上……俺と自分の間に重ねて置いた。

「オマエ、楸原ひさぎはら高校から転校してきたんだよな?」

「……どうして?」

「そりゃ、その制服着てりゃあな」

 渋谷は日焼けとは無縁な手で、掴んだポテトを一つ口にいれる。

 そしてニコリ。

 どうやら思った以上に美味しかったようだ。

「しかも休みの日なのに制服だし」

「変かな?」

「え、いや……学校の用事がないのに、制服着てるって珍しいなと」

「なるほど、そういうものなんだね」

 転校生は納得したように頷く。

 やっぱりズレてるというか……変わったヤツだよな。

「転校の理由は?」

「ふふ……気になることだらけだね」

「そりゃあ、オマエの転校は謎だらけだしな」

 俺もポテトを口に放り込み、それをドリンクで流し込む。

 甘いものは嫌いだが、炭酸ジュースは平気だ。

「謎の転校生、か。いいね、そういうの。それじゃあ、しばらくその肩書きで過ごしてみようかな」

「オマエな……」

 なんだかこの状況を楽しんでいるようだが……。

 俺の質問に素直に答える気はないみたいだった。

「変わってるって言われるだろ」

「……たまに」

 照れたように、形のいい唇が笑う。

 コイツといると、なんだか不思議な時間が流れるな。

 ふと、隣に置いてある手袋が目に入る。

 潔癖症だったら、こんな風にポテトを手づかみ食べできない、か。

「ん?」

 その手袋は、机の端から指先の部分が垂れ下がっていた。

 それがどんどんと地面に向かってずり落ちていく。

「おい、渋谷。手袋――――」

 落ちそうだぞ、と言い終わる直前。

 するりと。

 それはテーブルから離れていってしまう。

「あ……」

 それを拾おうと、二人。

 同じ速度で手を伸ばす。

 しかし。

「…………あ」

 想像していたものとは違う、手袋の素材。

 ――――ではない。

 手だ。

 また転校生の手を掴んでしまった。

「ええと……」

 なんだこの……既視感。

 ああ……。

 そういや先週もやっちまったんだった。

「……悪い」

 慌ててその手を離す。

 そして床に落ちた手袋を拾い、再び机の上……今度は落ちないよう、奥の方に戻しておいた。

「…………」

 渋谷はしばらく何も言わずに、自分の手を見つめている。

「渋谷……?」

「いいよ、キミに他意がないことは分かっているから」

「?」

 そう言って微笑むと、中断していた食事を再開した。

 俺はまた、渋谷の手の感触を思い出す。

 やはり、手は冷たかった。



 *



「本当に、良かったのかい? 奢ってもらったりして」

「誘ったのはこっちだしな。まあ、転校祝いとして受け取っておいてくれ」

 食事も終わり、俺達は店の外にある街路樹の下で話をしていた。

 人通りはさっきよりも、カップルの率が増えてきた気がする。

 本来そういうイベントじゃねーっての、と 心の中で文句を言っておく。

「ありがとう。それじゃあ、お言葉に甘えるよ」

「オマエはもう帰るのか?」

「うん。今日は楽しかったよ、ありがとう」

「い、いや……こちらこそ」

 なんか、改めて言われると照れるな。

 あんまり感情を表に出すタイプではないと思っていたから、笑顔がまだ見慣れない。

「……ねえ」

「ん?」

「ちょっと質問があるんだ」

 風になびく髪を耳にかけながら、転校生は真っ直ぐに正面を向いた。

「キミの周りで……何か、おかしいことはなかったかい?」

「な、なんだよ突然……」

「…………」

 転校生は俺の目をじっと見つめる。

 それはまるでガラス玉のような透き通った瞳だった。

「……ううん。ないならいいんだ。すまないね、変な質問したりして」

「いや……」

「それじゃあ、またね」

 渋谷はくるりと俺に背を向けると、人混みの中に消えていった。

「なんだ、アイツ……」

 やっぱり変なヤツだな。

 俺は残りの買い物を済ませるとするか。



 *一二月二四日 日曜日 商店街



「……こんなもんかな」

 とりあえず、頭で考えておいた分の買い物は終わった。

 残念ながら、俺のイメージするクリスマスのチキンはどこにも売っていなかったが。

 ああいうのって、きっと予約しとかないとダメなんだろうな。

 仕方がないので、先週と同じく、いつもは売り切れている人気の唐揚げを買っておいた。

 これもチキンであることに違いないからな。

 時間は……。

「一五時か」

 これで帰って、準備を始めればちょうどいいな。

「…………」

 そういえば、先週……この辺りで田端さんと会ったんだよな……。

 そこで、悠希がいなくなったって言われて……。

「今日は、大丈夫だろうな……?」

 少し不安になってくる。

 あ、悠希に連絡を取ってみるか?

「うーん……」

 いきなり本人に電話……ってのも変だよな。

 急用でもないし。

 それじゃあ軽くメッセージでも送ってみるとしよう。

『今日、仕事に行っているか?』

 こんな感じでいいだろう。

 早速送信してみる。

 当たり障りない文章だし、たぶん何の深読みもせずに受け取ってくれるはず……。

「!」

 ポケットに入れようとした瞬間、電話が震えた。

 画面には悠希の名前が書いてある。

 気付くの早すぎるだろう、現代っ子め。

「もしもし? 先輩どうしたんですか、変なメッセージ送って来たりして」

「な……っ! 変だったか? いや、そのヒマだったから……もしオマエが仕事じゃなかったら……どっか買い物でも、と」

「それにしては、文面おかしくないですか?」

「う……」

 そういや、コイツ変なとこ勘が鋭いんだった。

 俺の予想を裏切り、しっかりと深読みしてくるなんて……なんて優秀な後輩なんだ。

「ま、いいや。すみません、先輩。今日は先輩の予想通り、仕事の日なんです」

「あ、そっか……」

 ホッとした。

 何かトラブルに巻き込まれてはいないらしい。

「なら、いいんだ」

「ええ……どういうことです? 変な先輩」

 悠希は楽しそうに笑う。

「悪かったな、忙しい時に」

「いえ、大丈夫です。それじゃ、また明日」

 早口で言い終え、すぐに電話が切れる。

 なんだか声が忙しなかった気がするが、仕事中だったんだろうか。

 悪いことしたかな……。

 ま、何事もないなら、それに越したことはない。

 これで田端さんが不安に思うこともないはずだからな。



 *一二月二四日 日曜日 自室



「よし、できた!」

 時刻は一七時。

 家に帰り、早速パーティーの準備に取り掛かったため、綾人が帰ってくる前に完成してしまった。

 会場はリビングにしようかと思ったが、二人だけだし俺の部屋でいいだろ。

 テーブルは小さいが、机の上に並べた食べ物は、どう見てもクリスマス会だ。

 ケーキはひとまず冷蔵庫に入れてある。

 きっと、綾人がくじ引きで当てたホテルのディナーにも負けていないはずだ。

 ……気持ちだけは。

「さて」

 もうすることがなくなったわけだが。

 帰ってくるのは一八時過ぎだと言っていたな。

「んー……」

 背伸びをすると、なんだか眠くなってきた。

 慣れない作業を一人で頑張ったからだな。

「よし、一眠りしよう……」

 綾人は鍵持ってるんだから、勝手に入って来るだろう。



 *一二月二四日 日曜日 夢



「おー! 入ったー!」

 小さなバスケットゴールにボールが入ると同時に、パチパチと拍手が鳴る。

 ああ、確かこれは中学に入る少し前くらいの時期か。

 また、懐かしい夢だな……。

 木々が生い茂り、全体的に暗い森だったが、何故かこの教会の敷地内だけは、太陽の光が差し込んでいた。

 一二月のこの時期は、雪こそまだ降らないものの、足元で霜柱がパキパキと音を立てている。

 飛び跳ねる度に、綾人の口から白い息が吐き出された。

「いっちゃん、じょうずだねえ……」

 キラキラした目で、幼馴染が揺れるゴールネットを見つめている。

「上手くもなるさ、これしかやることねーもん」

 ここじゃゲームやテレビなどの娯楽は一切ないのだ。

 各自治体で子供に推奨される珍しい環境だ。

「だってぇ、あんまりおうちにいたくないし……」

「それは……俺もだけど」

 俺はバスケのシュート練習にも飽き、塀のすぐ隣にあるベンチに座る。

 尻が冷たいが仕方ない。

 綾人もそれに倣って、隣に腰を下ろした。

 案の定、冷たいとベンチに文句を言う。

 ここではいつも二人きりだった。

 新しい教会は何年も前に商店街の端に移動したため、誰も居なくなったこの場所は、俺達にとって格好の遊び場だったのだ。

 もちろん建物の中には入れないが、敷地内は走りまわったりするにはちょうどいい広さだ。

 しかしこの年齢になれば、二人だけの秘密基地にもあまり魅力を感じなくなってきていた。

 だいぶ建物の老朽化も進んでいて、大人達から近づかないようにと言われたこともあった。

「いっちゃんちは誰もいないんだから、のんびりできるんじゃないの?」

「それは……そうだけど。たまに父さん、変な時間に帰ってくるんだよな」

「変な時間って?」

「まさに今とか。仕事の時間のはずなのに」

 しかも知らない女の人連れてくることもあるし。

 その女の人がどういう目的で来ていたのか理解したのは、もう少し経ってからだった。

「ふうん……不思議だね」

 綾人は自分から訊いたくせに、もう興味を無くしている様だった。

 足をブラブラさせながら、自分の吐き出す白い息を見つめている。

「両親、別れたらどうなるんだろうな」

「え……?」

 綾人の大きな目が更に見開かれた。

 母さんは夜遅くならないと帰って来ない。

 そんな生活がしばらく続き、二人はすれ違いの状態になっている。

 父さんは、母さんが仕事中心の生活をしていることが気に入らないらしい。

 少し前、父さんがお酒を飲みながら愚痴っていたのを聞いたことがある。

 俺にはどちらが悪いのか分からなかったが、喧嘩ばかりするのならいっそのこと離れていて欲しいというのが本音だった。

 喧嘩というか、一方的に父さんが怒っているのを、母さんが聞き流しているだけだったのだが。

 で、結局二人の間の溝は埋まることなく……。

「まだ、もしもの話だからな」

 一応、念を押しておく。

 しかし近い将来そうなるだろうと、子供ながらに分かっていたのだ。

「そしたらいっちゃん……どっか行っちゃう……?」

 不安を隠しきれない様子でこちらを見る。

「家の名義が母さんだから、あの家に住むには母さんといないとダメだよなぁ」

「いっちゃん、お母さん苦手だもんね……」

「別に両親共好きじゃないけどな。でも、母さんといる方が、干渉してこなくてラクかも」

 それは、半分の本音だった。

 あとの半分は――――。

「……そろそろ帰るぞ」

「え? う、うん……」

 慌てて後ろを付いてくる綾人を置いて、さっさと歩いていく。

 空はすっかり日が落ち、辺りは暗くなリ始めていた。



 *一二月二四日 日曜日 自室



「……ちゃん」

 耳元で、声がする。

「いっちゃん、起きて……!」

 綾人の声だ。

 重い瞼を開くと、シーリングライトの光が目に突き刺さってきた。

 次第にはっきりとしていく視界、いつもの自分の部屋だ。

 いつの間にか電気がつけられ、カーテンは閉められていた。

「よく寝てたねぇ。何か夢でも見てた?」

「さあ、どうだったかな……」

 珍しそうに覗き込む綾人の顔。

 俺は目元を押さえながら、身体を起こす。

「……綾人」

「ん?」

 俺を覗き込んでくる綾人をまじまじと見る。

「オマエなんでコスプレなんかしてるんだ?」

「へ?」

 綾人は黒っぽいワンピースのような洋服と、頭巾に似た帽子を被っている。

 一言で言うと……ああ。

 シスターみたいな。

「え……ああ。教会でクリスマスパーティーだったって言ったでしょ? その時にやった、演劇の格好なんだ」

「どんな劇だ」

 衣装からじゃ、全く想像できないんだが。

「着替えてたら遅くなりそうだったから、そのまま帰ってきちゃった。あ、車で送ってきてもらったから、近所の人には見られてないよ」

「そりゃ良かった」

 こんな格好で走っている姿を見られたら、しばらく近所の噂になりそうだ。

「ということで、ちょっと着替えてくるね」

「ああ……」

 綾人が部屋から出ていく。

「いっちゃん」

 戻って、顔を覗かせる。

「……ちゃんとチケット渡したよ」



 *



「ということで! 乾杯ーっ!」

「はいはい、乾杯」

 二人でグラスを鳴らす。

 ……シャンメリーだけどな。

「すごいねー。これ、いっちゃん全部一人でやったの?」

「まあな。つっても、惣菜を並べ替えただけだけど」

「ううん……それでも、十分嬉しい……っ」

 綾人は心底感動したように、机の上に並べられた食材を見渡す。

 俺はそれを横目に、シュワシュワ音を立てている飲み物に口をつけた。

「うわ……あま……」

 思った以上に甘ったるかった。

 お口直しの、唐揚げを口に入れる。

 評判なだけあってやっぱりうまいな、ここの唐揚げ。

「だって、子供の飲み物だよこれ」

「それじゃあ、オマエにはちょうどいいな」

「……まあ、嫌いじゃないけどさ」

 綾人はそう言ってもう一口グラスに口をつける。

「そういえば、オマエ……劇やったとか言ってたよな?」

「言ったよー。さっき、その衣装着てたでしょ」

「どんな劇だったんだ?」

「うんとね……絵を描くために旅を続ける少年の物語」

「なんだそれ?」

 童話か何かだろうか。

「まあ……オリジナルらしいんだけど……神父さんの」

「え……神父さんが脚本書いたってことか?」

「そうみたいー」

 ますますどんな劇なのか気になってきたぞ。

「それにしても、オマエが演劇なんてな……人前、苦手じゃないのか?」

 それとも、演技するときは大丈夫とかそういう感覚の持ち主なのだろうか。

 ……いや、ありえないな。

 むしろコイツはプレッシャーに押しつぶされるタイプだ。

「そりゃあ、初めは緊張したよー。でも、何度もやっていくうちに慣れてきたよ。演技に自信出てきた感じ」

「すげえな……」

 実はコイツ、人見知りなんかじゃないんじゃないのか?

「じゃ、劇は無事に終わったんだな」

「…………」

「綾人?」

「え、あ……うん。バッチリだった……っ!」

 ニッコリ笑って、ブイサイン。

「いっちゃん、ケーキ見たい! ケーキ!」

「あ、ああ。ちょっと待ってろ」

 俺は一階にある冷蔵庫から、ケーキの入った箱を取ってきた。

「ほら」

「わー! ショートケーキ! いちご大きい!」

 綾人の目が更にキラキラと輝く。

「食べていい?」

「ケーキはデザート……まあ、いいか」

 頑張ったみたいだし、細かいことは言わないでおいてやろう。

「いただきますっ……美味しいっ!」

 まるで子供のようにパクパクとケーキを口に入れていく。

「そんなに気に入ったなら、二個食べていいぞ」

「へ!? いっちゃんは?」

「俺、甘いもの苦手だし」

「そ、そっか……ありがと、いっちゃん」

 えへへと、クリームを口端につけたまま笑った。

「あ、そうだ」

 綾人が持ち込んだ大きなカバンから、何かを探し始める。

「あった! 見て見て! いいもの、もらったんだ」



 *



「わあ……っ! キレイキレイーっ!」

 綾人が持ってきたものは、巾着型のビニール袋に入った花火セットだった。

 打ち上げ花火など派手なものはないが、家の庭で楽しむ分にはこのくらいが丁度いいだろう。

 雪の降る中だったが、火は普通についてくれた。

 空気が澄んでいるためか、夏の花火よりもずっと輝いている気がする。

「冬の花火もなかなかいいな」

「うん! なんだか特別な感じだねっ!」

「ああ……」

 目で見たものを、綺麗だと感じたのは久しぶりかもしれない。

「神父さんに感謝しないとね」

 この花火、神父さんからもらったのか。

 人見知りの綾人だが、神父さんとは普通に話すことができると本人から聞いたことがある。

「その神父さん、よくこんな時期に花火なんて持ってたな」

 今年の夏の余り物か?

「商店街でやってた抽選会で当てたらしいよ」

 あの抽選会の景品、そんなものまであったのか。

 どこかの店の余り物だろうが、楽しませてもらっているからあまり文句は言わないでおこう。

「これで最後だよ」

 そう言って最後の一本を俺に差し出してくる。

「オマエがやれよ」

「え……いいの?」

 嬉しそうに笑う。

「いいよ、そのくらい」

「ありがとう」

 綾人はそれを大事そうにぎゅっと掴み、そして静かに火をつけた。

 シュっと音をたてて、火薬が燃えていく。

「ねえ、いっちゃん……」

 綾人はパチパチと燃える火花を見つめる。

「ん?」

「あの森の教会、取り壊されること……正式に決まったんだって」

「あ……そうなのか」

 とっさに出てきたのは、自分でもびっくりするほど間の抜けた言葉だった。

「呪いの件はどうなったんだ?」

 最近ではちょっとした肝試しスポットみたいになってたよな。

「あれはあくまで噂。ちょっと入り組んだ場所にあるから、なかなか業者が決まらなかったけど……。あの辺りも再開発が決まって、行政が動き出したんだって」

「はー……」

 やっぱり俺の予想通りだったな。

 多額の金が動くとなれば、どんな噂があろうが、引き受けるとこも出てくるか。

「あそこは、いっちゃんとの思い出の場所だから、あんまり取り壊して欲しくなかったんだけど……。仕方ないよね」

 綾人は複雑な表情で消えゆく花火を見つめている。


 森の教会は、まだ綾人とも出会っていない、俺が小学校に入る少し前くらいの時期に見つけた場所だった。

 そこの近くにあったアパートに、親子三人で住んでいたのだ。

 そのため子供の足でもすぐに行くことができたのだ。

 その時にはもう、新教会が建設されたあとだったため、すっかり人も寄り付かない場所になっていた。

 鬱蒼とした森の中に佇む、光に照らされた教会。

 あの場所を見つけた時の感動は未だに忘れられない。

 俺はあの誰もいない美しい建物を、すぐ秘密基地にしようと思った。

 手前の広場にはバスケットリングがあったため、すぐに家からボールを持ち出したことを覚えている。

 あの頃はまだ、父さんがいて、俺が保育園から帰る頃には家にいてくれていた。

 母さんは相変わらず仕事で飛びまわってたけど。

 しかししばらく経つと、引っ越しすることが決まった。

 まあ行き先は住んでいるアパートから、少し遠くなっただけの同じ街だったわけだが。

 引っ越した先は、ちょうど街が再開発に力を入れようと思っていた場所らしく、新興住宅街として賑わっていた。

 そしてたまたま、隣の敷地家を建てたのが月島家だった。

 同じ年齢の子供がいると聞いて、最初は嬉しかったのだが、蓋を開けてみればめちゃくちゃ人見知りのヤツで……。

 最初は絶対仲良くなれないと思っていたのだが……結局こうなっちまったけどな。

「ねえ、いっちゃん……」

 花火を見つめたまま、綾人がぽつりと呟く。

「なんだ?」

「ボクね、今すぐ行きたいところがあるんだ……」

「行きたいところ……?」

 こんな時間にか。

「そう……森の教会」

「え……どうして……」

「それは……」

 綾人が口を開こうとしたところで、花火が消えた。

 それを見て、綾人は静かに目を伏せる。

「……ごめん。やっぱり、なんでもないよ。今の話は忘れて。こんな雪が降る時に行ったら危ないもんね」

 綾人は手に持った花火を水の入ったバケツに突っ込むと、俯いたままそれを持ち上げる。

「さて。ボクはそろそろ戻ろうかな。いっちゃん、今日は本当にありがとう。これ、片付けとくね」

「綾人、ちょっと待っ……」

 声をかける俺に何も応えず、綾人はスタスタと自分の家へ向かって歩いていく。

 その背中を追いかけることができなかったのは……綾人が泣きそうな顔をしていたからだろうか。

「なんだよ、アイツ……」

 どうして突然、森の教会に行きたいなんて言い出したんだ……?

 しかも、こんな時間に。

「…………」

 俺は降り続く雪を見上げる。

 今夜は大雪になりそうだ。

「まあ、いいか。また明日、本人に訊いてみれば――――」

 そう、また明日……。

「あ……」

 大事なことが頭からすっかり抜けていた。

 そのことに、ようやく気づいた。

 今日は一二月二四日……。

 明日……は、やってくるのか?

 世界が繰り返しているのは分かった……。

 だけど、その『繰り返し』がいつ終わるのか分からないわけで……。

 携帯電話の時計を見る。

 『今日』が終わるまで……あと一分もない。

「……っ!?」

 突然、視界が歪む。

 次の瞬間――――。

 時計の針が、カチリと音を立てた。

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