Ⅱ-Ⅴ 月島綾人



 *一二月二二日 金曜日 自室



「いっちゃん! 起きてー!」

「んー……」

 今日はいつもの重みを感じずに目が覚めた。

 すでにカーテンが開けてあり、太陽の弱い光が室内を照らしている。

 そういや、今日も雪だったな。

「あ」

 綾人の代わりベッドの上に乗っていたのは、昨日拾った真っ黒な子猫だった。

「でかい毛玉かと思った……」

「失礼だねぇ、ねこさん」

「にゃー」

 同意するように子猫が一声。

 綾人はその猫をひょいと持ち上げると、おでこ同士をくっつける。

 俺の知らない間に仲良くなっているようだった。

「ほら、早く着替えて。ご飯できてるよー」

「ああ……」

 綾人に急かされ、俺は渋々ベッドから出ることにした。



 *一二月二二日 金曜日 登校



「さっさと球技大会を終わらせて、ねこさんの飼い主捜ししないとね!」

 先週とは打って変わって、登校中でも綾人は楽しそうだ。

「即負けるつもりか?」

 昨日、負けたくないって言ってたじゃねーか。

「そうじゃないけどー」

 綾人の興味は子猫の方に移ってしまったらしい。

 こういうヤツだよ、コイツは。

「そういえばいっちゃんは、何の種目にするの?」

「ああ……やっぱバスケかねえ……」

「え……」

「な、なんだよ……」

「う、ううん……! なんでもなーい」

 俺の口から直接バスケと聞くのが嬉しかったのか、綾人はやたら楽しそうに小躍りしている。

「そ、そういう気分の時もあるんだよ!」

 慌てて弁明するが。

「ボクは好きだよ。バスケしてるいっちゃんの姿。すごく、楽しそうで、生き生きしてて……カッコいいもん!」

「やめろ、恥ずかしい……」

「うん、ごめんねっ」

 屈託のない笑顔で返されてしまい、こっちが口籠ってしまった。



 *一二月二二日 金曜日 教室



「おはよう二人とも」

 教室に入ると、いつも通り委員長と遭遇した。

 委員長を含め、クラスの大半はすでに運動着に着替えており、球技大会熱が高まっているという感じだ。

 何故か窓が全開に開けられていて寒い。

 さすがにまだ暑くはないだろ。

「はよ、なんか盛り上がってんな」

「まあ、球技大会だからな。無理もない」

 そういうもんなのか。

「委員長も、楽しそうだな」

「自分は元から、勉強よりも運動の方が好きだからな」

「そうなのか、なんか意外だ」

「む。それは身長のことを言ってるのか」

「いやいや、全然違うから」

 なんか因縁をつけられた。

 あんまり大きくないこと、意外と気にしているのか。

 つっても、俺より少し低いくらいだと思うが。

 委員長に弁解しながら、教室中を見まわす。

「えっと、神田は……?」

「アイツは今日も休みだ」

 『も』を強調された。

「そ、それじゃあ……渋谷は?」

「渋谷も……来ていないようだな。二人とも、球技大会だからとサボったりして……! ああ、鷲介は毎日か……」

 ニコリと笑う。

 あ、これ怒ってるヤツだ。

 早く運動させて、ストレスを発散させないとすごいことになりそうだ。

「マジかー……」

 それに神田も、渋谷も来ていないとなると、優勝は難しいかもしれないな……。

 まあ俺達には猫の里親探しという、別の使命ができたわけだから……良かったと言えば良かったのか。

「いや、でも……」

 今の俺は、未来を知っているんだ。

 それならば、優勝は無理でもなんとか一勝くらいは――――。



 *一二月二二日 金曜日 球技大会



「ヒマだねえ……」

「そうだな……」

 エアコンの効いた教室で二人。

 自分の席で早めの弁当を食べながら、グラウンドで行われているサッカーの試合を見ていた。

 グラウンドの正面にある裏門から、そそくさと帰宅する生徒の姿も見える。

 こっちから登下校するのも特に問題ないとされていた。

 球技大会をサボるのは問題があるが。

 誰だよ、なんとか一勝くらいはできるっていったヤツ。

 敗者に吹きつける、冬の風は冷たかった。

 教室の窓が開けっぱなしになっていたので、ちゃんと閉めておいた。

 今回も隣のクラスとの対決だったのだが、まあ、惜しくも負けたという感じだ。

 田端さんに負けた姿を見られなかっただけ良かったとするか。

「なんで委員長とチーム別れちまったんだろうなー……」

「先に他の人と約束してたんだもん……しょうがないよ」

 ……そうなんだけどよ。

 前回のクジも無かったからな。

 もしかして、アレは神田の発案だったのか?

 何で今回はサボってんだよアイツ。

「もうやることないんだし、ねこさんの飼い主捜しでもする?」

「そうだな」

 今日学校に来た目的は、半分はそれだし。

 綾人は立ち上がり、人差し指を高く掲げる。

「よおし! それじゃあ、第一回『ねこさんの飼い主大捜査線!』開始ーっ!」

「大捜査線って言いたかっただけだろ……」

 突然元気になった綾人に続き、俺も重い腰を上げる。

「あ」

 そして突然動きを止める幼馴染。

「どした?」

「煉くんだ」

 綾人の視線を追うと、そこには委員長が一人で廊下を歩いているところだった。

 しかも、弓道着姿で。

 レアだ……めっちゃレアだ。

 すげー似合ってるし。

 俺達の視線に気付いたのか、委員長は教室へと入ってきた。

「何してるんだ、こんなところで」

「いや、それはこっちのセリフだ。なんで弓道着なんか着てるんだ?」

「明日は、弓道の大会があるんだ。少し自主練でもしておこうと思ってな」

「球技大会は……」

「残念ながら、負けてしまったんだ。次の試合は午後からだからな」

「え」

「その空き時間を使って練習しようと今、部活の顧問に許可を取ってきたところだ」

 マジかよ……。

 神田がいないとダメだったのか……。

 まあ、種目はバスケだからな、無駄にデカいアイツが活躍できるのも頷けるが。

「……その様子だと、オマエ達も負けたようだな」

「面目ない……」

「まあ、仕方ないさ。勝負とは時の運。そういうときもある」

 言葉が重い。

 さすが試合慣れしてる委員長だけのことはある。

「ねえねえ、いっちゃん……」

 綾人が背中をつついてくる。

「なんだよ綾人」

「ねこさん」

「あ」

 そうだな……。

 委員長に訊いてみるのはいい考えかもしれない。

「なあ、委員長」

「なんだ?」

「猫とか、好きか?」

「いや、アレルギーだが」

「…………」

 終了。

「自分はそこまでではないが、家族が酷くてな。それで、猫がどうかしたのか?」

「あ、いや……昨日捨て猫を拾ってさ。今、絶賛飼い主探し中なんだ。部活の知り合いとかでさ、誰か飼ってくれそうなヤツいないか?」

「そうだな……」

 委員長はしばらく考え……そして思い当たる名前を上げた。

「鷲介なら……もしかしたら」

「神田?」

 あの不良が?

「いやいやいや。不良が猫好きなんて、なんてベタ――――」

 そこでふと思い出す。

 待てよ、その話……どこかで……。


『しょうがないから一人で帰ってたらさ、道端で捨てられてる子猫を拾ってあげてたんだよ』


「あ!」

 そうだ……先週、綾人がそんなことを言っていたんだ。

 ってことはもしかして……。

 前回、あの子猫を拾ったのって……。

「アイツか!」

「おいおい。今日、授業じゃねえの?」

 俺の頭の中で、全ての謎が一つに繋がったところで。

 聞き覚えのある声が背後から聞こえた。

 思わず振り返ると、そこには……。

「神田――――」

「鷲介!」

 俺が話しかけるより先に、委員長が神田に掴みかかった。

「よお、今日はいつも以上に積極的だな」

 けれど神田は特に驚いた様子もなく、委員長の怒りを軽くかわす。

「オマエ、今までどこに……っ」

「ちょっと調べ物してる……って、昨日説明したろ」

「あんな説明で分かるかっ! 自分のことはもういいと言っただろう。どれだけ心配したと思って……っ」

 その言葉を制するように、神田が委員長の頭にそっと手を置いた。

「な……」

「悪かったって。お詫びに明日のパーティー代は全部オレが持つからさ」

 謝る神田に、一瞬驚いた表情を見せる委員長だったが、すぐに怪訝な表情に戻る。

「……パーティー? なんの話だ?」

「オマエの優勝パーティー。明日、大会なんだろ?」

「なんで、優勝する前提で……」

「するさ。オマエならな」

「…………馬鹿者」

 そう言って、委員長が悔しそうに俯く。

 なんていうか、すげえ貴重な光景だな……。

「あ」

 ふと、水曜日の事件を思い出した。

 結局アイドルとどうなったのか、本人達からは聞いていないのだ。

 その噂の中心人物が今まさに、ここにいるじゃねえか。

「ねえねえ、いっちゃん……」

 俺がどう訊き出してやろうか真剣に考えている中、綾人が背中をつつくのを感じた。

「なんだよ」

「ねこさん」

「…………」

 やべ。

 本来の目的はこっちだった。

 いやいや待て待て。

 コイツ、この状況で俺にそれを訊けというのか……!?

「…………」

 無言で頷く綾人。

「フッ……」

 あいかわらず、自分のことしか考えないヤツだぜ……!

「……こほん。あのー、お取込み中のところ申し訳ないんだけどー」

「なんだよ」

 やはり鋭い眼光で睨まれる。

「子猫、いりません?」



 *一二月二二日 金曜日 下校



「良かったねー、ねこさんの飼い主見つかってー」

 雪の降る道を綾人と二人で歩く。

 辺りはすっかり暗くなり、街灯が点き始める。

 しかし、幼馴染の足取りはとても軽かった。

「ああ……まさか、あんなに目を輝かせるとは思わなかったぜ……」

 あの神田の表情……。

 平常を装ってはいたが、目がすげえキラキラしてた。

「猫好きなんだね」

「……隠そうと必死だったけどな」

 あの後、結局試合には勝てなかったが……。

 まあ、猫の飼い主が見つかったので良かったとしよう。

「それで、明日の昼に待ち合わせだっけ?」

「うん、駅前でね。もちろん、ボクもついてくよ」

「……好きにしろ」



 *一二月二二日 金曜日 自室



 家に帰ってからしばらく自室でゴロゴロしていていた俺は、ふと時計を見る。

 時計は一七時を示していた。

 冬のため、辺りはもう真っ暗だ。

 俺は早々に部屋のカーテンを閉めておいた。

「いっちゃん、遊びに来たよー」

「…………」

 ノックもせずに、綾人が部屋へと侵入してくる。

 せっかく人が雪の降る空を見て感傷に浸っていたというのに……。

「帰れ」

「いいじゃないのさー。ほら、リンゴもあるしさ」

 そう言った綾人の手には、皿に乗ったうさぎのリンゴ。

「ああ……」

 このリンゴ……。

 母さんが用意しておいてくれたヤツか。

 というかコイツ、うちの冷蔵庫勝手に漁りやがったな……。

「ほら、あーん」

 リンゴに爪楊枝を刺し、こちらに差し出してくる。

「誰がするか」

 立ちあがり、廊下へ出る。

「ええ、どこいくのさ」

「トイレだトイレ」

「あ、そう。ごゆっくり~」

 綾人は勉強机に備え付けられている椅子に座り、猫を抱きながらまるで自宅のようにくつろいでいる。

 全く、昔から本当に不躾な幼馴染だな。



 *



「さて……」

 トイレの帰りに、リビングに寄ってみる。

 確か、今日は……。

 母さんが買ってきた物が、大量に置いてあるんだったな。

「すげえなー……」

 ダイニングテーブル上にある、大量の買い物袋。

 そして隣には積まれた本。

 そもそも、どうやって運び込んだんだこれ。

 うちは車持ってないから、タクシーで帰ってきたのだろうか。

「…………」

 積まれた本の一冊を手に取ってみる。

「『海外のマナー』、『YESと言わせる技術』」

 ……まあ、普通だな。

 母さんのイメージ通りのビジネス書だ。

 もっと下を見てみるか。

「……ああ、英語の本ばっかりだったんだっけ」

 下敷きにされている数冊は、全て英語で書かれていた。

 しかも、本というよりは……冊子。

 分厚くて本みたいではあるが。

 ええと、日本語に訳すと――――。

「『因果律と世界』、『魔法実験まとめ』、『レオンハルト・ミューラーに関する中間報告書』」

 サンキュー、翻訳サイト。

 俺にはとてもじゃないが読めん。

「いや、待て待て」

 翻訳されても意味分からん。

「え、これ翻訳あってる……?」

 ファンタジーの小説か何かだろうか。

 ペラペラと巡ってみるが、案の定全く読めない。

 とりあえず本の裏を見てみる。

 よくあるバーコードなどの表示が無かった。

 もしかして、一般流通してるものじゃないのか?

「まてよ……」

 まさか、変な宗教入ったとかじゃないよな?

 ……怪しい。

 元から変わった人ではあったけれど……。

 いや、でも……。

 俺の記憶が正しければ、母さんは神様とか鼻で笑い飛ばすタイプの人間だったはず。

 それなのに、なんでわざわざ魔法なんて書かれた本を……。

「……分からん」

 どんなに頭を捻っても、謎は深まる一方だった。



 *



「あ、おかえりー」

 綾人はすっかりくつろぎ、今度は人のベッドで猫とゴロゴロしていた。

 コイツも大概、動物好きだよな。

「リンゴは?」

「おいしくいただきました」

「俺だって腹減ってたのに……!」

「良かったねー、ねこさん。キミの飼い主が見つかったよー」

 って、聞いてねえし。

「にゃー」

 分かったのか分かってねえのか、猫は律儀に返事をする。

「しかも、優しそうな人だよー」

 どこが。

「どこが」

 声にも出てしまった。

 少なくとも見た目は優しそうではないし、俺に対する態度も優しくない。

「いっちゃん! ねこさん喜んでる!」

「そうかい……」

 なんで猫と喋れるんだコイツは。

「……ホント……良かったよ」

 綾人の声のトーンが落ちる。

「家族がいないのは、さみしいもんね……」

 猫をそっと抱きしめた。

「ボクはいっちゃんがいてくれたから良かったけど」

「待て待て、家族じゃねえだろ……」

 つーか、綾人にだって……おじさんとおばさんがいるし……。

「いい人じゃねえか……オマエの家族」

「うん……すごくいい人……」

 綾人が見えない何かを見るように、そっと目を細める。

 たまにこういう顔をするんだよな……。

 綾人が感じる孤独感を、少しでも埋めることができるのなら……。

 この子猫を飼ってもいいか、なんて思っていたけれど……。

「ま、いいか……」

 綾人本人は飼いたいとは言わなかったからな。

 綾人がベッドを占領しているため、俺は直接床に座りベッドに頭を乗せる。

 猫と綾人がじゃれ合う姿をじっと見ていると、やがて睡魔が襲ってきた。



 *一二月二二日 金曜日 就寝前



「首が痛い……」

 すっかり凝り固まってしまった首を撫で、左右に動かす。

 そのたびに筋にしつこい痛みが走る。

 夕食も首が気になり過ぎて全く味を感じなかった。

「あたりまえだよー、あんな格好で寝るから」

 窓枠に両肘をつきながら、綾人は呆れたように目を細める。

 綾人曰く、俺はベッドに寄りかかったまま寝てしまったらしい。

「気付いたんなら、起こせよ!」

「さっきも言ったでしょー! ボクもあのまま眠っちゃってたんだもん。で、起きたらいっちゃんが上向いたまま口開けて寝てるからさ」

「通りで喉もガラガラするわけだ……」

「空気が乾燥してるからねー」

「にゃー」

「ねこさん、そこにいたんだね」

 俺の膝から子猫を見つけ、綾人は嬉しそうに笑う。

「ねこさんも眠そうだし、ボク達もそろそろ寝ようか」

「だな」

 俺はゆっくりと背伸びをする。

 白い息が、冬空にとけていく。

「それじゃあいっちゃん、おやすみ」

「ああ、おやすみ」

 俺は身体を起こし、窓とカーテンを閉めた。

 明日は神田と待ち合わせか。

 仕方ないな……嫌だけど。

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