Ⅰ-Ⅳ 日常



 *一二月二一日 木曜日 自室



「いっちゃん、起きてー」

 ズシリと重いものが乗っかってくる。

「朝ですよーっと」

 またか……。

 本当、コイツも懲りないな……。

「…………」

 吹っ飛ばしてやろうと思ったが、少し考える。

 昨日はちょっと放っておきすぎたからな……。

 今日くらいは優しくしてやるか。

「今日も早いな、綾人……」

 布団を少し捲り、目元だけ出してみる。

 いつの間にかカーテンが開けられている部屋。

 今日はあまり天気が良くないらしい。

 いつもよりも部屋が暗い感じがする。

「……よいしょっと」

 綾人ら掛け声と共に俺は上から床へと移動して座り、そして臀部に手を当てる。

「いたた……」

「捏造してんじゃねえよ!」

 普段通り、勢いよくベッドから起き上がってしまった。

 なんで朝からコイツとコントしなくちゃいけないんだ。

「つーかオマエ、ちゃんと食ってるか?」

 ふと、先ほどの布団の重みを思い出す。

「なんか、軽くね? 大丈夫か?」

 するとそいつは、黙ったまま俯いた。

「ど、どうしたの……? いつもの、いっちゃんじゃないにも程があるんだけど……」

 綾人は幽霊でも見たような顔で顔を上げる。

 少し優しくしたら、酷い言われようだ。

 もう二度と優しくしないと心に決めた。

「ほらほら、早くご飯食べよーよ。冷めちゃうよー!」

「わーったよ、着替えるから先行ってろ」

 シッシッと右手を振り、綾人を追い出した。

 制服に着替えようと、クローゼットの扉に手を伸ばす。

「……心配してくれたんでしょ? ありがと」

 俺の背中に向かってそう言うと、綾人は一階のリビングへと音を立てながら降りていく。

 その小さな声は、聞こえないフリをしておいた。



 *一二月二一日 木曜日 登校



「お」

 学校への道をしばらく歩いていると、ついに雪が降っていた。

 さっきまで少しだけ太陽が出ていたのだが、いつのまにか雲がどんよりとした灰色に変わっている。

 通りで冷え込むと思ったわけだ。

 降り始めたばかりの雪は、道路に落ちてはすぐに消えていく。

 きっとまだ積もることはないだろう。

 ま、この季節の雪なんて珍しいもんじゃないけどな。

「憂鬱だ……」

「急にどうした」

 雪なんか全く気にした様子もなく、綾人が落ち込んでますアピールをしてくる。

 雪が降ってきたら一番に喜びそうなくせに。

「……明日の球技大会」

「オマエ、つい数日前もそんなようなこと言ってたよな」

「だって……いっつも負けるから嫌なんだよぉ……」

 綾人はわざとらしく大きなため息をつく。

「いっそのこと……海にでも行かない?」

 そして、意味の分からない提案。

「何だ突然」

「学校サボって海とか青春じゃん?」

「この真冬にか?」

「真冬の海とかオツじゃないですか。ココだけの話、綾人さん、海行ったことないんですよ」

「それは知ってる」

 確か小学校の頃の遠足で、海に行く機会が一回だけあったのだが、コイツは当日に熱を出して欠席したことを覚えている。

 ここから海のある隣町の駅まで片道二時間はかかるため、家族旅行でもなければわざわざそんな遠いところまで行かないからな。

「アホなこと言ってないで、諦めて球技大会出るぞ」

 二人揃って欠席したら、サボったのバレちゃうしな。

「ああ、そういやどんな競技があるんだ? 俺達も出ないといけないんだよな?」

「……いっちゃんって、本当に連絡とか聞いてない人だよね」

 呆れた綾人がわざとらしく口を尖らす。

「おもしろい顔だな」

「今それ関係ないでしょー! も―! どーせボクはイケメンじゃないですよーだ」

「五樹先輩ーっ!」

「!」

 噂のイケメンの声が俺を呼んだ。

 声が聞こえるのと同時に、綾人は素早く俺の背中に隠れる。

「おはようございます、先輩方」

「お、おはよう……」

「おはようございます、綾人先輩」

 挨拶は返すものの、綾人は頑なに目を合わせないように小さくなる。

 しかし悠希は気にせず、極上の営業スマイルを向けてくれる。

 こんな天気だというのに、金色の髪が眩しい。

「五樹先輩、昨日はありがとうございました」

「ああ」

「それより、田端さんのことちゃんと送ったんだろうな?」

「もちろん。ちゃんとエスコートしましたよ」

 くそー……。

 キザなセリフでもサマになりやがる……。

「オマエ、本当に完璧超人だよな」

 イヤミも含めて睨んでみる。

「そうですか? ボク、先輩が思っているより素行不良ですよ? 結構授業サボってますし」

 きょとんとした顔で返される。

「うわ、女か……女と一緒にいるのか。授業サボってイチャついてるわけだな。これだからイケメンは」

「まさか。僕のことなんだと思ってるんですか。一人で昼寝してるだけですよ。体育館のギャラリーとかで」

 ヘラヘラと笑った顔は、嘘なのか本当なのか分からないものだった。

「眠いし……今日も、午後から行こうかな」

 そう言って悠希は目を細める。

「寝不足なのか?」

「まあ……いろいろありまして。あ、それじゃあ僕は先に行きますね。今日、朝練があるんです」

 どうやら特に用事があったわけではなく、俺達の姿を見かけたから話しかけてくれただけらしい。

「サッカー部の助っ人か?」

「いえ。明日の球技大会のためのです。担任が体育教師なんで、気合入ってて。一限目が体育だから、朝からぶっ通しで体育です」

「なるほどな」

「朝、苦手なんですけどこればっかりは仕方ないですよね。普段仕事で迷惑かけてる分、クラスメイトに還元しないと。まあこんな時間なんで間に合えばいいなーくらいの気持ちなんですけど。ということで……それでは先輩方、また学校で」

 悠希はくるりと体の向きを変え、風を引き連れて爽やかに去って行った。

「ミネラルウォーターのCM似合いそう」

「……言いたいことは何となく分かる」

 綾人の頭を軽く叩く。

「けど、オマエが警戒する意味は分からん」

「…………」

 綾人は押し黙り、俺の右腕の袖をギュッと掴む。

「……呆れた?」

「いや、もう慣れた。」

「……そか」



 *一二月二一日 木曜日 教室



 俺達が教室につく頃には、チャイムが鳴る五分前の時刻になっていた。

「あぶねえ、遅刻ギリギリ。また委員長に怒られるとこだったぜ」

 クラスメイト達はほとんど自分の席に座り、近くの友人同士で会話を楽しんでいる。

 噂の転校生も一人、どこか上の空といった感じで座っていた。

 目を瞑っていたら、それこそマネキンのようだ。

「でも煉君いないよ?」

「へ?」

 確かに教室中見渡しても、俺達を見つけると話しかけてくれる委員長の姿がない。

「まさか、委員長が遅刻か?」

「ええー、それはないと思うけど」

「だよな」

 即答する。

 あの委員長が遅れてくるなんて、それこそ何か事件に巻き込まれたとかの一大事だ。

 寝坊なんて、天変地異が起こってもしなそうだ。

「危なかった……」

 教室の入り口で立ち止まっていると、すぐに委員長が入ってきた。

「おお、びっくりした」

「大崎に、月島……おはよう」

 全速力で走ってきたのか、だいぶ息が乱れている。

「めずらしいな、委員長が遅刻ギリギリなんて」

「朝練の後、少し球技大会の練習していたんだ。久しぶりに走りまわってしまった。普段とは違うスポーツをするのは楽しいな」

 委員長は息を整えながら、満足気に笑った。

 朝練で疲れている上に、球技大会の練習って……運動部の体力は無限か?

「……ん?」

 乱れた髪を縛り直そうとする委員長の右袖口から、包帯らしきものが見えた。

 その包帯は、手首を含めた前腕部分を丸々覆っている。

「ケガでもしたのか?」

「え? あ、ああ……ちょっとな。だが、生活に支障はない。明日の球技大会もバッチリだ」

 そう言って委員長は、頼もしく笑う。

 みんな、どんだけ球技大会に命かけてるんだよ……。

「さ。ホームルームの時間だぞ」

「それじゃあ俺達は席に戻るよ」

「ああ」

「またね」

 珍しく綾人は小さく手を振った。

 今朝のこともあり、少し反省しているのかもしれないな。

 俺は綾人を連れ、席に着いた。



*一二月二一日 木曜日 午前授業中



「ねえねえ、いっちゃん」

「……授業中」

「そんな固いこと言いなさんなって~」

「…………」

 コイツは、昨日のこと全然懲りてないようだな。

「雪が降ると思い出すよねえ……」

「何を」

「いっちゃんと会った、あの森の教会のこと」

「オマエが家出事件起こした時のヤツな」

「それは言わないでよぉ……」

 綾人が嫌そうに眉を顰める。

「オマエ、あそこは危険だから絶対行くなよ」

「分かってるってー」

 街外れの森の中にある教会は、新しい教会が完成した後も放置されたままになっていた。

 なんでも、崩そうとすると祟りがあるとかないとか……。

 それなのに、綾人のお気に入りの場所なんだよなぁ。

 たまに一人で、遊びに行ってるみたいだし……。

「あの時は色々あって帰るのが遅くなって……二人ともすっごく怒られたよね」

「ああ……」

 なんとなく、思い出してきたような……。

「だけどそのとき、いっちゃんのお父さんが庇ってくれ……あ、ごめん……」

 父親の話を出してしまったことを後悔したのか、綾人は悲しそうな顔で俯く。

「別に気にしなくていいっての」

「……うん」

 コイツのこういう表情は苦手だ。

 普段がバカみたいに明るい分、落ち込んだ時の顔を見ると、こっちまで気分が下がる。



 *一二月二一日 木曜日 昼



 ――――が。

「いっただきまーす!」

 数時間後には見事に機嫌が戻っているわけだが。

「……はあ」

「ん? なあに?」

「いや、なんでもない……」

「えー? 変ないっちゃん」

 脳天気な幼馴染は、大きな口を開けて卵焼きを頬張った。



 *一二月二一日 木曜日 午後授業中



「今日の体育は明日の球技大会の練習……という名の自習だってさ」

 一人でラジオ体操もどきをしながら、綾人がさっき連絡されたことを俺に伝える。

 体育ということで、運動オンチなりに頑張って身体を動かしているのだろう。

 意味があるのかは分からないが。

「知ってる。さっき委員長が言ってただろ。ちゃんと聞いてた」

「おー、珍しい」

 バカにしてんのか。

 いやでも、先生からの連絡も、わりと聞いていないしな……。

 綾人に再度聞くことが多々あることを思い出す。

 ここは反論しないでおいてやろう。

「あっちで試合やりたい人集めてるみたいだけど、いっちゃんどうする? 混ぜてもらう?」

 もちろんボクは行かないけど、と付け足す。

「んー」

 綾人が指差す体育館の中央では、委員長を中心に人が集まっていた。

 持っているボールからして、バスケだろう。

 集合しているのは体力が有り余って仕方がないような、いかにも体育会系ばかりだ。

 気合を入れてチーム分けをしている姿は、試合が始まる前から暑苦しい。

 その反対側のコートでも人だかりができていた。

 こっちはバレーボールだ。

 体育館全体を、半分はバスケ、半分はバレーで使用するらしい。

「俺は明日のために、体力を温存しとく。そのための自習だろ」

「違うと思うけど……」

「オマエ、興味あるなら行ってくりゃいいじゃねえか」

「い・や!」

「そうかよ」

 思ったとおりの綾人の返事を聞き流しながら、俺は壁に寄りかかるように座る。

 ここからだと、試合がよく見える。

 せっかく休める時間なんだ、大人しく試合観戦でもしていよう。

「ん……?」

 すぐ横で人の影が動いた気がした。

「!」

 いつの間にやってきたのか、俺の寄りかかる壁づたい、三メートルほど先にやたらと長身の生徒が立っていた。

 壁にもたれながら、腕を組み、気だるそうに試合を見ている。

「…………」

 見慣れない横顔。

 いや……確か、同じクラスのヤツだ。

 サボり魔で、悪い噂が耐えない……いわゆる、不良に分類される人物。。

「神田……」

 ……だったっけか。

 目にかかりそうなくらい伸びた前髪を鬱陶しそうにかきあげると、その下から鋭い眼光が露わになる。

 不良のイメージにぴったりの、目つきの悪さだ。

「!」

 なんて、ずっとそいつのことを見ていたら目が合ってしまった。

 身の危険を感じて慌てて目をそらす。

 こええ……何見てんだとか言って、因縁つけて来ないよな……?

 身体がデカいことも相まって、間近で見ると威圧感がすごい。

 つーか、いつも教室にいないくせに何しに来たんだよ。

 今、一応体育だぞ。

「サボるとしても、運動着に着替えるべきだよな」

「そういう問題?」

 綾人の呆れた声が返ってきた。

「珍しいね、神田くんが授業に顔出すなんて」

 俺の横で座りながらこそっと小声で耳打ちしてくる。

 確か、ヤツの名前は神田かんだ鷲介しゅうすけ

 夜の街を徘徊してるだの、隣の学校とトラブルになっただの、警察の世話になってるだの……あまり、いい噂を聞かない。

 確かに箔が付いてるというか、何となく逆らえないというか……。

 変な力があるんだよな。

 話したことはないが、ぜってー仲良くなれない人種だ、間違いない。

「…………」

 神田はこちらのことなどまるで気にした様子もなく、眉間に皺を寄せながら試合を睨んでいる。

 一体、何を見てるんだ?

 神田の視線を追ってみる。

 試合の、何を……。

「…………」

 もしかして……。

「よし! そのままシュートだっ!」

 その視線の先には、クラスメイトとバスケを楽しむ委員長の姿があった。

 え、なんでだ……?

 疑問が頭をよぎったとき、試合終了のブザーが鳴る。

「あ……」

 それと同時に、委員長がこっちに向かって走ってきた。

「委員長、おつかれ」

「ああ。久しぶりのバスケットだったが、楽しかった」

 タオルで汗を拭きながら、委員長は乱れた息を整える。

「ところで、大崎。今ここに、しゅ……いや、神田がいなかったか?」

 そう言って辺りを隅々まで見回す委員長。

 あ、ああ……そっか、そりゃあ注意したいよな。

 なんてったって委員長だもんな。

「ああ、そこにいるぜ。って、あれ?」

 俺のすぐ横に立っていた人影が綺麗さっぱりなくなっていた。

 忍者みたいなヤツだな……。

「つーか、久しぶりに見たな、アイツ」

「……いつも、屋上でサボっているからな。まったく、困ったヤツだ」

 委員長は大きくため息をつく。

 その姿はまるで、できの悪い息子を心配する母親のようだった。

 委員長は神田とよく話すのだろうか。

 委員長と不良――仲良く話す姿がまるで想像できない。

「……それにしても、渋谷は強いな」

「へ?」

 意外な名前が出てきて、思わず聞き返す。

「なんだ、試合を見ていたんじゃなかったのか? 渋谷達のチームと戦っていたんだが」

「マジで?」

 神田に気を取られて、全然気づかなかった……。

「渋谷くん……強いの?」

 綾人が珍しく委員長に問いかけた。

「ああ、一人で何得点もあげていた。それなのに、バスケット経験者でないというのだから驚きだ」

「そうなんだ……」

「全く、恐れ入る。これも職員室で聞いたのだが、編入の試験も満点合格だったらしい」

「マジかよ……」

 そんなに偏差値の高い高校じゃないが、満点ってすごいな。

「まさにスーパー転校生か……となると、ますます渋谷が転校してきた理由が分からないな」

「ああ……皆目見当がつかない」

「もしかして、金持ちの道楽――――」

「いっちゃん、後ろっ!」

「え……?」

 綾人の叫び声にふり返った瞬間……。

 顔に感じる重い衝撃。

 あ……これ、ヤバいヤツかも。



 *一二月二一日 木曜日 放課後



「いてて……」

「もー……いっちゃん、大丈夫?」

 氷嚢を俺に渡しながら、怒ったような、泣きそうな……変な顔をしながら綾人が覗き込んでくる。

 保健室は消毒液の臭いが満ちていて、ここにいるだけでも具合が悪くなりそうだ。

 保健の先生はいない。

 鍵が開いていたので、勝手に使わせてもらっている。

 ついでに体育の授業が終わるまで、ここでサボ――――休ませてもらうことにしたのだ。

「まさか、バレーボールが飛んでくるとは……」

 一瞬だけ意識が飛んだ気がするが、すぐに痛みによって現実に引き戻された。

「ボクもビックリだよぉ……」

「まだ頭がズキズキする」

「そりゃあそうだよ。バーンっていって、そのあとドーンだもん!」

「……そりゃあすげえな」

「でしょ!?」

 ボールに当たって爆発でもしたのか?

 ……もうツッコむのも面倒だ。

「あまりに見事な倒れ方だったからほんとにびっくりしたよぉ……煉くんも、顔真っ青にしてたし……」

「あー……悪かった」

「うん……」

 目の周りを真っ赤にして、綾人が俯く。

 大げさだとは思うが、心配してくれてたんだな……。

「ま、おかげで授業がサボれたんだ、ありがたく思え」

「そう言う問題じゃないー……」

「ほら、もう帰ろうぜ? 下校時刻はとっくにまわってるんだ」

「……うん」

「それじゃあ、カバン取りに行ってくるー」

 そう言って綾人は立ちあがる。

「ああ、頼んだ」

 綾人は雑多に置かれた救急箱を棚に戻すと、保健室の入口の扉に手をかける。

「ごめんね……守ってあげられなくて……」

「は……?」

 そして扉が静かに閉められる。

 何言ってんだアイツ……。

 そもそも綾人の反射神経じゃ、防ぎようがないだろ。

「…………」

 たまに綾人は、ああいう悲しそうな目をするんだよな。

 ……少しは、何かしてやった方がいいのだろうか。

「でもなあ……」

 一体どうしたら……。

 俺だけじゃなくて、もっといろんな人に甘えることができたなら……。

 そうなると、やっぱりアイツに足りないものって、俺以外の人間と話す経験だよなぁ。

 人付き合いって慣れだと思うわけで……。

 だから多少無理をしてでも、人と話す経験を積まないとダメだよなぁ……。

 そんなことを考えていると、再び扉が開く。

「早かったな、綾――――」

「あれ。こんにちは、五樹先輩」

 穏やかな風と共に、ドアの隙間からひょっこりと現れたのは悠希だった。

「今日はよく会いますね。って、どうしたんですか? 頭なんか冷やして……」

「いやー、体育の時……ちょっとな」

「え、先輩もですか? 僕も今、部活の助っ人してたら膝すりむいちゃって」

「おいおい、モデルがケガしていいのか?」

「プロとしての自覚が足りないって怒られちゃいますかね。でもま、おかげでこれで帰れます」

 悠希はそう言って笑い、ジャージのズボンの裾を捲り上げた。

 膝下なっが……。

「ちょくちょく助っ人に行ってるんだな」

「んー……今日は出る気無かったんですけどねー。午後の授業サボってたのバレた口止め料です」

「オマエ、本当にサボってんだな」

「すみません。気が乗らないと集中できないタイプなんで」

 慣れた手つきで保健室のスチール棚に手を伸ばし、引き出しから消毒液と絆創膏を取り出す。

 テキパキと処置を済ませ、パンパンと手を叩いた。

「……これでよしっと。保健の先生いないですけど……まあ、いいですよね」

「うまいもんだな、手当て」

「そうですか? まあ、手先は割と器用な方なんで。あとはひたすら、実践あるのみですね」

 実践て。

「いっちゃん、カバン軽いー……」

 二人分のカバンを抱えながら、綾人が戻ってきた。

「……あ」

「あ」

 コイツの存在をすっかり忘れてた。

「えっと……あの……」

 綾人は悠希の姿を見るなり、すぐに表情が変わった。

 まるで小動物のように、身体を隠そうとする。

 悠希は、少しだけ悲しそうな笑みで綾人を見る。

「それじゃあ、僕はこれで――――」

「いや……」

 その時、俺は……。

 とっさに、悠希の肩を掴んでいた。

「……先輩?」

「悠希……これから、何か用事あるか?」

「え? いや、今日も特に用事……ないですけど」

「それじゃあ決まりだ。今日は俺の用事に付き合え」

「え……ぼ、僕は構いませんけど……」

 悠希は俺と綾人、両方の様子をうかがう。

 やっぱりコイツは、頭の回転が速いな。

「綾人はどうする? 一緒に来るか?」

「ボ、ボクは……」

 声をかけられたことに驚いた綾人は少し震える声で答えた。

「いい……一人で、帰る」

 綾人は、胸に抱えた自分のカバンをギュッと握る。

「いっちゃんのカバンと制服……ここに置いておくね」

 そして、少しだけ……寂しそうに笑った。



 *



「良かったんですか? 綾人先輩、一人で帰しちゃって……」

「あー……ああ」

 自分でしたくせに、歯切れの悪い返事をしてしまう。

 あのあと俺達は、商店街を抜けた先にある駅前のマスドにて飲み物を飲んでいた。

 そういや、昨日も来てたな……。

 店内は様々な制服を着た学生でごった返していた。

 この辺りには高校が四つあるのだが、最寄駅が全部同じだった。

 そのため駅に一番近いこのファストフード店に、自然と集まってしまうのだ。

「……後悔するなら、イジワルしなければいいのに」

 クスリ、と笑われる。

 やっぱり、悠希には見抜かれていたか……。

 確かに……もっと、他にやり方があったよな。

「たまには突き放すことも必要かもしれない……と、思っただけだ」

「なるほど。先輩にしては、荒療治ですね」

「……やっぱ、そう思うか?」

「そりゃあ、思いますよ」

「でも、オマエだって感じ悪いだろ? あんな風に怯えられたら」

「うーん……どうでしょう。僕は、逆に可愛いと思いますけどね。分かりやすくて」

「……どこが」

 コイツ、本当に心が広いんだな……。

 普通、怯えられたりしたらイラッとするだろう。

 昔から、それが綾人の変えることのできない欠点なのだ。

「あー、すみません……そういう変な意味じゃなくてですね……」

 一呼吸置いて。

「だって……綾人先輩は、人見知りというよりは――――」



 *一二月二一日 木曜日 就寝前



「むー」

「だから、悪かったって……」

 不機嫌な顔のまま、窓の淵で頬杖をついている。

 白い鼻息がまるで機関車のようだ。

「ほら、オマエ、俺以外と話そうとしないじゃん? だからそれを治してやろうと思ってさ。ちょっとした親心というか……」

「いっちゃん……ボクの親じゃないよ」

「んなこと分かってる……」

 ツッコむべきとこはそこじゃないだろ。

 ムスッとした顔をしている幼馴染を見ながら、悠希の言葉を思い出す。

『だって……綾人先輩は、人見知りというよりは――――五樹先輩が他の人に取られちゃうのを、怖がってるように見えますもん』

「…………」

 うーん……。

 やっぱり、そうなのかぁ……。

 友達というよりは、兄弟みたいに育ってきたもんなぁ……。

 お互いいるのが当たり前っていうか……。

 でも、いつか困る時が来るんじゃないか?

 いつか……。

「ふああ……」

 俺の心配を他所に、目の前の幼馴染は大あくびをする。

「もう、寝るか?」

「そだね……なんだか今日は疲れちゃったよ」

 まるで猫のように両手で目をこする。

「あ……綾人」

「ん? 何?」

「えっと……その……今日は……俺も、やり過ぎたっつーか……」

 可哀想なこと、したよな……。

 本当、悪かった……ごめんな、綾人……。

 …………。

 うおお! 心ではいろいろ言えるのに!

 くそ……でも、プライドが邪魔してまっすぐ綾人が見れねえ……。

「……ふふふ」

「な、なんだよ……気持ち悪い」

「やっぱり、いっちゃんはツンデレだねっ」

「はぁ!?」

「そ、そんなわけないだろ……! 調子に乗るな!」

「あははっ」

「じゃあねっ! おやすみーっ」

 シャーっと蜜柑色のカーテンが閉められる。

 突然静かになった室内は、やけに自分の心臓の音が大きく聞こえる気がした。

「ちくしょう……」

 なんだってんだよ……。

 すぐに表情コロコロ変えやがって……。

 まるで……俺が振り回されてるみたいで、納得いかない。

「……はあ」

 寝よう。

 俺は顔の火照りを誤魔化すように、ベッドに潜り込み毛布を頭からかぶった。

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