僕のカラダが剥がれるとき

霧_悠介

僕のカラダが剥がれるとき

 僕の体には、小さな棘がある。

 それは幼い頃、ある日突然飛び出して、僕の体を覆っていった。

 始めは、なんてことのないできものだと思った。母親に怒られたある日、膝に頭を埋めて泣いていると、額にチクリ、とした痛みがあった。見ると、腕に小さな棘がいつの間にか出来ていたのだ。

 それからというもの、僕の体にはトゲがだんだん増えてくる。親に怒られた時、クラスメイトにいじめられた時、小学校の先生に見放された時。そんな時には、トゲが増えて、鬱になった。

 ある時、病院に行った。「原因不明の奇病」とのことだった。医師は研究用のモルモットを見るような目で僕を見た。「経過観察しましょう」と医師は言った。家に帰ると、肩にもトゲが生え始めたのに気づいて、それ以来病院には通っていない。

 中学校に入る頃には、誰も僕のことを気に掛けるものがいなくなった。僕のトゲたちは肥大化し、まるで分厚い鱗のように僕の全身を覆っていた。全部、急に生えてきたトゲや、鱗のせいだった。トゲが生え始めた頃、良く、同級生に茶化された。それに対して、暴力で返すことがよくあったから、トゲが鱗に変わる頃には、僕の相手をするものは誰もいなくなった。僕が心を塞ぎ始めたのは、その頃だった。

 僕は、高校に進学することにした。わざわざ知ってる人のいない地域に引っ越したのは、今までの自分を変えることができるかもしれない、と思ったからだ。

 高校の入学式の日。集まりだした同級生や先輩たちは僕を遠巻きに見て、ヒソヒソとなにかを噂している。すでにそれには慣れっこだった。式の間も、視線が途切れることはなかった。

 入学式が終わり、教室に戻る。ホームルームが終わると、僕に話しかけてくる者がいた。

 隣の席のアラタだった。

 アラタは、物珍しげに僕の体をジロジロ見ると、僕にこんなことを尋ねた。

「なあなあ、それって、ホンモノの鱗なん?」

 僕は鱗の間から睨みを効かせて、こう言った。

「本物だったら、どうするんだよ?」また見世物扱いされるのはゴメンだ、という気持ちで、ぶっきらぼうに返事をした。「僕に関わるな」

「なんでだよ! 友達になろうぜ!」

 アラタは屈託のない笑顔でそんなことを言う。

 僕は戸惑う。トゲが生えてこの方、友達なんて出来たことなんてなかったからだ。しかも、向こうの方から友達になろうと言う。初めての経験だった。

「いやだ。僕はお前と友達になんかなりたくない」

 僕は席を立つと、教室を出て行く。

 背後で、「あんな奴に話しかけんなよ」という声が聞こえた。


 次の日、登校中に、話しかけてくる者がいた。

 やはり、アラタだった。

「よーす。お前、この辺なんだな。どこ? 家。実は近所だったりして!」

 アラタは濁りのない顔でこちらに話してくる。

「間抜けな顔だな」僕はうんざりしていた。「昨日、話しかけるなって言われてなかったか?」

 アラタは失礼な、と前置きして、

「なんだよ、聞こえてたのか……。まあ、安心しろよ? 俺はあんまり人の話を聞かない男だからな」

 自信満々にそういうアラタを見て、僕は。

「なんでお前みたいなのがのうのうと生きてるんだろうな……」

 悪態をついた。

「そんなこと言って〜? 俺と登校できるの嬉しいんだろ?」

「そんなわけ……」

 アラタは不思議そうな顔をする。

「だって、お前、笑ってるじゃん」

 不覚だった。顔が熱くなるのを感じる。鱗で隠れて、顔の赤みなんてものは見えないけれど、アラタは僕が笑ってるのを見抜く男だ。万が一こいつにバレたら、死ねる。

 僕は慌ててそっぽを向く。

「今度は照れてやがる!」アラタははやし立ててきた。

「苦手だ……こいつ」僕はさらに毒を吐く。「僕のことなんか、わかるわけないだろ」

「わかるさ」

「知るか」

 再び顔を背ける僕に対して、アラタは笑った。

「いいんじゃねえの、そういう感じでも」


 不思議な奴だった。僕とアラタはそれ以来、登校と下校を共にするようになった。

 あるときはどこかで食事をして帰り、あるときは図書館で一緒に勉強する。

 決して友人なんかじゃない、単純に登下校を共にする間柄だ。

 アラタはスポーツ万能で、明るく周囲のクラスメイトとも親密な関係を築けるタイプの人間だった。ある日の放課後なんかは、女子に告白されている様子すら見かけた。

 そんなアラタが、なぜ僕なんかに付きまとうのかは、まるで理解ができなかった。クラスのアラタの友人は、アラタが僕に絡みに行くと、そそくさと離れてしまう。当然だ。僕はさらにアラタが不思議になっていた。


 ある日の夕暮れ、僕とアラタはいつものように言葉を交わしながら下校していた。

「アラタ、結局あの子と付き合ったんだろ?」

 僕はこの頃気になっていたことをアラタに聞いてみた。もし付き合うことになっていたなら、僕になんか構わないでいいのに……。そんな気持ちもあった。

「いんや、お互い友達で居ましょうって。そんだけ」

 意外な返答に僕は深いため息をつく。

「そんだけって、お前……。なんでさ」

「別に付き合いたいとかいう欲求ないもん」

 ずいぶんあっさりした返答だった。確かに、アラタらしいと言えばアラタらしい……。

「それに」アラタは笑って言った。「お前とかと一緒に遊んでるほうが楽しいしなー!」

「はいはい」

 僕はそっけない返事をしながらも、実はちょっと嬉しかった。

「お前はないの? 誰かに告白されたり」

「ばっ……!」僕はアラタのデリカシーのなさに辟易した。そういえば、こういう奴だった……。

「あるわけねえだろ! こんな体で!」

「そうかー? ワンチャンあるんじゃね?」

 アラタはなおもあっけらかんとしている。

「もういいよ、この話……」

 僕はうんざりだった。自分がこんな体になって、彼女どころか、友達の一人もできていない。そんな現実をアラタは何の認識もしてなかった。すこし、仲が良くなった、とそう思えていたのも、僕の一方的な感覚だったのかも知れないな……。

「大体、なんでお前、そんなんなっちゃったの?」

「いいよ、教えてやるよ……」

 僕は鱗が生えていった過程を一切合切話した。最初にトゲができた事、そのうちに生活が上手くいかなくなって、親とも関係が悪くなっていったこと、そしてやがてトゲは全身を覆う鱗になったこと……。

 僕は話し終えると、こいつとはここまでだな、そう思った。僕の過去を知らない土地にわざわざやってきたのに、過去を知る者がいる。それは僕には耐えられなかった。

 アラタは呆然と立っていた。僕は「じゃあな」と声を掛けるでもなくそう言い、アラタを置いてさっさと自宅に帰ろうとした。

 そんな僕に、アラタはこんな言葉をかけた。

「……結局、それって、お前自身が感じてるトゲとか、鱗なんじゃねえの」

 アラタはそんなことを言った。意味することが上手く伝わらない。

 僕は振り返る。

「よくわかんねえけどよ、お前自身が作り出してる鱗なんだから、そんなもの、切り離しちまえばいいんだよ」

「簡単に言ってくれるな……」

 アラタはやはり間抜けな顔をしていたが、その言葉にはなぜか説得力があった。

 

 僕はベッドの上で、今日の会話を反芻していた。

「結局、それって、お前自身が感じてるトゲとか、鱗なんじゃねえの」、とのアラタの言葉が、妙に印象に残っていた。

 明るいアラタ。

 誰にでも好かれるアラタ。

 アラタの様になれれば……。

 いや、なりたい。

 なりたいよ。

 僕は涙を流す。

 明日、クラスの人に自分から声をかけてみよう。怯えさせるかもしれないけれど、やりたいんだ。僕がそうしたい。高校生にもなって、そんなことを決意するのは、いささか気恥ずかしい事の様に思えた。だけれど、僕にとってはそれがとても大事な事の様に思えた。

 もし、上手くいかなかったら、クラスに馴染みたいんだって、アラタに言ってみよう。アイツを頼るのはすこしシャクだけど。そんなことを思いながら、アラタの顔を思い出す。

 僕は少し笑って、深い眠りに落ちた。


 カーテンの隙間から漏れる日差しで目が覚める。

 寝ぼけながら、のっそりと布団から這い出る。やけにベッドの周りが散らかっていた。

 ぼんやりした頭で、顔を洗うために洗面台へ。

 そして、タオルを手繰り寄せ、鏡を見る。

 そこに写っていたのは、露出した髪の毛、つるりとした頬、瞼。鼻梁に唇。

 鱗が、無かった。

「なんだ、そんなことだったのか」

 僕は独り言を言う。顔を洗い、歯を磨く。

 散らかっている自室に戻ると、さっさと着替えを済ませる。服はオーバーサイズになっていた。

 周囲に落ちている抜け落ちた鱗を蹴散らす。僕のかつての鎧。人に対する防御壁。いつもの自室のはずなのに、彩り鮮やかに見えた。

 僕はアラタとの待ち合わせ場所に向かう。

 僕は、笑った。

 鱗が剥がれたぶん、足取りは軽かった。


   END

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