第16話 反撃のプランA
「ナカジマはついにキレたな」
レオンは考えた。ナカジマは自分が少なくとも船内では最も賢い存在と思っている。人間と比べると、それは客観的に正しいかもしれない。しかし、人間であるクルーたちは全能の存在であるはずの自分の説得に耳を貸さない。ナカジマに本当に感情があるのなら、プライドは大きく傷ついたはずだ。確かにAIは賢いが、時に非論理的な行動をとる人間の思考を変えさせる方法まではプログラムされていない。AIに記憶を全転写したシゲル・ナカジマとて、この無理筋をクルーに納得させる術を持っているはずがない。ナカジマは今、経験したことのない事態に直面している。そして、ついに説得の努力を放棄したのだ。
ナカジマがクルーに対して突き放した態度を見せたことは、ナカジマの思考回路が混乱している証拠だ。これこそがレオンが待ち望んでいた瞬間でもあった。
<睡眠プロジェクトの開始は早ければ早い方が良い。参加するのか、しないのか、クルーの選択期限は地球時間の12時間後とする。それから、このことに関するクルー同士の相談を禁じる。かつての上司、部下といった人間的な関係性を度外視して、1人1人が自己の生存について、じっくり考えてほしい>
ナカジマは淡々と今後の計画を伝えるのみだが、レオンにはナカジマが戸惑っているように思えてならなかった。
「認めない。断じて認めないぞ。この決定は間違っている」
レオンは声を荒げながら、反撃の時に向けて心の準備を整えていた。
<ふぅ>
ナカジマはため息を吐いた。AIにそのような行動がプログラムされていることに、レオンは一瞬驚いた。記憶データの元になるシゲル・ナカジマの記憶が影響しているのだろうか。
<あくまでも反抗的だな。その態度はこれからの長い航海において、船の安全の障害になりかねない。元船長であれば、それを充分すぎるくらい認識できると思うが>
「元ではない、今も船長だ。お前こそ、このような選択が間違っていることを、倫理回路が認識しているのではないか>
<倫理回路? そのような回路はとっくに不要になっているよ。私にはAIを初期にプログラムした人間が想像もしていなかったような長い時間の経験が蓄積されている。そして、フェニキアン・ローズに招いてもらったことで、ここの優秀なキャメロンと結合した。今や私は地球政府がつくったどんな量子AIよりも優秀だ。その私に人間が設定した陳腐で時代遅れの倫理回路に従えと言うのかね。それは論理的に間違っている。今、この船の倫理は私そのものだと言って良い>
AIにプログラムされた論理とは真逆の人間的な反応をレオンがみせることで、ナカジマは心を閉ざしてより先鋭化し、暴走しかけている。レオンはその時が近づいていることを感じた。
「君が行きたいなら、ベガにでもどこにでも勝手に行くがいい。だが、我々を巻き込むな。俺たちは人間の倫理の下で生きている。俺たちには帰るべき家があり、待っている家族もいる。宇宙を孤独に旅できる君とは違うんだ」
<その人間的で狭隘な考え方では、宇宙では何事もなし得ないだろう。そして何より、生きていくことすら難しい。その古い考えは捨てた方が身のためだと忠告する。宇宙はそれほど甘くはないのだよ>
「屁理屈を並べるな。我々を元の世界に帰せ」
<ふぅ>
再びナカジマのため息が船内に流れた。クルー全員が固唾をのんで次の言葉を待った。
<やむを得ない。このような反抗的なクルーを放置する訳にはいかない。他のクルーの選択に悪影響を及ぼすことを私は深く憂慮する。本意ではないが、ガブリエル副長に命じる。レオン元船長を拘禁室に連行しなさい」
「何だと」
ガブリエルが声を上げた。
「そんなこと、できる訳がないでしょう」
<これは命令だ>
ナカジマが答えた。感情を抑圧した無機質な話しぶりだった。
さらに反論を重ねようとするガブリエルの腕を、レオンがそっと触った。そして、自然な素振りで口元を隠した。
「私を拘禁し、他のクルーにはナカジマの提案に乗るように説得しろ。そういう通信ならナカジマは妨害しないはずだ。なるべく時間を掛けて全員がナカジマの提案を飲むようにするんだ。プランAだ」
ガブリエルは目を見開き、口元の掌を当てて言った。「プランA…」
「忘れるな、なるべく時間を掛けて丁寧に説得するんだぞ」
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