第12話 反転
「船長」
マテオの冷凍睡眠導入が終わってすぐに、ドクターがレオンを呼び出した。
「できるだけ早く宇宙基地に戻らなければなりません。海王星のステーションは今太陽系の反対側にあるので、やはりエウロパの基地に戻るのが最適だと思われます。今出発して全速力を出したとしても、到着までには4年11カ月かかります。コールドスリープで時間稼ぎするにしても、ギリギリの時間です」
「分かった」
レオンはそう答えながら、頭の中に大きな難題が引っ掛かっていた。ゴダードをどうするかだ。あの船に燃料はほとんど残っていない。たとえ残っていたとしても、イオンエンジンの微弱な加速力では、第3宇宙速度まで加速するのに何年もかかる。だが、このフェニキアン・ローズなら熱核エンジンを使って爆発的な加速が得られる。スイング・バイのできる適度な星が見つけられたら、1カ月以内に最高速の秒速35キロまで上げられる。マテオの容体を考えると、取るべき行動は明白だが、レオンを迷わせていたのは、先ほどエウロパから届いた通信だった。
<ゴダードの回収を最優先任務とする>
ゴダードがファーストコンタクトを果たしていたことは、すでに報告した。人類初の快挙を成し遂げた船を、AIごと基地に連れて来いというのは当然の命令だ。だが、ゴダードと一緒にのんびりと戻っていたのでは、4年11カ月の倍は必要になる。スペース・ガードに救援を求めたとしても、エウロパ基地までにかかる時間に大差はないだろう。恐らくマテオの体はそれまでもたない。
「ガブリエル、俺はどうしたらいい?」
レオンはガブリエルに意見を求めた。副長の考えをまず知っておく必要がある。ガブリエルは即答した。
「マテオの命が最優先です。エウロパが何を言おうが。ゴダードは連れていけない。だとしたら選択肢は一つでしょう」
「そう答えると思ったよ」
レオンはガブリエルが自分と同じ考えを持っていたことに安堵した。
「当たり前ですよ。でも、ひとつ提案があります」
「提案?」
「このままだとエウロパの指令を無視することになります。後々面倒なことになるかもしれません。そこでなのですが、ナカジマをフェニキアン・ローズにお招きしてはどうかと…。ゴダードのメモリーバンクを隅から隅までコピーしたって、私たちのバックアップサーバーの半分も使わないで済みます」
「それだとナカジマを連れ帰ったことに、半分はなるな。だが、ナカジマが承知するかな」
<私なら依存はない>
通信はすべて傍受されていた。ナカジマはレオンとガブリエルの会話をちゃんと聞いていた。
<マテオの事故は、私のせいでもある。きちんと警告を発しておけば、こうした事態にはならなかった。この事故によってマテオの命が失われることは、私の本意ではない。私なら構わない。君たちのコンピューターに今すぐコピーしてくれ>
レオンはゴダード側のガブリエルとハルに、ナカジマの引っ越し作業を指示した。すでに航海日誌はコピー済みだ。あとは船を制御しているAIのプログラムの本体をそのまま移植すればよい。こちらも膨大なデータ量だったが、1日もかけずに終えることができた。
ゴダードに残っていた3人のクルーもフェニキアン・ローズに帰船した。病原体の正体がたんぱく質に似た物質だったと分かったので、熱で除染することで解決した。シャトル内の室温を宇宙服の耐熱温度ギリギリの180度まで上げ、徹底的に病原物質をやっつけた。3人は精密なスキャンを受け、クリーンであることが証明されたあと、やっと上船許可をもらった。
「180度サウナはきつかったですね。茹で上がってしまうかと思いましたよ」
ヘルメットを脱いだガブリエルは汗だくだった。
「一刻も早く宇宙服を脱ぎたいね」
隣でハルがぼやいた。
フェニキアン・ローズは反転して熱核エンジンを噴射し、エウロパの基地へ針路をとった。ナカジマを移植し終えたゴダードには、自動発信のビーコンを取り着け、その場に残した。何年か後、別の船が回収に来るだろう。しかし、船は最早抜け殻だ。ゴダードの価値ある部分は全てフェニキアン・ローズに移されている。
フェニキアン・ローズは途中、地球の月よりひと回り小さな小惑星をいくつか見つけてスイング・バイをした。マテオのコールドスリープも成功し、病態は安定している。ドクターは「エウロパ到着までは持ちそうだ」と太鼓判を押した。あとはエウロパ基地まで真っ直ぐに向かうだけだ。
「何だか夢をみているみたいだな」
レオンは進路変更の作業が一段落した後、食堂でルシアと向かい合っていた。
「何が?」
ルシアは優しい表情で、レオンの瞳を眺めていた。
「今回の任務だよ。君の言うとおり、単調な航海と代わり映えのしない調査任務には正直うんざりしていた。そこに降って沸いたゴダードとの遭遇だ」
「ファーストコンタクトの手柄はナカジマに譲ってもいいんじゃない? 充分にその興奮は味わわせてもらったわ。彼の航海日誌を読むだけでも、残りの旅は退屈しないでしょうね」
「ああ、そうだな」
2人はほほ笑みあった。刺激がない日々には鬱陶しくさえ感じていた平穏な時間が、妙に懐かしく感じられた。
しかし、その穏やかな時間は長くは続かなかった。
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