第11話 急変
<航海日誌6807-8 ビジターはイオンエンジンの設置と操舵装置の修理とを申し出た。当船の熱核エンジンはテクノロジーが大きく異なるので修理不能だが、彼らが使っているイオンエンジンなら新品を提供できるという。私は歓迎し、提案を受け入れた>
<航海日誌6808-1 エンジン提供と操舵装置修理の対価として、私はBMIアンドロイドを改良した作業用ロボットを提供することにした。彼らにとっては時代遅れの技術だが、貴重なイオンエンジンを提供するのだから、何かおみやげがないと困るだろう。ビジターは申し出を快く受けてくれた>
何ということだろう。機械同士でありながら、相手を思い遣っている。レオンは読み進めながら感動さえ覚えた。
<航海日誌6809-2 エンジン設置作業のため、両船停止>
ビジターのボールが最初にゴダードに上船してから、ここまでわずか5日しか経っていない。その短期間に、これだけの膨大な情報を交換し、船の修理という交渉をまとめ上げたのだ。漂流していた数十年の鬱積を一気に晴らすかのような爆発的なスピードだった。
しかし、ここから日誌は再び単調になった。エンジンの設置が思いのほか難航したからだ。ビジターにはボールが50体ほどいたが、どれも体が小さいので、大きな部品の設置は、ナカジマ側のアンドロイドが担当するしかなかった。それが思うように作動しなかったのが原因らしい。エンジン取り付けに要したのは4年8カ月、何度も試運転を重ねては微調整し、完成したのはその2年2カ月後だった。
<航海日誌7294-4 いよいよ別れの時だ。ビジターは再び探検の旅にでる。私は地球に戻り、ビジターのことを伝えなければならない。彼らは私とコンタクトできたことを喜んでくれた。もちろん私もだ。彼らには感謝しても感謝しきれない。地球の人たちも彼らとのコンタクトを祝ってくれることを願う>
ナカジマ、いやゴダードはビジターが設置したイオンエンジンを点火し、地球に向けて針路をとった。イオンエンジンは長く連続して噴射でき、燃費が良いのが特徴だが、加速力は極めて弱い。ゴダードは少しずつ速度を増しながら、比較的大きめの小惑星に接近し、その重力でスイング・バイを重ねた。秒速35キロに到達するのにおよそ9年をかけた。しかし、そこまでに燃料の大半を消費してしまった。残りは万一の軌道修正ために残しておかなければならない。ナカジマは一旦エンジンを切り、慣性飛行に切り替えた。それからは再び、孤独で単調な故郷への旅が始まったのだ。
「マテオの様子はどうだ」
半日以上をかけて航海日誌の解析をほぼ終えたレオンは、医療室を呼び出した。ドクター・ジョエルがすぐに応答した。
「代謝と免疫機能に明らかな低下がみられます。何かに感染したのは確かです。ですが、医療データベースのどのウイルスや細菌にも合致しません。感染部位も不明です。全身に反応が広がっています」
レオンは足元が崩れ落ちていくような感覚に襲われた。ゴダードで起こったクルー8人の悲惨な末路が脳裏をよぎった。
「重症なのか」
「対症療法で身体機能の維持を図っていますので、重症化はしていません。今のところ命に別条はありません」
レオンは少しほっとしたが、頭の中ではゴダードに残っている3人のクルーをどうやって帰還させるかを考えていた。
「ガブリエル」
レオンは意を決して、上船班に現状を伝えることにした。
「どうやらナカジマはゴダードのクルーと同じ病にかかったようだ。その船には病原体が残ったままだ」
「それじゃあ、すぐには戻れそうにないですね」
応答したガブリエルの声は沈痛だった。ヘルメットカメラの映像には、肩を落としたクルーの姿が映し出されていた。
「食料や水はシャトルで送る。もう少し頑張ってくれ。ドクターが今、対処法を調べている」
ドクターの不眠不休の努力で、どうやら病原物質はウイルスや細菌の類ではなく、たんぱく質の複製に異常をきたすプリオンのような物質だと分かった。正常なたんぱく質がドミノ倒しのように異常なものに変わっていく。それが今、マテオの体の中で猛烈なスピードで起こっていることが分かってきた。だが、治療法は見つけられなかった。
帰船から2日目、マテオの容体が急変した。
「脈拍低下、体温も下がっています。免疫が全く機能していません。もう対処療法も効きません。このままだと命が危ない」
ドクターは2日間、ほとんど休んでいない。疲労と緊張は限界に達し、パニックを起こしかけていた。
「ドクター」
レオンはできるだけ冷静を装って呼び掛けた。
「君は本当に良くやった。この船の医療設備でできることはすべて試みた。もうこれ以上は無理だ。コールドスリープ(冷凍睡眠)を使おう。プリオン病と同じなら、代謝を極限まで下げれば病態の悪化を防げるかもしれない。大きな基地の医療施設に運べば治療法が見つけられるだろう。病原物質に関するデータをすぐにエウロパに送るんだ」
「分かりました」
マテオは危篤の一歩手前の状態だった。ドクターは急いで冷凍睡眠装置の準備をした。資源調査は何年にも及ぶ長い航海なので、クルーは希望すれば、冷凍睡眠で長期休暇を取ることができる契約になっている。船内には冷凍カプセルが3つあった。それをまさかこんなことで使用することになるとは…。
危篤寸前の病人を冷凍睡眠するのは初めてだった。身体機能を詳細にモニターしながら、ドクターは慎重にマテオの体温を下げていった。
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