第9話 航海日誌

 マテオを受け入れている間、ゴダード船内では航海日誌のダウンロード作業が進んでいた。取り出した日誌のデータは即時にフェニキアン・ローズのメインコンピューターに転送された。

<頭の中を探られているようで、あまりいい気分じゃない>

 作業が始まってすぐにナカジマが言った。ハルが互いのコンピューターをリンクさせたので、会話もスムーズに進むようになった。

「気分…。君には気分があるのか」

<当たり前だ。私には感情がある。もっともプログラムされた感情だが>

 ハルはナカジマには内緒で船内のコンピューターの構造を調べていた。ナカジマはダウンロードに気をとられていて、それに気付いていなかった。ハルのざっとした見立てでは、本体は極めて旧式のAI(人工知能)だが、細部を丁寧にチューンアップして能力を目いっぱい上げていた。データの処理速度は量子AIのフェニキアン・ローズとは比べるべくもないが、全体のパフォーマンスとしてみると、今自分たちが使っているマシンと大差ないレベルで動いていることに、ハルは秘かに感嘆していた。

「作業はもうすぐ終わるよ。我々の船は君の130年近く後に建造された。技術は格段に進歩している。君は量子コンピューターではないだろう?」

<量子コンピューターが一般化したのか>

「ああ、一世紀ほど前に。君が航海に出発した直後かもしれない。今は宇宙船のメインコンピューターはすべて量子技術を使っている。地球と月を結ぶシャトルでもね。申し訳ないけど、君のとは計算速度が桁違いだ」

<俺がノロマだというのか>

「気を悪くしないでくれ。君が旅をしていた間に、それだけ技術が進んだということさ。地球に戻ったら、君のプログラムを新しい量子AIに移したらいい。頭がすっきりすると思うぜ」

<それは待ち遠しいな>

 ハルはナカジマとの会話を楽しんでいた。技術部員として日常的にコンピューターと接しているが、こいつはそれとは全然違う。ナカジマのようなマシンがあることは新鮮な驚きであり、同時に漠然とした恐怖も感じた。

<キャメロンとも全然違う>


 フェニキアン・ローズに転送された日誌は、130年以上分の膨大な量なので、1人ですべてを分析することは不可能だった。レオンも含めて本船に残っている手の空いているクルーで分担して読み進めることにした。

 レオンは百年前から50年前までの部分を担当した。

<航海日誌3054-1 速度17キロ毎秒を維持。地球からの距離1042億キロ>

<航海日誌3055-1 速度17キロ毎秒を維持。地球からの距離1042億キロ>

 同じ記述が延々と続いていた。速度と地球との距離のみを記しているだけで、トピックスは何もない。約百年前はまだ地球からどんどん遠ざかっていたようで、絶望的に単調な航海の様子がうかがえる。レオンは同じ記述が延々と続く日誌に半ばうんざりしながら、先を読み急いだ。いずれ反転して太陽系に向かう日が来るはずだ。そのきっかけは何だったのか。

 1年、2年…5年、10年、50年、そして今から78年前に差し掛かったとき、ウオルコットは目を見開いた。

<航海日誌5078-1 速度17キロ毎秒を維持。地球からの距離1082億キロ>

<航海日誌5978-2 方位203に飛翔物体。速度35キロ毎秒。距離200万キロ。何らかの探査機器と思われる。通信波を傍受。意味は不明>

 5078から5978にジャンプしたのは、データを捨てたからだろう。この間はきっと代り映えのしない単調な記述が続くだけだったのだ。

 記述が突如動き出した5978-2には、通信内容も添付されていたが、言語なのか信号なのか、レオンには分からなかった。

<航海日誌5978-3 飛翔体とのコンタクトを試みる。緊急通信用のカンサットを発射。同一周波数帯でメッセージ送信>

<航海日誌5978-4 飛翔体の通信途絶。傍受時間は3分4秒間。私のメッセージは届いたのだろうか>

 日誌は<5978>以後、再び単調な記述が続いた。

 別のクルーが調べている過去の日誌で明らかになるだろうが、この時点でゴダードは操舵が故障した状態でひたすら深宇宙を慣性飛行していたと、レオンは推測した。それはまさに漂流と言ってよい。その原因は船体に深く刻まれた傷跡と無縁ではあるまい。

 深宇宙という暗黒の世界で、約80年にも及ぶ独りぼっちの漂流の末、やっと届いた3分余りの通信。孤独な航海期間はほぼ人間の一生に近い。しかし、希望を託したメッセージに返信はなかったのだ。レオンはその後淡々と続く日誌にナカジマの深い落胆を感じ取った。ナカジマと名乗るAIに感情が本当にあるのだとしたら、1世紀を超えた孤独で単調な航海の絶望の深さは想像に余りある。レオンは素直にナカジマに同情を覚えた。

「船長、ゴダードは96年前、小惑星と接触しています」

 古い日誌を分析していたルシアから連絡が入った。レオンの見立て通りだ。

「推進機関、操舵がともに大破して、第3宇宙速度のまま、太陽と反対の針路に弾き出されてしまったようです」

「そのまま20年近くも慣性飛行を続けたわけだな」

「そうです。通信装置も故障しています。受信だけは何とかできますが、発信用のアンテナが小惑星に破壊されてしまったようです」

「だからカンサットを射出して通信を試みたんだな」

「衝突から2年後には、ナカジマが言ったように、原因不明の感染症が発生して、2カ月以内に8人のクルーのうち、7人が死亡しました」

「生き残ったのは?」

「記録によると、シゲル・ナカジマです」


 その2時間後には、分析に当たっていたアリソンからも報告があった。アリソンはハルの恋人だ。

「シゲル・ナカジマは衝突事故の3年後から、自分の記憶を船のメインコンピューターに移植し始めました。作業には5年9カ月かかっています」

「どうやってやったんだ。単なるプログラミングでは済まないだろう」

「船のレクリエーション装置を改造したようです」

「レクリエーション?」

「ゴダードには、BMI(脳・機械インターフェイス)技術を応用したヴァーチャル・ホログラムがあります。ホログラム映像を投影するのと同時に、匂いや触覚刺激を直接脳神経に伝えるレク装置です。それを改造して医療用スキャナーと接続し、自分の脳神経パターンを船のAIに移植したようです」

「そんなことが可能なのか」

「1世紀前の技術で実現したとしたら驚異です」

「それで、シゲル・クサノはどうなった」

「自殺しました。80年前です」

 レオンはナカジマの決意を悟って慄然とした。彼は有機生命体としての寿命に限界を感じて、機械生命体として生きながらえる道を選択したのだ。

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