第8話 病原体
レオンは面食らった。異星人とのファーストコンタクトだと思っていたら、相手は130年以上も前に遭難した地球の古い船だった。中にクルーはいなかった。その代わりに船のコンピューターが、自分は生命体だと主張したのだ。
「地球の法律では宇宙船を生命体と定義する項目はない」
レオンはジャブを放ってみた。
<それならば、私がその最初の例だ。法律は変えなければならない>
「もちろん、そうするつもりだが、その前に貴船、いや君についていろいろと知らなければならない」
<それは理解する>
「データベースへのアクセスを許可してほしい」
<私の記憶を探るということか>
レオンは考えた。へそを曲げられて、さっきのマテオのようなことが起こっては、上船班が危険にさらされる。罠がどこに仕掛けられているか分からない。
「君が許可する範囲で構わない。できれば航海日誌を読ませてもらいたい。何しろ君が遭難したのは1世紀以上も前のことだ。どのような旅をして、ここに戻って来たのか。地球に報告しなければならない」
<分かった。航海日誌へのアクセスを許可する>
もう一機のシャトルで、ハルが小型コンピューターと通信装置をゴダードに持ってきた。ブリッジでは最初に上船した3人が待っていた。ガブリエルは船長席、マテオはコンピューターコンソールの前、モエは操舵手席に座っていた。全員の表情にはかすかな疲労の色が見えた。極度の緊張が少し緩んだあとの虚脱感の中にあるのだろう。
「ここから先は任せてくれ。マテオは早く船に戻って検査を受けた方がいい」
ガブリエルとハルは早速コンピューターを接続する作業に取り掛かっていた。見守るマテオはヘルメットの中で唇を尖らせた。
「お前も気をつけろよ。どこに罠が仕掛けてあるか分からない」
マテオが声を掛けた。すると、ナカジマが即座に反応した。
<罠? 私がそのようなものをいつ仕掛けた>
マテオは一瞬震えあがった。通信リンクをつないだままだったので、会話はナカジマに筒抜けだったのだ。
「気を悪くしたのなら謝るよ。俺がコンピューターを接続したとき、大電流が流れただろう。そのことを言ったんだ」
コンピューター相手に言い訳をしている自分を滑稽に感じたのか、マテオはヘルメットを2、3回、コンコンと叩いた。
<それは済まなかった。コンピューターは私自身だ。情報の破壊や盗み取りを阻止するために、いくつかの仕掛けをしてある>
「一声掛けずに、いきなりつないだ俺が悪かったんだ。気にするなよ」
マテオは軽い口調で言った。このコンピューターは反応が実に人間っぽい。マテオは何だか妙な気分になった。
<検査と言ったな。どんな検査をするのだ。この船に病原体がいるのか>
「それには私が答えよう」
本船に残っていたドクターのジョエルが会話に割り込んできた。
「外部スキャナーで調べてみたが、登録してある153種に該当する病原体は見つからなかった。だが、船の医療機器だと、この十数倍の病原体を検査することができる。宇宙には未知の菌や病原体があるかもしれない。それがまん延してからでは遅い。免疫反応や身体機能も隅々まで調べ、感染症の有無を判断する」
<それは充分に手を尽くした方がいい。我々の二の舞は避けるべきだ>
「何?」
ドクターだけでなく、通信を聞いていた全員が背筋を凍らせた。特にマテオの顔面が蒼白になったのが、ヘルメットのシールド越しにも分かった。
「ゴダードで何か起こったんだ」
ドクターが恐る恐る聞いた。
<船のデータベースにあった医療知識では理解不能の事態だった。だが、7人の乗員が同じ症状で死んだ。残った1人が私だ。正確に言うと、人間だったころの私だ。詳しいことは航海日誌1088-3から2106-2までに記録してある>
「了解。航海日誌は…と」
ハルはすでにコンピューターの接続を終え、航海日誌のダウンロードを始めていた。
「航海日誌は極度に細分化されているね。メモリーと名の付く場所なら、ありとあらゆるところにデータを保存してある。医療室のスキャナーやトイレの環境制御サーバー、ビット単位で断片化されてる。ダウンロードもそうだけど、データを再構築するにも時間が掛かりそうだよ」
<記憶容量はすぐにいっぱいになった。長い旅の記憶は、その大部分を捨てざるを得なかった>
「捨てた? 驚いたな。コンピューターが自分の意思で忘れたというのか」
ガブリエルがすぐさま反応した。ナカジマの返答は淡々としたものだった。
<そうだ。不要なデータ、保存する価値のないデータは全て消去した。それでも容量は足りなくなった。新しい記憶と古い記憶を比較して、より重要な方を残してきたのだ>
「人間より便利だな」
ガブリエルがつぶやいた。
フェニキアン・ローズ側では大きな問題が起こっていた。ゴダードから帰船するマテオら上船班の扱いだった。ナカジマの説明だと、人間の生命を奪うような病原体がゴダード内で蔓延したのだ。1世紀以上前の出来事とはいえ、宇宙服の気密が破れたマテオが感染した可能性をまずは考慮しなければならない。マテオを医療室で隔離したあとは、残る上船班4人が戻るときにも同じ措置が必要ということになる。今のところ病原体はどんな種類のものか分からない。宇宙服に付着している恐れだってある。だが、医療室には4人を同時に隔離できる設備はない。人だけではなく、シャトルも危険だ。だが、レオンは決断した。
「まずはマテオだ。C3体制で厳重に隔離して医療室に運ぶ。病気の原因の有無を確認するまで、上船班の帰船は認めない」
小一時間後、マテオは一人でシャトルを操縦し帰還した。シャトルベイには、カプセル型のストレッチャーが準備されていた。あらかじめシャトル内の気圧を本船より若干低く設定した上で、宇宙服に身を包んだドクターのジョエルがハッチを開け、恐る恐るシャトルに足を踏み入れた。マテオはあらかじめ打ち合わせた通り、宇宙服を脱いで待機していた。
「棺桶に入れられるような感じだな」
ぶつぶつと文句を言いながら、マテオはストレッチャーに横たわった。ジョエルはカプセルの気密を確認し、シャトルの出口に向かった。そこにも別の船員がいて、本船通路にでる前に、紫外線などを用いた携帯装置で、ドクターのヘルメットからブーツまでを丹念に消毒した。さらに、念には念を入れて、医療室までの通路を閉鎖し、誰とも接触しないようにした。ドクターが通過したあとには、エアロックを開放してこの区間の空気を総入れ替えするのだ。
ゴダードからの帰還作戦の第1弾が終わった。しかし、全員が帰還できるまでに残された作業は少なくない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます