第6話 トラブル

 「フェニキアン・ローズ」のデータベースに、ゴダードの設計図はなかった。だが、エウロパの基地には、詳しい情報があった。すぐに、(といっても、電波が届くまでに1時間ほど必要だったが)、1・7ギカバイトに圧縮されたデータが送られてきた。

「間違いない。あの船はゴダードだよ。葉巻型の本体は設計図と93・9%合致している」

「残る6・1%はイオンエンジンだな」

「その通り」

「地球の船となれば、話は別だ。ゴダードの隅から隅までにフルスキャンをかけろ。特に生命活動の有無について、徹底的に調べる」


 先ほどまで感じていた疑問にはこれで一応合点がいった。第1宇宙速度、地球の言語、船内環境…地球の船なら当たり前のことだ。しかし、同時に先ほどとは比較にならない大きな疑問が次々と湧いてきた。行方不明となってから132年の時を経て地球の船がなぜここにいるのか、乗員はどうなったのか、地球外と思われるテクノロジーを装備しているのはなぜか…。レオンは混乱しながらも、かろうじて船長としての任務を忘れないでいた。

<取りみだして、上船した3人の不安を増幅してはならない>


「ゴダードは地球船籍と判明した。すぐにブリッジに向かい、乗員から詳しい事情を聴取してくれ」

 レオンが冷静を装って命令すると、すぐにガブリエルが返信を寄越した。

「了解しました。待ちくたびれましたよ。それにしても地球の船なのに、乗員の出迎えがないのは…」

「迎えに来られない何かの事情があるのかもしれない。こちらもフルスキャンをかけているが、そちらも充分気をつけて」

「了解、さあ行くぞ」

 ガブリエルの号令で、3人が歩き出した様子が分かった。


 しかし、勇んで踏み込んだブリッジも空だった。中央の一段高い位置にある船長席、その前にある操舵手のコンソール。隣には機関部員が座るべき席もあった。壁際にはレーダーや分析装置が並んでいる。科学部のクルーがここで仕事をするのだろう。全体的に古臭い造りだったが、ブリッジの配置は地球の船と概ね同じパターンだ。だが、どの席にも人の姿はなかった。

「まるで幽霊船ですね」

 ガブリエルがぽつりと漏らした。

「まずは航海日誌を探せ、ガブ。何か事情が分かるかもしれない」

 ガブリエルはカメラに向かって頷いた。「了解です」


 ガブリエルは本能的に科学部のスペースに向かい、コンピューターを操作し始めたが、すぐに声を上げた。

「とても古いコンピューターです。量子技術以前のもので、処理速度が恐ろしく遅い。マテオ、頼むよ。これは君の仕事だ」

 レオンの視線はスクリーンに投影されているガブリエルのカメラ映像にくぎ付けになっていた。メカに詳しいマテオは小さな文字が浮かんでは消えているコンピュータ画面をしきりに操作している。時折、弱音が漏れてくるものの、マテオは短時間でデータベースへのアクセスに成功したようだ。

「かなりのデータがあるね」

 マテオが交信を寄越した。

「記憶容量はフェニキアン・ローズとは比べ物にならないくらい小さいけど、とても手の込んだ圧縮をしているみたい。本来はデータを保存する場所じゃないところにも随分データが隠されている。見た目以上にたくさんの情報量があるかもしれない。いっそのこと丸ごとダウンロードして、うちの船で分析した方が早いんじゃないかと思うね。ここのマシンだと、読み出すだけで時間がたっぷりかかる」

「ダウンロードはすぐにできるのか」

「訳ないよ。750テラバイトのサーバーが48個連結されていて、そのほかに小さな記憶装置にも恐らく百カ所くらいに少しずつ保存されている。でも転送は1時間もあればで終わると思う。ハルに準備するように言ってください」

 レオンが目をやると、ハルは親指を立てていた。

「準備完了のようだぞ。すぐに送ってくれ」

「了解」

 マテオは宇宙服の通信パックから1本のコードを取り出し、ゴダードのコンピューターに接続した。

「うーん。旧式のコンピューターはよく分からないな…。たぶんこれでいいだろう」

 マテオがコンピューターを何か操作した途端、つないでいだコードが火を噴いた。スクリーンが真っ白に輝いた。

「うわっ!」

 ゴダードのブリッジ内に白煙が立ち込め、上船班全員のカメラの映像が乱れた。誰かがのけぞって、尻もちをついたようだ。その様子は白煙の中に垣間見える他のクルーの映像から何とか確認できた。

「どうした」

 ガブリエルがマテオに駆け寄った。

「気密は破れていないか」

「宇宙服が…」

 マテオが指差したのは、宇宙服の腹の辺りだった。通信パックの周辺の被覆が破れ、インナーが見えている。ガブリエルは手に持っていた救急キット箱の中から、ガムテープのようなものを取り出し、宇宙服の裂け目を塞いだ。

「空気組成や気圧は問題ない。火傷も軽症だ。だが、病原体に感染した恐れがある。船に戻ってちゃんと調べないと」

 マテオは納得いかない顔つきをしていたが、ガブリエルの形相に気押されし、小さく頷いた。

「ついてないな」

「バックアップ要員を送って下さい。マテオとハルをチェンジします」

 ガブリエルからの通信を聞き、ハルが小躍りした。

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