第2話 ハロー

 船籍不明の飛翔体とのコンタクトに備え、船内は急に慌ただしくなった。船長のレオンを除く7人のクルーは、詳しい指示を与えなくとも、それぞれの役割をしっかり認識して任務を的確にこなしている。

<うちのクルーは優秀だ>

 レオンは改めて船長として彼ら、彼女らを誇りに思った。


 「フェニキアン・ローズ」はおよそ5年前、木星の第2衛星エウロパの基地を発進した資源調査船だ。地球の船がまだほとんど足を踏み入れたことのない太陽系辺縁系で、役に立つ資源を探すのが任務だ。

 レオンは30歳を前に企業を立ち上げ、ファウンダーから投資を募り、何とかこの最新式の船の建造費を手に入れた。という訳で、レオンはこの船の船長であり、運航する会社のCEO(最高経営責任者)でもある。

 航海は10年を予定していて、既にその半分が経過したが、この間、発見できたのは、中規模のチタニウム鉱脈がある小さな小惑星と種類は定かではないが大量の水と多数の金属反応がある彗星核くらいだった。彗星核は採掘の手間を考えると、採算ベースには乗らない代物だった。肝心要のレアメタルには巡り合えておらず、今のところ、とても投資家たちが満足する配当を出せるほどの成果はない。このままだと、エウロパに戻った時点で、船は他人の手に渡る。即ち、レオンの会社は破綻してしまう。

 そこに降って湧いたのが、このファーストコンタクト騒ぎだったのだ。


 「フェニキアン・ローズ」は接触予定時間の48時間前に、未確認飛翔体に向けて通信を送った。相手は既に自分たちに気付いているかもしれない。こちらからの連絡を受けて、接触する気がないなら進路を変えるはず。真っ直ぐ来るなら、こちらとコンタクトするか、攻撃するか、そのどちらかということになる。

 しかし、電波の往復時間を過ぎても、未確認物体からの返信はなかった。マニュアルに従って、24時間前には、2度目の交信を試みた。今度は最初のデータに加えて、簡単な「あいさつ」を送った。地球上の主要言語での平和的あいさつ、そして人間の化学的組成、特徴を図説したものだ。敵意がないことを伝えるのが主目的だが、相手の文化価値の分からない状態で、無闇に呼び掛けることは危険だ。メッセージは極めて単純化してある。余計なことを言って、誤解されるかもしれないし、攻撃意欲を刺激する可能性だってある。相手は平和主義者とは限らない。


 だが、2度目の送信にも何ら返事はこなかった。

「もしかして敵意があるのかも」

 ブリッジでは検討会議が始まっていた。応答があれば、対処法も浮かぶ。だが、相手は完全な沈黙を守っている。接触する意思がないとも考えられるが、飛翔体は発見されたときから針路を一切変えず、真っ直ぐこちらに向かってきている。行動そのものは、コンタクトを目指しているようにしか見えない。マニュアルでは12時間前までに交信が成立しない場合は、直接コンタクトを避けるよう規定されていた。つまり「逃げる」か「隠れる」のだ。

「期限まであと8時間。針路を変えるとなると、調査スケジュールを一から組み直す必要があるだろうな」

 レオンがつぶやいた。横にいた船長代理のガブリエルが渋面をつくった。ただでさえ成果に乏しい探索が続いている中だ、調査作業の遅延は喜ばしいことではない。

 すかさずマテオが彼らしく理論的なフォローを入れた。

「諦めるのは早いよ。第3宇宙速度を大きく上回ってるんだから、通過するのはあっという間だよ。近くにある小惑星の陰にでも隠れていれば、すぐにいなくなる。大きく予定針路を外れることはないさ。ちょっと飛ばせば、遅れは1、2週間で取り戻せるはずだよ」


 クルーたちが、直接コンタクトをほぼあきらめかけたころ、短く、かすかな通信が届いた。接触予想の13時間28分前だった。

「何? 地球の言語だと」

 レオンは通信主任ルシアの報告に耳を疑った。届いた通信は単純で簡潔なものだった。接触予想地点の座標と時間、それに「ハロー」の言葉が確認できたという。

「本当に『ハロー』なのか」

 レオンは再度ルシアに確認した。ルシアはあっさりと言った。

「私の耳をお疑いですか、船長。間違いなく地球の言葉で『ハロー』と言いました」

 ルシアが自信満々に言い切ったことで、クルーは信じがたい通信内容を何とか受け入れようとした。

「ランデブーの場所と時間を示して、『ハロー』を返したということは、友好的な接触を意図しているのだろうか」

 まだルシアの報告に半ば唖然としているクルーに向かって、レオンは意見を求めた。

「たった2度の通信で言語を理解したとすれば、相手の知的レベルは相当高い。我々よりもかなり上かもしれない」

「なぜ『ハロー』だけなんだ。意味を理解したなら、もっと何か言ってきても良さそうだ。彼らのあいさつとか」

「こっちも余計なことは言わなかった。向こうも同じように警戒しているんだ」

「敵対行動を隠すためのカモフラージュという可能性もある」

 クルーの論議は白熱した。だが、手持ちの情報は少なく、ほとんどは推論にすぎない。熱を帯びた話し合いが1時間に達しようとするころ、レオンは船長として決断した。

「どんな場合でも100%の安全は保障されない。でも、これは地球外の知的生命体とのコンタクト、人類史上初めてのチャンスかもしれない。多少の危険があるからと言って、指をくわえて見過ごすことはできない。ファーストコンタクトを実行する。ランデブーポイントに針路を取るぞ」

 謎めいた飛翔体は、仮に「ハロー」と呼ぶことになった。


「まさか本当に実行することになるとは思ってもみなかったよ」

 船長のレオンと通信主任のルシアは食堂で向かい合い、静かに食事をとっていた。

省スペースが徹底された構造の宇宙船内にあって、食堂だけはゆったりとした異色の空間だ。クルーの食料をここで生産しているので、緑もたくさんある。食堂というよりは植物園の中といった方が合っているかもしれない。長い旅のストレスを少しでも軽減するためには、このような息抜きのできる空間が必要なのだ。クルーは日に2度の食事時だけでなく、物思いにふけりたいときや精神的に行き詰ったときに、この場所をよく訪れる。

 ファーストコンタクトを前に、2人はどちらが誘うともなく、この場所に足を運んだ。しかし、対面する二人の言葉数は少ない。ともに頭の中がフル回転しているのだ。レオンの問い掛けに、ルシアは微笑した。

「辺縁部探査に出発して5年。やっと巡ってきたわね。このチャンスを狙っていたんでしょう?」

 レオンとルシアは2年ほど前から男女の関係にある。ルシアは他を寄せ付けない雰囲気を漂わせているが、レオンだけは例外だった。他のクルーの前では常に敬語で話し、距離感を保っているが、2人きりになると親密な空気を漂わす。いわゆるツンデレだ。レオンはそれにも魅せられている。

「狙っていた訳じゃない。運に恵まれただけだ。これが吉とでるか凶とでるかは分からないけどな」

「だって、かなり無理して会社までつくって、こんな辺境の資源調査に乗り出すなんて。みんな『おかしい』って睨んでいたわよ。目的は資源調査だけじゃなかったんでしょう?」

「だからファウンダーからお目付け役として、君が送り込まれたんだろう」

 ルシアは肯定も否定もせず、微笑だけを返した。

「辺境調査はスタートアップ企業としては有望な分野でしょうからね」

「誰かに使われてレールの上を走る電車のような生き方をするより、何が起こるか分からない旅の方がずっと魅力的だ。資源調査はその理由としてはうってつけだったんだ」

「でも、これまでに成果は充分ではなかった。何カ月もかけて小惑星に辿りついて、星をスキャンして、分析して、また次の小惑星に向かう。その繰り返し」

「資源を発見して採掘用アンドロイドを置いてきたところもある」

「1カ所だけね。でも肝心のレアメタルはなし。たいした儲けにはならない。このままじゃあ…」

 レオンは無言で頷いた。

「だからこそ、ファーストコンタクトに賭けたのね。これが実現したら、ファウンダーたちに思い切り配当が渡せる。船長としても会社の経営者としても。その気持ちは分からないでもないわ」


 長い時間をかけて宇宙を旅する船の中では、恋愛トラブルが船の安全に悪影響を及ぼすことがある。だが、宇宙船という閉鎖された空間で、恋愛感情を禁じることは不可能だ。聞くところによると、なかには厳しく統制する船長もいるようだが、レオンは無闇にクルーを縛らず、自由に恋愛することを容認している。それは10年という航海予定期間の長さも要因のひとつではある。

 レオン自身もその例に漏れず、出航から2年ほどは資源調査担当のモエと付き合っていたが、今はルシアが恋人。そのルシアの元カレは船長代理のガブリエル。モエにしても今の恋人はマテオだ。たった8人しかしないが、クルーの恋愛関係相関図はなかなか複雑なものになっている。

「これはボーナスチャンスだな。ツキを一気に取り返せるかもしれない」

「レオンと同じよ、私も興奮している。『ハロー』って通信を聞いた時、鳥肌が立ったわ」

 ルシアは瞳を輝かせた。


 レオンとルシアの2人だけでなく、クルーは歴史的な任務に上気していた。辺縁調査は華やかな任務ではない。もちろん貴重な未利用資源を発見できれば、大きなボーナスが期待できる。だからこそ、過酷なこの航海に志願したのだが、日々の単調な任務は長い航海の間にクルーの意志や精神を少しずつ蝕んでいた。そんな中、歴史に名を残すことができるかもしれないビッグイベントにぶち当たったのだ。興奮しない方がおかしい。

 接触はどのような形になるのか、クルーは各々想像を膨らませた。単なる船同士の交信で終わってしまうのか、それとも相手の船に招かれ握手することができるのか、もしかすると戦闘状態に突入する可能性だってある。あらゆる場面を想定して、あと半日のうちにコンタクトに備えなければならない。緊急体勢が敷かれたブリッジは、休みなく動き回るクルーたちの熱気で包まれていた。

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