第5話 お人好しお兄さん

 グレイスは手元の資料を見て、


「アレスくん。通称は無冠の帝王」アレスがしかめっ面をすると、「って呼ばれるのは不満なんだっけ?」

「そうだな……あんまり呼ばないでくれると助かる」

「了解」了解してくれると嬉しい。「とはいえ……なんでその名称が嫌なの? 実力は認めてもらえてると思うけれど」

「それはそうだけれど……」


 どうしてアレスは無冠の帝王という言葉が嫌いなのか。


 それはどうしてだろう。自分でも本当はよくわかっていない。


 あえていま理由をつけるなら、


「勝負弱いって思われてるんだろ。決勝とかで負けたり、優勝とかと縁遠い存在なんだから。だから無冠なんだよ」

「ふーん……キミはそんな、世間の評判なんて気にするタイプ?」

「……言われてみれば……」世間からアホだと言われてもバカだと言われても無視するタイプだ。「……じゃあなんだ……? なんで俺……」


 どうして無冠の帝王という名称が気に入らないのだろう。考えてみれば理屈が合わない。


「ごめん。世間話をしてしまったね」グレイスが話をそらしてくれた。「僕はこの警察署に来て間もないんだけど……」

「道理で見たことないと思った」

「そうだね。でも僕からするとキミは有名人だよ」


 思わず苦笑いしてしまう。


「よく警察にお世話になる問題児がいるって?」

「そうだね。でも大抵は冤罪だよ」グレイスは資料をペラペラめくって、「たまたま指名手配された犯人と似てたりとか、見間違えられたとか。そんなのばっかり。今回だって近くで強盗があって、たまたまキミが近くで見つかっただけ」


 グレイスはアレスに微笑みかけて、


「キミ、運がないね。いつも無実の罪で尋問されてる」

「なに言ってんだか」明確に否定できる。「俺は世界で一番ツキがある生物だぞ。俺以上に運がある生物なんて存在しない」


 本気でそう思っている。


「そうは思えないけどね……」


 毎回信じてもらえないが。


「というか……俺が暴れ者なのは事実だろう。ムダに危ないことに首を突っ込むからそうなるんだよ。自業自得だ」

「子供を誘拐された家族からのSOSを受けるのは悪いことじゃないよ」……そこまで調べてあるのか……「さっきの子供たちの親御さんが、キミに助けを求めたんでしょ?」


 事実だが……


「……さぁな。散歩してたら偶然見つけただけだよ」

「そうやって照れ隠しをするから、取り調べが面倒になるんだよ」

「……それは……そうだな」


 アレスが親御さんに頼まれて子どもたちを助けに行ったのは事実だ。


 だけれどそんなことは照れくさい。無冠の帝王と呼ばれるより優しいヒーローと呼ばれるほうが面倒だ。


「キミの住んでいる地域……結構治安が悪いところだったよね」

「今も悪いぞ。強盗だとか暴行だとかは日常茶飯事だ」

「でも減ってきたでしょ? キミが成長してから」……この人の笑顔は本心が見えないな……「キミの地元に行ったことがあるけど……どこでもキミの話を聞いたよ」

「態度の悪いガキだって?」


 子供の頃から礼儀というものはよく知らない。


「そんな意見もあったよ」あったのかよ。知ってたけど。「別に優しいわけじゃないし、正義の味方でもないってね」

「……正当な評価だな」

「でも……困ってたら必ず助けてくれるってさ」また過大評価されている。「誰かが泣いていたら話を聞いてくれて、頼めば助けてくれる。困っている人は放っておけない……そんなお人好しお兄さんだってね」

「……アイツらも見る目がないねぇ……」

「大体合ってると思うけどね」


 ここにも見る目がない人間がいた。


 アレスはただ自分がやりたいことをやっているだけだ。お人好しでもなんでもない。


 こんな会話、むず痒くてやってられない。


「んで……その話が調書に必要なのか?」

「そうだよ。厄介な人物の情報は調べておかないとね」グレイスは頬杖をついて、「キミは正義の味方じゃない。ただ自分の信念に従って行動してるだけ」

「そうだけど?」

「いつか国家を揺るがす犯罪を成し遂げるかもしれない。キミの信念がルールに接触していても……キミは気にしないだろう?」

「……まぁそうだな……」


 信念を貫くためならルールなど破ってしまうだろう。


 とはいえ好き好んでルールなんて破らない。基本的にはルールに忠実な男だ。ポイ捨てだってしないし立ちションだってしない。


「問題はキミの信念がどこにあるのかって話」それを見極めようとしてるわけだ。「今のところ……困っている人は放っておけない。地元の人を守る……そんな感じかな?」

「失礼ながら、大外れな推測だよ」

「おや……そうなの?」

「ああ。俺の信念、目的は別のところにある」


 近いところにはあるけれど。


「その信念、教えてくれない?」

「ヤダよ。一応内緒にしてんだから」まだ誰にも言っていない。「もっと仲良くなったら教えてやるかもな」

「へぇ……じゃあこれから飲みに行く?」

「……アンタ勤務中だろ……」

 

 呆れた警察官だ。取り調べ中に世間話をして、挙げ句の果てに飲みに行こうとか言い始める。


 油断ならない人物だな……

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