一三、奇妙な一件の全貌
四階に上がり、五組の教室に入った。慧は一番奥の先頭、出席番号一番の席に座り、机の中のものを引き出す。教科書やノートがあるばかりで、ファイルの存在は見当たらない。見終えると慧は浅く溜め息をついた。
「ないな」
「……そっか」
鳥のファイルは、やはりなくなっていた。
慧は腕を組んで椅子に体を預ける。
「堀内が持っていたのは十中八九俺のものだな。あいつがあのファイルを持ってるところなんて見たことはないし、自分で持ってるとも思えない」
両手で後頭部を押さえて煩う。
「僕、余計なことを言ったかな」
「余計なことってなんだ」
低い声で突っ込まれ、手が止まる。
「お前いま何を考えてる?」
射るような目を向けられて俯いた。返答を絞り出す。
「……良い想像」
「具体的には」
慧の追及に口が重くなる。
「堀内さんは、慧のファイルを使って何か、サプライズでもするつもりだったんじゃないかって……」
言いながら顔が熱くなる。慧が鼻で笑う。
「それは良い冗談だ、笑えるな。何の祝いに、何を仕込んでくれるんだ?」
お腹に響くような低い声で問われる。
「本気でそう思うのか」
顔が曇る。わかってる、いまのは都合の良い想像だ。
「本当は気づいているんだろう。だからあんな回りくどい訊き方をした。違うか? 良い想像、上手い言い方だ。だがそれは頭の中で悪い想像が浮かんでる奴が言う台詞だな」
全て見透かされているようだ。僕は声を落として、認める。
「……そうだね。浮かんだよ。堀内さんは、何かよからぬことをしているんじゃないかって」
慧があの鳥のファイルを人に渡さないという予想があった。柄を恥ずかしく思っているからというだけではない。吉園さんとの奇妙な一件、普通は疑問に思うだろう。なぜ慧は自分の資料集を貸さなかったのか。
テレパスでもない限り他クラスの忘れ物なんて知り得ない。吉園さんは慧に資料集を忘れたことを話し、貸してほしいと頼んだのだろう。そして慧は、断ったんだ。
登校中にも言っていたが、普段慧は教科書や資料集を机に入れたままにする。だから世界史の資料集を持ってはいたはずだ。でも貸さなかった。
泉慧は確固たる自分のスタイルを貫く人間である。自分の席に他人が座るのを許さないように、自分のものは自分のもの、他人のものは他人のものと区別するこだわりがある。その主義から自分の資料集を貸そうとはしなかったんだ。
しかし慧は貸したくない人間というだけで、意地悪をしたいのではない。さすがの慧も頼みを蹴って困っているのを見過ごすのは気が咎めたのか、僕にコネクトした。同じクラスであるとわかり、吉園さんの忘れ物のことを僕に伝えればどうにかなると踏んだ。
吉園さんは僕が資料集を差し出されて戸惑っていたものの、「頼まれた」と言っただけで納得して受け取った。誰の差し金か心当たりがあったんだ。それは吉園さんが慧に貸してほしいと頼んだことの裏付けになる。
これがあの奇妙な出来事の全貌だと思う。二人にどういう繋がりがあるのかは、まだわからないけど。
そんな慧が、堀内さんに自分のファイルを手渡すとは思えなかった。
あのカウンター後ろのテーブルは図書委員の使用するところで、当番のもう一人はあの場にいなかった。その状況からファイルは堀内さんによって無断で持ち出されているのではと疑った。
本人に無断で持ち出して一体何をしようというのか、先に浮かんだのは慧の指摘するように悪い想像のほうだった。
「あいつに訊かなかったのか」
ブレザーの裾を掴んで俯く。
「……訊けなかった」
悪い想像が浮かんでいながら良い想像でかき消した理由は、慧に回りくどい訊き方をしたのと同じだ。
「信じたかった。堀内さんはそんなことする人じゃない。良い人で、慧と仲が良いんだって、そう思いたかった」
千日紅さんの吉園さんを信頼する言葉を聞いて、よりそうあってほしいと思った。
チャイムの重い音が校内に鳴り響く。
でも半端だった。もし本当にサプライズだと信じていたなら、僕は慧にファイルのことなんて訊かなかった。そんな台無しにするような真似はしない。信じていないなら、堀内さんに訊くべきだった。どうして慧のファイルを持っているのだと。
僕は、信じ切ることも疑うこともできず、何もしなかった。
「馬鹿だな。俺がそうそう誰かと仲良くなると思うか?」
中学の頃、出会ったばかりの頃の慧ならそうだった。
でも高校に入ってから、部活動に入って、クラスの子と話していて、好きな人ができて、慧は変わった。楽しんでいると思えた。よかったと思っていたんだ。
唇をかむ。あの朝の親しげな様子は何だったのか。堀内さんの笑顔は一体。僕が勝手な想像と願望を向けていただけだったのか。
「……返してもらってくるよ」
慧が僕の袖を掴んで止めた。
「いい、ほっとけ。どうせ明日までには返されてる」
力なく首を振る。
「返ってくる保証なんてないよ」
「別にあいつは嫌がらせしようってわけじゃないだろう?」
「えっ」
驚いて慧の顔を見た。
僕がした悪い想像とは、まさにその嫌がらせだ。中学の頃、慧に物を盗ったり隠したりして困らせようとしている人がいたからだ。
「慧は堀内さんが何をしたかったのかわかってるの」
僕は写真部関係で何か必要なものをファイルに入れていたんじゃないかと想像していた。それを持ち出して困らせたかったのかと。
「何だお前、わかってなかったのか。明らかだろうに」
慧は肩をすくめる。
「……?」
必死に考えるも見当がつかない僕に、慧がヒントを出す。
「いま五組で需要のあるものは何だ」
「いや……わからないけど」
僕は五組に通じてはいない。
「わからないことなら訊いてない。お前も知ってる。朝話したからな」
朝、登校時のことか。あのとき話したことと言えば、遅刻と。
「…………宿題」
頭の中でパズルのピースが埋まった。
慧に人差し指を向けられる。
「そうだ。堀内は俺の机から、明日提出する宿題の入ったファイルをとったんだ。写すためにな」
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