一二、特徴的なファイル

 図書室を出ると、西日に照らされたグラウンドで練習する野球部の掛け声が聞こえてきた。活気の良い放課後だ。

 図書室に足を運んだ甲斐があって、目的の本を見つけて借りることはできた。しかしまだ、帰ろうという気にはなれなかった。


 重い足取りで、校舎に入る。事務室や保健室を通り過ぎて中央階段に向かう途中、トイレの扉が開き、横から背の高い男子がぬっと出てきた。顔を見て驚く。

「慧?」

「あ? ……何だ、お前か」

 絶妙なタイミングだ。今日はよく思いがけない遭遇をする。


「部活は?」

 慧は腕を組んで答えた。

「トイレ休憩ぐらい貰ってもいいだろう」

「でもトイレなら、向こうにもあるでしょ」

 写真部の部室は化学講義室、特別棟の二階だ。なぜわざわざこちらに来ているのか。

「こっちのほうがトイレが綺麗だろう。それに体を動かすのは健康上大切なことだ」

 疑いの目を向ける。それっぽく言うけど、慧の理詰めの言葉をまともに受けてはいけない。

「本当は、少しでも長く部室から離れる口実なんじゃない?」

 今日の部活が億劫だと言っていたからね。

 慧はとぼけるように首をさする。


「お前こそ何でこんな時間まで残ってるんだ。呼び出しでも受けてたか」

「いやいや、慧じゃあるまいし」

 中学のとき慧はよく先生に遅刻か喧嘩のことで呼び出しを受けていたので、冗談にならない。

「失礼な、俺もまだ受けてないぞ」

「まだ?」

 大丈夫なんだろうね。


「僕は図書室に寄ってたんだ。ほら」

 借りてきた本を見せる。それは校外学習で行く河辺町の名所を紹介した本だ。千日紅さんの前で読んでは当日の楽しみにならないので向こうでじっくりとは読めたわけではないけど、パラパラとページを繰っていたらたまたま面白い場所が紹介されているのを見つけた。


「お前らしいな」

 慧に鼻で笑われた。

「僕らしい? 何が」

「わざわざ図書室にまで足を運んで、張り切っていることが」

 どきりとする。

「お前、さては班長になったな?」

「……まあね」

 頭を掻く。そのことは話していないので、知らないはずだ。この本を見ただけでそこまで見破られるとは。慧も頭が切れるね。


「慧ってさ」

 僕は切り出した。

「まだ使ってるんだよね? あの、鳥のファイル」

「あ? 突然なんだよ」

 本当に突然だけど、どうしても訊いておきたかった。


 中学三年間、慧は同じ二つの柄のファイルを使っていた。そのうち片方、鞄用に使っている無地のものは新調した。逆に言えば机に使っているほうは中学と変わっていないわけだ。もう一つは、だった。


「使ってるぞ。いまも俺の腹の中にある。机と言う名の」

 慧の言い方に、笑う。

「もしかして、二つ持ってるとかない?」

「あんな柄、二つもあってたまるか」

 慧は奇抜なデザインのそれを恥ずかしく思っているらしい。だから僕も朝、からかうような目を向けた。

 恥ずかしいならなぜそんな柄のファイルを使うのかと訊いたことがあった。答えは「不要なものから使おうとした結果」だそうだ。いかにも慧らしい理屈だ。その割に使い続けているのだから、案外気に入っているんじゃないかと思う。


「僕は嫌いじゃないけど。可愛い」

 派手でインパクトのある鳥だけど、綺麗な色合いで大きな目が愛らしかった。

「可愛い? 視力検査を受けたほうがいいんじゃないか」

「そうかな、まだ黒板の字は読めるんだけど」

 軽く流して質問を続ける。

「誰かに貸したことはある?」

「あんなの貸せるか」

 予想通りの反応だ。

「だよね。なら、誰か他に持ってる人を見たとか」

「おい」

 慧の射抜くような鋭い声に肩が強張る。


「回りくどいのはやめろ」

 慧に回りくどいと言われてしまうなんて。

「お前、何を見たんだ。はっきり言え」

 ためらったが、慧の圧力に押され正直に打ち明ける。

「……あのファイルと同じものが、図書室にあった。堀内さんの座ってる、後ろのテーブルに」

 いや、本当はこうして話して明らかにしたかったんだ。真相を。

「あいつ、いないと思ったら図書委員だったのか?」

 慧が溜め息交じりに言う。

「知らなかったんだ」

「ああ」

 お互いしばらく無言になる。あの特徴的な柄を、見間違えはしない。


 やがて慧は天井に向けて指を差した。

「確かめに行くか」

 目を閉じ、頷く。元々僕はそのつもりで校舎に入った。

「部活はいいの?」

「人間、たまにはトイレに籠ることもあるだろう」

 慧のジョークで少し気持ちが軽くなった。

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