一〇、不思議な話

 びっくりした。まさかこんなところで千日紅さんに会うなんて。

「図書室、よく来るの?」

 訊くと、彼女は指を順に三本立てた。

「週に三回ぐらい」

「結構来てるね。本好きなの?」

 千日紅さんは首を右、左と傾けた。

「……好きか嫌いかで言うと、好きかもしれない」

 曖昧な答えに声を抑えて笑う。和菓子のように、はっきりと好きなわけではないと。

「和菓子の本なら好き」

「あ、やっぱり?」

 そこははっきりしていた。

「和菓子の辞典とか歴史の本、持ってる」

「へえ。すごいなあ」

 道理で桜餅のこととかよく知っているわけだ。


 千日紅さんは放課後になるとすぐに教室を出て行く。部活は入ってないからてっきり早々に帰宅しているのだと思っていた。でも図書室に来ていたんだ。

「ここはあまり人がいないから、落ち着く」

「お気に入りの場所なんだ?」

 放課後は人が少ないって堀内さんも言っていた。


「僕も……」

 利用してみようかな、と言おうとしたけど、人がいないから好きなのであれば来ないほうがいいかと思い直す。

「ここの雰囲気、好きだな」

「ええ。本当に。この席は、特に」

 千日紅さんが目の前の書架を指差す。

「この本棚があるから」

 そこは「地理・地誌」の棚だ。

「地理とか興味あるの?」 

「いえ、本ではなくて。視線を遮ってくれるでしょう? だから、ここはとても落ち着く」

 納得して手を打つ。

「ああ、そういうこと」


 僕が千日紅さんがいることに気づかなかったように、本棚があることで入り口とカウンターからこの机は見えないようになっている。

「背の高い本棚が、プライベートな空間を作ってくれるの。そのためにあるんだって気さえする」

 そんな視点で考えたことはなかったけど、そう聞くとなんだか本棚が頼もしく見えてくる。もしかして特徴的な本棚の並びもそれを意図してのことだったのだろうか。

「素敵な考え方だね」

「……そう?」

 千日紅さんは顔を横に向ける。

「あのテーブル、三つ」

「うん?」

 今度は丸テーブルのほうを指差した。

「あれもいい。みたらし団子みたいな並び」

「……みたらし団子?」

 さすがに戸惑う。

 ここから見えるのは二つのテーブルのみだけど、三つの丸いテーブルが斜めに並んでいたのは見ていた。焦げ茶色だし、上から見ればそう見えなくもない、のかな。

「…………素敵な考え方だね」

 和菓子好きの彼女は、やっぱり不思議な感性を持っている。


 千日紅さんは机に教科書とノートを広げている。

「宿題?」

「いいえ、ただの勉強」

 生物の教科書だ。

「テストには早いのに、偉いね」

 千日紅さんはかぶりを振る。

「今日だけ、特別。自習。いつもは本を読みに来るだけ」

「そうなんだ」

 今日は特別に勉強する気分になったのかな。

「頑張って」

 軽いエールを送る。

「頑張る」

 千日紅さんは握りこぶしを作る。真顔でその動作をするのが面白い。


「柿原くんは?」

「ああ、ちょっと調べたいことがあってね」

 何をかは言えない。校外学習のときまで秘密だ。

「今日は部活なかったの? 風物部」

「おっ、憶えてくれてたんだ。嬉しい。うん、ないよ。でも保健委員の集まりがあって、あと掃除してた」

 ふと観光なら地理の分野にあたるかもしれないと思い、そばの棚に目を向ける。

「掃除? 柿原くん今日日直じゃないわよね」

 本棚に伸ばした手がぴたりと止まる。


 しまった。そのことに触れてしまった。吉園さんが帰ってしまって僕が代わりに手伝ったなんて千日紅さんには言い辛いから、話す気はなかったのに。

「……うん。ちょっと手伝ってた」

 本当のことを言わないのも何だか後ろめたい。ああ、難しい。

「そう……」

 千日紅さんは沈んだ声を出した。

「結菜、悪気があったわけじゃないと思う」

「えっ」

 驚いて彼女の顔を見る。吉園さんの名前は出さずお茶を濁したのに。

 千日紅さんは申し訳なさそうに上目遣いをしていた。

「今日の日直、結菜でしょう。日直じゃない柿原くんが掃除を手伝っているのは、結菜がしていないからじゃない?」

「……よくわかったね。ごめん、言い辛かった」

 入学式のときといい、本当に鋭い。

 その彼女が言うなら、吉園さんは悪気がなく忘れていただけなのだと信じていいのでは。


「千日紅さんは、吉園さんと友達なの?」

 気になっていたのでもう直接訊いてみる。下の名前で呼ぶあたり、もう答えは出ているようなものだけど。

「ええ」

 千日紅さんは何の躊躇もなく肯定した。

「最近できた、友達」

 おお。

「そっか。それは良かった」

 笑いかけると彼女は少し照れた笑みを浮かべた。

「吉園さんってどういう人?」

 何気ないふうに装って千日紅さんから見た印象を尋ねる。

「良い子よ」

 目を見開く。即答とは。

「良くない態度を取ってしまうから悪い印象を与えていると思うけれど、本当は愛嬌がある可愛い子」

「そうなんだ」

 千日紅さんがそこまで言うなんて。


 ……実は今日、僕は吉園さんと初めて言葉を交わしていた。

「じゃあさ、吉園さんってなの?」

「えっ」

 さすがにそれは想定外の質問だったようで、戸惑っている。

「ケイって、柿原くんのお友達?」

「うん、泉慧」

 慧のことは千日紅さんにも何度か話したことがある。慧が二組に来たことはないので顔は知らないはずだけど。

 千日紅さんは首をほんのわずかに傾けた。


「ええと、わたしは知らない。聞いたことない」

「そっか。そうだよね」

「どうして?」

 真っ直ぐ見つめられて、どう言ったものか迷う。宙に視線を向けながら答える。

「今日急に、慧から吉園って人を知っているかって訊かれたんだ」

「……へえ」

「僕も不思議に思っててさ。どういう繋がりがあったのかなって。吉園さんって部活は入ってる?」

 千日紅さんは首を横に動かして答える。

「入ってない」

「そっかー」


 いまの話、嘘は言ってないが少しぼかした部分がある。口止めされているから話せなかった。

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