九、図書室での遭遇

 二階の渡り廊下から、レンガタイルの建物へ移る。通路の前には進路相談室があり、その隣に視聴覚室の入り口がある。そして視聴覚室の前に階段が備えられていて、一階に行くと図書室だ。

 こちらも二つの入り口があり、右は司書室なので、左のドアを開けて中へ入る。途端に、重厚な空気に見舞われる。図書室では静かにという雰囲気がひしひしと伝わってくる。


 まず正面の丸テーブルが目に入った。本が円状に並べられている。課題図書でも置いているのだろうか。そこから斜めに二つの丸テーブルが点々と配置され、空いたところを埋めるように横向きの書架が互い違いに立ち並ぶ。何とも特徴的な置き方だ。奥にも書架や四角いテーブルが垣間見える。


 手前側にカウンターがあって、肩のところで外にくるんと流れる髪をした女子生徒が一人座っていた。見覚えがある。でも名前が出てこない。今朝会ったばかりの人、慧と同じクラスで同じ部活の……。


 思い出した。近づいて声をかける。

「堀内さん」

「はいっ」

 彼女は入室してきた僕に気づいていなかったようで、びくっと驚かせてしまった。

「あ、えーと」

 堀内さんも僕の名前が出てこないようで目が泳いでいる。

「柿原悠太郎、泉慧と一緒にいた」

「ああ、そうそう。ごめん」

「いやいや、こっちこそ驚かせた」


 カウンターにはデスクトップパソコンが置かれ、端のほうはプリントや本などが積み上げられている。堀内さんは紙に何か書いている。

「堀内さん、図書委員なの」

「うん、そうだよ」

 カウンターの向こうに座って仕事しているのだから、訊くまでもないことだった。

「一人?」

 図書委員は各クラス二人ずつなのでもう一人いるはずだが。

「ううん、もう一人司書室のほうにいるよ。本の整理の手伝いしてる。基本的な貸出・返却の処理手順は先週先生に教えてもらったから、今日は一人でも大丈夫でしょって任されちゃった」

「あはは、そうなんだ」


 堀内さんの背後に二つの四角いテーブルがある。図書委員用の作業台といったところか。片方には本が無造作に置かれている。もう一方の机の上に背面に友達と映る写真が貼りついたスマホが置かれている。堀内さんのだ。今朝手に持ったところを見た。そしてスマホのそばに、赤い背景に大きく特徴的な鳥が描かれた柄のクリアファイルがあるのが目に留まる。


「放課後はそんなに人来ないみたいでねー」

 堀内さんはペンを置き、肩を伸ばす。

「いまは勉強スペースに数人いるぐらい」

「勉強スペース?」

 そんな場所があるのか。

「知らない? あっちの棚の向こう側に机がずらっと並んでるの」

 堀内さんは壁のように並ぶ端の書架を指して言った。というかその手前側は本当に壁だ。右側の入り口から入ったところになるから、壁の向こうは司書室だろう。その奥側は図書室の一部になっていたんだ。

「へえ」

「ま、わたしも教えられて知ったんだけど。勉強スペースってのは俗称で、本当は個人用閲覧スペースとか言うらしい。前の棚に参考書とか過去問がずらっと並んでるから、自然と勉強する人が集まるんだよ。それで三年生の勉強スペースってなったみたい」

「なるほど。なら意図的にそう配置したのかもね」

 堀内さんは「おー確かに」と手をポンと叩いた。


「ところで柿原くんは何しにきたの。遊びに? それとも勉強に」

 堀内さんが両手で天秤を作りながら訊いた。

「中間ってとこかな」

「ふうん?」

 校外学習の下調べと、好奇心だ。

「図書委員おすすめの本とかはあるのかな?」

 冗談半分に訊くと、堀内さんは「それなら」と一番手前の丸テーブルを指した。

「一応、あそこにございますよ」

 堀内さんは事務的な返答をしたあと、んふふと笑う。

「図書委員が毎月紹介するんだって」

「へえ」

「一年のはないけど。まずは先輩が作ったものを見なさいってさ」

「ああ、いきなり作れと言われても勝手がわからないよね。やっぱり手本がないと」

「そうそう。でも来月は早速一年の一組から五組までが担当することになってるの……」

 堀内さんが肩を落として嫌そうにする。


「ゴールデンウィーク明けに提出だから、もうすぐでしょ? わたしもいま必死に考えてるんだー」

 そう言いながら堀内さんはさっき何やら書き込んでいた白い紙をぴらぴらと持ち上げる。なるほど、紹介文を考えていたわけか。

「大変だね。ファイト」

「はー。まあ、うん。がんばるよ」

 堀内さんは腰に手を当てて苦笑いを浮かべた。


「じゃあちょっと図書室の本、拝見させてもらおうかな」

「はーい。どうぞごゆっくり」


 堀内さんに案内されたブラウンの丸テーブルには、中央に小さな切り株のオブジェがあり、その側面に丸く切った画用紙に「今月のおすすめ」と一文字ずつ書き入れラミネートしたものが貼られている。切り株を囲って木製の展示スタンドがまばらに配置され、本とそれを紹介するカードが飾られている。おしゃれだ。


 その中の一冊が目についた。パステルカラーの背景に男女二人が物憂げに見つめ合う表紙の文庫本、弥一が読んでいた本だ。二年三組、柏崎かしざきつむぎさんのおすすめらしい。紹介文に「めっちゃキュンキュンしますよ! 絶対読んだら恋したくなります。テニス部でも布教してます(笑)」とある。

 弥一もこの人に勧められたのだろうか。部活で勧められて読む気になったと言っていたけど。


 ふと悪い想像が頭を過った。

 もしかすると弥一は、この人に気があるのでは。その本の感想を話してお近づきになれると考え、読もうと思ったのではないか。


 ……まさかね。僕は自分の馬鹿な想像を振り払う。

 慧に好きな人がいるという衝撃的な事実を聞かされたからそんな想像をするのだろう。慧と恋なんて磁石のN極とS極のような関係だと思っていた。まあ友達を作らないと言っているだけで恋人を作らないとは言ってなかったけど。


 慧に関わりのある異性って、限られているよね。堀内さんの顔が浮かぶ。あるいは……。

 いけないいけない。僕はここに恋愛について考えようと来たわけではない。


 丸テーブルから離れ、その前にあった本棚に目を移す。上のプレートに「政治・経済」とある。僕が探している本はどの分類に属するのだろう。本屋なら旅行雑誌コーナーになるけど、ここなら「観光」とかだろうか。


 裏に回る。

 すると棚で隠れていた四人テーブルに、黒いボブカットの女子生徒が一人背筋を伸ばした綺麗な姿勢で座っていた。そこに人がいたこと以上に、そこにいた人のことで驚く。

「千日紅さん」

 彼女もその声で気づき、切れ長の目が見開かれた。

「……柿原くん」

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