八、いつかしてみたい、恋の話

 放課後、僕の所属することになった保健委員会の集まりがあったので行ってきた。招集されるのは初めてで、今後の活動内容が伝えられると共に委員長と副委員長が決まった。これから本格的に委員会活動も始まっていくわけだ。


 教室に鞄を取りに戻ってくると、片手で箒を持って同じところばかり掃いている和田弥一の後ろ姿があった。

「ぼーっとしていると終わらないよ」

 声をかけ、振り向いた弥一のもう片手には文庫本が開かれている。

「……何してるの」

 白い目を向けると弥一は箒を揺らして答えた。

「話が丁度いいところなんだよ!」

「ちゃんと掃除が終わってから読みなよ。集中できないでしょ」

 佳境に入った物語を読みきりたくなる気持ちはわかるけどね。


 弥一は本を閉じて、ふうと息を吐いた。

「それもそうだな。それはそうと、ユータ。いいや悠太郎さん。丁度良いタイミングで来てくれた。ありがとう」

「急に何」

 やや気持ち悪いぐらい丁重な態度に顔が強張り、身を引く。

「そんな顔するなって。マジな話、助けてほしいんだ」

 弥一はすぐにいつもの軽い調子に戻る。周りを見て、何に困ってるか予想はついた。

「掃除、もしかして一人なの?」


 掃除はその日の日直二人が行うことになっている。教室には弥一の他に箒を持っている人がいない。

「そうなんだよ。頼む、手伝ってくれ」

 手を合わせて懇願される。

「もう一人は?」

 弥一は黒板を指した。日直欄、和田の隣には吉園とある。ああ、そうだったね。

「とっくに帰ったよ。……サボりやがった」

 弥一が恨めしそうに溜め息をつく。

「俺、あいつに呪われてるな。あいつの後ろの席、俺じゃん? あいつからプリント集めないといけないし、校外学習の班も一緒だぜ?」

「まあまあ」

 憤る弥一を宥める。


「弥一の班、他って確か」

「リクと舞元まいもと

「そうだったね。星丘くんいるならいいじゃん」

 星丘陸也ほしおかりくやくんは弥一と仲が良い、朗らかで背の高い男子だ。吉園さんの椅子に座って怒られた人でもある。同じ班になったのは、気まずいね。

 弥一は不承不承に頷いた。

「まあな。でも舞元も打ち合わせのときとかすげえ縮こまってて、可哀相だったぞ」

「あー、そうなんだ」


 舞元さんは大川さん、菅野さんとよく一緒にいる二つ結びの大人しい女の子で、男子と仲良く話すところは見たことがない。そして吉園さんは千日紅さん以外の人と話しているところを見たことがない。つまり舞元さんは班に話せる相手がいないことになる。心細いだろう。


「……吉園、来ないでくれねえかな。いまみたいに。一緒に回りたくねえ」

 弥一がぽつりと漏らした。

 その言い方に少し眉根が寄る。

「そんなこと言ったらだめだよ。掃除のことは何か事情があったのかもしれない」

「何だよ。やけに吉園の肩を持つな」

 弥一が不満そうにする。

「……そうかな?」

「ユータはああいう不良女、嫌いなタイプだと思ってたけど」

 手を振って苦笑する。

「僕はそんな正義感強くないよ」

 自分がルールを守る人間なのは確かだけど。

「まあ、ユータは優しいからなー」

 優しくありたいとは思ってるけど、そういう言い方はされたくないな。甘いと言われたみたいで。


 ただ弥一の立場で考えてみれば吉園さんの印象が悪いのは当然のことだ。僕だって吉園さんに良い印象を受けるような出来事があったわけではない。怖そうな人という印象は拭えずにいる。

 ならばどうして、弥一の指摘通り僕は吉園さんを庇うようなことを口にしたのだろう。


 脳裏に慧と堀内さんが話していた様子が浮かんだ。

 ああ、そうか。僕はたぶん、信じたいんだ。慧に気立ての良い親しくできるクラスメイトができたように、千日紅さんにも友達ができたと。その友達は悪い人ではないと。


「それで、さっき読んでた本は何?」

 話を変える。

「ああ、小説だ。高校生の恋物語」

 表紙を見せてくれた。パステルカラーを滲ませた背景に男女二人が物憂げな表情を浮かべて見つめ合うイラストが描かれている。何となく甘酸っぱい内容なんだろうなと思わせる。

「へえ。弥一ってそういうの好きなんだ。意外……って言ったら悪いけど」

 まず弥一が本を読むこと自体意外だった。

「いや、当たってるぞ。普段は読まねえよ。部活で勧められて図書室で借りてみたんだけど、見事に嵌った」

 弥一は照れくさそうに白い歯を見せる。

「へえ。良かったね」

 普段は本を読まない人を夢中にさせるほどとは。


「僕も読んでみようかな」

「ユータこそ苦手じゃないか、恋愛ものは」

 ニヤニヤしながら言われ、苦笑いになる。知られていたか。

「確かに恋バナは苦手だけど、恋愛の話は普通に読めるよ」

「ほー。ま、俺としてはユータの恋バナを聞いてみたいところだけどな」

 弥一がからかって顔を覗き込んでくる。


「……そのうち、ね」

 いつもなら笑って誤魔化すところだけど、そんな言葉が口をついて出た。

「おっ、マジ?」

 自分でも不思議だ。特に話せることがあるわけではないけど、いつかは恋の話をしてみたいと思うようになっていた。入学式の日の出来事があったからか、慧の心変わりの影響か。


 でも、いま大事なのは校外学習のほうだ。

 弥一は、図書室から本を借りたと言った。図書室には入学してからまだ行っていない。このあと寄ってみようか。良い場所が見つかるかもしれないし、一度行ってみたかった。


「それじゃあ、僕はこれで失礼するよ」

 演技っぽく敬礼のポーズをして教室を出ようとすると、弥一に肩を掴まれた。

「待て待て、掃除手伝ってくれよ」

「はいはい、わかってるって。冗談だよ」

 本当はただ外の掃除用具入れから箒を持ってこようとしただけだ。一人で掃除するのは可哀相だし、弥一を手伝うのは構わない。

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