五、人は変わる

 慧は上空を仰ぎ、気怠げに声を出した。

「ああ、そういや今日の写真部の活動も面倒だったのをいま思い出した。今日は最悪な日だ……」

「何があるの」

 溜め息を吐き出し肩を落とす慧に訊く。

「変わったことをやるわけではない。前回の部活で俺は学外に出て川沿いの遅咲きの桜の撮影に励んだ。鳥にでもなったように羽を伸ばしながら存分に自然の美を堪能し、写真という思い出に収めた。ああ生きているって幸せだなと思わされたものだ」

 全く感情のこもっていない芝居がかった言い方に、僕も棒読みで返す。

「良かったね」

 学校の敷地内に入ったが、慧の愚痴は続く。

「しかし今回、プリントしたそれらの素晴らしい宝物のような写真たちを、部室などという鬱々とした空間に引き籠り、ただ同じ部活にいるというだけの他人と共有し批評をするというのだ。嘆かわしいと思わないか」

「あーそうだね。思う思う」

 もはや大袈裟な言い回しに突っ込みはせず、笑顔で流して昇降口から校舎に入る。


「みんなで批評、嫌なんだ?」

 靴を履き替えながらロッカーを交えて問いかける。

「意見を交わすことが成長に繋がるという意義は認めよう。しかしお前、俺に協調性があると思うか」

 胸を張って言われても。

「まあ、なかったね、僕の知る限りは」

「お前の知らないところでもないから、安心しろ」

 安心できることではない。一匹狼でいようとする慧は、グループワークや団体行動を嫌う。

 しかし。

 階段前で足を止めて慧のすまし顔に問いかける。

「なら、どうして慧は写真部に入ったの」 


 部活に入るとそういう問題に直面するということは慧だってわかっていたはずだ。

「責めるわけじゃないんだけど、やっぱり気になってさ。写真を撮る趣味があったにしても、慧の性格でどうして部活に入る気になったのかなって」

 部活に入ったと聞いたときに一応動機についても訊いていたのだが、あのときは「人生は予想しないことの連続で、通るはずがないと思っていた道を通ることもある」みたいな感じにいつもの大袈裟な言い回しで煙に巻かれていた。


 慧はふっと息を吐いた。

「俺はカメラに関しては初心者だ。趣味だったわけじゃないぞ。ただ、興味があった」

 自分の手で肩を揉みながら、珍しく真面目な声色を出した。

「俺はものぐさな人間だ。部活なんて柄じゃない。当然自覚している。だがそう言って自分の関心にすら目を向けられないとなると、いよいよただのつまらない人間になる。それはどうかと思った。……大体、そんなところだ」

「ははあ、なるほど……」

 やっぱり曖昧ではっきりとした理由はわからないんだけど、本音を話してくれているのはわかった。要するに部活をしてみたくなったってことかな。

「良いことだ」

 変わったね。中学の頃の慧なら、周囲と関りを持とうとしなかった。自分からは、絶対に。堀内さんと話すようになったのも心境の変化の表れだと思う。

 階段を上がる。


「部活、楽しい?」

 慧は眉を寄せた。

「お前は俺の親か。…………悪くはない」

 素直じゃない慧は「悪くない」ぐらいで「良い」と言っているようなものだ。それなりに上手くやっているのだろう。よかった。

 階段を一段飛ばしで軽やかにのぼっていく慧に負けじとついていく。

「堀内さんと、仲良いんだね」

 からかうように言うと、鼻で笑われた。

「お前の基準ではそう見えたのか。悪い想像はしないほうがいいぞ」

「悪い想像って?」

 慧は答えず、戒めるように言う。

「あいつはただの人間だ」

「そりゃあね」

「女とも言える」

「だろうね」

「それだけのことで、それ以上でもそれ以下でもねえよ」

「……そっか」

 何の説明だ。


 四階までたどり着くと、体が少し熱くなるのを感じた。夏場はちょっと汗をかきそうだ。

「まあしかし俺にも、好きな女ぐらいはいるんだけどな」

「ふうん…………えっ、何だって?」

 危うく聞き流しそうになった。聞き逃すはずもない言葉だったのだが、聞き間違えたとしか思えないことを言われた。

 慧は無言で五組の教室に入っていく。


 本当に、人は変わるものらしい。

 慧は大体いつも同じ表情をしている。不機嫌そうに尖る眉に、睨むような目つき。それは生来のものかもしれないけど、我の強い性格が顕現しているようにも思えた。

 しかしいまその背中の向こうにある表情がどんなものか、僕には想像できなかった。

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