四、打ち解けたやり取り

「柿原くんは何組?」

 堀内さんが自転車を押しながら前屈みになって訊いてきた。

「二組」

 僕はピースサインで答える。

「そっか、二組ね。二組に友達はまだいないなあ。わたしは五組」

 五組ということは。

「慧と一緒なんだ?」

「そうそう。部活も」

「おお」

 部活まで一緒とは。

「クラスでの慧はどんな感じ?」

「あー」

 左から慧に上腕を裏拳で叩かれる。

「余計なことを訊くな」

「いつもひとりでむすっとしてるね」

「やっぱり」

 慧を見ると、丁度堀内さんの形容した顔を浮かべていた。お決まりの表情だ。


「初めは何だか怖そうだなーって思って近寄りづらかったけど、というか実際怖かった。クラスの男子が泉の席に座ってたらさ、『そこは俺の席だ、どけ』とか言うんだよ?」

 堀内さんが声を大きくして話すエピソードに笑った。慧は中学のときも同じことをしていた。

「何もおかしくないだろう。俺の席だ」

「そうだけどさー、別にそれぐらいいいじゃん」

 慧はわかってないとばかりに鼻を鳴らす。

「自分の席に腰かけくつろぐという俺の安寧のための大事な権利を、お前らの都合で妨げられたというのにまるで融通が利かないこちらが悪いかのように言われるのはそれこそ怖い話だな」

「はい?」

 堀内さんは眉をひそめて聞き返し、呆れ果てた声を零した。

「権利とか、何それ。ああもう……面倒くさいなあ」

「どこまでも慧だね」

 僕も堀内さんに続いて苦笑する。

 慧はすごくこだわりの強い人間だ。私物に関して自分のものは自分のもの、他人のものは他人のものとはっきり区別する。だから自分の席を他人に使わせないし、他人の席を使うこともない。


 堀内さんが「それでね」と僕に向けて続ける。

「一緒の部活になって、同じクラスだしとりあえず話そうってなるでしょ。部活も一緒だね、よろしくって。そしたら『お前、誰だ?』って言われたの。酷くない?」

 思わず口角が上がり、同情して頷く。

「酷いね」

「初対面で『お前』呼ばわり、しかも顔憶えられてないし」

「憶える気がないからな」

 頬を膨らませる堀内さんに慧が冷たく言う。

「うわ、最低」

 堀内さんは身を引く仕草をしてから、ふっと息を吐いて顔を綻ばせた。


「でも話してみたら、けっこう面白いんだよねー」

 慧に目配せして、

「変わってて」

 そうそうと共感してこくこく頷く。

「馬鹿にしてるな、お前」

 慧が横目で睨む。

「いやめっちゃ褒めてるでしょ?」

「どこがだ」

 諍いに挟まれながら、二人はかなり打ち解けているようだと安心する。なんだか、嬉しいなあ。珍しい趣味を共有できる友達ができたような気分だ。


「そういえば泉、宿題終わった?」

 堀内さんが外ハネの髪を撫でながら訊く。

「どの宿題のことを言ってるんだ」

「いや一つしか出てなかったじゃん。数学だよ」

 堀内さんが口を尖らせる。

「そうだったか? 数学の宿題なら昨日、いや今朝終わったところだ」

「丁度さっき話していたんだ。二組もその宿題出てたから」

 僕が付け加える。さっき慧は絶対わかった上でとぼけた振りをしていたね。そうやって細かいところを突いてくるんだ。


「へえ、そうなんだ。もう終わったとか、早いなー」

 感心されて慧が眉をひそめる。

「早いだと?」

「まだ明日じゃん、提出」

「…………」

 慧が固まった。

 僕も固まった。提出が明日で今日終えていたら早いと認識されることに、驚きを隠せなくて。

「あれ、わたし変なこと言った?」

 堀内さんは僕らが戸惑っているのを察して口元を手で隠す。

「それは、確かか。提出が明日だっていうのは」

 険しい目つきで問い詰める慧に、堀内さんは尻込みする。

「……うん、絶対明日だよ」


 慧は背負っていた黒いリュックを開け、黄緑色の無地ファイルを取り出した。そこから宿題の冊子が出てくる。そして裏面を確かめ、突きつける。

「ほら見ろ、ここに火曜だと書いてある」

「ああそれ、間違いだって。日付と曜日が合ってないでしょ。日付があってて、曜日が間違い。先生言ってたじゃん」

 堀内さんに笑いながら説明され、慧は頭を抱えて冊子を睨む。

「聞いてねえよ。あの野郎、何してくれてんだ」

 秋村先生は普段のテキパキとした授業進行具合からミスとかしなさそうなイメージがあったけど。やっぱり先生も人間だね。

「日にちは確認しなかったの?」

 僕が訊くと、慧が顔をしかめて恨み声を上げる。

「普通曜日で憶えるだろう」

 どうかな。僕ならどっちも確認するけど。

「そういうお前はどうなんだ。提出日の訂正、知ってたのか」

 責めるような声で訊かれて、首を小さく振る。

「いいや。僕のところは別に間違ってなかったから。明日の提出」

「解せない」

 慧が不満げにぼやくので、思わず笑ってしまう。

 僕のクラスの分はあとに印刷したもので、そのときには間違いに気づいたのかもしれない。


「ちくしょう。じゃあ何だ、俺は必要もなくこんなものを持って来てしまったのか」

 慧は冊子を丸めて怒りのぶつけどころを探すかのように乱暴に振る。

「まあまあ。別にいいじゃん。どうせ明日提出なんだし」

 堀内さんが宥めにかかるが、慧は不機嫌そうに言う。

「今日はリュックが重い日なんだ。明日でいいなら明日持ってきた。それにこんなものファイルに入れて置いておくとなると嵩張って色々と鬱陶しい。また持って帰るのも論外だ」

 慧が憤る。

「あれ、教科書とか全部置いてるんじゃないの?」

 中学のとき、教科書類を大体机の中に置いて帰る慧の鞄はいつも軽かった。

「当然そうしてる。不要だからな」

「いや必要だよ?」

「重いのは、カメラと上達のための参考書が入ってるからだ」

「ああ、なるほど」

 部活のほうか。


「ねえ。それを入れて置くファイルって、さっきの?」

 堀内さんの問いかけに慧はしかめ面で首を振る。

「あれは通学鞄用のだ。俺が言っているのは学校の机に置いているほう」

「へー、使い分け? ファイルでこまめに整理とかするんだ。意外に几帳面だね」

「あ? 何が意外だ。失礼な」

 堀内さんのさりげない貶し文句に慧が噛みついた。


 中学の頃を思い返して言う。

「ファイル、新しくなったね」

 そう言ったのは、中学三年間慧はずっと同じ二つのファイルを使い分けていたのを憶えていたからだ。派手な柄と無地のもの。しかしさっきの無地のほうのファイルは色が違っていた。中学のときは灰色だった。

「こっちはな。あれは裂けたんだ」

「ふうん。こっちは、ね」

 含みを持った視線を送ると、慧はそっぽを向いた。

「何だよ」


 横断歩道を渡って曲がり、学校の外周に差し掛かったところで、堀内さんが声を上げる。

「じゃあわたしは先行くね。また学校で」

 堀内さんは手を振ってから、自転車に跨り先に進んでいく。それを見送ったあと、慧がぽつりと呟いた。

「……こんな時間に」

「え、何?」

 聞き返すも「いや、何でもない」と慧は首を振った。

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