二〇、その心模様が知りたくて
あの隠された五つの文字のメッセージは告白ではなかったのか。しかしそれ以外に読み方があるだろうか。
腕を組む。その人の身になったつもりで、考える。先生への恋心。告白をする。隠すように、伝わらないような告白。
僕は一つの答えを得た。
「……先生を好きな気持ちは伝えてはいけないものだったから、あえて伝わることのないような手段を取った、とか?」
千日紅さんの目を見て言う。
「やっぱり世間的に生徒と先生の間に恋愛は認められるものじゃない。ただ恋はしないようにすることができるものではないよね」
経験があるわけではないので、一般論にはなるが。
「その人も恋心を抑えることはできなかった。自分の気持ちをどうしても伝えたかった。でも本当に伝えるわけにはいかない。悩んだ末に、そういう伝わらない告白にした。どうかな?」
「…………」
千日紅さんは顎に手を当てて逡巡する様子を見せた。
「違うかな?」
首を振られる。
「違うと思ったわけじゃない。とても説得力があったわ。ただ……」
どう説明するか考えるような間があった。
「わたし、愛の告白だとわかったときから知りたいことがあったの」
彼女は胸に手を置いて言った。
「いままでの話とは脈絡のないことだけれど、どうして告白する決心がついたのか、気になったの。……思いを伝えるって勇気のいることよね。何か心境の変化があったのかしら、と……」
「ほほう」
ちょっと意外だ。千日紅さんにもそういう恋バナへの好奇心みたいなものがあったとは。
「入学式の日を選んだことに意味があるかもしれないと考えて、入学式で担任の発表を知る必要性があったことに気づいた。でもわたしはその人が担任発表を聞けたとは思えなかったから首をひねって、柿原くんが解決してくれた」
あの疑問が生じるまでにそんな経緯があったとは。
「その人の行動が詳らかになって、柿原くんはすごい執念を感じるって言ったわね。わたしも思った。来る必要のない入学式の時間に来てまで担任発表のタイミングを計り、先生が担当するクラスの座席表に『おめでとう』なんて言葉に隠して告白のメッセージを残す。入念に計画して実行したに違いないわ。どうしてもそうしたかった、そんな意志すら感じない?」
勢いに押され何も返せない。しかし千日紅さんは一瞬確認するように問いかけただけで、返答を待たずに続けた。
「そこまでするからには全ての行動に理由があったと思うの。他の方法ではいけなかった。他の場所ではいけなかった。例えば」
千日紅さんはほんのわずかに間を空けて言った。
「机の中に置いておくようなことはしなかった」
机の中?
「教卓の中とか?」
それか職員室の机のほうか。いずれにしてもドアの前より他の人に知られる心配はなくなるだろう。
「うん、考えてみればそういう方法もあったよね」
それではいけなかったのだろうか。思いつかなかったわけではないと思うけど。
千日紅さんは足元の一点に強い視線を注ぎながら言う。
「どうしてドアの前に決めたのか、どうして『おめでとう』の文字に隠すことにしたのか、何か明確な理由があったのではないかしら? その理由がわかればその人の胸中がわかるかもしれない。告白に至った心境が。そうしたら…………」
「……?」
千日紅さんは唇を強く結んだ。その先に何を続けようとしたのだろう。
「でも柿原くんの解答ではその理由はわからなかった。伝わらない告白だったなら、その方法を選ぶ必然性はなかったことになる。わたしがまだ納得しきれないのは、そのため」
「……そっか」
僕の答えが納得できるものではなかったことは残念だが、千日紅さんの話は頷けるものだった。確かに場所や方法を決めた根拠に欠けていて、腑に落ちない。緻密な計画を立ててやったことが自己満足で終わるような結果でよかったのかと考えると、違う気がする。
千日紅さんは瞼を閉じ、首をゆっくりと振った。
「いえ、きっとわたしの考えすぎね。わたしなんかにその人の心模様がわかるはずないもの。ごめんなさい、揚げ足を取るようなことを言って」
「え、そんな」
うろたえる僕に、彼女は目を細め微笑む。
「柿原くんの言ったことが答えだと思う」
素直に同意することはできない。僕は千日紅さんの話を受けて、自分の推論に自信が持てなくなっていた。
「……そっか」
しかし彼女がその答えで納得するというのなら、僕も納得しよう。妥協という形にはなるけれども、そもそも第三者である僕らに知りうることなんて限度がある。納得できないことがあっても、それは仕方のないことだろう。
いつの間にか雲が多く立ち込めていて、陽光が遮られる。生徒のほとんどはもう下校したのだろう、閑静な校舎からは彩りまでもが失われ、物悲しく映った。
せめて、煮え切らない終わり方にならないように努めよう。
「それにしても興味深い話だったね。まさかあの花のおめでとう一つからここまで話が発展するなんて」
もう何度そう思わされたことか。
「ええ、本当に」
千日紅さんも口元を隠すようにして笑う。
そうだ、あのことについて触れて和ませよう。
「入学式で紅白饅頭貰えなくて残念だったけど、代わりにこんなに盛り上がったからお腹いっぱいだ」
お腹を押さえておどける。
「……いやまだお昼は食べてないからやっぱりお腹は空いたなあ。あはは」
紅白饅頭に対してどんな反応をするか楽しみに見ると、千日紅さんはぴたりと動作を止め、その目がふと大きくなる。
まるで、何かに気づいたように。
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