一九、根本的な問い

 うまく隠して、先生は気づくのか。


 その一言は雫が水面に落ちて波立たせるように、僕の頭の中でだんだんと浸透していった。

 そして疑念が生じる。見つけた人は誰だっていたずらだと思う。そこに先生は含まれないと考える道理があるだろうか。


「根本的な問題として、この方法は告白としてはあまりに隠されすぎていると思う」

 頷くほかない。ひねった伝え方をするのはいいとしても、実際それで伝わるとは限らない。

 例えば「月がきれいだね」で洒落た告白をしたつもりになっても、それは夏目漱石が生徒に「I love you」を「月がきれいですね」と訳すべしと教えた逸話を知らなければ相手に伝わることはない。


「敬愛が反対になっていることから敬うより愛の気持ちが大きい、つまりは愛の告白を意味している。……わたしが言ったことだけれど、そう読み取ることができるだけで、そう伝わるかはまた別問題」

 千日紅さんは体の向きを変え、階下の桜を見下ろしながら話す。

「まして新入生へのメッセージの中に隠すなんてすれば、先生だっていたずらだとしか思えないのではないかしら」

 彼女の言う通りだ。先生が国語教師だからといって何でも国語的に考えてくれるわけではない。


「それから、その人は名乗っていない。誰からの告白なのかわからない」

「ああ、そうか」

 遠慮もあってこれまで誰からの告白なのかあまり問題にしてこなかった。しかし名前がわからないことには返事のしようがない。告白は成立しない。


「……絶対に、とは言い切れないけれど。もしかしたら誰によるものか先生にはわかるようになっていたかもしれない」

 千日紅さんは自信なさげに言う。

「桜の花が『さくら』という人の名前を暗喩している、とか?」

「……ええ、そんな感じ」

 ためらいながらも気を遣うように同意されて、首をさすり苦笑いになる。

「安直すぎるか」

「いえ。それも同じ話で、名前を暗号化するとして複雑にすればするほど伝わる可能性はより低くなる。告白からは遠ざかることになる」

「確かに」

 まず伝わらないことには告白の意味がない。


「それに……」

「それに?」

 促すと、千日紅さんは切り揃えられた前髪を触りながら話す。

「……さっきの話と反対のことを言うのだけれど、わたしなら、秘めた思いがあったとして、それを伝えるとして……」

 千日紅さんの言葉がそこで一度止まる。


「……いえ、本当にわたしだったらそもそも伝えることすらできないわね」

 肩の力が抜ける。そこまで「実際のところ」を真面目に想定しなくても。

「あくまで仮定の話として、ね?」

 体を回転して彼女と同じ向きになって促す。

「ええ、そう。もし伝えるとしたら……人の目に晒すなんて絶対にしない」

 力強く発せられた言葉に目を見張る。

「大切な思いなら、秘密にする。他の人には見つからないようにする。名前を書くなんてもってのほか」

 そんなことまったく考慮しなかった。

「別のメッセージに隠しても安心できない。それを書くなんてすれば、もっと安心できない」

「……うん」


 その人になったつもりで自分が同じことをしたらと想像すると、「明日には全校生徒に知れ渡っているのでは」と不安になってしまう。当事者の心理としてはそのほうが自然ではないか。事実として僕らはこうして花のフレームに気づき、解き明かそうとさえしている。

「その通りだね。その人はかなり大胆なことをしている。ドアの前なんて人の目に入る場所に、花のフレーム、目立たせるような装飾。どうにかして先生に見てもらおうとしている」

 それだけに。

「でもそこに残したメッセージが先生に伝わるかというと、怪しい」

 僕らがここまで辿り着けたのは相当深く考察したからだ。先生が同じように考えてくれる保証なんてどこにもない。


「複雑なものにする気持ちはわかる。なるべく難しいものにして知られないようにしたいのでしょう。でも、そうすると先生にさえ伝わらなくなる。……これで本当に本気の告白だと言えるのかしら」

 眉根を指先で押さえ、喉の奥に声が籠もる。


「本当に告白がしたいなら、もっと他の手段を選んだと思うの。他の誰かに知られる危険がなく思いがしっかりと伝わるように」

「……確かに」

 もっともな話だ。根本的な問題を前に、振り出しに戻されたような気分になる。

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