一五、すごく国語的な読み方
もう一度撮った写真を開いて、千日紅さんと一緒に見る。「で」のところを拡大する。ううむ、わからない。形から見つけ出すのがいいのか、それとも「愛」に続きそうな漢字を当てはめていくのがいいか。
そんなふうにどう解いていくか思考を巡らせていたところ、千日紅さんが一刀両断するように画面のその文字を指差して言い放った。
「『敬』」
びっくりする。
「慧?」
「ええ。敬うという字」
ああ、全然違う字を、というか人を想像していた。慧とコネクトしたところだったし、五組だから。
「敬う……」
当てはめてみる。「め」の上から横に伸びてきた桐の蔓は草冠、輪郭だけの葉っぱの中に小さな葉っぱがあるような部分は「句」、そして小文字の「x」みたいになっている「で」のところは「敬」の右側。
「うん、ぴったりだ」
驚きを隠せない僕に、千日紅さんは言う。
「先生から連想して、似ていたから」
「……なるほど」
先生とくれば敬う気持ち、連想できかった自分を恥じるべきだろうか。決して尊敬していないわけではないのだが。
「これで隠された文字は全て突き止められたことになるね。我、愛、敬、北、先……?」
ええと、何だか一字加わって逆によくわからなくなったような。
「『愛敬』……『敬愛』ではないのかな」
もし「敬愛」ならシンプルに「私は北山先生を敬愛しています」と読めたのに。
スマホで「愛敬」を調べてみる。
「へえ。『愛嬌』をそういう字で書くことがあるんだ。昔はそれで『あいぎょう』って読んだらしい」
「愛嬌……わたしにないものね」
「ええー、そう?」
さらっと自虐されて、苦笑いを浮かべる。笑ったとき、すごく良い顔するのに。
しかし私、愛嬌、北山先生を並べても意味の通る文章にはならなさそうだ。
「あっ」
僕は閃いたと手を打つ。
「これは漢文なんだ。だから『敬愛する』が反対になった」
漢文には返り点とかがあったはず。
「いえ、それは勘違いよ。漢文はあくまで日本語と文法が違うだけ。だから『敬愛』が『愛敬』になることはないわ」
「……そっか」
速攻で看破された。
中学で習いはしたが、あまり覚えていないことが露呈する。僕は古文が苦手で、漢文も苦手だった。
「でも漢文でもなければ『我』なんて一人称、普通使わないような」
漢文だと思った理由の半分はそこにある。「我」という言葉は少し引っかかっていた。時代がかったニュアンスが漂うが、この花の繊細なデザインとはかけ離れているように感じる。
「デザインの都合じゃないかしら。『お』に近い一人称に浮かんだのが『我』だった」
「あー」
そう言われると納得できる。『私』でも同じようなデザインで『お』になるはずだけど、『我』のほうが点が共通していて馴染む。
「そっか」
閃いたと思ったんだけどな。
「ただこれを漢文のように読むのはその通りだわ。主語、述語、目的語という並びになっている」
フォローしてくれた。
ただよくよく思い出せば漢文だと考える前から「私は愛している」などとすでにその読み方をしていた。日本語でも倒置法があるのだし、結局のところ漢文かどうか厳密に考えるのは筋違いなんだろう。
「述語っていうなら、そのまま愛し敬うって読めばいいのかも? 『私は愛し敬っています、北山先生を』」
言ってみるが、うーんと唸る。
「一応そう捉えることはできるよね。何となく腑に落ちない感じがするけど」
「ええ……」
千日紅さんはこぶしを顎に沈ませる。
「わたしも『愛敬』という並びは気にかかる。これもデザインの都合上と言えばそれまでだけど」
「『め』と『で』に『敬愛』を隠そうとして、そのままだと無理だからひっくり返しちゃいました、みたいな?」
抜けている感じで面白いけど。
「柿原くんはこれが敬愛を伝えるものだと思う?」
難しいことを訊かれて、眉のあたりに力が入る。
「……それにしては、あまりにも迂遠な方法だと思う」
やはり腑に落ちない。手が込みすぎている。直接伝えるのは照れくさかったからにしても、ここまでするものかと疑問が湧く。
千日紅さんも神妙な面持ちで頷く。
「わたし、人の心なんて文字の上でわかったつもりになるしかないのだけど」
「いやいや」
手を使って打ち消す。
千日紅さんは自分のことをロボットか何かだと思っているのだろうか……。人付き合いが苦手だからといって人の心がわからないとはならないよ。
「『愛敬』……その人は敬うより愛が先に来るんだって、敬愛ではいられないんだって思った」
慎ましやかな声音で発せられた鮮やかな解答に、僕は息を呑んだ。
「……すごく国語的な読み方だけれど」
慧のメッセージが頭を過った。北山先生は現代文の担当。
そのあまりに鮮やかすぎる国語的な読み方は、隠された真意としてはむしろこの上なく相応しいのではないか。
先立つ「愛」は僕が口にするのをためらったように、強調された形になっている。
「つまりこれは、愛の告白ということかな」
開けた渡り廊下に向けて吹きつける真昼の風が、やけに生暖かく感じた。
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