一三、進む解読

 真昼に近づき、大勢の人が下校している気配が濃くなった。下からは絶え間なく話し声が聞こえてくる。帰宅時間のピークを迎えているのだ。

 反対に静まり返ったこの渡り廊下にいると、ここがいかに切り離された場所なのか際立つ。しかし階下の賑わいに負けないぐらい、話題は熱を帯びてきた。


 座席表の飾りに隠された不思議な花の祝福。しかしどうやら新入生へのお祝いの言葉「おめでとう」の字はカモフラージュで、実は別の文字が隠されているらしいと判明した。やはりただのいたずらではなかったということだ。


「『北』か。何だろうね」

 校舎でいうと丁度こちらが北側にあたるわけだが。

「宝の在りかでも指しているのかな?」

 弾む声で言って千日紅さんを見ると、微笑を浮かべた。

「だといいわね」

 まあ本当にそう思っているわけではない。千日紅さんも冗談だとわかっている。もしそうだとしたら面白いけど、あまりに作り物めいている。

 まず「北」が方角のことを指しているのかどうかも現時点ではわからない。


「とりあえず、他の隠された字が何かだね」

 しばらくお互い画面の文字を睨みながら解読に励む。

 文字の周囲には多彩な草花模様が描かれている。「め」の字の右に制服ボタンと同じ柄、桐の花が横向きになっており、「で」の左側の一部分ともなっている。その桐の蔓の下と「め」の下にそれぞれ葉っぱがある。「で」の字は真ん中の曲がるところで反対向きに曲がる短い蔓と接触している。小文字の「x」みたいだ。「う」の字は、点の右側に小さい桜の花がある。しかし花びらは細く四枚だけで、十字の形についている。その下に右下に向かって曲がる短い蔓がある。


 どれも文字と模様を組み合わせて何かを形容していそうだ。では、それが何なのかというと。

 正直、さっぱりだ。まったく見当もつかない。漢字か記号か、難解だ。

 強いていうなら、「う」の部分が「元」に見えるような。下の蔓の曲がり方が「元」の右下部分と似ている。


「……『め』は『愛』かしら」

 口を開きかけた矢先、沈黙を破ったのは千日紅さんのほうだった。

「あ、愛?」

 不意に出てきたその言葉に動揺する。

 そう言われてから改めて見ると、確かにそうかもしれない。「め」のすぐ上に線のような蔓があり、下の葉っぱと組み合わさると「愛」に見える。

「『う』は、『先』」

「はやっ」

 もう次を。感心する暇もなかった。


 なるほど、「先」か。

「僕は元気の『元』かなと思ったけど、『う』のがあるから『先』のほうが近いね」

 桜の花びらが十字型なことも「先」の字を模しているからと考えられる。


「『お』に『愛』、そして『北』と『先』か……」

「いいえ。『お』も違う字だと思う。漢字に見える」

「……そっか」

 抜けていた。「お」だけそのままだと断定する道理はなかったね。

 唐草模様の曲がる蔓が上から下に向かって伸び、「お」の字の中を通っている。「北」のように単純そうでこれなら僕でもわかりそうだ。凝視して一つの漢字が浮かんだ。


「『我』かしら」

 しかし千日紅さんに言われてしまった。丁度言おうとしたところだったのに。

「そうだね」

 涙を呑む思いで肯定する。

「ここまでくると、全部漢字かな?」

 五文字中四文字が漢字だ。

「その可能性が高そう」

 あと一字、「で」のところ。

「うーん」

 特徴的な形なので何か思いつきそうなのに、思いつかない。もどかしい。千日紅さんも首をひねっている。


 一旦、文脈から考えてみるのはどうだろう。

「主語が『我』、つまり私になるなら、けっこう意味が取りやすくなるね」

 我とは随分仰々しい一人称だけど、主語になるので文章のように読み取れるかもしれない。書かれた順に整理すると、隠された文字は「我愛?北先」だ。


「私は……愛している」

 その言葉を口にするのに少し恥じらってしまった。

「英語なら『私』は『I』だから、『I』と『愛』、繋がるね」

「……ダジャレ?」

 千日紅さんが控えめに苦笑する。

「あはは。だからって何もないんだけど」

 冗談だ。英語に変換する理由がない。


「問題は下に何が来るか、だね。一体何を愛しているか」

 こんなことをした人は、どんなメッセージをその五文字に込めたのか。

「北先、北の先? それとも地名?」

「……人名」

 千日紅さんがぽつりと漏らす。

「……やっぱり?」

 頭の中の候補にはあったが口にするのはためらわれた。愛の対象として一番に挙がるのはやはり人だ。そして人の名前なら使われる漢字は幅広い。


「もしかして五組にそういう名前の人がいるとか……」

 そう言いはしたものの「〇北先」なんて苗字がはたしてあるのかというと疑問だ。

「いいえ。この中には『北』『先』どちらの字もないわ」

 千日紅さんが画面の座席表に目を注ぎながら言う。確認が早い。

「そっか」

 かすりもしないのでは困った。


「でもわたしが言いたかったのはそうではなくて……」

「うん?」

 千日紅さんが申し訳なさそうにする。どこか勘違いしていただろうか。

「わたしは、『先』は先生の『先』のことを指すのではないかと思ったの」

 頭の中でサキとセンの漢字を思い浮かべ、一致すると声が出た。

「ああ、なるほど!」

 確かに学校という舞台で人名に「先」が関わるとなれば生だ。盲点だった。


「それなら輩という可能性もあるね」

「先輩……それは考えなかった。でも、この飾りがあったのは五組だけ」

「あ」

 失念していた。

「五文字が何かのメッセージになるとして、一年五組だけに貼られていたことが無関係とは思えない」

 そうだった、と頭に手を置く。ついさっきまで五組の枠内で考えられていたのに。

「もし相手が先輩なら、二年か三年の教室に貼るはずだよね」

「絶対にないとまでは言えないけれど、先生のほうが妥当だと思う」

 頷いて同意する。


「一年五組に関係する先生、となると担任かな?」

 千日紅さんが静かに頷く。

「柿原くん、わたしは憶えていないのだけど、一年五組の担任が誰かわかるかしら」

 腕を組む。


 入学式で、一年の担任発表があった。各先生の挨拶はマイクの性能が良くなかったのか聞き取りづらかったものの、紹介自体は司会の教頭により行われ、明瞭な声で音質も良くはっきりと聞き取れた。

 ただしその一回で名前を言えるようになるほど憶えてはいない。

「北がつく先生がいたような気はする。……なんて言っても仕方ないよね」


 私は愛している、の下には名前が続くはず。だから「〇北先」は五組の担任「○北先生」を指している。

 かなり核心に近づいている気がする。五組の担任の名前さえわかれば。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る