一二、歪な文字

 それから一階体育館手前までの三年の教室から南階段と北階段を交互に使い四階端、一年一組まで全ての学年のクラスの前を通って回った。

 一組の前で、普通の座席表を眺めながら話す。

「どのクラスにも座席表はあったけれど……」

「装飾があったのは一年五組だけだったね」

「なくなっているなんてこともなかった」

 うん、と頷く。


 五組のフレームはさっき見たままだった。おかげで千日紅さんに実物を見せることができた。実際に少し触ってもみた。写真ではわからなかったけど、フレームは画用紙のような丈夫な紙で作られていた。


 北階段から下りる途中、窓から図書館棟へと続く渡り廊下が目に入った。勝手なイメージかもしれないけど、いかにも秘密の話をする場所だって気がする。

「あそこで話さない?」

 指差して提案すると、彼女もこくりと頷いた。


 扉の鍵は開いていた。渡り廊下に出る。心地よい春風が体を抜けてゆく。ステンレスの手すりを持って階下を覗き込むと桜の木に続いて正門が見える。

 人だかりができており、どうやら記念写真を撮っているらしい。桜が綺麗で、入学式の立て看板もあったからね。絶好の撮影スポットだ。

「満喫してるなあ」

 新入生の、まるでそれが目的で来ていたかのような楽しそうな様子に笑みが零れる。


「もう一度、携帯の写真を見せてもらってもいいかしら」

 そう頼まれて振り返る。

「あ、それなら実物を見ながらのほうがいいよね?」

 よく考えれば別に戻って話す必要はなかった。むしろ四階、五組の教室前で話したほうが都合が良いに決まってる。


 ところが千日紅さんは目を逸らして首を横にした。

「……いえ、人がいたから」

「あー」

 思い返す。もうどのクラスもホームルームを終えていたけど、さっき通りすがりに見たところおおよそ半数ほどはまだ教室や廊下に残っていた。

「嫌なんだ?」

「落ち着かない」

 なるほど。ひとりがいいと言い切るぐらいだもんね。

 そういう配慮をしたわけではなかったが、今日は図書室も閉まっていそうなのでこの渡り廊下に人は来ないだろう。


「はい」

 僕は座席表の写真を開いてスマホごと渡した。

「ありがとう」

 千日紅さんにお礼を言われた。何でもないことだけど、ちょっと嬉しい。

「……不自然だと思っていたのだけど」

「うん?」

「文字の大きさと形がすごく歪」

 千日紅さんがスマホを反対向きにして、画面を見せてくれる。


「例えば『め』の字は他より高さが低くて、まるで押しつぶされたみたい」

 見てみると確かに「おめでとう」の「め」の字は他の上半分ほどの高さに圧縮されている。

 どうでもいいけど、「めが押しつぶされたみたい」ってすごく物騒に聞こえるね。


「右の三つは幅が狭い。さらに『で』と『と』は右に片寄って配置されているから、文字と文字の間隔に奇妙な空きがある」

 千日紅さんが言う通り「で」「と」「う」の三文字は半角にでもなったかのように細く、前の二文字の半分ほどの幅だ。


「普通なのは『お』だけ」

「むしろ『お』だけ大きく見えるよ」

 お、だけに。何でもない。

「すごくアンバランスだね。デザイン的にそうなったのかな」

「……もしくは、何か意味があってこうなったのかもしれない」

「意味……」

 さっきも言っていた。これには何か隠された意味があるのではと。


 千日紅さんはスマホを自分のほうへ戻して画面を凝視する。五つの文字の奥に、何かがあるのだろうか。


「……北?」

 やがて彼女は独り言のようにそう呟いた。

「キタ?」

「ええ。この『と』の部分、カタカナの『ヒ』にも見えると思ってよく見ていたら、『北』の字が浮かんで見えたの。左側の蔓みたいな部分も合わせると」

 何度も交わすのは手間だと思ったのだろう、千日紅さんが隣に来て一緒に見る。


「……言われてみれば」

 フレームには唐草模様も混じっており、「と」の左側にも短いが曲線の蔓が下向きに伸びている。それが「北」の左側にそっくりな形になっているのだ。二つを合わせるともはやもはや「北」の字にしか見えない。


「これが『北』を書いたものなら、『お』と同じぐらいのサイズになる。……だと思わない?」

 その言葉を受けて、改めて文字を見る。「と」は「北」だと考えて「お」と比べると、確かに同じような大きさになる。それが示唆することに気づき、はっとした。


「もしかして、他の字も?」

 千日紅さんはこくりと頷く。

「そうだとしたら文字の歪さにも納得できる」

 他の字も同様に、別の字の一部として構成されている可能性がある。不自然な大きさや配置も、そのため。本当はそこに同じ大きさでが並べられているとすれば……。


「つまり『おめでとう』のメッセージを隠してあるのではなく、のよ」

 千日紅さんがそう告げた。

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