一一、不思議な花の祝福の謎

 廊下の真ん中で話すのもなんだと思い、移動する。

 昇降口を通り過ぎたところに少し窪んだ場所があった。千日紅さんはそこに身を隠すように回り込み、白い壁を背にする。


「ここで」

 彼女を追って窪んでいたところを覗くと、少し奥まってドアと窓があった。いまは閉まっているようだけど「購買部」と看板が出ている。こんな小部屋のような場所があるなんて。

「うん」

 閉まった購買部の前、廊下の死角。何だか内緒話をするみたいで気分が上がるね。


 彼女の前に立ち、手提げバッグのミニポケットからスマホを取り出して例の写真、モノクロの花柄フレームを見せる。

「不思議なのは、これのことなんだけど」


https://kakuyomu.jp/users/yuzukimidori/news/16818093082071109095


 座席表の四方をぴったりと囲む、手書きのフレーム。白い帯に緻密な草花模様が詰まっている。縦枠と横枠の間に切れ目があり、そこで模様も変わっている。枠をそれぞれ分けて作り、縦枠を貼りつけ、その上に横枠を、四隅が重なるようにして繋ぎ完成させたらしい。


 何より目を引くのは下の部分。千日紅さんが目を凝らし、呟いた。

「……文字」

 そう。花のフレームの下枠のところに、花や蔓に紛れてひらがなの文字が書かれているのだ。

 文字の部分だけ濃くなっているのでじっくり見ればすぐに気づくことだが、違和感なくデザインの一部として溶け込んでいる。


「『おめでとう』」

 千日紅さんが読み上げる。

「葦手……みたいなものかしら」

「アシデ?」

 何だそれは。

「文字を水辺とか自然の背景に紛れるように入れたデザインのこと」

「へえ。初めて聞いた。よくそんなことを知っているね」

「模様の本を読んだことがあるから」

 和菓子のことといい、物知りで感心する。


「どう? 面白いでしょ。座席表を装飾して入学を祝ってくれるなんて」

 千日紅さんの顔を覗き込むと、頷いてくれた。

「ええ。すごく凝ってる。花の模様、細かい」

「本当に」

 小さな草花がたくさん描きこまれており、手が込んでいる。


「桜と桐ね」

「桐?」

 聞き返すと千日紅さんは僕の手のスマホを指差した。

「大きな葉っぱから蔓が伸びて、小さな葉っぱみたいなのがついているものがあるでしょう? それ、桐なの」


 写真を拡大してよく見る。すると確かに、小さな粒のようなものがいくつもついた蔓のある植物が散らばって描かれている。僕には桜しかわからなかった。


「たくさんついている葉のようなものは花。桐の花。五百円硬貨の裏面にもなっているわ」

「えっ、そうなんだ」

 言われてみれば見たことがあるような気がする。


時高校だから、桐の花なのかしら」

「……あっ、なるほど」

 桐時高校の漢字を思い出して納得した。

 もしかしてと思い制服の金色のボタンの柄を見てみる。

「ボタンも同じデザインだ」

 おおと感心する。気づかなかった。


「それはわたしも初めて知った。……これは誰が?」

 そう訊かれるが、首をかしげる。

「さあ、僕もわからない。サプライズなのか何なのか。とりあえず先生とか生徒会が絡むようなオフィシャルなものではないよ。二組のは普通だったから」

「そうなの?」


 座席表の左上のクラス名をズームアップして見せる。

「実はこれ五組のなんだ」

 千日紅さんは眉を上げた。

「……よく気づいたわね。他のクラスなのに」

「あはは、たまたま。たぶん五組だけじゃないかな? こうなってるの。少なくとも一組から四組まではこうなってはなかった」

 そこは確認済みだ。


「本当に『不思議な花の祝福』ね」

「うん。先輩のいたずらかな」

「そうね。先生がするとは思えない」

 こんな粋なことをする変わり者がいるなんて、ぜひ会って友達になりたいね。


 誰もこのことについて話している様子はなかったし、ほとんどの人が気づいていなかったと思う。

 惜しい。目立ちそうな場所にあるものの、色がついていないこともあってすごく目立つわけではない。どちらかといえば地味なことだ。

 一度見たらそれ以降は視界に入っても認識しなくなるものってあると思うけど、座席表はその類だ。そういう意味でも気づきにくい。


「さらに不思議なことに、これがすり替えられたのは……じゃない、座席表はそのまま変化なしだから、フレームがつけられたのは、か。それは入学式の間なんだ」

「……」

 千日紅さんは眉を曇らせる。

「登校してきたときも体育館に行くときも五組の座席表は他のクラスと同じように普通だったのに、戻ってきたらこうなってたんだ」

 一番階段に近いクラスなことに加え慧が指差したので、五組の座席表は三回見ていた。


「……入学式の、間?」

 千日紅さんは怪訝な声を出した。

「うん、そうだけど」

 何か引っかかるようで、顔が険しい。

「確かに入学式の間なら校内で飾りつけをしていても誰にも見つからずに済む。……けれど、あの時間帯に来るのは入学式に参加するためよね?」

 切れ長の目で確認される。


「入学式の間にそんなことをしているのだから、その飾りつけをした人は入学式に参加していない。でもいま学校にいるのは、新入生と入学式に参加する上級生、それから先生たち」

「うん」


「上級生のほとんどは入学式には参加せず、午後に始業式だけある。登校するのはこれからでしょう? それなら朝から学校に来る必要なかったはずよね。わざわざそのことをするために来ていたということ?」

「あはは、まさか」

 笑い飛ばす。

 この小さないたずらのために学校に出向くなんてさすがに信じられない。


「入学式の準備に来て、式自体には参加しなかった人がいたのかも。で、暇だったからちょっと面白いことしようと」

 そう言ってみるも、千日紅さんは納得する素振りを見せない。


「花の意匠、すごく細かく書き込まれているわ。ちょっとした落書きやいたずらとは思えないぐらい」

「……うん」

 確かにクオリティは高い。即興の出来ではない。

「それだけじゃない。飾りつけは、五組だけにされたものかもしれないのでしょう? 本当にそうだとしたら、より強い意図を感じない?」

 そう言われて目を見開く。

「……まさか」

 

 ようやく千日紅さんが思案顔になっている訳を理解できた。さっきのは決して反語などではなかった。彼女はその上級生が本当に学校に来たのかもしれないと考えているんだ。


 入学式の間に貼りつけたこと、高いクオリティ、特定の教室だけに施した可能性。それらが花の装飾はただのいたずらではなくそのためだけに来るほどの大事な用事だったことと示唆している。


 そうなると。


 千日紅さんが深刻な声音で言う。

「そのフレームには、何かもっと重大な意味が隠されているのかもしれない」


 謎めいてきて、背筋に冷たいものを感じた。

「確かめてみようか」

 千日紅さんがゆっくりと頷く。


「時間、大丈夫?」

 長話のつもりではなかったので、確認する。

「大丈夫」

「よかった」


 まさかこんな話の流れになるなんて。ドキドキする。

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