一〇、彼女の本心
入学式を挟んで、落ち着いて考えることができた。どこか拭えない違和感があった。千日紅さんの態度が急に変わったことだ。思い返すとやはり唐突だった。それまで普通に話していたのに、急に会話を打ち切ろうとした。
あのとき、気持ちの変化が起きるような何かがあったのだとしたら。
千日紅さんは廊下のほうを気にかけていた。登校してきた新入生の声が聞こえたから。そのあとだった。彼女は気もそぞろな様子になり、そして……。
何か関係があるとしたら。新入生が来ると、一体どうなるか。
話をする。そして、友達になる。
これが普通なら、僕との会話を打ち切って他の友達、同性の友達などを作りたかったのだと考えられるが、違う。千日紅さんの場合、ひとりがいいと言った通りに本を読み始め、周囲と関わろうとはしなかった。
僕らの会話が途絶えクラスメイトが来てから、起こったこと。
僕に友達ができた。和田くんと友達になった。
そのことに気づいた瞬間、点と点が線で繋がったような思いがした。もし僕があのまま千日紅さんと話し続けていれば、和田くんが話しかけてくることはなく友達にはなっていなかった可能性がある。
それこそが千日紅さんの真意だったのではないか。自分以外のクラスメイトと仲良くなってほしかった。
彼女は自虐的だった。会話が下手、暗くて友達がいない。そう言って僕を遠ざけようとした。千日紅さんは、そんなクラスでひとりぼっちになる自分とは仲良くしないほうがいいと考えたのではないか。ひょっとするとひとりでいいどころか、自分はひとりになるべきだとさえ思っていたのではないか。だから他のクラスメイトが教室に入ってくる前に、会話を打ち切ろうとした。新入生の声が聞こえて、このまま僕と話しているわけにはいかないと。
つまり全ては彼女の気遣いだったのでは。「わたしに構わないで」というのは、「構わないほうがいい」という意味だったのではないか。それならばあの態度の変化に説明がつく。
さらにもう一つ、根拠がある。大きな疑問でもあった。
苦しそうに思い悩んだ視線を廊下に落としている千日紅さんに穏やかに問いかける。
「ねえ、友達になるつもりがなかったならさ、どうして和菓子の話をしてくれたの?」
千日紅さんは最初、素っ気なかった。あのままずっと会話に乗ってこなければ、話す気がないんだと僕は諦めていただろう。
「それは……」
千日紅さんは言い淀む。
どうして話す気になったのかはわからないけど、あんなに人と壁を作り距離を取ろうとする人が自分の趣味を晒したのは、少なからず気を許していた証拠ではないか。
――もう構わないで。
それは本心で言ったわけではないのでは。
返ってきたのは、思いがけない言葉だった。
「……『花より団子』につられて、つい」
緊迫した空気だったのに、吹き出してしまう。
「あはは、ついって」
お腹が痛い。それは予想外がすぎる。
「しかもそれ、正直に言っちゃうんだ。あはは、やっぱり千日紅さんは面白いね」
彼女は笑われて恥ずかしそうに頬を赤らめ、しかめ面を見せた。
「本当にわたし、友達いないのよ? 暗くて無口で、無表情。話してもつまらない。関わってもいいことなんてない」
ああ、やっぱり。ふっと息をつく。やっぱり千日紅さんはそう思っていたんだ。自分と関わらないほうがいいって。
安心した、関わりたくないと思わせたわけではなくて。
「言いづらいこと、打ち明けてくれてありがとう」
「……え?」
「中学のこと、話させようとしてごめん。配慮がなかった」
千日紅さんは眉を八の字に寄せて首を振る。
「え、そんな。気にしてない。わたしが悪い」
「いやいや、何も悪くないよ」
そんな卑下しなくていいのに。自分に自信が持てないのだろう。気持ちはわかるけどね。
「人付き合い苦手でもいいと思う」
バッグの持ち手を握っていた彼女の白い手が緩む。
「確かに最初はちょっと素っ気ないなって思ったよ。寡黙だとも。でもいまはそう思わない。面白くて、もっと話したいってなった。嘘でも気休めでもなく、本心から」
まだ少ししか話していないけど、そう思えた。
「まあ僕も仲良くしたいと思ってもらえる自信はないんだけど」
「え」
意外だという顔をされる。
「あはは。だからね、千日紅さんが仲良くしてくれたら、嬉しい」
彼女はしばらく思考停止したかのように固まって、それからためらいを含んだ上目遣いになる。
「…………本当に、いいの?」
その言葉に、安堵する。
「いいよ」
千日紅さんが受け入れてくれて、よかった。
「ところでさ」
僕はいつもの笑顔に戻る。
「実はさっき面白いものを見つけたんだ。『不思議な花の祝福』とでも言おうかな。これがすごく興味深くて、ちょっと聞いてみない?」
早速で何だけど、この話をしたくてウズウズしていたんだ。
千日紅さんは巾着を持った手を後ろに回して答えた。
「……聞きたい」
その表情には、和菓子について話すときのような明るさが戻っていた。
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