九、まだ伝わっていないこと
入学式後、ホームルームにて担任の挨拶とこれからの予定表などのプリントが配られ、二十分ほどで終わった。隣にいた千日紅さんは早々に席を立ち教室から出て行ってしまい、慌てる。
帰り支度と心の準備を整えてあとを追う。他のクラスはまだ閉まっていてホームルームが終わっていないらしい。通り過ぎると中から笑い声も聞こえてくる。担任が面白いのもいいけど、今日だけはあっさりしていてよかった。時間のゆとりがほしい。いまはまだ十一時半前だけど、あまり長く引き留めるのは迷惑だろう。
それに、周りに人がいないほうが話しやすい。
一階に駆け下りると、下駄箱へ向かう千日紅さんの姿があった。
「千日紅さん!」
僕の呼びかけに彼女は足を止め振り向いた。呼吸を整えながらゆっくり近づく。
「追いついた」
千日紅さんは目を見開いて動揺している。
「……どうして」
もう話しかけられることはないと思っていたのだろう。
胸に手を当てて深呼吸。腹を決めて切り出す。
「このまま終わるのは嫌だなって」
千日紅さんは身構えるようにバッグの持ち手を握る手にぎゅっと力を入れた。足も強張っているがわかった。その一挙一動に緊張が走る。
でも決して視線を逸らさず、真っ直ぐに向き合って言う。
「やっぱり僕は、千日紅さんと仲良くなりたいな」
彼女は一瞬驚いた様子を見せたが、さっと目を伏せて困った顔つきになる。
「どうして、そんなに……」
どうして。
自分にも問いかけた。もう構わないでほしいとまで言われたのに、どうしてまだ関わろうとするのだろう。
隣の席の人と仲良くなると意気込んだからか。仲良くなれなかったことを後悔したくないからか。
あるいは誰とでも仲良くなれる姉さんみたいになりたいからか。拒絶されたことを受け入れたくないのか。
それとも、ひとりぼっちの千日紅さんをかわいそうだと思うからか。
どれも理由になる。しかし決定的な動機にはならない気がする。今朝の姉さんが訂正した言葉の意味が、いまなら少しわかる。
――違うよ。仲良くなろうとするの。
大事なのはその気持ちなんだ。僕の気持ち。まだ伝わっていないことがある。
そもそも僕は一度、心が折れかけていた。懸命に話しかけても上手く会話にならなくて、もう無理かもしれないと思った。でもそこで諦めさせなかったのは、他ならぬ千日紅さんだ。
「千日紅さん、挨拶返してくれたよね。時間差で。返してなかったからって、遅れて。そんなこと気にしてたんだってわかって、気が抜けて緊張が和らいだ。そういうの、いいなって思った」
挨拶を返せなかったことをずっと気にして、あとからわざわざ口にした彼女の性格を、僕は気に入った。
「それから、和菓子のこと話してくれたよね。桜餅のこと、興味深かった。あんなに詳しく話せるなんてすごい。びっくりした」
和菓子が好きなんだと熱を入れて語る彼女に、僕はますます惹かれた。そんな少し変わっていて面白い千日紅さんと打ち解けられたと思って、嬉しかった。
「千日紅さんは自分のことつまらないって言ってたけど、そんなことない。僕からしたらすごく面白い人だよ、変わってて。あ、良い意味でね? 僕変わった人好きだから、誉め言葉だと思って」
どうして追いかけることを選んだか、拒まれてなお関わろうとするのか。
「僕が千日紅さんと仲良くなりたいんだ」
そう強く思うから。
もちろん無理に仲良くしてほしいわけではない。もし千日紅さんが心底迷惑に思っているのなら、これ以上関わらないようにする。
でも、そういうわけではないはずだ。
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