三、弾まない会話

 千日紅さんは手を机の上に置き背筋を伸ばして綺麗な姿勢で座っていた。倣って僕も背筋を伸ばし自分の席に座り、話しかける。

「僕ここの席なんだ。隣になるなんて奇遇だね。これからよろしく」

 またよろしくって言っちゃった、なんておどけようかと思ったけど、しつこいかと思いやめておく。

 千日紅さんは顔を正面に向けたまま流し目を送り、小さく頷いた。


「千日紅さんはどこの中学だった?」

 とりあえず軽い話題をと思ったが、返答があるまでためらうような間があった。

「……南枝なんし中学」

「南中か! 僕は羽白はねしろだよ」

「……」

 彼女はそうですかという具合にわずかに頷くだけだった。

「南枝はどんな感じだった?」

「……知らない」

 ばっさり切られてしまい、何も言えなくなる。

 返答に悩むとかではなく、「知らない」。けっこうきついな。本当に知らないわけではないだろう。ひょっとして中学のことは話したくないのかな。

 険悪になりたくはないので、話題を変えてみよう。


 南中はここから見て羽中とは反対の方向にある。でも距離的にはどちらも同じぐらいだ。あのあたりに家があるとしたら僕と同じで学校までそう遠くない。だから電車通学ではないはず。

「今日自転車で来た? それとも徒歩?」

「……歩いて」

「あっ、一緒。近いといいよね」

「……ええ」

 少しの間を置いて、短く淡泊な返し。ちょっと気が重たくなる。

「僕歩くのけっこう好きなんだよね。街の様子とか空模様とか、街路樹とか、いろいろ眺めながら歩くと楽しい。わかるかな?」

「……」

 千日紅さんの首がちょこっと傾く。

「わかんないよね、あはは」

 笑って取り繕う。感性は人それぞれだからね。

「でも自転車を漕ぐのも好きなんだよねー。どっちを使うか迷うな。気分で変えようかな?」

 悩む素振りをするが、彼女は無表情のまま何も言ってはくれない。

「自転車で楽をしたいときとかって、あるよね。でもむしろそういう日にあえて歩くことを選んでみるとか、してみたいかも。何だか面白いと思わない?」

「……」

 うん、まあ何が面白いかっていうと自分でもわからないんだけど。そういう馬鹿なことをしてみたくなるときがあるって話で。そんなことでは笑ってもらえなかった。


 大体こんな調子で一方的に話していてはいけない。会話になってない。

 もっと……何か良い話はないだろうか。

「千日紅さんはどこかの部活に入りたいとかある?」

「ない」

 返ってくるのは素っ気ない言葉ばかり。

「そっか。僕はまだ悩み中なんだけど、写真部とか新聞部に興味ある」

「……そう」

「千日紅さんはどう。興味ある?」

「ない」

「うーん、そっか」

 つれない……。

 他に、話すことは。


「受験、どうだった? 難しかった?」

「……それほど」

「おー、すごい。僕はとにかく緊張したね」

 試験自体は手応えがあり、問題が解けていくにつれ緊張も解れた。いまの状況のほうがよっぽど難問に思える。

「得意な教科とか苦手な教科ある?」

「……特に」

「おー、そうなんだ。僕もなるべく苦手な教科は作りたくないなって思ってるけど、古文はどうしても苦手なんだよね」

「……そう」

「うん……そうなんだ」

 会話が、続かない。

「……入学式、楽しみ?」

「……いえ」

「あはは……そうだよね」

 いよいよ何を話せばいいのかわからなくなってきた。

 やっぱり僕が一方的に話しているだけで、一向に距離が縮まらない。このままではお互い気分が沈むばかりだ。


 自分は大体誰とでも話せる人間だという自負が少なからずあった。中学で周囲と関わることを避けていたあの慧とだって話せたんだ。だから一見口が重そうな千日紅さんとも、話していれば打ち解けられるだろうと楽観的に考えていた。

 しかし想像以上に話が弾まない。僕の話がいけないのだろうか。つまらないから、乗ってこないのだろうか。それとも、僕と話す気がないのだろうか。話しかけられて迷惑に思われている?

 息が詰まる。机の下で、意味もなく拳を作り開くのを繰り返す。

 どうすれば。もう上手く話せる自信が……。


「あの」

 隣から耳に飛び込んできた、小さな声。反射的に顔が上がる。

 千日紅さんが顔をこちらに向けていた。しかし視線は逸らしながら、ぽつりと言った。

「…………おはよう」

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