第20話 骨折事故
九月までは残暑が厳しく、真夏日のような暑さの日もしばしばある。十月に入ると突然、涼しいのを通り越して寒さを感じる日が出てくる。気候は年々、極端に振れるようになってきている。体調を崩す高齢者や職員も多い。
日曜日は職員の数が極端に減る。日本の医療現場全体がそうだ。
医師やリハビリスタッフは基本的に土日は休みで、当直医のみ居る。看護師と介護職員は交代制で普段通りの仕事を続ける。盆も正月もゴールデンウィークもない。
どちらかと言うとそんな時は手当が出るので稼ぎ時であり、普段の給料が少ない分をここで埋め合わせるため出勤したい職員も居るし、やはり大型連休は休みたい職員も居る。
義彦は出勤したい方だが、いざ当日出勤するとなると世間が休日ムードなのでやはり少し憂鬱になったりする。日曜日特有の忙しさもある。
アジャイはしばらく日曜日には休んでもらっていたが、このところは他の職員と同じように日曜日にも出勤してもらうことが増えてきた。なぜ日曜日だけこんなに職員の数が少ないのか、家族もたくさん来所するのに、とアジャイは義彦に正論をぶつける。その通りではある。なぜだろう、と義彦も思う。職員の全体数を増やせない介護現場の事情がある。慣例もある。
夏頃からの義彦の連れ出しもある程度功を奏したのか、時折疑問をぶつけることはあるが、アジャイの職場や他の職員達の仕事ぶりへの反発も少しは収まってきており、表面上は平穏に過ぎて行ったが、そんな中で藤枝さんの骨折事故が起こった。
原因は分からない。ある日、痛みを訴え、レントゲンを撮ってみると、腰椎圧迫骨折との診断だった。不自然な力が掛かった、ということだった。家族の要望もあり、追跡調査となった。
その後、アジャイが無理な介助をしている、との証言が二、三人の職員から出て来た。同じ訴えを繰り返す老人に対して苛立つ表情を見た、との証言も出て来た。
職員数名の間で、アジャイが怪しいという空気ができ始めるのは早かった。義彦は一応アジャイ本人に確認するが、乱暴な介護はしていない、と断言する。
確かにアジャイは誰よりも力持ちだが、怪我をさせるようなことはしないはずだ、と義彦は思う。骨折事故の後、アジャイと他の職員達の間では以前にも増してギクシャクとした空気が漂った。
義彦も正直、アジャイの目付きを恐ろしく感じることがある。人種特有のギョロッとした大きな目での視線もあるが、最近はその中に怒りや不満の色がストレートに表れてくるようになってきているように感じる。ただでさえ彫りが深く毛深いので、ムスッとしていると、怖く、恐ろしく見える。入職当初の笑顔は消えていた。日本人のように表情をコントロールしごまかすことになかなか慣れないこともある。
アジャイは基本的には優しい青年なのだが、思いが強過ぎ、熱過ぎて、ふとした時に自分の感情を止められず、高齢者に対してもキレてしまうことがあるようだった。
高齢者も認知症のある人が殆どなので自分の言うことをよく分かっていない部分があり、理不尽な要求をしたり暴言を浴びせたりもする。日本語への理解力がぐんぐんついてきているアジャイは、理解が進んだ分、日本語による相手からの言葉にも言葉の裏にある意図や感情が分かるようになり、受け止めきれずに傷付いたりすることも出てきた。他の職員達が言うアジャイの別の一面は否定できない部分がある。
藤枝さんとも信頼関係を築いていたかと思うと、ある時豹変して「あんた誰や」と言い出し、介助しようとすると「インド人はあかん、助けてー、誰か来てー」などと叫び出すこともあるため、アジャイも愕然とすると同時についカッとなることもあった。
義彦の経験では、そんな時は自分の感情にフタをして、機械的に介助すること、言い換えれば、人間相手ではなくモノ扱いすることで怒りを鎮めることがある。
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