第18話 大文字

 大文字の送り火の日には、義彦の家族とともに、アジャイと、アジャイの技能実習生仲間のインド青年・ラクシュミも誘って、桂大橋まで見に行くことにした。

 アジャイにとってもラクシュミにとっても初めて見る大文字ほか五山の送り火に、飽きずに見入っていた。

 同じ大文字でも、義彦の生まれ育った左京区からと、今住んでいる西京区からでは見え方が大きく違い、西京区からは左大文字や鳥居形がより近く見える。しかし本家の大文字や、妙法、船形もしっかり見える。今年は雲一つない晴天となったこともあり、ことさらくっきり見える。そのことの幸運を二人に伝える。

 闇に燃え盛る五山の送り火を見ながら、アジャイは義彦に大文字の起源について尋ねてくる。京都に生まれ育った義彦だが、大文字の起源も、祇園祭などの有名な祭りの起源も、知らない。

 こういうこともあろうかと、少し前にネットで調べたが、大文字がいつ始まったのかはっきり分かっていないらしい。弘法大師が始めたのだとか日蓮宗の僧侶が始めたのだとか諸説が飛び交っているが、面白い珍説も見つかった。

 起源が不明、で話が終わってはつまらないので、義彦が見つけた珍説を二人に紹介してみた。

 大文字や祇園祭は、古代イスラエル王国が崩壊した時に行方不明になったユダの十二支族のうちの一支族がユーラシア大陸を渡り朝鮮半島から日本へ辿り着き、ユダヤの行事や祭りを再興した、とのユダヤ起源説について話す。大という字はユダヤの紋章である五芒星を表している、とか、祇園祭はもともとはユダヤのシオン祭りなのだとか、数々の珍説の一部も同時に紹介する。

 その説はさすがにアジャイもラクシュミも知らなかったらしく、呆気に取られて聞いている。全ての文化はどこかでつながっていて、切り離されていないので、長い歳月の間には起こりうる話ではないか、と思う。

 史実の前の大昔、人類はひとつで、共通の言葉を話していた、との説もある。神が怒って人々を別の言語に分けたのだ、とも言われる。元々ひとつだった人類が分かれて、別々の文化を育み、近代になって様々な文化が良くも悪くもぶつかり合う現代に至っている。


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