第17話 清水寺

 義彦は休みの日、アジャイを誘って、効果はないかも知れないし、彼も知識として知っているだろうが、京都の古き良き日本を感じさせるスポットを案内してみることにした。

 日本の古いお寺を見て感嘆しない外国人はいない。少しでも日本の良さを感じてもらおう、と義彦も躍起になっていた。このまま、双方が誤解を抱いたままにしたくはないと思った。

 アジャイには同じ法人の他施設に各国からの技能実習生仲間が居て、交流があることは知っていた。インドから来日したのは二人だけだと言う。

 以前のEPA研修生はインドネシア、ベトナム、フィリピンの三ヶ国のみだったが技能実習生の対象国は増え、出身国も多様化してきた。技能実習生どうしの絆は強いが、そうなればなるほど、日本人との距離は生じてくる。

 

 義彦が旅行していた頃、今でもあるだろうが、世界の主たる観光都市には通称日本人宿なるものが自然形成されていた。

 普通のドミトリーなのだが、日本人旅行者ばかりが集まるようになり、そのうち支払期日をきっちり守る人が多い日本人しか泊めなくなる宿もあった。

 日本人宿に滞在していると、現地の人と不自由な言葉で関わらなくても、宿に居る日本人旅行者と話をすることで、各地への安い行き方、良い宿、おいしいレストラン、国境の越え方、ヴィザの取り方など、必要な旅行の情報が日本語で手に入る。反面、現地に居るという実感は乏しくなってくる。

 

 京都の夏は暑い。

 清水寺へ行き、清水の舞台から飛び降りる、ということわざについてアジャイに伝える。思い切って事を成すことで、アジャイもインドから日本へ来ることは清水の舞台から飛び降りる覚悟だったのではないか、という風に使うのだ、と解説する。

 アジャイは笑いながら、でもそんなに高いようには見えません、と言う。

 そう言われればそうで、周囲を緑で囲まれているせいか、眺めは最高に良いが、ものすごく高くて怖い場所、という感じはしない。

 高層ビルから下を見下ろすほうが鋭角だし、怖い。現代には、もっと覚悟の要る場所がある。しかしことわざができた当時はそうだった、と補足する。アジャイは少し納得する。

 回りの話し声を聞くと、様々な言語が飛び交っていることに改めて気付く。人々の群れに目を移すと、中国系、インド系、アラブ系、東南アジア系と思われる人々や欧米人が入り混じっている。日本人の姿がない。檜造りの清水の舞台に居るのに、自分が今、国籍のないどこかに迷い立っている感覚に襲われる。

 アジャイは休日に技能実習生の仲間と出掛けて、京都市内の主な場所には行っているらしいが、清水寺には来たことがない、とのことだった。日本の、京都のお寺は好きで、居ると、気持ちが落ち着くそうだ。

 元々、仏教はインドから伝来している。元祖のインドでは、仏教は衰退した。現代のインド国内にはチベットから亡命してきたチベット仏教徒を除くと、ほとんど仏教徒が居ない。なぜなのか、と義彦はインド人であるアジャイに尋ねてみた。

 ヒンドゥー教では、仏教徒もヒンドゥーの一部だ、とアジャイは解説する。インドのヒンドゥー寺院も日本のお寺と見た目は大きく異なるが、訪ねるとなぜか気持ちが落ち着いた。宗教施設は人の心を落ち着かせる。

 宗教施設と高齢者施設を合体させればどうか、との考えが浮かぶ。高齢者施設は、心落ち着く場所とは言えない。お寺が老人ホームを経営している例はあるらしいが。

 仏教が日本で独自の発展をしていることを来日してから知ったアジャイは、驚いている。他にもタイやミャンマーなどでそれぞれ独自の仏教が発展している、と各国を回ってきた義彦は言う。

 彼が日本語として理解が難しい部分は久しぶりの英語も織り交ぜ、知識の至らない部分はスマートフォンで検索しながら話をする。

 暑い日だが、お盆前の平日ですいていたこともあり、彼も楽しんでくつろいでいたようだった。


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