第13話 タイムスケジュール
部屋からのナースコールが鳴る。
神経に障る音だ。
排泄が終わった、後始末を助けてほしい、というトイレからのコールは、また別の音だ。
時に、部屋からのコールとトイレからのコールが重なる。部屋のコールどうしが重なり合う時もある。
その都度、介護職員は今やっているおやつの準備や記録物の記入などの仕事を中断してコールが鳴る先へ赴く。
基本的にはすぐ行くことになっているが、職員によっては今やっていることを優先させ、聞こえているのにしばらく動かない人も居る。
同じ職員でもその日の体調や気分によって機敏に動ける時と動作が緩慢な時がある。
元々何かに集中していた意識が乱暴な音によって強制的に中断させられることは人間にとって不自然なことだが、介護職員はそういう仕事の仕方が義務付けられている職業だ。今、タイムリーに生じた必要なことをしなくてはならない。
コールばかりでなく高齢者達の要求はいつでも突然で唐突で脈略がなく、こちらの都合は全く関係がない。
あらゆる客商売でもそうだろうが、こちらの忙しさは頼む方にとっては関係ない。その時その時、反応しなくてはならない。また、医療ヒエラルキーの最底辺に位置する介護職員は、看護師などからの突然の指示にも応じなくてはならない。まさに駒のように動き回ることになる。奴隷のようだ、と自嘲的に思わなくもない。
突然動かなくてはならないことについては、アジャイは順応しているようだった。義彦には旅行中に見たインド人の習性を通して、インド人は人を待たせても自分のペースを固守するイメージが強かったが、そんな人ばかりではないことが、アジャイを見ていると分かる。
職員達が忙しくしていることを見て、遠慮して不自由な身体で無理に自力で動こうとする高齢者も居て、無遠慮に要求をぶつけてくる高齢者よりもさらにタチが悪く、そうした無理やり自力で動く人を監視して危険な行動に対応することも、必要で大事な仕事ではある。しかも、高齢者の無理な行動を頭ごなしに叱ったりすることは良くないこととされている。
介助者を無視して動き回られるとこちらもカッと頭に血が昇るが、彼らが自分の行動能力を自覚できず若い頃の自分と同じように思っているのはひとえに認知症のなせる業であり、脳の病気のせいであって、彼らの人格を責めてはいけないし責めたところで彼らの行動は改善されない。
季節は変わっても、ケアハウスのタイムスケジュールは判で押したように同じだ。
ほとんどの介護施設ではスケジュールが固定化されているために、朝の起床時間は、冬はまだ暗いうちから起こさなければならず、夏は夕方まだ明るいうちにベッドへ寝かせることになる。
高齢者は特に自分の体内時間に忠実に生きたいと本能的に感じると思うので、季節ごとに施設のタイムスケジュールが変わっても良いはずだが、そうなると職員の出勤時間も季節ごとに変えなくてはならなくなる。入浴が夜ではなく午前中というのも、元々が病院のタイムスケジュールをモデルにして老人施設の時間が決められたからで、夜は職員の人数が極端に少ないことも、どこの施設もそのようだ。入所している高齢者達は、施設の時間の流れに押し込まれることになる。
食事も一斉に始まり、一斉に終わる。確かにその方が、手間は掛からない。時々朝の寝起きが悪く起きない人が居て、遅い時間に起き出して来ると、その人のためだけに取っておいた食事を温め直したり、と手間が余計に掛かる。いっぺんにやってしまった方が早く済むというのは、ある。
アジャイはその辺りも疑問に感じているようで、夏と冬と日の長さが違うのに同じ時間に同じことをするのはどうなのか、と真っ当に思える疑問をぶつけてくる。
義彦も入職一年目位の頃は、まだ日が高いのに次々と部屋のカーテンを閉めて行く職員達を不思議に思った。
長く働き、ケアハウスの中からばかり物事を見ることが多くなると、だんだんとそんな疑問は弱まって行った。しかし多くの職員のように夜は人手が足りないのだから仕方がない、と開き直って自分の行動を正当化するまでには至っておらず、矛盾を感じながら、でも他の職員の気持ちにも気を遣いつつ妥協しながら渋々他の職員と同じ動きをしている。
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