第9話 自転車

 藤枝さんも夕方になると「大阪の家に帰るわ」と軽い調子で言い出したりする。

「京都なんかいけずの集まりやさかい、嫌いや。しゃあなしに来たったんやけど、そろそろ帰らな」

 藤枝さんの言う家は、息子さん達が売ってしまった、とは言えない。今日は晩ご飯も出るから、泊まって行ったら?と言うのが精一杯だ。高齢者介護での意思疎通は非言語コミュニケーションが七割、と言われる。帰りたい気持ちを包み込むような温かさを伝えられるかどうか。


 義彦の通勤手段は、自転車だ。片道一時間掛けて通勤する。以前は車に乗っていた。買った時点で八万キロ走行していた車を格安で買って、十五万キロ走った時点で動かなくなった。新しい車を買うことやバイクでの通勤も検討したが、一番お金が掛からない自転車で通ってみて、意外に行けそうだったので、通い続けることにした。もう六年続けている。

 自転車の良い所は、近道の細い路地で車がすれ違いに苦労している脇をすり抜けられることだ。または、人通り車通りのほとんどない小さな交差点で、たとえ信号が赤でも、十分注意しながら回りをよく見て渡れることだ。

 冬は寒い。それでもある程度までの寒さなら、坂道などを漕ぐとうっすらと汗をかく。真冬ともなると、軍手を二枚重ねても手がかじかみ、顔が寒さで痛くなる。

 それでも義彦は自転車で通う。信号で引っ掛かってばかりの車で通うのと通勤時間はさほど変わらないことと、経済的なメリットが非常に大きい。

 車を維持する費用はものすごい。介護職員の安い給料で生き抜くには、この程度の知恵は必要だ。

 アジアの国々では車は贅沢品で、古い車を直し続けて限界まで使う場合が多い。バイクや自転車、あるいは牛や馬が主な交通手段である国々も、まだまだ多い。そう考えれば回りがどうあれ、義彦は体力の続く限り自転車で通い続けたいと思う。京都のような都会の生活で、車は本当は不要であるように思う。

 家庭を持っていても、公共交通機関で事足りる。車を持たないことで家計も助かり、車を持っていたらできなかっただろう外食や家族旅行へも行けている。給料はほとんど上がって行かないので、生活全般に工夫が必要だ。


 日本語が完全に聴き取れるわけではなく、関西弁のアクセントの癖もよく分かっていないが、アジャイは高齢者から話を聴き取ろうとする。しゃがみ込んでじっくり耳を傾けることが多い。元々、家に老人が居て、よく話を聴いていたのだそうだ。

 先に来たインドネシア、ベトナムからのEPA研修生もそうだったが、アジャイからも向上心と目標を持っていることが感じられる。日本人の一般的介護職員とはタイプが異なる勉強家で、インド人とは言っても義彦が旅行中によく遭遇したお金のことばかり考えているような商売人達とは違っていると思われる。

 旅行中、特にインドに居る時は、日本人だというだけで、人々が寄って来た。金目当てはしらけるが、日本や日本人に興味があり、日本のことを知りたくて近付いてくる人も居た。そういう人達との交流は楽しかった。

 日本のことを教えて欲しい、と言うそんな人達に、自分も全く詳しくはない日本についてのことを語っていると、日本の中で生きていたら感じることのなかった、自分が必要とされている感覚を持つことができた。介護の仕事を始めてから、その頃の感覚に近いものを感じることがある。 

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